第33話 ゴーレム〈ローズ編〉

 絶え間なく降る雨音。木々のざわめき。ローズの警告が響くと同時に、森に散らばっていた騎士たちのザワザワとした叫び声がそこら中から聞こえた。


「アローグラス! アローグラスをだせ!」


「駄目だ、魔法弓は効かない。盾を! アローグラスをだせ!」


 先行していた新米騎士ライカはショートソードを抜くより先に、危機を知らせるための魔笛に手を伸ばした。ずぶ濡れの革鎧は重く、目の前がぐるぐるとまわるように思われた。


 

「くそっ!」ぬかるんだ土に足がもぐり、バランスを崩す。恐怖で胃の中が一杯になった感覚。足が、ぬかるみにズブズブと沈んでいく。


「たっ……たすけ」


 背後に忽然と現れた泥人形が雨除けになり、同時に影を落とす。見上げた先にゆっくりと掲げられた腕が、振り下ろされた。


 水を含んだ大量の泥が、新米騎士を頭から呑み込むように襲った。


「ぐっああっ!!」


 生き埋めになった新米騎士は泥の中でもがき、苦しんだ。泥は軍衣と革鎧ボイルドレザーに入り込み、手足は鉛のように重く、思うようにならなかった。


「っはぅ……はぅ……ぁ!」


 一瞬のうちに目の前が真っ暗になり、息が出来なくなった。すぐ近くにいた騎士たちにも声は届かない。誰も助からないと思った。


 生と死の狭間、それを隔てている無慈悲な空間がもしあるとするなら、まさにここだと感じた。息もできず、もがき苦しんで死を待つだけだった。


 寒い、音もなく、暗く、冷たい泥に沈んでいく――。


(こんな、こんなところで死ぬのか。二つ名も持たず、戦いもせず……)


