第29話 死神ベイン
一日前。
マンサ谷の村長は、吊り橋を渡り黒騎士のリーダーと交渉の席に着いた。村一番の大男ジャガーを連れてきたのは間違いではなかった。
その緑がかった肌と岩山のような肉体を見て、狼狽えない人間はいない。剣士マソスと魔術師ケーシー、農夫のバイスといった年齢のバラバラな五人だった。
野営とは思えないほど高さと幅のある立派な大テントが張られ、篝火が焚かれた後ろに四人の衛兵と黒い犬がうろついていた。不意な襲撃に備えるためか、周囲には馬車や荷車が並べられ、壁をつくっていた。
河川地帯には放置された畑に、古びた廃城、焼き討ちされた村がいくつもあった。支流が堤から溢れ出して端に立てらてた小型のテントは水浸しになっていた。村長はこの連中が略奪しつくした報いだと思った。
「ジャガー……ジャガー」ケーシーは農夫にジャガーに決して喋らせないよう釘をさした。農夫は彼が口を開く前に尻をつねった。
「ジャガ!」
「すまんな、ジャガー」
テントの中にはリングメイルの黒騎士が一人。もうひとりは精霊術師の灰色のローブを着た男だった。
「交渉はゲームではない。隠し事や裏があっては決断できるものも出来まい。まずは、自己紹介を。私のことは、気軽にベインと呼んでもらおう。こっちは精霊術師のシャイアだ」
敵軍のリーダーは、頭蓋骨に革だけを張ったような薄気味悪い男だった。黒く磨き上げられたリングメイルに黒いマントを羽織った痩せた男だった。
「そう気味悪そうに見ないでくれ」黒目の端に皮が寄ったところをみると、笑顔を作っているつもりなのだろう。
「無益な戦争が続くと、人という愚かな者は欲しいものを何でも死体から剥ぎ取ることを覚える。じきに、生きている人間から略奪するほうがずっといいと思えるようになる。そして気がつくと、よく知りもしない上官の命令で、よく知りもしない者たちを殺している自分に気づく。まったくもって無益だよ」
「……」
まるで死体から剥ぎ取ったような皮膚と、くぼんだ黒目。髪だけは黒く艶のある若々しさがあったが、それが作りものでないという保証はなかった。
「温かいお茶を前に、武器も宝珠も不要。まずは、これをご覧あれ」
ベインは天幕を外し、狭い平野に野営している黒騎士の部隊を見せた。ケーシーはざっと見て二百人はいる兵士をはっきりと見た。篝火に松明、何十頭もの馬と黒鎧を着た男たちが、大テントのまわりを歩き回っていた。
この軍勢が、攻め込んでくれば小さな村などひとたまりもない。
「我らが強襲をせず、美しいこの村に交渉の機会を設けたのは――」幕を戻しベインは続けた。「今までの戦争の歴史に心を痛めたから、などというつもりはない。だが、疑問に思うことはある」
「何にだって?」村長は唾を飲んだ。
黒騎士ベインは肩をすくめた。「死ですよ。あんたがたは、輪廻という概念を知っているか?」
「あ、ああ」ケーシーがうなずいた。「生まれ変わって、命は廻るという考えだ」
「その通り、ならば死して
「神の前に、では?」
「……そんな奴は実在しない」
村長は黒騎士ベインの凍るような目に、怯んだ。そして話の通じる相手なのか見極めようと必死に頭を回転させた。
「な、なにが望みだ。村に伝わる秘宝か?」
「話がはやいじゃないか、さすがはマンサ谷の村長さまだ。だが、勘違いはしないでくれよ。なにも我々は略奪と殺戮だけを求めて彷徨っている魔物や亡霊じゃない。無理に奪おうなんてことはしない。もし、互いに信頼関係を築くためのプレゼントだというなら、その時は喜んで受け取ろうじゃないか」
「要は、無条件でもって来いというわけか? 時間稼ぎの戯言だったら、他所でやれ。これでも我々は
「ほほう、血気盛んな者もいるようだな。正直な物言いは嫌いじゃないぞ。はっきりさせようじゃないか。あれをだせ」
衛兵がズタ袋が運びこむと、テントの中には腐ったチーズのような猛烈な悪臭が広がった。
「な、なんちゅう匂いだ」農夫は思わず鼻をふさいで、顔をそむけた。
「私はね、優秀な人間は死ぬ必要はないと考えてるんだ。むしろ死ぬべきではないと。我々は、協力できることを模索するべき時にきている。このような悲劇がくりかえされない為に」
「!!」
浅黒いズタ袋が広げられると、そこには行方不明になっていた村人たちの生首が入っていた。そして、無数の蛆虫が這い回っていた。死んだ目の突刺さるような視線を感じたケーシーはじっとりとした脂汗が流れるのを感じた。
「この連中は、我々に剣を向けた。だからこうなった。剣には剣を、憎しみには憎しみを、我々は何倍にもして返してやろう。だがね、誠意には誠意をかえすよ。そう約束しよう。簡単だろ。平和を求めるなら、平和を与えるということだ」
