第49話 再会

「お帰りなさい!!」三日後、教会の厩舎でソフィアは親友サマーと抱きしめ合った。


 ロザロの街、中心部に近いサン・ベナール教会。ここまで来るには街道から離れた場所から修道女シスターチコリの荷馬車に乗り換え、身を潜める必要があった。


「すっかり修道女シスターね。その姿、とっても似合ってるわ、サマー」


「ラルフ神父は、丈の長さにうるさいけどね。短すぎるとか」修道女の姿をした娼館の女中サマーはワンピースの裾をつまんで見せた。


「うふふっ。聖書から盗用するつもりはないけど、人はパンのみにて生きるにあらずよね。誰だって可愛く見られたいじゃない?」


 サマーは修道服をまくり上げ、太もものガードルを見せて言った。「求めよ、さすれば与えられんって言ったら逃げて行くのよ」


「「あはははは!!」」


 案内されたのは、教会の屋根裏にある個室だった。ステンドグラスに囲まれた幻想的な隠し部屋といったイメージである。


 ひとたび教会内に入ってしまえば、そこは〈樹輪の宝珠〉の加護もあり、下手な隠れ家を探すよりよほど安全な場所である。


 リウトの失態により、敵に指輪が渡ってしまった以上、何かが起ころうとしているのは神父ラルフも感じていた。

 

「これをご覧ください」神父は教会に保管してあった古く大きな本を開いた。見開きに大きな大樹が描かれており、小さな文字がぎっしりと書き込まれている。


「これがユグドラシルの樹なの?」ソフィアはテーブルに開かれた文献に目を向けた。「今の文字じゃないわね」


「ええ、解読不能な個所が七割もございます」


 ソフィアの横からモリスンが顔を近づける。「ふうん、実物を見てるリウトに詳しく聞きゃ、いいじゃないか。他に見たっていうピラミッドってのは?」


「いわゆる古代の術式計算機と申しましょうか。ところで、リウト殿本人に立ち会っていただく訳にはいきませんでしょうか?」


 足元にノックする音がした。床の扉を開け、修道士のフロウが顔を出した。「例の老騎士様を案内しようと思ったのですが、リウト様と会いまして……」


 解封師ローズの護衛という名目で、峠の戦線に出ていたダリルを連れ帰るよう修道士には申し付けていた。城塞に危険が迫るなか、死なせるわけにもいかないので、離脱するよう手をまわしたのだ。


「老騎士には、作戦から外れて貰うつもりですが、同席するのは構いませぬ。どうかしましたか。手前にいいづらいことでも?」


「それが、こちらには来ておりません。さ、酒を飲んでございます。街はずれの酒場にてリウト様と御一緒に」


「こ、この大事な局面で?」ラルフは気が遠くなるような顔をした。「ヴェルファーレ峠に〈吊るされた男〉が入るまで三日とないというのに、なんたる……」


「あいつが馬鹿なのは触れないでやれ」モリスンは鞘の二本並んだベルトを腰に巻いていう。「よし、俺が連れてこよう」


「お待ちなさい。貴殿が行ってもジョッキの数が増えるだけにございましょう。それにリウト殿なら、得意の隠蔽術で身元がバレることもない。このままチコリにでも見張らせましょう」

       

         ※


 ロザロの街はずれ。川縁の集積所近くは、古くからある酒場の密集した場所だった。明るく賑やかな酒場〈孤独な花嫁亭〉でリウトとダリルは再会を果たした。老騎士は懐かしい金髪の青年を見つけ、笑って握手を交わした。


「信じないかもしれないが、あんたに会いたかった」


「信じないかもしれんが、儂もじゃ」


 リウトは白いチュニックを着て、村人のような格好をしていた。ダリルも風呂に入り二か月ぶりに綺麗なシャツを着ている。二人は葡萄酒を酌み交わし、坑道で別れてからの出来事を話しあった。


 老騎士は坑道で、何日もゴブリンと対峙するうち、お互いに意志の疎通が出来るようになったという。リウトはダリルが勝手に、そう思っているのだろうと思った。実際のところ、魔剣に恐れをなしたゴブリンが退いたのだろうと。


 老騎士がゴブリンの使う二十以上の言語を理解したとは、簡単には思えなかった。だが、ゴブリンの王や家族、可愛プリティいゴブリンボーイと出会った話は普通に興味深く、何より面白かった。こんなに笑ったのは久しぶりだった。


「おまちどうさま」大きく胸の開いたドレスを着た若い女中は肉のたっぷり詰まったソーセージをテーブルに置いていった。「お兄さんたち、商人かなにか?」


「いや、魔術師さ」


「きゃっ、きゃっ。本当? 凄く格好いいじゃない」


「おいおい――」ダリルは肩を落として言った。魅力的な腰つきの女中たちにカッコつけたいのは分かる。痛いほど分かるのだが、酒の力を借りて偉そうなことを言うのは真っ黒な歴史を作る愚かな行為でしかない。


