第32話 胸郭森林〈ローズ編〉

 峠の頂には砦が築かれつつあった。ここに拠点が築かれれば、ロザロの街、港街ベルロー、王都サン・ベナールまでが危機に瀕する。


 当初、白騎士ステイトの部隊は二千人規模でベルファーレの峠に向かい進行を開始していた。だが樹海に造られた陣営は噴き出した鉄砲水に襲われ、分散を余儀無くされる。


 森での奇襲により騎士は追い詰められ、地滑りによって崩れ落ちた木々と瓦礫によって若き騎士達の大半が命を落とした。

 

 落石、倒木、山火事。そして、何処からかともなく突然姿を現す黒騎士。峠の北東部にあたる樹海での敵襲来は全くの想定外であった。


 天空山脈ハイ・リッジを隔て肋骨のように囲む樹海は胸郭森林チェスター・フォレストと呼ばれている。人智の及ばない深い森、そこには予めあらゆる箇所に魔法封印のトラップが仕掛けられていた。

 

 多くの者は遠距離魔術を警戒しアローグラスやリフレクトリングを使用し、ゆっくりと行軍したが、黒騎士の侵入経路を発見し、これを断つことは最も重要な急務となっていた。


 災害という敵に対し、魔術師は全くと言っていいほど役にたたなかった。この戦局を変えるには優秀な解封師が必要だった。


「少し休んだらどうですか?」小柄な青年騎士が、剣柄に手を掛けてローズの前に立った。「黒騎士は一歩たりとも通しませんよ」


「あ、ありがとうございます、ジアンさん。でもあと少し頑張ります」

 

 ローズは、数人の騎士達と東に広がる胸郭森林チェスター・フォレストをさ迷いながら二週間で三十三ものトラップを解除していた。


 はじめは支給された女騎士用の軽鎧ライト・アーマーを装備していたが、すぐに作業に邪魔な胸当てや籠手を外した。


 ぬかるんだ泥と歩き辛い林道。両脇の吊り鞄には魔法数列を記した蔵書と、薄汚れた手帳。ピッキングに使用する道具の数々が無造作に入れてあり、ベルトにはダガーと水筒を納めていた。

 

 結局は革兜と革ベルトだけの装備になってしまう。泥まみれの幼い解封師はあまりにも無防備で、みすぼらしい姿に見えた。 


 それでも騎士たちのなかで解封師の評価は上がっていた。一度でも黒騎士の城や遺跡に足を踏み入れたことがあれば、その真価がわかる。


窮追きゅうついのジアン〉と呼ばれる青年騎士はローズに歩み寄り、肩が触れ合う距離で話した。いつものように小声だった。


 窮追とは、素早い連撃により敵を追い詰めるという意味だ。剣にも女にも手が速いといわれる青年騎士は、馴れ馴れしくローズに接する。


 熱心に仕事に集中しているローズは手を止めず、そっけない態度をとっていた。


「ボクが、最初の部隊で黒騎士ヴィネイスの遺跡に行ったときは正面入り口で引き返しました」


 ジアンの後ろにまわり、首に腕をまわし押さえつけたのは〈剛健のカレス〉。ひとまわり大きな身体をした腕の太い男だった。


 茶色の髪をかき乱し、ジアンは苦しそうにするが、そのまま話しを続ける。


「解封師がいなきゃ、白騎士は何も出来ないんですよ。どこもかしこも鍵が掛かっていて、一つ部屋を行くたびに、休憩するか出直すしかないんです」しゃがれた声を振り絞って言う。


