第35話 樹輪の宝珠〈ラルフ編〉
ロザロ騎士兵舎、自室で魔女アネスは爪を噛んでいた。結論から言って、雷光の指輪の回収は不可能だと神父ラルフは言った。
それを告げた娼館の占い師〈節制の女神〉も、三日ほど前にこの街から姿を消している。
ミルコ団長は峠の紛争に向かい、休息を求めたはずのローズも峠の戦線に駆り出されている。文句も言わず……正式な白騎士でも、ミルコの部下でもないというのに。
期日までに精霊術師シャイアが戻る保証もないとなれば、雷光に変わる高濃度アクセサリーを探さねばならない。他でもない私が――。
アネスは唇を濡れ光らせたまま、じっと考える。Sクラスの宝珠には、ある特性を持ったものがある。所持者の生命が危機に晒されるとき、その所持者の身代わりとなって砕け散るというものだ。
その瞬間にだけ訪れるという僅かな空間の歪。アストラル界に存在する〈魔力の根源〉に
数瞬それを観るだけでも一つは必要だというのだから、気も遠くなる話ではある。だがこの仕事が終わらない限り、自分にも、ミルコにも平穏が訪れることは決してない。
心当たりがないわけではない。王都サン・ベナールにある水の指輪、風の指輪、坑道に眠るといわれた賢者の石は……惜しかったが。あるいはベナール教会の聖堂に
「……」
近すぎる場所での強奪やスパイ活動は仲間の身をも危険にする、といって今まで見過ごしてきたものの、もはやそんなことは問題ではない。
(ふっ、教会のシンボルである宝珠を譲れというのは、死ねというのと同じ。仕方あるまい。あのタヌキ、奴の役目は終わりだ――)
※
僧侶姿の小男と流れるような黒髪の若い女中が、ロザロの参道を歩いている。女はこれ程ゆっくりな足並みはでは、火を灯さないと教会に着くまでに真っ暗になってしまうと思った。
「不本意ながら」神父ラルフはいう。「
「なにも自分から娼婦だったとは言わないわ。実際、体を売ったことは五回や六回……ってこともないけど」
「マグダラのマリアが若き日々を放埓に過ごしていたという説もございますれば、恥じることはありません。されど、サマー殿。貴方はソフィアさまとあまりに近い立場におられた。彼女の意図では無いにしろ、協力者であると見られるのは必至」
「じっとしてられないよ。ソフィアはスパイの正体を知って、街を出て行ったのよ。しかもスパイの親玉は〈吊られた男〉っていうじゃない。私が吊るしあげてやるわ」
「……どこから、そのような自信がうまれるやら。なんの武器もない女中が」
「あら、女の武器を知らないの?」
ラルフはいつかの晩、彼女の豊満な谷間に紙幣を挟んだことを思い出した。
「その軽薄さ故、貴方を見張る必要がございますれば……」
「敵の目的とか正体を探るとかあるでしょ、やることが。あなた、ロザロ教会を預かる身なのに何もしないつもりなの? しないで済むつもりなの?」
ラルフは無表情に答えた。「……巡り合せを恨みましょうが、この事実を知るものは大都市に、我々二人だけでございます。手前も出来るだけのことはさせていただくつもりです」
神父とサマーは、ロザロ中心部に位置するベナール教会に入る。高い塀に囲まれ木々が植えられた広大な庭の奥に、長く伸びた階段が見える。十字架のたてられた中央棟は、高く神々しくそびえている。
サマーは、美しく立派な建物に目を惹かれた。粛々とした中庭には、幾人かの修道士の姿があった。
いつもは静まり返っているはずの時間に、あわただしい気配が流れている。太めな修道士のフウロと痩せたウォルドは、神父ラルフの元に駆け寄った。
「神父様、兵舎より夕刻に白馬が連れられまして……ひどく弱っております。今しがた、医療室に運び込み、チコリとロセニアが治療にあたっております」
「なんと?」ラルフは眉を吊り上げウォルドを見た。「白馬を医療室にと言いましたか?」
「そ、それが、白馬は
階段を駆け上がり聖堂を抜け、医療室に入る。大きな敷布が広げられ、鈍い蝋燭の灯りが照らしていたのは、ちぢこまって寝ている一頭の白馬だった。
両耳の間、額の中央には、確かに一本の角が伸びている。王家の紋章にも描かれる神聖な生き物が、目の前にいる。その白馬が弱っていることに神父は不安を覚えた。
「驚いた……ぐ、具合はどうですか?」精霊術師でもある
「はい、神父様。脈拍は落ちついています。今晩が峠かと。しかし、何かの前兆でしょうか」