「こいつはカッコ悪いほうの魔術師じゃから、あっちへ行ってくれ。頼むから」


「やだわ、魔術を見たいもの」女中は更に胸元を開いて胸の谷間を見せた。「見せてくれたっていいでしょ」


「駄目じゃと思うけど、見たい気はわかるのぉ」真っ白でシミ一つないすべすべの肌に老騎士は目を奪われた。


「ぷぷっ……エロ爺い。何見てんだよ!」


「お、お前だって、この谷間を見ていたくせに」ダリルは娘の胸元を指さした。


「あはは。爺さんの三倍は見ていたが、ばれるようなヘマはしてない」きりりとカッコよく言っているつもりらしいが、内容は酷く低レベルだった。


「何をいいおる」ダリルは娘に聞いた。「よく、女性は男の目線がはっきり分かるというが、こいつは全然見てないと言っているが本当かの?」


「うん、全然見てなかったわ」娘は微笑みながら自分の胸を持ち上げて谷間を強調した。「私、魅力ないのかと思っちゃう。自信なくしちゃうわ」


「あ、あんなにガン見しておったのに、本人は気が付かなかったのか?」


「ええっ? そんなに見ていたら気が付くわよ」


「はぁ」椅子にもたれ掛かっていう。「すげぇ馬鹿馬鹿しい特技じゃな」

〈かくれんぼ〉を使うのが上手くなった――ダリルはそう思ったが、そんな考えを吹き飛ばす出来事に、今度は身を乗り出した。


「!!」


 リウトはジョッキを宙に浮かせたまま、酒を飲んで見せた。さらに魔術で造り出したガラスのトレーに料理や小皿を載せて見せる。酒場の片隅にいた女中たちからもパチパチと拍手が起きていた。


「簡単な仕掛けだ。アローグラスを空間固定しただけの」


「いつから、そんな複雑な魔術を使えるようになった?」老騎士は汗をぬぐいゆっくりと顔をあげてリウトを見た。「なかなか上手いじゃないか。儂も今から魔術師になれるかのぉ?」


「実は、あるアイテムのおかげなんだけどね」リウトは着ていたチュニックの袖を捲って、左腕を見せた。老騎士でも魚鱗の腕輪くらいは知っていたが、銀色に輝く桁違いの輝きにため息をついた。


「何時でも、何処でも鮮明に記憶の世界へと飛べるうえに、記憶した画像は永遠に残しておける。不死のドラゴンの鱗を使っている本物だ」


「竜鱗の腕輪ってわけか。マンサ谷に流されたのが逆に幸いしたんじゃな。よく村長の娘さんがお前さんなんか余所者にそれを託してくれたもんじゃな」


「婚約者がいてさ、彼女の気をひきたくてずっとベッドにいたんだ。同情でも構わなかった」


「気持ちは分からんでもないが」


「で、マリッサが死んだら――」リウトは言葉を詰まらせた。何かが喉に引っかかったような仕草で誤魔化そうと拳で胸を二回叩いた。涙が溢れそうだった。


「うん、うん」老騎士はうなずいてリウトの手を握った。「ゆっくりでええ」


「で、マリッサが……」言葉がうまく出なかった。「マリッサが、死んだときは形見なんて……これしかなかったから、見るのも嫌だったんだ。だけど……あれ、ぐすっ……着けているうちに、もう……外せなくなった。何泣いてんだろう、おれ」


 涙が溢れでて、ぼろぽろとテーブルに落ちた。「こんな話は……するつもりじゃ、なかったんだけどな、ぐすっ」


「何をいってる。いちばん大切な話じゃろ?」


 あれから毎晩、瞑想を怠らなかった。賢者の石で一瞬だけ、あるものを見た。見たのは〈巨大ピラミッド〉と〈得体のしれない大樹〉と〈大きな光〉だった。


「ピラミッドは数列が全て分かる計算機みたいなものだった」


「はあ?」大口を開けて聞いた。「つまり、巨大ピラミッドを覗けば、お前さんでも魔術が使えるってわけか。じゃあ何か、カンニングし放題って事か。このインチキ野郎。もう、魔法数列は組み放題になったんじゃな」


「ははは、この竜鱗の腕輪さえあればね」リウトは慌てて葡萄酒を飲むと喉に詰まらせ、また胸を叩いた。ダリルは優し気に背中をさすって言った。


「おめでとう、魔術師リウト。でもテストに腕輪は付けられないんだろ?」


「何で、さっきからテストとか勉強に結び付けるんだよ」涙をこぼさないように天井を見上げた。ダリルの優しさに、もううつむいてはいられない気がした。「まだ俺を馬鹿だと思ってるのか?」


「「あはははは」」


 ダリルはジョッキを下ろしていった。「お前を優秀な魔術師になると信じていた。彼女は間違っていなかった」


 リウトはまた鼻柱が熱くなった。老騎士は魔術師リウトとジョッキを合わせ、ニヤリと笑った。優しく微笑んで葡萄酒を美味うまそうに飲んだ。



 僅か数分後に、ふたりの顔からいっさいの笑みは消えることになる。リウトはテーブルごしに店の入口をにらんだ。戸口から四人の連れが入ってきて、ダリルの左右に立った。


「やっぱり、嗅ぎつけてきたか。この酒場が浪人部隊の御用達っていうのは本当じゃったな」





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