第66話 英雄たち

 大きな光が世界を包んだ。その光は、段々と消えていき小さな点になった。暗雲は晴れ、静かな風が吹いていた。雲の間から光がもれている。ノアは、心地よい風に乗るように、ゆっくりと地上へと降りていった。



 気が付くと両軍の騎士は、みな武器を手放していた。魔力によって召喚されていたゴブリンの集団が、いつの間に一匹残らず姿を消している。風はやみ音はなかった。


 慌てて足元の武器を拾おうと、手を出した騎士の一人が言った。


「……武器が掴めない?」


 スカッ、スカッと見えているはずの武器が指先をかすめるだけだった。手袋を取って土のこびり付いた手を伸ばしても、結果は同じだった。


「ハッ……ははは、何だ、こりゃあ。剣が掴めないぜ。回避魔術か何かか? だ、誰か俺に武器を貸してくれ」


「こ、こっちも一緒だ。武器が拾えない」


 足元には剣や槍が転がっていた。すべての騎士たちは、無意識に剣や槍を手から離してしまっていた。地面に張り付いた武器は、どうやっても触れることすら出来なかった。


 皆が指を開いたり閉じたりして地面をまさぐった。すぐに剣が必要だという恐怖に捕らわれた騎士たちは、こぶしを地面に叩きつけた。

 

「武器を拾え! 命令に背けば厳罰だぞ」


 連隊長ロフタスは声を張り上げて、戦闘態勢の号令となる魔笛を鳴らそうとした。「何も鳴らないだと? 魔力が失われているのか」


 両手を見つめ後方の騎士が言った。「まったく魔術が使えない。だれか、魔術を使えるヤツはいるか?」



 誰ひとりとして魔術が使えないことに、峠のどこかしこでパニックのような叫び声がしていた。罵倒や、殴り合いをはじめる騎士たちもいた。もともと魔術を使えない人間にとっても、どうでもよい話では無い。


 世界から魔術が消えてしまうことは、今まで築いてきた文化、文明が何百年も後退するほどの、大問題だった。


「落ち着け。危険はない……むしろこれで、良かったんだ」誰かが言った。


「何だって? 武器も持たずに戦地にいることの何処がいいんだ」


「相手も、誰も武器を持ってないんだぞ。危険はないんだ。お前の脇の下から湧き上がる匂い以外はな……」


「はっ、あはははは」


「ひーっ、ひーっ!! その匂いなら、慣れっこだ。死にゃしない」


 騎士たちは腹を抱えて笑いあっていた。身体をくの字にまげて転げまわる者までいる始末だった。


「なんか知らんが気分がいいぜ!」


「ああ、なんて不思議な感覚だろう」


 強力な魔術で遠距離から脳みそをぶちまけられる心配も、火炎で生きたまま焼かれる恐怖も、トラップでミンチになって即死する地獄も無くなった。


 世界に魔術が無くなり武器を手にしている人間も居ない。あわてる必要なんかない。戦況を遠くから見張っていた得体のしれない誰かの魔術だって、無くなっている。


 ――何もかも捨ててやり直すことは出来ないだろうか。武器を捨てることは、そんなにも難しいことなのか。


 騎士たちは、こんな当たり前のことに、いままでどうして気が付かなかったのだろうかと考えた。どうして戦争は終わらないのか。どうして騎士になったのか。どうして、あの美しい自分の土地から離れて、ここにいるのか。


 理由なんて無かった。誰もが、ただ生きるために、人を殺し始めただけだった。


「なんだ……魔術なんて必要ないじゃないか――」武器と魔力を失った人々は不思議とすっきりとした心地よい気分を味わっていた。

 

