第31話 運命の輪
黒騎士ベインは村長の襟首を掴み上げ、全身を調べたが、そこには〈言霊のネックレス〉も〈竜鱗の腕輪〉も無かった。
「確かに二つの捧げ物を持ってきたと言ったな、老いぼれ。腕輪はどこだ」
「……」既に息をしていないことを確認すると、吊り上げた死体を無造作に放り投げた。
「調べろ」表情一つ変えずに命令しているようだが、シャイアにだけはベインの虚ろな視線が突き刺さった。
「そちらの男が持ってきた布袋も」シャイアは不安になって自らケーシーの持っていた布袋を引き寄せる。大きさからいえば豚の二の腕ほどの長さがあった。
「!?」広げた布袋には剣の柄のようなモノが入っていた。腕輪でもなければネックレスでもない――これは。
「槍か、長槍なのか?」
魔術師でもあるベインは、僅かな警戒心を持ってその柄だけの長槍を受け取ると、ゆっくりと回しながらじっと眺めた。
「伸縮自在の長槍のようだ」
「……の、伸びてるじゃないですか」
いつの間にか柄だけだった〈長槍ブリューナク〉は三メートル以上の長さに姿を変える。
「ほお、だが――こんな玩具は俺の求めていたものではない。さっさと全員の死体から荷物を調べろ。次のグループは待たせておけ」
秘めた憤りをこめたかのように、ベインはリングメイルを鳴らして荒々しく立ち去り、テント近くの木箱に腰をおろした。
精霊術師シャイアは、はじめて暗示が外れたことを不思議と冷静にみていた。何がどうしてこうなったのか。
「……」いつもの喧しいほどの口上はどこにいってしまったのか。
罪のない間違いだったのだ。黒騎士が現実に被害を被ったわけではない。どうしてそんなことも分からせられないのだろう。普段の暗示や占いは、楽々とやってのけるというのに。
本当に馬鹿で正直な人間を型にはめることは出来ない。この村長や同行したケーシーのような特定のモラルや意図と、ある種の思考性が前提にある人間なら読みやすい。
リウトは、じっくり考えたり論理的に思考したりしない。竜鱗の腕輪がここには無く、ヤツが手にするはずの長槍がここにある。歯車は狂ってはいるが、壊れてはいない。
最悪でも雷光の指輪だけは手に入れなければ自分の身すら危ういのだ。馬鹿な人間は動物以下だとシャイアは思った。〈猟犬〉たちの餌にするには丁度いい人間だ。
ヤツをとことん脅す必要はない。ほんの少し怯えさせれば、馬鹿はすべて信じる。地下迷宮と同じように“身近な友人の警告“程度でいい。
「ベイン様!」見張りの衛兵が屋形馬車の後ろから叫んでいた。「大変です。吊り橋が、吊り橋が落とされていきます!」
「……なんだと」
「ばれましたね」シャイアがいう。「〈言霊のネックレス〉を持っていたのは、娘の方でした。そいつを使って死ぬ間際に村へ連絡をしたようです。このテストが全部罠だと」
※
リウトは走っていた。力いっぱい、全力で。足を滑らせた斜面を、そのまま転げ落ちながらも、動きを止めずに岩山を下りていった。
村人グンダの馬車を通り過ぎ、やっと谷の見える場所に差し掛かかると、村人たちの声を聞いた。
森の中からは湧き出すように村人たちがこちらに逃げてくる。刺すように痛む脇腹を押さえながら、リウトは走る村人を引き止めた。
「おい、マリッサはどこだ!」
「戻ってこない。彼女はもう助からない」青白く、恐怖に取り憑かれたような表情を見れば、推測だけで最悪の状況がよめた。
「ど、どういうことだ?」
「みんなが彼女の声を聞いたんだ。か、彼女が殺される声を……たがら、彼女は川向こうに行ったままだ。それで、合格した人は向こうで、みんな死んだ」
「な、なんだって――」
(マリッサは知っていたはずだ。俺の話を信じるって……本当なんでしょって……だからそんな。どうなってるんだ)
森を駆けるリウトは打撲と切り傷で血だらけだった。染みだらけの革鎧から飛び出した麻布は泥だらけで、ひきちぎられていた。
汗だらけの身体が冷たく凍ったように感覚がなくなり、頭だけが燃えるように熱かった。やっとマンサ谷とセレース川が一望できる場所に立つと、頭に直接その声は響いた。
『交渉なんて嘘だった。黒騎士は協力者なんて、求めていない。はじめから一人残らず殺すつもりだった。逃げて、みんな逃げて!! 黒騎士が川を渡るまでの時間で、出来るだけ遠くへ逃げて!! 白騎士リウトに従うのよ』
「!!――」
『リウト、私たちはもう助からない』
マリッサの声だった。何かの信号を通して声が届いてくるようだった。本能的に理解していたのは、彼女の胸元に〈言霊のネックレス〉を見たからだった。