「ほれっ! 森で溺れるなんて笑えんぞぃ」


 背中から革鎧の襟首を掴まれ、体がずるりと泥から引き抜かれた。外気が温かく感じられ、まるで上下の感覚がなくなったように全身に力が入らなかった。


「ごっほっ、ごっほっ、げっふぉ!」


「すまんけど自分で歩いてくれんかのぉ」


「はぁ、はぁ、あ、あんたは?」ライカには見覚えがあった。ほんの数時間前、運搬業を請け負う老騎士が配属になったと聞いた。


 長い騎行の直後だというのに、さっそく食料や備品を担がされ、中隊長のコリンズに尻をけられていた老騎士だ。


「はぁ、はぁ、あんたは、今日、配属になったとかいう臆病もんの……」


 口の中に泥が入り込み、ジャリジャリとして気持ちが悪かった。指を使って目のまわりの泥を拭いとると、泥人形ゴーレムは森のいたるところでうごめいうていた。


 白騎士はみな、剣を抜き狂気のような叫び声をあげていた。


「ああ~、また泥に埋まった」


 老騎士だけは剣を鞘に収めたまま、静かに跳ねた泥をボロ布で拭いていた。「ああ、あっちも埋まったわ。逃げりゃええのに」


「はぁ、はぁ、ありがとう。助かったよ」


「南の岩場に火を炊いておる。そこに向かって逃げるんじゃ」


「あんた、助けてまわってるのか? 爺さんがたった一人で」


「まあ、運ぶのが仕事じゃからのぉ」荒れ狂う戦火の中、その老騎士だけが腰に手をあて呆けた顔で騎士たちを見ていた。「芋ほりに来たんじゃないんだが」


「……」


 老騎士は器用に泥人形を無視して、埋まった騎士たちを引っ張り上げていた。


 よくよく見てみると、木々の根っこや枝をうまく利用して移動すれば、ノロマな泥人形の攻撃をかわすことは、さほど難しいことではないように見えた。


「て、手伝います」


「まあ、ゆっくり身体の泥を落としてきてからのほうがええのぉ。こいつらも死にはせんじゃろ。まあ、あんたも剣より先に魔笛に手を伸ばしたのだけは、よかったぞい」


 ライカは老騎士に褒められたことが誇らしくて、涙がでそうになった。泥を鎧から拭いながら這いつくばるように岩場を目指して進んだ。


 老騎士のいったとおり、ずぶ濡れの身体は冷えきって、はやく火にあたりたかった。


 なんとか大岩の影にたどり着くと焚き火があった。周りには、ライカと同じような泥にまみれた騎士が十人以上いた。


 雨をよけて身体を温めていた。重い身体での移動はたったの数キロでも、とてつもなく長く果てしなく感じた。


 やっと泥を落とし体が暖まったころ、無精髭に剥げた白騎士が森から歩き疲れた様子で顔をだした。中隊長のコリンズだった。


 並べられた酒樽に食糧を積み上げて、何か怒鳴り散らしていた。指をさして叫んでいる相手が、あの老騎士だと分かって驚いた。


「おいっ! ダリル。そっちは終わりか」


 気を失っている二人の騎士を背中から担ぎおろすと、老騎士ダリルは言った。


「これで……」


「このクソ爺い、お前が火を焚いたのか? 敵に場所を教えてるようなもんだぞ」


「でもまあ……みんな寒がっとるし。火で寄ってこない敵もおるじゃろ」


「ふん。まあ、いい。もう、じっとしてろ」コリンズは持っていた酒瓶を取り出すと一口飲んで言った。


「悪いんじゃが、あっちの部隊も見に行くよ」


「馬鹿か。あっちにゃ名だたる剣士がおって、お前なんぞ邪魔になるだけだ。野営の準備は誰がやるんだ」


「運搬の仕事があるかもしれんです」


「けっ、またローズとかいう女解封師を探しまわってるのか」コリンズは信じられないといった顔をした。「何考えてるんだ、このエロ爺い」


 老騎士はたったひとりで濡れた岩場を滑るように森に駆けて行った。あれだけ体格のいい白騎士たちを何人も救い出して、なんの名誉も栄光もないとは。


 あの老騎士を駆り立てるが森にあるはずだと思った。ライカは〈臆病者のダリル〉と呼ばれる老騎士を追って行くことにした。


 剣を振り、戦っている騎士は次々と泥に飲み込まれていく。泥人形の動きは遅く、刃物を持っている訳でもない。


 まともに戦う必要はないのだ。剣を撃ち込めば、泥に埋まる。動きが利かなくなれば、相手につかまれる。


 パニックになった騎士たちは、冷静な判断が出来ず、もがき、慌てふためいていた。老騎士は、泥人形ゴーレムの隙を見ては埋まった騎士を引っ張り上げた。


 ライカは首に布切れを巻いた場違いな老騎士の手伝いをしながら、泥まみれの騎士たちを岩場へと誘導し続けた。


 雨がライカの体力を奪っていった。ヘトヘトになりながらも老騎士の仲間たちを救う献身的な姿に、休みたいと思う自分を恥じた。

 

