第52話 血縛柩牢

「残念だがオグマなんて名前のやつはいない」眼帯の男は汗ばんだ手をズボンで拭いながら、じりじりと剣を向けていった。「南部でしか使っていない名前だ」


「どいつだよ?」リウトは男の目の前に手を開いていう。「はやく答えたほうがいいぜ。若き日は一瞬で過ぎ去っていくから」


「ぷっ、何いってやがる。こっちは十人だぞ」


 手前の三人は威勢よく剣を振り上げた。リウトは一瞬でその隙にはいり、さっと手を軽くかざした。バチンという破裂音がしたかと思うと、煙と共に三人は足を跳ね上げ、ぐるりと回転して地面に倒れた。


「な、なんだ。魔術なのか!」


 兜をかぶった男が武器を振り上げると、持っていた手斧はくるくると真上に飛んでいった。坊主頭が剣を真横に薙ぎ払おうとすると、リウトも同じ動きで手を横に払った。すると手からは剣が滑り抜け、丸腰になった二人は顔を見合わせた。


「くっ、くそおおおっ!」


 それでも殴りかかろうと前へ出た途端、何もないはずの空間に頭を強打して、どさりと尻もちを付く。


「!?」


 背後から斬り掛かったバンダナ野郎は、リウトの体が剣筋に添って真っ二つに割れるのを見た。やったと思ったその瞬間、刻まれたはずの肉体はバチャリと水になって床に流れた。


 マソス流剣技。〈水の剣〉は武器を握る手を滑らせ〈二重の盾〉は相手を吹き飛ばす。そして〈水鏡の術〉は敵の背後をとる。師匠の技は完璧に近い形で再現された。


「ひいっ!」


「こっちだよ。誰が魔術の使えないクズ野郎だって?」バンダナ野郎の背後に、リウトは素知らぬ顔で立っていた。


 振りまわした手斧が剣とかち合うと同時に、雷光の轟きと共に男は全身を麻痺させて、女のようにしなだれて床に突っ伏した。


「ひっ、な、なにがどうなってるんだ。こいつは亡霊か……化け物か!」


 カチャンと剣を落とした男は、全身をわなわなと震わせて両手をみた。皺だらけになって肉がみるみると削ぎ落ちていく。老いて歯の抜けた唇に微笑が震えた。


「にゃ、なあにおぉしたぁああっ」


 老化を促進したのは反転式時間逆進リバース・リカバー。マソス流剣技は〈水鏡の術〉に限らず、魔力をほとんど消費しない。無限増殖した自分の血と汗を魔法陣術でストックしておけば下準備まで不要だった。


(すげえよ、マソスさん……)


「何をしたか? やつの指を切り落とし、こいつの手首をへし折って、そいつら全員は膝の健を切った。お前は徐々に若さを奪われている。喋らないっていうなら、その空っぽの頭蓋を割って、他のやつに聞くだけだ」


「ま、待ってくれ! 話す。全部話す……オグマっていうのは南部で宝珠や武器を横流しにするとき使った組織の名前だ」


 ちぢれ頭は地面に額がつくほど低く頭を降ろし、降伏の姿勢をみせていた。


「た、助けてくれ!」包帯が巻かれた右手と血の滲んだ左手はぶるぶると震え、祈るように頭の上につきだされていた。


「……虫のいい野郎だな」


「よ、横流しした金は全部返す」坊主頭は膝ま付いて叫んだ。「ゆ、許してくれ、許してくれえっ」


「他にも言うことがあるだろ?」


 リウトはちぢれ頭の襟首を掴みあげ、起き上がらせた。抵抗しようとする者は居なかった。十人とも武器を投げ捨て、震えていた。


「お、俺たちゃ元々犯罪者だ。引退後の生活まで軍隊は保証しちゃくれない。ほんの出来心だったんだ」


「お前ら、本当にスパイか?」


「スパイ……と、とんでもねぇ誤解だ。俺たちはあんたが黒騎士ヴィネイスだとばっかり――」


「なんだって」リウト呆けた顔のちぢれ頭を睨みつけた。「聖騎士ガーファンクルをはめた男はお前ら浪人部隊じゃないのか?」


「お、俺がいうのも何だが、それは……もっと上の人間が絡んでる。俺たちは人身売買なんかしねぇよ」


 人間を異空間に留める能力者。〈審判ジャッジメントの資質〉。カードには奏者の合図で棺から人間が甦る絵図が描かれている。リウトの使う不可視の魔術盾のように、目に見えない柩が存在するのかもしれない。