「攻略部隊なんて偉そうなこと言っても、実際は何も出来ずに引き返してくる。そんな連中ばっかり……なんですよ。やめてくれ! なんのつもりだ、カレス」


 大剣を吊り下げた逞しい巨体が、子供のようにクスクスを笑いながら、絞め技のきまった腕を緩めた。


「お疲れのローズさんに、ちょっかい出すんじゃないぜ。この女ったらしが」


「ちょ、ちょっかいだと。話をしているだけだ。邪魔しないでくれ」


 カレスは次にはゲラゲラと豪快に笑い出した。ローズは名の知れた騎士たちが、じゃれあう姿にしばし呆れた。


「何が可笑しいんですか、まったく。ボクは解封師はもっと丁重に扱われるべきだと言いたいんです」


「彼女は、だろ。他の解封師は雑兵以外の駒使いにしか見ていないだろうに」


「うるさいなぁ。当たり前だろ、薄気味悪い背骨の曲がった男や、指が石化した泥棒相手に優しくしてどうする」


「ほうら、本音がでたな」



 少女は他の部隊に所属していた解封師たちに思いを巡らせる。何度か情報交換を兼ねて行動を共にしたが、彼らは本物の解封師だった。


 背骨が曲がっている〈猫足のクラフト〉は黒騎士の時空間魔術を疑っていた。斥候部隊の存在を否定して少数の黒騎士が行き来しているだけだと言っていた。


『シャドウ・ホール。北部で一度見たことがある。あんな複雑な魔法数列を解除するなんて俺には絶対に無理だと思ったよ』


 敵の魔術師が仕掛けるトラップの一種であり、対の宝珠を使い陰の中を瞬時に移動する時空間魔術。複雑な魔法数列と対の宝珠を必要とする高等魔術だった。


 そのトラップを解除しない限り黒騎士の奇襲と待ち伏せは後をたたない。だが単純に宝珠を見つけ破壊すればいいとはいえない。


『今回のやつはダミーの宝珠を破壊させて、こちらの居場所を探ってるみたいだ』と言ったのは〈石指のオーツ〉だった。これは知恵比べなのだと知った。


『解封術も破壊も出来ないなら、行き先を変えちまうってのはどうだ?』


『流石は猫足だな。昔、火炎球の砲台に使った方法がある。これを見てくれ。ベナール皇帝の刻印入り通貨を加工して作ったもんだ』


 彼らの議論に参加出来るだけで光栄に思えた。複雑な魔法数列の裏をかき、思いもつかない方法で難問に対峙する。


「コインの縁に……魔方陣が初めから書いてあるのね。製造日と生産された場所まで、数字で入ってる。かなり手間が省けるわ」


『やっぱり話がはやいな、ローズは。此方こちらの居場所が特定されるのが何分か、あるいは何秒かの間に、こいつを宝珠に組み込むんだ』


『おもしれえ。上手くいきゃあ、黒騎士どもは北部の冷たい沼地にひとっ飛びになるぜ。通称アス・ホールってとこだな。ひゃひゃひゃ』


『ば、馬鹿やろう。レディの前だぞ』


『……す、すまねぇ』


「い、いいえ。すごい、すごい、すごい方法だわ。石指のオーツさん、猫足のクラフトさん、あなたたちは、本物の解封師だわ!」


 聖清された硬貨を使うことによって円陣刻印を作る手間を省く。更にこの性質を利用して銀の採集された北部に移動先を変更させる。


「ふふ、この方法なら短時間でトラップはいくらでも回避出きる……でも、鉄砲水や落雷だけは仕方ないのかしら」


『災害は魔術師の仕業じゃろうな。儂らにはどうしようもない』


『ああ。相手が〈塔のカード〉を持った魔術師なら、最凶だな』


「……魔術師にそんなことが出来るの?」


『泥や濁流には気をつけるんだな。足を引っ張られるというぜ。みたいな魔道具を使って、泥人形を動かすんだ。落雷までは分からないが、土砂崩れや鉄砲水を起こすことは容易いだろうよ』


「な、なんて凄い知識なの。なんで貴方たちみたいな優秀か解封師が、雑兵以下の扱いを受けるのか、全く分からなくなってきたわ」


『……』


 団長のいる部隊は騎士と解封師達を増やす指示を出すだけで、自らはトラップに近寄ろうともしなかった。


『そ、そんなこと言われたのは、初めてだ。儂らを褒めたって何もやれんぞ』


『あ、ああ。俺は引退したら、指輪をやる』


『はあ!? なに抜け駆けしてるんだ』


「「あははははっ!」」


「…………」


「……」




 騎士たちが、派手な技名や様々な装飾のついた防具を身につける傍らで、泥まみれのボロを纏い、最も危険な罠という敵と戦っていた。


 彼らだけが、黒騎士の真の目的や、魔力の流れ、戦争の真実と向き合っていると感じた。



「そういうのは……差別だぜ、ジアン」


「いいや、ボクには眼力があるんだ。ローズさんみたいに立派に仕事をこなす解封師は丁重に扱うのさ」


「女を見分ける眼力か?」


「……ひどいな。せめて可愛い娘と言ってくれ。だが正直、ローズさんを見て解封師に対する考え方は変わったよ。みんなそうだろ」

 

 カレスは親指を立てて、スッと森の奥を差した。「向こうに行け、ジアン。ローズさんに危険が迫っていたら、お前じゃなく俺を頼ってもらうからな」


「お二人とも……お構い無く」


 長剣の鞘をふって青年を追い払うしぐさをするカレス。二つ名は〈剛健のカレス〉と呼ばれるが、風属性の宝珠をみれば瞬発力を重視した剣を使うのだろうと予想できた。


 解封師が次々と殺されている状況で、名のある剣士が解封師の護衛を任されるようになったのだ。それだけでも、だいぶ変わった。



 日が落ちてくると森の気温は急激に下がった。天候も悪く、曇り空が続いていた。しばらくして雨が降りだした。


「ローズさんに雨避けを立てろ! 風邪をひかれては大変だぞ」 ジアンは他の騎士たちに指示をだした。


「皆さんこそ、休んでください」


「いいえ、ローズさんを命に代えてもお守りするのがボクの役目です」


「全く……私が休まない限り皆さんも休めないって訳ね」


 そうつぶやいてローズは、指輪を触りながら木のそばを離れようと立ち上がった。雨は久しく降っていなかった。

 

 以前に降ったときは、雷雨と土砂崩れで沢山の兵士が散り散りになり、行方不明者が多数でていた。その前には落雷による火事だ。


 はじめに鉄砲水が起きたのも、やはり雨の日だった。少数の黒騎士が、これを起こしているとは考えられない。


 塔のカード――。


「!!」


 背後に人の気配を感じた彼女は、素早い抜刀からクルリと向きを変え風切り音を鳴らす。


 グラスダガーの効果により時間はゆっくりと流れる。一連の動作は周りを冷静に見渡し状況を把握するため、いつの間にか身に付いていた。


 ローズは息を飲んだ。雨で発動するトラップまであるのか。雨粒の丸い水滴が無数に浮かぶ木々の間、至るところに泥人形が立っている。


 自動的に現れ、騎士達の背後をとり襲いかかる。ローズは出きる限りの声をはりあげた。



「ゴーレム・トラップ!!」










 

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