 誰も魔術が使えないとなれば、慌てふためく必要など毛頭ないのだから。


「酒でも飲まなきゃやってられねぇ!」


「そうだ、戦争なんてもう終わりだ。さっさと酒持ってこい」


「俺の下着も持ってきてくれ。興奮して漏らしちまった」


「「……ぶわっはははは」」


 騎士たちは腕を振り上げ、喜びに紅潮した表情を浮かべ叫び、笑いあった。


「ふざけるな! 命令に背けば……」黒騎士の副官が混乱を沈めようと駆け寄るが、騎士たちはきっぱりと言った。


「命令? 命令なんか魔力を介した通信が無けりゃ出来っこない。厳罰だって出来ない。捕獲魔術も拘束魔術も無いんだぞ」


「なんだと? じゃあ、法や規律はどうなるんだ! 軍が無くなれば秩序も平和も無くなるんだぞ」


「……」


 馬のいななきが聞こえ、騎士たちは丘を見上げた。白馬にまたがった死神ベインは、漆黒のマントをひるがえし頭上高くそびえていた。


「黒騎士、道をあけよ」騎士たちは道を開けて彼を通し、まっすぐに連隊長のもとに彼を誘導した。馬鹿騒ぎをしていた男たちも、ていねいに頭を下げ、ベインを見守った。


いくさは終わった。隠者は〈魔力の根源〉と共にあり、魔力は無くなった」


 ロスタフは苦笑いを浮かべた。連隊長は、今更現れた死神ベインに対する騎士たちの態度が気に入らなかった。


「どういうことだ? ベイン卿」


「……ロフタス様ですね」


 いつの間にか白馬の足元には、若い娘が二人たっていた。軽装を外した娘が、馬を降りるベインの横から話しかけてくる。

 

 共に来た娘とは解封師ローズと節制のソフィアだった。彼女たちは無防備ないでたちで黒騎士たちの中を歩いてきたのだった。


 城塞で回復された黒騎士たちと〈女魔術師〉アデリーや〈吊られた男〉ジラートフに守られ、この中腹までおりてきていた。


 騎士たちがきょとんとした目を向けて道をあけると、ローズは少し悲しそうに微笑みかけ、話し始めた。


「戦争の原因は魔力を多く得ようという王家や貴族の諍いが発端です。魔力が無くなった今、争う理由はありません。さっさと国に帰ったほうがいいでしょう。少なくとも自国の法と秩序を守ることは出来ます」


 ロフタスは周囲の目にさらされ、額と首筋に汗がにじみ出ていた。なにか言おうとしたが、なにも言い出せなかった。察したベインが、ささやく。


「この方は王家の血筋、氷夜城アイスブラックの女王ラデュレの娘。我らの姫君シャロン様だ」


「何だって? 魔力に終焉をもたらすと云われる、あのお方なのか」


「そうだ、控えろ」


 騎士達は一瞬凍りついたように静まり、どよめきたった。老騎士が仲間の白騎士に抱えられ、城塞へと運ばれていく。


「世のほころびを繕い、運命を紡ぐという氷解魔術師クリオマンサーの末裔だ。もっとも白騎士では、解封師と呼ばれているが」


「終わると思うのか!?」ロフタスはベインの胸ぐらをつかむと顔を近づけ、ほとんど叫ぶように聞いた。「本当に魔力がなくなれば、争いは終わるのか!」

 

 ベインも叫び返す。「ああ、思うとも。王家の諍いに付き合うことは、ないだろう?」


「そ、そんなことが信じられるか!」

 

 突き飛ばされた死神ベインを庇うように、ローズは背中を抑えて言った。


「お互いの魔力を奪い合い封印し合い、殺しあう。宝箱とトラップには事欠かないけど結果はどうかしら。終わることがあると思うの?」


「な、なんだと。ああ?」ロフタスが叫ぶと、騎士たちはささやき合うように口をひらいた。


「終わりだ。終わりにするんだ」


 連隊長の顔はひきつって歪み、口元はぶるぶると震えていた。「こ、こんなにもあっさりと魔力に終焉がもたらされるのか……」


「そうだ、終わったんだ」ベインが顎をさすって言う。「急いで帰ったほうが賢明だ、宝箱の封印も解けているだろう」


 死神ベインは騎士たちの中央で空を見上げた。「なんて男だ。あの魔術師は魔力と一緒に、すべての騎士たちの嫌悪感ヘイトまで、全部持って行ってしまった」



 ぞろぞろと引き上げていく騎士たちを見送るベインとロフタスは、お互いの健闘をたたえ合うように、目を見合わせ肩を叩き合った。


「おかしいと思わんか……人間同士で殺し合う必要はなくなったなんて。しかし多くの過ちが許されるはずなんてない。魔力がなくなったとしても、罪や憎しみまでは消えないぞ」