「
「神父様、私も何か手伝えますか?」
「サマー、では
二時間か三時間、サマーが厨房と医療室を往復させられるうち、治療は終わった。
「大分、落ち着いたようです。神父さまはお休みください。容態が変われば、チコリを部屋に行かせます」
「よろしい。このことを知っているのは?」
神獣ユニコーンの存在は多くの災いや変化の暗示と云われるため、国家機密なみに扱われることは聖職者でなくとも当然と理解していた。
「修道士二人と、わたくしたち修道女二人、あとは貴方がただけです」
「よろしい。教会の門は閉ざし部外者は入れないように」
ラルフは蝋燭を持って自室にこもった。途中、サマーを個室に案内し寝間着を用意し、おとなしく寝るように促した。
しばらく、ラルフは暖炉にあたり仮眠をとった。長時間の詠唱で、疲労困憊していた。
(だが……誰が、あの一角獣を教会に運ばせたのだ。団長は峠の野営地にいるはず)
数時間後。神父ラルフは重い体にムチをうち、ふたたび医療室を訪れた。
「!?」
死体が二つ。ひとつは修道女ロセニア、もうひとつは小さな修道女チコリ。どちらも、魔法弓によって心臓を撃ち抜かれ、即死していた。
神獣の姿が消えている――。
ラルフは足音をさせないよう聖堂に向かう。犯人はまだ教会内にいる。中央に掲げられた十字架の元に〈樹輪の宝珠〉が祀られている。
犯人が誰であろうとこの教会で狙うのは、宝珠以外にありえない。
ただし……本物は地下室に安置されている。聖堂の入口と脇に修道士の死体があった。見るまでもなくフロウとウォルドだ。
「本物を出して貰おうか」礼拝堂には灰色の外套を着、フードを深々とかぶった女がいた。
「――手の込んだことをしますね。なんとも変わった魔術をお使いになる。その顔も貴殿の本物のお顔とは思えませぬが、一角獣から
「ふん、知っていたか。やはり信用ならん」すっぽりと被ったフードを持ち上げると青白い肌に赤い口紅の魔女が顔を出した。
「手前がやすやすと宝珠のありかを話すとお思いでしょうか?」
「本気では思っていない。だが、これでどうだ?」
魔女アネスは寝間着姿のサマーを見せた。口と手首に荒縄を巻き付け、喉元には小刀を突き付けている。
「いやはや、神の御前でそのような行為に出るとは……して、宝珠をお渡ししたところで、その娘と手前が生きて太陽を拝めるという保証が、何処にありましょうか。どちらにしても助かる見込みがありませぬ」
「駆け引きではないぞ、神父よ。私は宝珠を出せと命令しているんだ」
アネスの声は毒を帯びたようなおだやかさがあった。ゆっくりとサマーの白い寝間着にナイフの刃をたてると、言った。「浅知恵の働く貴様のような男とは、話をしても無駄だろうな。一人殺すも、五人殺すも変わらぬわ」
額に滲む汗がアネスのいった通りであるこを証明していた。
恐怖で体をくねらせ、涙を流すサマー。縄で縛られている口もとには、真っ赤な血が滴っていた。それを見ても表情ひとつ変えない神父が、アネスはまったく気に入らなかった。
「おおかた……無関係な修道女や、護衛の修道士に聞き回り、同じ質問を繰り返したのでしょう。そのやり方で答えがでるまで、何人の命を奪えば満足ですかな。助けてくださいませぬか。それはただの娼婦でございます」
「なっ……なんだと。娼婦がどうして教会にいる。くそっ、どうでもいいわ。樹輪の宝珠をすぐに出せええっ!!」
「それも貴殿の本当の姿ではございませんな。まずは、教えては頂けませぬか。本当の姿を、そして宝珠を集める本当の理由を。さすれば互いに歩み寄る余地も多少はございましょう」
「……ふん。とことん脅しにはのらぬというか」魔女は半獣人のような醜い皮膚のまま続けた。「よかろう。宝珠は魔力の根源への扉だよ。そして
交渉などする気はないというように、アネスはサマーの体にグサ、グサッとナイフを刺した。血で浮かび上がった模様が白い服を、赤い花模様に変える。
「どうだ!」魔女は狂喜の顔を浮かべた。「貴様も同じように無惨に殺されたいか。こちらは貴様を八つ裂きにしてから教会中を探し回ってもいいんだぞ?」
「手詰まりですな、分かりました」ラルフは首を左右に振った。「では〈樹輪の宝珠〉の力を御覧に入れましょう」
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