 ジャックはオグマに嵌められたといったが、カードによって不可視の柩に閉じ込められたのかもしれない。


 そこへ精霊術師が祈祷を行い、全てを破壊しつくして朽ち果てる獣人への呪術を施されたと考えれば辻褄があう。


 こいつらは普通の部隊じゃない。死ぬような怪我を負ったときは、その副長によって柩に留められ救われたこともあるという。


「白騎士でも黒騎士でもない男さ」ちぢれ頭はいった。


「俺たちはやつにとって、ただの隠れ蓑、昇進するための駒みたいなもんさ。聞いた話じゃ、いつか戦争が終わったとき、山程溜め込んだ軍資金で成り上がるんだとよ。あたらしい戦争をおっぱじめるなんて野望もあるらしいけどな」


「副団長グリードか。そいつはどこにいるんだ?」


「逃げたよ。今さっきまで、ここにいた」



         ※


「誰かと思ったら、お前さんか」その男は、馬の世話にいそしむふりをした老騎士に暗闇から顔を見せた。「やっぱりダリルじゃないか、懐かしいな!」


「……あ、あんたは」


 真夜中の厩舎で老騎士は目を凝らした。キルティングのスモックを着て、短く刈られた灰色の髪。ダンディーな中年騎士は、おおげさに手を広げてみせた。


「忘れたっていうのか、俺だよ。グリードだよ」


「何十年ぶりじゃろうな。たしかあんたが、百人隊長になった後――」


「ああ、ついに副団長を任されるようになったよ。お前さんは、まだ雑兵をやってたらしいな。いやあ、たいしたもんだよ、その年で現役で前線に立てるなんて」


「い、いやあ、とんでもない。それよりなんでこんな夜更けに厩舎におる?」


「怪しいやつが兵舎に侵入したって報告があってな」髪を撫でつけながら周りに目を向けていう。「そいつはあんたと一緒に酒場にいたっていうんだが、知っているかな」


「ああ、知っておるぞ」


「いったい何者なんだ、あんたの連れは。ただの魔術師じゃないんだろ?」


「ただの馬鹿じゃないのは間違いない。黒騎士ヴィネイスのスパイでな、オグマっちゅう男を探しておる」


「……」グリードは眉間に皺を寄せた。「あんたは俺を恨んでるんだな。だから馬の見張りをしていた」


「そうかもしれんな。同じ釜の飯を食った友人が卑怯な罪人じゃなけりゃいいが」


「で、どうなんだ。妻を寝取った男が出世して副団長になったのを見て、どう思ってるのか教えてくれないか?」


 そういって男は馴れ馴れしくダリルの肩に手をかけた。


「もう一度いってくれないか」老騎士はグリードの右手をつかんでいた。「儂も聞きたいことがあるんじゃ。何故そんなむごいことが出来るのか」


「ははは……っんぐ、手を離せ、老いぼれ。なんて馬鹿ぢからだ!」


「握りつぶしてやろ――……」



「くっそ、役立たずの臆病者が!」グリードは手の骨が砕けるかと思った瞬間、老騎士を〈血縛柩牢コフィン〉の中に閉じ込めた。ダリルの姿は忽然と消え去り、あたりには静寂が訪れた。