 

 ある意味、こんな想像を超えた状況になれば、有能な人間ほど底抜けの馬鹿に見えてしまうとベインは思った。


 元老院やら民主制議会やらで、質疑応答でもしなければ、当たり前のことも決められない。


「……紙一重だな、あの魔術師と。おそらくは武器に細工されたのも、嫌悪感ヘイトを消されたのも一時的なことだろう」


「なんだと? なら、やはり」


「いや、終わらせるのは今しかない。罪は民を守ることで償えばいい。傷だらけで、たったひとりで、この争いをくい止めた老騎士を見ろ。誰もが武器を捨てたいま、勝利に何の意味がある。ここで決断するのが、連隊長の役目じゃないのか?」

 

 黒騎士の連隊長ロフタスは、やっとの思いで意志を固め、辺りを見渡した。すぐに、このことを民衆に知らせるべきだと思った。


「さあ、国に帰れるぞ!」 


 地鳴りのような歓声が沸き上がった。いま、この瞬間に世界は変わったのだ。さらに叫び声が大きくなる。ますます歓声は広がり、ベルファーレの峠に響き渡った。



「お待ちください」女中姿のソフィアとローズは城砦を指して言った。ベインとロスタフは、お互いを見合った。「祝宴の用意があります」


 この時間ときだけは、皇帝や女帝にも決める権限などなかった。この場に居合わせた両軍のみが既成概念を捨て、共に酒を酌み交わす権利があった。


 王家の血族ローズ・オブ・シャロン、白騎士ベナール教会神父ラルフ、黒騎士連隊長ロスタフ。王都と連絡がつかない状況で、休戦協定を断行する絶好の機会だった。

 

「ふーっ、儂らはまだまだ頭が固かったようだな、ベイン卿。そんな手があったか」


「これから馬鹿になればいいでしょう。あの魔術師のような底無しの馬鹿にね。まったく、ひとりで全ての責任を背負いこむなんて常識はずれも甚だしい」


「後世まで続く反感はすべて、その魔術師に向けられるわけか。なんと呼べばよいのだ」


「さあな。〈隠者の資質カード〉は賢人の導きを暗示してる。謎の隠遁者、あるいは世捨て人とでも呼んでやればいいだろう」



 文明は、また築けばいいという意見が支配していた。人間は、いったん武器を捨て立ち止まってでも、自分たちで考えるべきだと誰もが理解していた。


 文明は何度でも築くことができるが、脅威を取り除くことは、勇気ある決断が必要だ。


 その勇気ある決断をくだした英雄達をたたえる歓声が響き渡った。


 もとより魔力とは、人間のものではなかった。民衆は、すでに膨大な魔力にたいして危機感をもっていたのだ……とても敏感に。

 

 魔力に頼らないで生きることを、不便で辛いと感じる人間は多かったが、生物としてどちらが正しいかといえば、答えは明白であった。


 人間にとって、それはあるべき姿だったのかもしれない。魔力を封印された人々は悲観的ではなかった。強い確信とゆるぎない自信を持って、これからの未来に希望を見たのだ。


 この偉業は、国家間の停戦協定の礎となり、両国の歴史に刻まれることとなる。後日、王都サン・ベナールには黒騎士女帝の臣下を迎え入れ、魔力の無くなった世界をどうまとめて行くかという共同議会が発足することとなる。


 魔力喪失と共に彼らの偉業は、国中に響き渡った。ヴェルファーレ攻防戦の終結で、互いの部隊が終戦の祝杯をあげたという事実を。


 変化の暗示〈死神のベイン〉。前進の暗示〈戦車のロスタフ〉。調和の暗示〈節制のソフィア〉。そして正当な王家の血族の存在。


 

 だが、真の英雄の名が語られることは無かった――。


 


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