(いつかは与えるさ。きさまらの時代に平和はこないが――)
※
「おい、おいっ! リウトさん」鼻の尖った村人のグンダが聞いていた。「本当に森を抜けても黒騎士はいないのか?」
「あ、ああ。丘に三人いる。その先は分からないけどな」
「どうやって知ったんだ?」
「〈鬼〉だから……って、説明すると長くなるな。見てきたんだ、信じてもらうしかない」
「そりゃ信じるしかないのは承知してる。あんたじゃなく、マリッサの言うことだからな。さっきから聞いてるのは、儂ら農夫や木こりも連中と戦うのかってことだ」
「いや、俺が先に行って何とかしてくる」リウトは荷馬車を引く馬を止めて手綱をグンダに渡した。「あんたらは指示するまで、ここで待っていてくれ」
昨晩、二十人以上いる黒騎士をリウトは見ていた。一度見た騎士をリウトが〈鬼〉と認識すれば、その騎士たちに見つからないようルートを割り出すことが出来る。リウトの生まれ持った特技である。
完全に夜が更けたころ、ひとり丘に登ったリウトは剣を握り、覚悟を決めた。マリッサとの約束を果たすため黒騎士を殺す覚悟を――。
「はあっ……はあっ……はあっ」
岩場をゆっくりと上に向かって歩いていった。昨晩と同じ場所だと確認すると、思ったとおり黒騎士が三人、すぐそばにいた。鳥の糞で白い点々になっている大岩に隠れ、黒兜の背後へとまわった。
「……ごくっ」
ここまでで、迷いがなかったといえば嘘になる。だが、退くつもりはなかった。鞘から抜いたショートソードで――背後から一息に黒兜の首を掻き切った。
「……」
一度は見た光景の再現ではあったが、今度は間違えたりはしない。鮮血が吹き出し、生暖かい空気と鉄のような匂いが広がると、これが現実なのだと感じた。喉がむず痒くなって、思い切り咳き込みたくなった。
「……っ!」
すぐ裏の岩影に立っていた騎士は、物音に気付き、ゆっくりと倒れている騎士に近づいた。胃の辺りが持ち上がり、背中から寒気が広がるような感覚。
「おい、どうかしたのか?」
「……ひっく……っく」
喉元を抑えながら蒼白になった騎士を見ると、片ひざを付いて様子を見た。指の隙間からは血が溢れ出している。声をあげようとした瞬間、その騎士の後頭部にはリウトの剣が突き刺されていた。
「……!!」
心臓がバクバクと鳴っていたが、頭の中は最悪の気分だった。もう一人いた黒騎士は、見晴らしのいい場所にいたため、リウトは正面から行くしかなかった。
「誰だ? 貴様は」
(……さすがに隠匿術アップでも、目の前に現れたらバレるのか)
黒騎士は青白い月あかりに突然あらわれたリウトを見ると、呟くように聞いた。指の骨をポキポキと鳴らしてから、ゆっくりとロング・ソードを抜き、構えた。リウトはすぐに剣を引っ込めて岩場に向かって逃げた。
「ま、待てっ!!」
彼を見失った黒騎士は、二度と見つけることは出来なかった。岩場に誘い込み背後にまわると、剣をまっすぐに力強く、革鎧の隙間に押し込んだ。
「ぐっ……がはっ!」
その黒騎士はなかなか死ななかった。三度目に剣先を突き刺したとき、やっと膝をついてその場に倒れた。死んだと思って黒兜のなかの顔を覗き見ると、まだ生きていた。
「こ……クソ野郎……こ……卑怯者」
口には赤い泡がついていて、喋り出すと血が鼻と口からガボガボと出た。リウトが剣を引き抜きくと騎士はやっと死んだ。
「はぁ……はぁ」
両手は静かに震え、全身の筋肉が強張っていた。たった一人で三人の黒騎士を倒しても、少しも誇らしいとは思えなかった。むしろ自分のやったことに吐き気すらしていた。
夜は明けようとしていた。問題はこの孤峰の先にある。朝日は――真っ赤な日輪は、丘の頂上から広がる平野と西の山脈までを照らし、地平線を登っていく。
「なんだ。なんだってんだよ。こっちは、まるっきり安全じゃないか。そんな、そんな少ない人数で、連中は村を襲ってきたのか」
逃げ道は開かれていた。村人は助かる。だが、間に合うのだろうか。血潮を思わせる色の朝日を浴び、眼下のマンサ谷は血煙にけぶっているようだった。リウトは村に向けて走っていった。マリッサの居るあの場所へ。
【明らかになっている資質】
0:〈愚者のカード〉……術師殺しのモリスン。白騎士。魔術無効能力。
13:〈死神のカード〉……黒騎士ベイン。フィールド魔術・疫病の暗示。
14:〈節制のカード〉……娼館の主ソフィア。バランスと命中力の暗示。
18:〈月のカード〉……精霊術師シャイア。動物、怪物を操る能力。予言。
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