第50話 馬鹿の大魔術師
ダリルの背後から、薄汚れた格好の男が歩いて来た。モップのようにちぢれた頭が、よけいに汚らしく目に映る。
後ろに三人の疲れた顔をした男たちも続いてくる。バンダナ野郎、眼帯野郎、坊主頭の三人とも、共通してずんぐりとした体形で、そろって目の下にはクマが出来ている。
鎧こそ着ていないが、彼らが白騎士であることは明確だった。銀のショートソードと革のストラップを携えている。
「楽しそうだな、魔術師と言ったか?」
女中たちの顔色が変わった。「ごめんなさい、そっちに座りましょ。騎士さま」
「あら、お酒が切れているじゃない」常連の迷惑客に慌ててテーブルをセットしようとふたりの女中が酒を運ぶ。
「どけ、このアバズレ共が」ちぢれ頭は女中を突き飛ばした。
こいつらは元々一番隊の古参だったが、問題を起こしてから除名され次の部隊から声がかかるのを待っていた。番号を持たない浪人部隊だと、こっそり女中に聞いた。
「きゃあ!」女は坊主頭の男に抱きかかえられ悲鳴を上げた。
「あんた見たことあるぞ」薄汚れたバンダナ男はいった。「レンギル大学の恥さらし。脳みその足りないクズ野郎のリウト・ランドじゃないか?」
「は、ははは」苦笑いを浮かべて言った。「おっしゃる通りです、白騎士様。よくご存知ですね。一杯ごちそうさせてください」
四人の男たちは、立ったまま二人のテーブルを囲んだ。「相変わらず酒場で馬鹿やっているのか? 女共に一体どんな馬鹿をやるのか見てみたいものだ。ほら、見せてくれよ」
「……そうだな」
リウトは黙って葡萄酒を一口飲んだ。太陽から熱を借りる火炎魔術か、月から冷気を注ぐ氷の魔術か、あるいは大地の精霊を呼び出す幻影魔術を使うことも今なら可能だ。
「どんな馬鹿が見たいんだ?」
「ふっ。こいつは、用務員の婆さまをプロムに誘って断られたんだ。女と話したことなんて一度も無い童貞野郎さ」
「ぎゃははははっ! そんな馬鹿が、酒屋で偉そうに女中を口説いてるのかよ」
「食堂の婆さんじゃ」老騎士は立ち上がっていった。ある程度は情報を引き出す予定だと話したばかりだというのに。
「何だって?」
「用務員の婆さんなんかじゃなく、食堂の婆さんじゃ。リウトは今も、昔も精一杯やっておる。峠の戦いは不利な戦況じゃったが、白騎士は勇敢に精いっぱい戦い、城塞を占拠したんじゃろう?」
老騎士ダリルは右手にジョッキを持ち、左手をちぢれ頭の後ろ首にまわし、ぐいと額を近づけて真っ赤な顔で睨み付けた。
「リウトも精いっぱい努力をしておる。どんなに不利な戦況じゃろうが、決して諦めんでな」
「白騎士に乾杯!」ダリルはジョッキを掲げて店中に叫んだ。完全に酔っぱらい状態だった。「リウトに乾杯!」
「うるせえ、ボケ」坊主頭は老騎士のジョッキを地面に叩き付け、葡萄酒が床にこぼれた。
「関係ないんだよ」ちぢれ頭はいった。「俺たちゃ、戦争なんてどうでもいい。騎士は聖人だとでも、思っているのか?」
騎士の中には、罪人や人殺しがいるのは事実だった。犯罪者であろうと、民衆のために騎士となり前線へと赴く者には恩赦が与えられた。そうでなくとも、つらい日々に、つらい判断を積み重ねてきた騎士たちが、聖人でいられるはずはなかった。
「……ただ喧嘩がしたいなら、他所へ行ってくれ」ダリルは言った。バンダナ野郎はリウトの胸ぐらを掴みあげた。
「大魔術師だと。ホラ話をしていやがったな。頭の空っぽの馬鹿野郎のくせに。図々しいにもほどがあるぜ」
「ぎゃはははははは!」男たちはゲラゲラと声をあげて笑った。
「いま何といった。馬鹿じゃない」ダリルが言った。「訂正しろ。儂の友人は馬鹿じゃない」
ダリルが本気なのは声を聞けば分かった。酒を飲み過ぎたせいか、リウトはろれつが回らなかった。
「お、おれは、ダリル、まてよ」
ダリルは更に続けた。「馬鹿じゃない、馬鹿なんかじゃない。馬鹿じゃない」薄汚れた男の腕を掴んで締め上げ、もう一度言う。
「馬鹿じゃない」
その手をひねるように突き放すと、薄汚れた男は腰をテーブルに打ち付けて倒れた。大きな音をたてて食器と酒が床に落ちた。
「……」
とっさに目の前にいた眼帯野郎がダリルを殴った。老騎士は崩れ落ちるように膝を付くと、もう一人の男に思い切り肝臓を蹴られた。その瞬間、息が止まり真っ青な顔をして、ゼイゼイと喉を鳴らした。
「ダリル? ダリルってのは……お前も聞いた事があるぞ。臆病者のダリルだ。まさか、臆病者とホラ吹きが飲んでいたっていうのか? 揃いもそろって」
彼らはお互いの顔を見合わせてゲラゲラと笑った。
「訂正しろ」今度はリウトが叫んだ。「臆病者じゃない!」
ダリルは真っ赤に腫れた顔をしてこちらを覗き込んだ。何か言いたそうな表情で、口をパクパクとしてリウトを見た。