「い、いますぐ助けに行く!」
『駄目よ。もう助からないっ……て言ったでしょ』
「そんなっ!」
『村長も死んだわ。ケーシーも死んだ。私も、長くないの。だからちゃんと聞いて。い、今からトラップを発動して、吊り橋を落とすわ。リウトは村のみんなを導いて』
吊り橋に張られたロープは、彼女の言葉どおり、次々と切れていった。固く太いロープが大蛇のように跳ね回っていた。
バチャバチャと橋に立つ数名の黒騎士が川に流され、まだ川岸に近い場所にいた村民たちは、こちらへ泳いでいた。
『リウトは全然間違ってなかった。私の信じた……とおりだったわ』
「マリッサ、死ぬな。死なないでくれ!」
『分かった……のよ。あなた……が変え……るのよ』
最初から分かっていたのかもいれない。回復魔法をかけたとき、もう気づいていた。痛みや苦しみと共に生きようとするあなたを見て。
治療していれば、嫌でも分かったわ。必死に生きようとするあなたを知ったの。わたしは守ってあげたいと本気で感じた。
魔法数列が組めないあなたが、指輪を使って戦っていたこと。魔術を使おうと努力し続けたのを知ったの。
剣が振れないあなたが、傷だらけになっても立ち向かったこと。なんど傷を負っても戦い続けたのを知ったの。
字が書けないなんて思えないくらい、本を沢山読んでいたこと。出来なくても前進し続けたのを知ったの。
いつもはぼんやりしているのに、下手な笑顔がすごく素敵なこと。苦難も努力も、前向きで全部が本気だったと知ったの。
毎晩うなされて、ひとりの女性の名前を叫んでいたこと。ただ聞いているだけで胸が熱くなり涙が溢れた。嫉妬していたのね。
「なんだ、何言ってるんだよ」
『貴方に会えて幸せだったわ。あなたの……運命、あなただけの……
努力すること、前進すること、人を愛すること、平和を夢みること、希望ある未来を見ようと必死に生きること、自分を顧みないこと。
「何のことだよ」
『それが隠者の資質よ』
「……」
橋は完全に崩れ落ち、マリッサの声は聞こえなくなった。魔法数列が組めなくても、字が書けなくても、剣が振れなくても……他にたくさんの資格がある。彼女はそう言った。
リウトは馬を引いていた。目の前の平らにならされた田舎道を見ながら、村人を次々と村の外に向かって誘導していた。
急いで吊り橋に向かいたかったが、同時に村人を救うというマリッサとの約束を守らなければならないと思った。
「何か聞こえるわ」農夫の妻が言った。「谷から風に乗って、叫び声じゃないかしら?」
「聞くな。聞くんじゃない」ある村人は、道を行く皆に言う。「神に祈るんだ」
村人達は子供の手を握りしめ、じっと白騎士リウトを見ていた。彼の言った通りになったことが、まるで信じられないようすだった。
「あんたの言ったとおり、テストなんてインチキだったよ。心から頼むよ、あんたが村人を全員、避難させてくれ。あんたのことを信じるよ。マリッサの信じたあんたを」
「分かった。全員で避難しよう。俺が村人みんなを安全な場所へ連れて行く」
言霊のネックレスで残った村人たち全員がマリッサの言葉を聞いていた。だがリウトだけに流れた言葉は確かにあった。
それは宝珠と肌を合わせ、抱きあったからこそ出来た奇跡だと感じた。
「向こうに残った人たちに何があったんだろう。本当に、殺されたんだろか」
「そんなこと、誰も分かるもんか。逃げよう、黒騎士がしばらく川を渡れない間に」
村人たちは、状況を理解してすぐに逃げる準備をはじめたのだ。谷のあちこちから、逃げろ、逃げろという声が聞こえた。
「ほら、あんたには案内をしてもらわにゃならん」赤鼻の農夫バイスがリウトの腕を掴んで言った。「しんがりは剣士のマソスさまが見てくださるでよ」
着の身着のままで走る村民の中にも、冷静な者はいた。出来る限りの食糧を集めた荷車を大男のジャガーが牽いていた。
「ま、マリッサ……」
「死んだろうよ。みなが最期の言葉を聞いたんだ。わしらは神に祈るしかない」
「くそっ、くそっ、ちくしょう!」
それからリウトはまた走り出した。集団の先頭には村人グンダの馬車がある。震える手でマリッサのくれた腕輪を握りしめると、涙はこらえきれずにポロポロと流れた。
「ぐすっ、分かったよ、マリッサ。分かったよ、祈ってやる。だが、神が一度でも馬鹿の祈りを聞いたことがあるかよ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます