第30話 優秀なる者

 資質を表すタロットカードには様々な解釈がある。一つの物語として見ることも可能だ。


 とある晩、部屋には魔術照明マジックランタンのほの暗い明かりだけが幻想的にマリッサをうつしだすなか、ケーシーは言った。


 誰しも『愚者』のゼロから始まり、最期には二十一番のカード『世界』だけが残る、というように。


 君のいう、世界を一変させる資質がもしあるとするなら、これかな。横たわったまま枕元からタロットカードを抜き出す。


 九番目のカードだ。その前には『力』を表す八番目のカードが存在し、大きな楯となるであろうことが読める。


 カードの種類によっては『正義』を八番目のカードと読むこともある。そこがこのカード独特で面白いところなんだ。


『力』のカードというのは単純に腕力が強いという意味ではない。真の価値は、相手の意志や行動をコントロールすることにある。


 この猛獣を手なずけているカードの絵柄にもあるように本当の力とは、思いやりと寛容な精神にしか宿らない。本質は優れた説得力にあるといえる。


 あとには『運命』のカードが続くわけだが、『正義』を手にした存在か、正義を求める存在かへと成長する。


 順番はともかく、運命の輪が上手く回らなければ隠者の物語はここで終わりだ。

 

 もし、この説が事実であれば、十二番目『吊るされた男』と『死神』は大きな障害となって現れるだろう。


『節制』を持つ仲間は、隠者に希望を与えるが、『悪魔』と『搭』で戦う運命からは、逃れられない。


『星』は奇跡を『月』は恐怖と不安を表す。『太陽』は成功と栄光。そして『審判』が下され――二十一番目『世界』を変える真理へとたどり着く。


「これが隠者の背負った運命だというが、これ以上こまかく説明したところで君は、この予言を理解しないだろうね、マリッサ」


「ちょっと、難しいわ」


「理解しないだけでなく、僕の専門知識は抽象的すぎると愚痴るだろう。更には無駄な学問だと馬鹿にするに違いない」


「あははは、その予言はあってる」


「こらこら」


「もし、隠者の資質を持った人間が現れたら私たちは気がつくかしら?」


「……さあね。僕らは気がつかないかもしれない。なんといっても隠者は、隠れるのがうまいからね。君が運命の女神でもない限り、きっと見つけることは出来ないだろうね」


 現在いま――吊り橋を渡る村人たちの流れにマリッサはいた。いつか聞いたケーシーの授業をきちんと聞くべきだったと後悔していた。


 後半を、かなり端折ってもらったのが残念でならない。吊り橋の出口には黒兜の衛兵たちが村人を一列に並ばせていた。


「心配しないでいい」横からケーシーは言った。「僕は絶対に君のそばを離れないからね。それに、あの大テントの向こうには村長おじいさんもいるから」


 遠くに、もう一つの吊り橋から数人の村人がぞろぞろと引き返してくるのが見える。マリッサは口を開いたままケーシーを見た。


「……」


「残念ながら、テストに合格しなかった者たちだ。連中は、優秀な協力者を集めている。だが、捕虜になって敵に利用されるとしても、我々は生きるべきだ」


 振り返ると村には、彼女たちの次に渡る十五人の村人が待機している。従順で無垢な善人ばかりの村の、のどかな田園風景。そんな故郷の村が愛しく輝いて見える。


「うん……貴方を信じているわ」 



 橋のたもとを眺め、黒騎士ベインと精霊術師シャイアは朝日と柔らかな風を受けていた。目に一切の表情のないベインはマントを揺らし、足元の岩肌にしゃがみこんでいるシャイアに目を向ける。


「昨日は月が陰っていました」精霊術師は気落ちした様子で語った。「直前にそんなことがあると不安になりますね。僕は不安になるのが不安なくらい、不安症なんですよ」


「あらかたの心配事は現実には起きない。人が悩んで考えうる不安の九割は単なる妄想か、悪夢だ。私は〈竜鱗の腕輪〉さえ手に入れば他はどうなろうと構わないんだが」


「あれは、過去の記憶再生機でしょう。死神とうたわれた黒騎士ベインに、何度も見たくなるような過去があるとは思えませんね。僕にとっても価値はないです。それとも何か瞬間的に見たものを、ゆっくり見たいとか? 何を見たんですか。まさか魔力の……」


「シャイアよ」黒騎士は言葉を止めた。「見ろ、村長と将来の婿どのが橋を渡る」


「やっとですね。やっと〈言霊のネックレス〉と〈竜鱗の腕輪〉が手に入る。ああ、僕が貰うのは構いませんよね。あのネックレスは精霊術師以外の人間にとっては、単なる声を大きくするだけの宝珠だ」


「構わんさ……そいつを持ったら、さっさとジラートフの所へ帰れ。今はミルコ団長と呼んだほうがいいか」


 黒騎士ベインはシャイアを見た。平然と白騎士の犬舎に潜り込みスパイ活動をしていたかと思えば、これほど辺境の部隊にまで顔をだす。


「まだ帰りたくはありませんね。ネックレスを使って狩りたい白騎士がいるんです。個人的な嫉妬みたいな感覚なんですが、不安な要素は消したいという性分なものでしてね」


 言霊のネックレスを手にすれば、馬や犬を遠くに走らせるどころか、猛獣や怪物までも遠隔操作できる。まさに彼にとって最強の宝珠だ。


「月の暗示ですよ」シャイアは目を輝かせいった。「彼とまた会える。雷槍を掲げ、無双する成長したリウトを、僕の猟犬たちが追いたて――血の一滴残らずを喰らいつくんです。土産を持ってロザロに帰りたいじゃないですか。そうしたら、僕はローズの所に行くんだ。彼女を慰められるのは僕しかいませんからね」


