第65話 決断のとき

 既に全身のあちこちから血がしたたり落ちていた。乾いた血の上に、更に血が流れ、黒い塊が体中にこびり付いていた。


 気付けば〈戦車の資質〉を持ったロスタフは黒騎士の五、六人と共に一斉に切りかかっていた。たった一人の老騎士を撃つために。


 ついに老騎士ダリルの左肩に黒騎士の剣が振り下ろされた。血しぶきが飛び散り剣を握る手が滑った。飛びのくと、ふくらはぎをスッパリと切られた。


「ぐわっ!」


 今の攻撃は見事だったと内心で黒騎士を褒めたが、着地の寸前に膝をつくはめになった。


 バランスを崩したダリルは、剣を地面に付かなければならなかった。すぐさま剣を握ろうとしたが、遅かった。握るにも指が二本、無くなっていた。


「すまん、リウト。ここまでだ」


 続けざまに何本もの黒騎士の剣がダリルにふりかかった。


「お前は馬鹿じゃなかった、リウト。死ぬ前に訂正しなきゃあ……」


 儂は人間として失格だったから言いはしなかった。お前は馬鹿なんかじゃない。他の人間がお前を馬鹿だと言ったとき、儂は許せなかった。本当に殺してしまうかと思ったんじゃ。


 儂は、いつの間にかお前を誇りに思っていた。お前と親子になりたいとさえ思っていた。まるで息子のように感じておった。


 そんな資格は無かったけども。


「キイイイ――……キイイイ――……」


 ダリルの意識は朦朧としていた。目の前に多くのゴブリンの仲間が集結しているのを信じられなかった。最期の夢を見ていると思った。


 老騎士は意識を失った――。


「……」黒騎士たちは、進軍を止めた。突っ伏した老騎士の前にゴブリンが陣取っていたからだ。確かにゴブリンのような知能の低いモンスターを自在に操った術師もいた。


 だが、意識を失った人間をモンスターが庇うことなどありはしなかった――ただの一度たりとも。

 

 黒騎士の一人が口を開いた。「魔獣使ビーストテイマーいでしょうか」


 他の黒騎士は乱れた。連隊長ロスタフは不可解な事態に手を止めつぶやいた。


「はぁ……はぁ……なんと恐ろしい男だ。ゴブリンどもは、この老騎士を命がけで救うというのか……待て。我々は一人も殺されていない。老騎士は、はじめから殺す気がなかった」


「なんて騎士だ」副長は隊列を戻してゴブリンに向けて指揮をとろうと構えた。「気を抜くな、まだ終わっていないぞ!」


「儂たちは」ロスタフは唸るようにいった。「ゴブリンを退治に来たんじゃない。儂らの負けだ」


 敵ながら黒騎士ロスタフには信頼にも似た敬意が芽生えていた。もし、この勇気ある騎士が自分の軍にいたら、自分はゴブリンと同じように喜んで盾になったのではないか。


 この騎士がもし、味方として共に戦っていれば、必ず正しいほうへ導いてくれるのではないか。ロスタフは膝をつき、激しく震える手で剣を置いた。


 城門には、スタン・トラップや怪我から解放された白騎士が駆け出してきていた。戦場は、未だ膠着していた。


「ギイヤァ」

「グッギィ、ギイヤァ!」


 前倒しに倒れている老騎士を中心に。たった一人の、動けもしない薄汚れた老騎士が、なおも戦闘を食い止めているようだった。




 空高く、悪魔と隠者の暗示を持った二人の魔術師は、組み合ったまま明滅する光に包まれていた。投影魔法によって解封師の少女は、じっと遠くからその姿を見つめる。


 皮一枚、ゼロ距離での攻防は均衡を保っているようにも見えるが、父の目は大きく見開かれ、額には網のような血管が浮き出ていた。


 リウトの顔は……歪みながらも、まるで笑っているようだった。この位置からは見えないがローズはそれを感じ取っていた。

 

 彼がこんなにも色々なものを背負って成長を遂げたことを、誰が信じるだろうか。


 あの日、老騎士に石を投げつけることしか出来なかった青年。優秀な大魔術師だと聞いて、一筋の涙を流した青年。そのあと大泣きしていたのは別だけど、すぐに父に会えるよって勇気付けてくれた青年。

 

 苦しんで、負け続けたからこそ強く成長したのだ。ローズには、彼が笑っている理由が分かるような気がした。


 こうやって戦えるのが嬉しいのだ。そして封印術師が、予想を遥かに超える強さを持っていたのがまた、嬉しいのだ。


 彼は心のどこかで……自分と同じように苦難を糧に魔術師の到達点へと登り詰めた男と、闘ってみたいと感じていたのかもしれない。



 少しでも気を抜いたり、尻込みすればどちらかの肉体は一瞬にして塵と化す。


 魔術をかけては封印され、攻撃に転じれば解除され、衝撃の魔術は薄膜の防御壁を何百、何千と二人の身体を行き来していた。


 それは狂気の沙汰だった。ローズの全身には鳥肌がたち狼狽していた。この鳥かごのような状況から逃げ出したくなった。

  

(――いいえ、わたしが見届けなくてどうするというの)



「ダリルとかいう騎士の声が聞こえたか?」リウトと組み合ったままノアが言った。「貴様と親子になりたいとは、随分と笑わせてくれる」


「うっ……く、どの口が言うんだ? 自ら父親になった貴様がそれを笑うとは皮肉だな。でも、やっと決心がついたよ」


「ほほう」


「あんたの考えているような方法じゃ到底、戦争は無くならない。ローズは渡さない、世界を敵にまわそうとも」


「なんだと」ノアは眉を吊り上げた。


「俺がやる。俺が全部持っていってやる。お前の後悔、お前の呪い、お前の思い、お前の未来、お前の希望、お前の憎しみ、お前の悲しみ。見ろ! ノア。全部俺が! 全部俺が持っていってやる!」


「や、やめろ。何をする気だ」


「こうするんだよ。うおおおおおおおおおおおおおお――……」


 ノアの右手を若き魔術師が引き寄せる。伝説の五つの指輪が音をたて順に砕け散っていく。

 

 天――雷――氷――火――地。


 リウトは封印術師の全ての魔力を吸い出して、雄叫びを上げた。


 髪は逆立ち、奥歯が割れそうになった。リウトの全身はブルブルと痙攣し、まばゆい光に包まれていく。リウトの身体から炎が立ちのぼった。喉が焼け付きリウトの声が霞んでいく。


 頭上の空間にはいくつもの光が差し込み、リウトの頭の中を掻きむしるように、きらめき漂った。熱狂から静寂へ。爆発から収束へ。



〈魔力の根源〉へとたどり着く。そこで待っているものは……リウトは両手、両足をもがれ、何も感じることの無い永遠の牢獄へと送られる。


 王家の血筋でなければ〈魔力の根源〉の一部となっても永遠に生き続けることはないだろう。おそらく、ユグドラシルに干渉できるのは僅かな時間、一瞬で一度きりのこと。失敗しようが成功しようが戻れない、確実な死という運命を選ぶことになる。


 初めて、この方法を思いついたときから、リウトはずっと気がふれるほどの恐怖を感じていた。ダリルの声を聴くまでは、それにも増して怖かった。


 仲間の声によって、やっと正気を取り戻すことが出来るほどの恐怖――それが現実というものだ。


 だが後悔はしていなかった。この世界では誰もが心に傷を負っていた。不安、憂鬱、ストレス、焦り、恐怖、無気力、逃避、自責、屈辱、裏切り、失敗、後悔、悲しみ。誰もが苦しみを抱えていた。同じ人生を繰り返したいとは誰も思わない歪んだ世界。リウト自身も大きなトラウマを抱えてきた。


 それが全部終わるのだから。


 最高の気分だ――。


「!?」


 目の前でノアは茫然としていた。悲しい気分だったかもしれないし、大声で笑い出す寸前だったかもしれない。


「……」


 自分の娘を奪おうとした軟派男が電気イスにかけられているように見えているかもしれない。


「……」


 あるいは、感謝と尊敬、畏怖の念を抱いたのかもしれない。


「……」


 何か言いたそうな顔をしていたが、さすがに状況を見て察したようだ。


「……」


 何も言わなくて大丈夫です。最後まで手を握っていてくれるだけで感謝しています。リウトは、そう伝えたくなり、そんな自分が可笑しくなった。あなたと戦えたことは、俺にとって最高の時間でした。


 あなたの過去の記憶をみました。ローズと一緒に。俺なんかよりよっぽど格好いいですよ。雪原で仲間に認められ、開花した悪魔の資質。敵城まで行ってあらゆる文献や魔術書を見通した探求心。

 

 まさか、あの速さであらゆる魔術を使いこなし、時には封印術と解封術までも繰り出せるなんて……常識じゃ考えられいほどの強さでした。こっちは、マリッサの腕輪にラルフの指輪に、複製したリリィの指輪まで用意したってのに。


 山ほど助けられてるっていうのに。だから、俺が行きます。

 

「…―――――――――――――――」

 




 ローズ、そこにいる?


 うん、ここにいるよ


 君の父さんの力を拝借するよ


 でも封印術や解封術を使っても〈魔力の根源〉を消すことは出来ないんでしょ?


 そうだ、だから隠すことにしようと思ったんだ


 か、隠すですって?


 俺の〈隠者の資質〉なら出来るかもしれないって思ったんだ


 どういうこと?


 へっへっへぇ、〈かくれんぼ〉さ


 駄目よ。この世界から魔術は消せやしないわ


 でも魔力の存在を隠すことは出来る


 この世界から争いは消えないわ


 でも武器を隠しちまえば、死なないですむ命がある


 隠しただけじゃ、根本的な解決にはならないじゃない!


 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない


 そ、そんな事に命を投げ出すの?


 俺の能力で、少しでも誰かが救われるなら、いいさ


 やさしいね。私は……私は救われないよ。とっても、とっても傷つく


 ああ、すまない。ローズ、君は……俺のことが好きだったから


 し、知っていたの? リウトだって私のことが……好きだったでしょ


 ははは……ばれてたか。でも、お別れだ


 ううん、いや。私もリウトの力になれるよ。今度は私がリウトを守ってあげる


 ああ、もちろん君の力も借りるよ


 ありがとう。じゃ一緒に連れていってくれるのね?


 いや、連れてはいけないんだ


 二人は幻影の中で手を合わせ抱きしめ合った。ローズの大きな瞳に、ぽろぽろと涙が溢れだした。


「馬鹿っ! 馬鹿っ! 馬鹿ああっ! リウトの……馬鹿あああっ!! ぐすっ、何でそんな、リウトが何で犠牲にならなきゃならないの。なんで、なんで連れて行ってくれないのよおおっ!」



 ――おいおい。俺が馬鹿なのは、俺が一番よく知っているぜ。





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