だいたい何が言いたいのか分かっていた。自分と同じで、素直に礼を言えないタイプ。一生はずれくじを引くタイプ、一生貧乏暮らしをするタイプ。
そう思うと、何故かリウトははらわたから湧き上がる不穏な怒りに両手が震えだした。どうして自分の事より腹が立つのか分からなかった。散々、今までお互いに罵り合ってきたセリフを、何故か他人に言われると許せない。
生まれた村では喧嘩ばかり、大学では嫌というほど孤独に耐え、百人隊では誰も正面から本音で話す人間など居なかった。
この老人だけがリウトを対等に扱ってくれた。お互いに不名誉なレッテルを貼られた二人は、いつのまにか強い絆を感じていたのかもしれない。
「……お前らのほうが、よっぽど臆病で卑怯じゃないか」
言い終わる前にリウトはちぢれ頭に力いっぱい殴られ、椅子ごと後ろにぶっ倒れた。怒りと興奮――違った。
避けられない、避けない――違う。酔っぱらいすぎて、二重に見えるだけだ。
老騎士の言葉が嬉しくて、臆病と罵られた言葉が悔しくて……避けたくなかったのかもしれない。ダリルと一緒に殴られたかったのかもしれない。
「ぺっ……馬鹿じゃない」
ダリルがふらふらと立とうとすると、すかさず男が殴りつけた。テーブルに顔面をしこたま打ち付けられて床に崩れ落ちる。大勢いた酒場の客たちはいつの間にかどこかへ避難しているようだ。
「はは……はは……臆病者じゃないぞ」
今度はリウトがテーブルに手を付いて立ち上がる。肩越しに椅子が振り上げられ、叩きつけられた。ほこりと木くずを巻き上げて、派手な音が響いた。
リウトは魔術について考えていた。この場で浪人部隊の情報を得ることはそっちのけで、あらゆる魔術の論文を捲っていた。
モヤモヤした頭の中はレンギルの図書館にあった。そして、巨大ピラミッドと溢れ出す魔力を感じ取っていた。
「馬鹿じゃない。訂正せい」
大きな頭を左右に振り、しつこく起き上がろうとする腹に一撃。この馬鹿じゃないという言葉――それを聞くたびハードルがあがる。
同時にはじめて真剣に、リウトは魔術と向き合えた気がした。はじめて、自分に何が出来るのか気が付いた。
「お、臆病ものじゃない」掴まれたリウトのチュニックが裂かれた。
「……ない」
騎士たちは、いやらしく勝ち誇った顔をして笑っていた。「待てよ。リウト・ランドって確か、死亡報告があったよな。脱走兵じゃねぇのか」
「へへ、だったら大手柄ですよ。騎士宿舎まで引っ張っていきやしょう」
(そうそう……酒を飲ませてオグマとかいう浪人部隊のボスに紹介してもらう手筈だったな)
「なにも、馬車まで用意するこたぁねえ。どうせ死罪がお似合いのクズ供だ」
ちぢれ頭の男はショートソードを抜き、
「貰うのは頭だけでいい」
「え、えっ? や、やめろ!」
リウトは、とっさにちぢれ頭の剣の前に立ちはだかりダリルを庇った。
「なんてことじゃ!」雄叫びをあげたダリルが見たのは、避けるだけが取り柄の男が剣を体で受けている姿だった。
「なんてこと……するんじゃ。死ぬのは……儂でよかったのに。お、お前が避けないなんて……専門外じゃろおが」
「よく、見ろダリル。まったく臆病なうえに泣き虫な爺いだな」
銀のショートソードはリウトの右手に収まっていた。柄の部分は入れ替わり、刃が相手の手のひらに乗っていた。
スッと剣を下ろした瞬間、ちぢれ頭の指が四本飛び散った。血を撒き散らし大口をあけて尻をつく。
「うぎゅあ!」
その姿をよそに他の男たちが剣を抜いて駆け寄ろうと動く瞬間。
「「ひいいいいぃ!」」
左右の男たちの首筋に刃が突きつけられていた。リウトはショートソードをいつの間にか両手に持っていた。
血を見て逃げ出そうとした四人目の男は奇声をあげた。酒場の入口にはショートソードが三本も刺さっていた。
ダリルは何が起きたのかすぐには分からなかった。そいつの脚にもショートソードが二本も……刺さっていたのだ。
「ど、どういうことだ?」魔術かどうかも分からず眼帯野郎がいう。「剣の数が増えてる」
リウトは、うっすらと理解した。通常の魔術師なら一度にひとつの魔法数列しか組めない。だが少し未来の見えるリウトには二つの魔術を同時に使用することが可能だった。
二重にうつる今の酔っぱらい状態では、更に倍。四つの魔術が同時に使えるのではないかと考えた。腫れ上がった唇を持ち上げて言った。
「これが、本物の魔術ってやつだ」
無限増殖魔法。
増やした剣を飛ばすのはマジックアローと同じ原理だ……。この究極的な複合魔法を証明しようとしたのが学生時代のアネス・ベルツァーノだとは思いたくないが。
――まさか本当に出きちまうとは。
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