「……っ!」


 森の奥で、絹を裂くような女の声がした、ように聞こえた。ライカは確かに少女のような悲鳴が聞こえたと思った。


「そこの若いの。ここは頼んだぞい」


 老騎士は手を止めると、担ぎ上げた泥まみれの騎士を放り出し、なりふり構わず更なる森へと走っていった。さっきまでの落ち着いた表情は消え去り、必死の形相だった。


 老騎士を駆り立てている何かは……何かじゃなく、だ。そう思った。



         ※


「守りをかためろ、陣形を組んでアローグラスを展開しろ!」


〈剛健のカレス〉の声に騎士たちが集まると、白ローブ姿の魔術師は半透明の魔法盾を、空間にいくつも作り出した。


「……違うんだなぁ」〈窮追のジアン〉だけは身軽にゴーレムをかわし、木々をすり抜けてどんどんと前進していく。


「守りじゃ、じり貧になっちまう。かたまっていたら尚更、泥人形に押し潰されるぞ。本体を叩かなきゃ駄目だ。ほらね」


 樹海の中に、厩舎の敷地並みに太い大木がそびえたっていた。神々しい大木の周りには、囲むように動物や人間の骨が組まれている。


「あったぞ。なんて悪趣味な祭壇だ」


「だめだ、ジアン!」雨音に微かに響くのはカレスの声だ。「壊そうとするな、二重トラップが仕掛けられているぞ。解封師を待て」


 中央に缶詰のような容器があり、黒霧のもやが立ち上っている。中身は黒く煮たった油のような何かが揺らいでいた。


 魔道具を前に、ジアンは剣を抜いたまま手を止めた。「じゃ、どうすればいいんだ? 引き返せっていうのか」


 これが泥人形を生み出す魔道具だとジアンが確信したとき、ガンという衝撃と共に胸から剣先が飛び出していた。


「……うっ、ぐっ!?」


 既に背後がらの槍はジアンの胸を貫いていた。暗闇に紛れて、真っ黒なかげが広がると地の底から新たな槍が突き出してくる。


 胸の槍を掴みながら、もう一方の槍を寸前でかわすと、ぬかるんだ地面が目の前に向かって迫ってきた。


 自分から突っ伏すように倒れたのだとは思いたくもなかった。雨粒の滴る泥水の先に黒騎士が現れるのを見た。


 大木の影から二人の黒騎士と、亡霊のようなボロボロのローブを着た黒き魔術師が姿をだす。黒光りしたローブが雨を弾いていた。


「げほっ……げほっ……」


 息を切らしたカレスと他の白騎士はジアンの後に続いていた。長槍を構え、後続を迎え撃とうとする黒騎士は影にしゃがみ込み、沈むように身を隠した。


「……くるな……カレス」

 

 機械的で単純なゴーレムの動きに槍の攻撃が加わると、騎士達の隊列は簡単に乱れてしまった。ジアンは倒れたまま助けを待った。


「……」


 冷たい雨粒が顔を流れ、手足の感覚がなかった。どれだけの時間がたったのか分からないが、白騎士たちは直ぐ側にいた。


「大丈夫か、まだ死ぬなよ」隣に立ち、辺りを警戒したカレスがいう。「どこにいやがる」


「……か、影の中に」ジアンは口から大量の血を吐いた。剣を抜いた騎士たちがローズの周りを囲み、防御態勢を整えている。


 ローズは騎士達の脇から戦闘を覗き見た。屈強な白騎士が身を挺して、敵の槍を掴むと詰め寄った他の騎士が一斉に斬りかかった。


 黒騎士は、槍を捨て飛びのいた。すると陰に沈み込み、またゆっくりと姿を消した。


「まだくるぞ!」カレスが叫ぶ。


 白魔術師は魔法盾を使い、泥人形ゴーレムを止めることに成功したかに見えた。半透明のガラスに泥が流れるのが見えた。


「うわああっ!」


「ひ、ひいいぃ。駄目だ。足止めしても、こいつらは直ぐに元の泥人形になる」


 騎士たちは闇から伸びる槍に突かれ、ひとり、またひとりと倒れていく。どれだけの被害が出ているのか、残っていたのはカレスと数人の騎士だけだった。


「どこだ! どこから来るんだ!」


「ローズさんは、俺の後ろに」カレスは美しく伸びた長剣を構え、左右を見回す。すると森の奥から走り来る何者かの姿をみる。


「魔術師は火を焚いてくれ! 何も見えんわい」何処からか叫び声が森に響いた。


「火、火だって?」


 森の中で火炎系の魔術は禁止されていた。さらに、この雨では威力もなにもあったものかと思っていた。


 だが冷静さを失いながら聞いたの遠い声に、白魔術師のひとりが応えた。


「ファイアーウォール!」


 炎柱が渦巻くと黒煙が舞い上がり辺り一面の泥が引き上げていくのが見えた。一瞬のうちに、泥人形は鼠のように足元を這い、暗闇を探して退避していく。


「……火だ。火に怯えている」


 背後から伸びた長槍が、ローズの鼻をかすめた瞬間だった。暗闇から伸びた腕が、黒騎士の槍を掴んでいた。


「あ、あなたは」


「ふーっ」ローズの目の前に懐かしい顔があった。ずぶ濡れで貼り付いた白髪に、長い白鬚が言った。「やっと会えたのぉ」


 老騎士ダリルは槍を掴み上げると、ひざを使って槍を折った。白魔術師は両手に火炎の弾を作り出し、森を照らしだす。


 少女の胸は熱くなり、涙が溢れた。


「ダリル、ダリルなのね!」









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