「雷槍だと?」


 あると聞いていたのは〈ブリューナク〉と呼ばれる貫通力特化が付加された長槍だけだ。それを〈雷槍〉などと呼ぶシャイアの言葉が気にかかった。


「まあ、忘れてください。そっちは僕の任務ですから。ただのお使いですよ」


「……」


 黒騎士ベインは、本当に恐ろしい人間はこの精霊術師だと感じた。見えないほど遠くから、でたらめな計画で簡単に人殺しをする。


 殺すなと命じた見張りをことごとく始末してしまったのも、この男だった。シャイアの抱える不安はすべて、自分の都合通りにならないことにたいしての不安だった。


 そんな不安は自分ではどうすることもできないものだ。だからこそ、シャイアが真実をどう受け止めるのかは誰も予測が出来ない。



         ※ 

 

「今から簡単な試験をする」擦れた声の主は黒騎士の中隊長だった。「この課題をクリアした人間には、我々の仕事に協力してもらう。我々は優秀な人間には敬意を持って対応する。相手が白騎士の民であろうとだ」


 マリッサは課題の紙切れを受け取り、ひとりずつ列をなした村人に続いて歩いた。幅はほんの数メートルだけだった。『魔力のある武器を指せ』とだけ書いてる紙を握ったまま、すぐに自分の順番がまわってきた。


 彼女は案内に従い、薄暗いテントに入った。幕の中には騎士が一人だけ居り、小さな机に棒きれと、半月刀、リングピアスが並べてある。


 余りにも簡単な問題だった。字が読めるか確認するテストなのかと思いながら、そっとリングピアスを指した。


「よし、行け。右手に進め」


「……」


 言われるままマリッサは右手に進んだ。テントから出ると谷から吹き降ろす北風が髪を乱したので、手で覆った。ホロ付きの馬車の後ろには、一回り大きな屋形馬車があった。


 テントと馬車に遮られ、風の少ない中庭が造られている場所まで更に歩を進める。


「ケーシー!」


「やあ、来たね。村長もそこにいるよ」


「すごく心配したわ。先にいっちゃうんですもの」

  

 中庭を黒騎士が二十人ほどで囲んでいた。彼女はケーシーの後ろに歩み寄り、腕に軽く触れると耳元で「なにか、おかしいわ」とささやいた。


 ケーシーは優しくマリッサの腕を振り払って言う。「心配するなといったろう」


「……」


 彼は騎士たちの視線を感じ、ベタベタされては堪らないと感じたのかもしれない。さまざまな疑惑の念が心を掴み、頭から血の気が退いていく。マリッサは『大丈夫、心配ないわ』と自分に言い聞かせた。


「なんと優秀な白の民族だ!」黒騎士ベインは乾いた拍手をする。


「今回は七人も課題をクリアしたぞ。さて、村長はプレゼントも持ってきてくれたようだ」鼻で笑いながら祖父である村長に歩み寄ると、周りからもパラパラとした拍手が起きた。


「プレゼント……ああ、ああ、二つとも持ってきておる」と村長は貼り付けたような苦笑を浮かべ孫娘を見た。


 そのプレゼントとは昨日、村長からマリッサへと手渡された〈言霊のネックレス〉とケーシーが持ってきた〈長槍ブリューナク〉だ。


「一つは私が預かっている」ケーシーは誇らしげにマリッサと村長を見た。村長は微笑みを浮かべうなずいた。


「よろしい」ベインは残った村人を見まわして言った。「では皆の者には天に召されることを許そう。与えようではないか、名誉の死を」


「!!」


 合図と共に一斉に剣を抜き、黒騎士たちは斬りかかった。初めの何人かは意味も分からないまま串刺しにされ、音も無く膝を付いた。


 村長は孫娘を庇おうと彼女を脇へ押し退けた……そして突然、よろめいた。


「お爺さん!」


 肩からすぐ下の脇腹から血が吹き出していた。二太刀目の刃が村長の足に刺さるのをマリッサは見、祖父が倒れるのを見た。


「っぐ……っぷ……」


 状況を飲み込んだ者は、慌てて逃げ出そうとした。あるものは首を跳ねられた。あるものは足元をすくわれ転ばされたところを刺された。生暖かい血しぶきが飛び散り、ケーシーの顔にかかった。


 血の匂いが辺りに充満したころ、マリッサの絶叫が谷に鳴り響いた。だが谷へふく風に阻まれ、その声は村には届かなかった。


「嘘だ! 嘘だ! 何故なんだ」命乞いするようにひざまづきケーシーは叫んだ。「僕たちは優秀ではなかったのか」


「優秀だったさ。だから死ぬのだ」単純な嘘実だった。テストと言って呼び出し、半分を殺す。邪魔になりそうな人間から先に殺せば、後の仕事は楽になる。


 軍隊など初めから存在しない。黒騎士ベインの見せたフィールド魔術に騙されただけだ。


 ケーシーが最期に見たのは真上から降り下ろされる黒騎士ベインの剣だった。


 マリッサは涙を浮かべ、腹部に火が付いたような熱さを感じていた。指先の間からはピンク色をした臓物が飛び出していた。 


(……汚れないで…綺麗な……刺繍のベスト…綺麗だって…リウトが……いったの……だから…お………お願い)


         



 

 



 


 

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