第53話 ヴェルファーレ城塞
朝焼けの光に映し出された少女が高台から駆け下りてくる。峠の
伸びた髪は一つに纏めて編んでおり、冷たい風が白い
食料や装備といった物資を積んだ馬車がぞろぞろと列をなしている。エールとハチミツ酒が運び込まれたが乾杯に使う葡萄酒だけは、ホロ付きの特別な馬車が運び込んだ。
白騎士の旗を掲げた従者を左右に二人ずつ引き連れ、団長のミルコが向かってくる。ミルコは美しい白馬に乗っていた。
チェーンメイルの上には、白く煌びやかに装飾された腰まである袖なしの軍衣を着ており、遠目に見ても派手で存在感があった。彼は馬上からローズに声をかけた。
「ご苦労だったね、ローズ。この数ヶ月、休みなく数々のトラップを解除してきた功績、感謝している」
「役目をはたしただけよ」
ローズは馬の頭を撫でて言った。白馬の鬣は三つ網状にしてあり、馬飾りも美しかった。
「城砦の中のトラップは全て解除したけど、いやな予感がするの」
「君が確認してくれたのなら安全だ。さあ、今日くらいはゆっくりするといい」
「……そうするわ」風格ある騎士団長にそう言われると、説得力があった。
「そうだ、君の父親ノア・ジョードだったね。近々会わせることが出来るかもしれない。中に入ろう」
はじめて門をくぐった日、ローズは
だが簡易トラップ以外は何も見つからなかった。ミルコの言う通り、長い戦いは一時終わりを告げたのだ。
美しい朝日を見て感傷的になっていた。団長の到着によって城砦には歓声が沸き上がった。戦の終わり、勝利が確信となったからだ。
料理人は玉ねぎの入ったウサギのスープを作り、塩漬けの羊肉や牛肉を焼き始めた。腹を空かせた騎士たちは、いつの間にか城砦の広場に集められ座り込んでいる。
森の娼館から紛れ込んだ女中たちが給仕の姿で、騎士たちに食料を配っている。最後の荷馬車が城門を通ると二人の騎士が御者台から降りた。
「もうちっと顔を隠さんで平気なのか」
「俺が見つかると思うか?」
手前に行き交う白騎士たちの向こうを、ダリルが指さした。顔は兜で隠れている。
「ローズじゃ。やっと見つけたな」
兜の下に老騎士の無邪気な笑顔が見えた。リウトはじっと目を細めて、護衛達のそばにいるローズの横顔をながめた。
その穏やかで美しい横顔に、視線が吸い込まれていくようだった。あの頃の無垢で、おてんばな、少年のような印象ではなかった。
はじめて会ったときから、そんなものはなかったかもしれない。もう子供ではない。前線で仕事をこなし、騎士たちから信頼を集めている立派な解封師だ。
世界中のどんな人より強くて賢くて美しい一人前の女性に成長したのだ。リウトにはそれが誇らしかった。そんな彼女を守ってやりたかった。
「やつらの元じゃがの」護衛たちの先頭には団長ミルコの姿があり、さらに前方には迎え入れる女魔術師アネスの姿があった。
切り出した材木で粗野に作られた矢倉と城壁に囲まれた敷地には、二百人もの白騎士や雑兵、魔術師、精霊術師がひしめいている。
「この中に黒騎士が平然な顔して紛れこんでいるってんなら、見分ける方法はないな」
「お兄ちゃん、しっかりして」給仕の姿をしたソフィアが歩みよりリウトの尻を叩いた。
「やっぱり運び込まれた馬車には仕掛けがしてあるわ。怪しい馬車の位置を言うから、全部覚えてちょうだい」
「さすがは俺の妹。そこまで調べるとは」
「分かっていても解除できるのは解封師だけよ。兄を頼みます、ダリル様」
「あとは、儂が風邪に掛からんようにでも祈ってくれ。臆病風っていう風邪にな」
「ふふっ、その病気は短所じゃないわ」
「ありがとう。みんなや料理人を避難させてくれ、あとは俺たちの仕事だ」女中の姿をした節制の女神は二人を順に抱きしめた。
信用に足る白騎士は少ない。中隊長コリンズとライカの部隊に僅かばかり。ふたりの友人はあまりにも少なかった。
森の娼館のソフィアやベナール教会の神父まで一ヶ所に集めるのは危険だと判断し、給仕や騎士たちの回復を終えた修道女は、峠中腹のコリンズの場所まで退いてもらうことにした。
「気を付けてね、お兄ちゃん。また一緒にダンスする約束、楽しみにしてるわ」
しばらくして白騎士の歓声の中、矢倉の前に作られた壇上にミルコが迎えられた。横にいる衛兵に女魔術師アネスが並ぶ。
「
ミルコの演説が始まると拍手がおこり、中央広場や矢倉にいる人々が注目をする。
一昨日、教会に着いたリウトは神父ラルフより事実を伝えられていた。目の前で饒舌をぶっている男、団長ミルコこそが〈吊られた男〉本人であると。にわかには信じられなかった。
その風格と自信、カリスマ性。団長という大役を担う男が
「長く苦しい戦争は終わった。このベルファーレの峠で、多くの同志が命を失ったのは悲しい事実だ。だが、彼らは歴史に名を遺す異業を成し遂げたのだ」
今日を迎えるリウトたちには、たった一日の猶予しかなかった。この男の企みを見破り、阻止する手段は神父ラルフが握っていた。
神父はリウトと共に
〈樹輪の宝珠〉で時間跳躍が使えるのは童貞だけだと知ると、サマーとモリスンが苦笑いを浮かべた理由がわかった。
六度目の
「年代物の葡萄酒を用意させてもらった」ミルコは装飾のあしらわれたジョッキを受け取り、満面の笑顔をみせた。「今日だけは、全員そろって乾杯といこうじゃないか」
ミルコが指示を出すと、葡萄酒の樽がズラリと並べられた。女魔術師アネスは白い外套に深いフードをかぶり、宝珠の付いた短い
「……」ゆっくりと魔術杖を両手に持ち直し、合図を待っているように見える。不穏な空気を感じたリウトは人並みを縫って前へでた。
「そうだ、これで終わりだ」ベルトから抜いた〈
「まとめてあの世に行くがいい!」
アネスが魔術杖を振り上げた瞬間、広場の中央にあった樽が爆発した。耳をつんざく爆音が響き、閃光がはしった。
ローズは耳を塞ぎ、その場に座り込んだ。彼女に向かって来た眩しい光は何かに阻まれていた。真上から舞い降りたマントによって目の前が真っ暗になった。
「久しぶりだな、ローズ」
暗がりの中から懐かしい声が聞こえた。「あなたは、リウト、リウトなのね! 生きているって信じてた」
「ああ、簡単に死んでたまるか。聞いてくれ、あの団長のミルコって野郎は黒騎士だ」
リウトがマントを取ると、目の前に白いもやが広場を包み、強い臭気が鼻を襲った。左右に激しく行き交う人影が見えると、白騎士達がバタバタと倒れ始めた。
「何をされたの?」不安げに彼女はリウトを見上げた。いくつかのことが同時におきていた。
「スタン・トラップだな。気絶しただけさ」ローズは後ろからリウトに抱き着いた。「……会いたかった」
「へへへ、嬉しいけど、ちょっと待っていろよ」リウトはポンポンと彼女の頭を撫でると、自分の後ろにそっと座らせた。「背を低くして……まだ何かありそうだ」
白騎士たちは次々と痙攣しながら、地面に突っ伏した。数名の白騎士と白の魔術師が防御呪文やリフレクトリングによって、その場に立ちつくしていた。
だが何が起きているのか理解している者は一人として居なかった。人影は見えるが、もやのあいだに瞬間的に現れては消えるのだ。
悲鳴に他の者の叫び声が重なる。「み、みんなどうしたんだ」誰とも知れない騎士から声が起きた。「黒騎士の攻撃だ! 敵がいるぞ!」
何も把握できずにうろたえる騎士たちにミルコはいった。「まだ立っている奴らは、さっさと武器を捨てろ」
剣がぶつかりあう激しい音があちこちからローズの鼓膜を痛めつけた。ミルコは軍衣を脱いで魔術師アネスと共に広場を見下ろしている。
「残念ながら、私は
「なんだって……ど、どうして?」白騎士の一人が言った。
「どうしてか。驚くのも無理はない。さあ、私を信じて武器を捨てろ」
立っている白騎士達は、お互いに顔を合わせてザワついている。中には、団長の命令だと理解して武器を捨てようとする者もいた。
「武器を離すな」フードを降ろしリウトは叫んだ。「武器を捨てた騎士は必ず殺される。剣を構えろ!」
女魔術師アネスは目を細め、声の主を睨み付けた。「貴様はリウト……やはり生きて帰ったのか!」
一瞬、学生時代のアネスがよぎった。目をきつく閉じるとゆっくり頭を振って答えた。
「
「はははっ! 面白い」その目は楽し気にさえ見えた。「死にぞこないに何が出来る」
アネスは再び、
足元の影から、鋭く尖った槍が飛び出していた。心臓を真っ直ぐに突き抜かれた白騎士は次々に膝から崩れ伏した。
突然の攻撃になす術もなく、バタバタと仲間の白騎士たちが血を吐いて倒れていく。あっさりと黒騎士は広場を取り囲み一方的な虐殺が始まろうとしていた。
「はっははは!」
ミルコは〈
流れるような動きで影の槍を奪い、同時に敵の意識を眠らせていた。直ぐにミルコの向かった先の白騎士に叫ぶ。
「足元に気を付けろ!」
そばにいる白騎士は、もやの影からの攻撃に気を取られている。「……」一瞬のうちに白騎士たちは喉を切り裂かれ膝をついた。
持ち込まれた酒樽にスタン・トラップが仕掛けられ、もやに紛れた敵対者は騎士たちを回避しながら
「きゃあああ!!」ローズは、その惨劇に恐怖の声をあげた。胃にキリキリとした痛みを感じながら、リウトはなんとか状況を把握しようとした。
ミルコは、白騎士の胸を切り裂き倒れる姿をみて微笑を浮かべた。たてがみのような黒髪に灰色がかった目が燃えているように見えた。
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