 地面には老騎士が抜こうとしたショートソードが落ちている。無造作に長靴ちょうかを使って乾草の中へ蹴り込んだ。


っ……くそっ」


 馬の手綱を引こうと右手をあげるが、いつまでも感覚は戻らなかった。左手だけで馬を操ることは出来なかった。


 ダリルに撫でられた馬はびくともせず、グリードの命令を受け付けなかった。篝火の焚かれる正門に向かい痺れた右手をみる。


「なっなんだと!」グリードは自分の右手が搾られた果実のように潰れてることに驚愕した。「く、くそっ、なんて野郎だ」


「よく知ってるんだろ」揺れる炎を背に魔術師の青年が立っていた。「あれが臆病者のダリルだって……真っ先に逃げ出したあんたのほうが、よっぽど臆病だと思うぜ」


「くっ……」グリードはじりじりと距離をとりながら逃げ道を探した。コツンと剣の鞘が何もない空間に当たった。


「逃げ場はないぜ。不可視の壁を造ってある。あんたの能力より上だ。南部でついの宝珠をかき集めて黒騎士に売ったんだろ?」


「そ、そりゃ団長の命令だ。俺は脅されて仕方なくやっただけだ」


「ほう、本物のミルコもアネスもあんたが黒騎士ヴィネイスに売ったんだろ?」


「そこまで知ってやがるのか」


「がっかりだよ、かまをかけただけだったんだが、とんだ小者が内通者だったおかげで時間を無駄にしちまった。分からないのは、なんで、ダリルを目の敵にするのかだ」


「あいつは融通のきかない厄介者だった。何度、殺せと命令しても従わない。味方はいくらでも助けちまう。俺の商売の邪魔ばかりしやがった。だから嫁さんを襲ってやったまでだ」


「……」


 人間ひとり神隠しにするだけ。黒騎士の時空間トラップを使う能力者は、グリードに宝珠を集めさせただけか。


「独り身なら四番隊で西部戦線行きが決まっていたからな。だが、ダリルは生きてまたロザロに戻ってきた。たまげたね」


血縛棺牢コフィンに留めるだけの能力じゃ、殺すことは出来ない。女や子供、弱者をつかまえて人身売買をしていたのか。そのうち、要人を売れば大金が手にはいることを知って、あんたは味方まで売った」


「実力は見させてもらった……悪いが俺を捕まえることは出来ない。じつは自分で血縛柩牢コフィンに入ることも出来るんだ。移動も出来るしな。じゃ――」


 言葉は遮られ、グリードは厩舎の壁に突き飛ばされた。衝撃に吊られた篝火から火の粉が舞い上がり、赤く燃える砕片が、涙のように老騎士の顔にふりかかった。


「なっ、なんで貴様がっ!」


 グリードは腰から素早く短剣を抜いてダリルの腕に刺した。老騎士は痛みをものともせず、それをいっきに引き抜くと、グリードの左手を掴み、やつの目の前で思いっきり壁に突き刺した。


「う、うぎゃああああっ」


 激しい一突きで、短剣は柄のあたりまで食い込んでいた。グリードはひきつるような悲鳴をあげて足をもがくようにビクビクと痙攣させた。その勢いで手首を貫通した短剣から腕が裂けると、膝からがくんと崩れおちた。


「っく、ひっく、お、おれの柩が――」片手は裂け、もう片手はねじり潰されたグリードは流れ出る血で脇腹をぬらし、泣きわめいていた。


 老騎士はリリィの指輪を見つめた。グリードの能力は〈恋人の指輪〉によってコピーされていた。同じ能力を使ってダリルは血縛柩牢コフィンから難なく脱出していたのだ。


 赤い火の粉の舞う中に、ダリルは青白い光のまぼろしを見た。能力を失ったグリードの肩から、浮き上がったのは紫色の花束を持ったリリィの姿だった。寂れた教会で式をあげた日の、喜びに涙した彼女の姿がみえた。


 グリードの血と柩の魔術に、リリィの指輪がどう影響したのかは分からない。だがダリルは若き日のリリィの姿を確かに見た。


「……」


 ただの幻影だと分かっていた。もし……はない。老騎士はリリィの前を離れた。美しかった過去を振り払うように彼女に背をむける。


 胸が張り裂けるような痛みが、じわじわと蘇っては消えていく。決して戻ることのない過去に老騎士は何もすることが出来なかった。


「すまなかったなリウト」しばらくすると老騎士がいった。「待たせたじゃろう。時間もないし、はやく教会に向かおう」


「まだ夜は明けてないぜ」リウトは浪人騎士たちから巻き上げた酒を出して言った。


「よかったらさ、もう少しだけここでゆっくりしていかないか? 彼女と……」










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