第24話 屹立する孤峰
「僕も教師を退職する前に、君とはゆっくり話したかった」
日没後に、村を見回りするのはケーシーの日課である。リウトは彼に直接、相談する機会を探していた。アネス・ベルツァーノは別人だと確信していた。
そして一刻も早く何とかしなければロザロの街が、ローズが危険だと感じていた。二人は月明りに照らされ歩いていた。
どう切り出したものかと考えていると、ケーシーは講義の続きをはじめた。つくづく教師なのだとリウトは思った。
「きみが来たとき、もう少し面倒が見られれば良かった。こういう研究をしているせいか生徒を遠目に見てしまう傾向がある」
「俺にも資質はあるかい?」
「ふふっ、皆無だろうね。常に魔力を扱う我々のような教師やレンギルの生徒からすれば、きみは特別な存在だった」
「周りの魔術師がきみに嫌悪感をいだくのは、得体の知れない何かを、きみが隠しているように感じるからだ。ほとんど無意識に」
「何も隠してないよ」
「ああ、そうだろう。でも悲観的にとらないで欲しい。それが、今は羨ましいんだ。あんなに楽しそうに笑うマリッサを見て、わたしは嫉妬していたのかもしれない」
「は、ははは、何いってるんだ」
「……ふっ、忘れてくれ」
「ああ、それなら得意科目だ」
ケーシーのいうタロットカードに例えられる二十二の
生まれつき『愚者』の
『魔術師』の資質を持っていれば、得られる魔力は桁外れに大きい。
『女教皇』の持つ直観力は、戦況を大きく左右する……と言われている。その他もろもろ。
「と、ところで解封師には、どんな資質が求められるんだい?」
「解封印の資質は『悪魔』の逆位置にある。生まれつきの才能というよりは、訓練と学習でしか身に付くことのない能力だろう。職人技の部類だよ」
しかし、それが『悪魔』とは考えにくい。悪魔のカードの能力は封印術と拘束力。その一面が皆無というならローズにあてはまらない。
逆に封印術に長けた魔術師が使いそうな
正直にいうと、こういう目に見えない学問は、重く受け止める必要がないとリウトは考えていた。
後付けでいくらでも説明できるし、実際の戦場では頼りにならないからだ。
ケーシーにとっては専門分野かもしれないが、具体的な成果が見えない学問は、どうも苦手だった。哲学や心理学と似ている。
どの教師も自分の専門分野だけが、もっとも重要な学問だと言い張るのも考え物だった。
谷に差し掛かったところで、リウトは腹を決めた。雷光の指輪を出し、元教師にすべてを話そうと思った。
本題に差し掛かったころだった。ケーシーは彼の前に手をかざして止めた。川向こうの対岸に無数の篝火がたかれていた。
「黙って。あそこを見ろ。こ、こんな辺境の村にまで」
「……
※
そうそうに村長の家の前庭に三十人ばかりの村人が集まっていた。沢山のランプの灯の他に、松明の炎も揺らいでいた。
何個かの椅子が無造作に並べられ、座っているのは老人ばかりだっが、若いの村人も集まっている。太った女性のスカートに隠れた子供たちもいた。
白髪で頭の薄くなった村長は中庭にいる村人に向けて演説するように話した。優しい物腰で、知的な印象の持ち主だ。
「みな、聞いてくれ。今夜、川の向こうに黒騎士の部隊が現われた。このマンサ谷の村は丘になった森とセレーヌ川に挟まれた小さな村だ」
村人たちはどよめき立った。議題は、川に架かった吊り橋を落とし森へと避難するか。あるいは、ここに留まり黒騎士を迎え撃つ算段をとるか……。
ケーシーは手際よく吊り橋に術式トラップを仕掛け、川からの守りを固めた。谷の高みから森を横切って流れている川の水面に、月明りがわずかに反射していた。
「この場所を見張っていれば、三か所ある吊り橋を、すべて抑えられる」
だみ声をあげる村の荒くれ者たちはケーシーと、細かい討論を繰り広げていた。ボートやいかだを使って来られた場合は何処で戦うか、といった内容だ。
リウトは思った。問題は吊り橋にはないのではないかと。〈かくれんぼ〉だけには自信のある自分には、はっきりと分かる。橋からの視線はいっさい感じとれない。
「交渉の機会がある」村長の脇には孫娘であるマリッサの姿があった。「黒騎士のリーダーは五人を選び、交渉の席へつくようにと伝令をよこした」
村人たちがざわついた。村長の次に、まっさきに交渉人に選ばれたのはいかつい身体でボロ布を着た、ジャガーと呼ばれる大男だった。
リウトは異質なこの男に目を丸くした。
「……」
二人目は〈マンサ谷の盾〉と呼ばれる剣士マソス。高齢ではあるが、しなやかな筋肉と鋭い眼光を持った武人といわれていた。しかし、ここ数年で視力が落ちパンをちぎるにも助けが必要という始末だった。
「……」
三人目に魔術教師ケーシーが当然というように指名を受けた。黒騎士の知識と経験からいえば、村では飛び抜けた存在だった。
最後のひとりに、リウトは挙手した。〈鬼〉を見極めるためには自分が行くべきだと思ったからだ。だが、あっさりと赤鼻の農夫バイスが代表として選ばれた。
「……ま、待ってくれよ」
連中は逃げ道を塞いでもらうために、わざわざ川の向こうに姿を現したのだ。そうとしか思えなかった。
「ケーシー、切り立つ森と岩山のほうは大丈夫なのか? ただ木の柵で覆っただけの森や崖側から、敵がくると思わないのか?」
「薄暗い月明りだが、ここからでも見えるだろ。森の先には切り立った丘がある。風の吹きすさぶ丘と、岩だらけの野原だ。丸見えで足場の悪い丘に矢倉がある。そこを越えてくるほどの価値が、あると思うか?」
「……あると思うけど」
「だったら、見てきてくれ」
「あ、ああ」
矢倉や石垣は確かにある。追い込まれれば火炙りにでもあいそうな地形だが、逆に丘の上へ回り込まれれば、この村は丸裸も同然だった。
ただ、丸見えで挟み撃ちにあうような場所を真っ直ぐにくるような間抜けな人間は、何処にも居ないと誰もが信じていた。
「……い、急いで行ってくるよ」
「ああ、頼んだ」
何やらマンサ谷に伝わるお宝を交渉材料にするかで、議論が白熱しているようだった。価値のある〈長槍〉に〈ネックレス〉〈腕輪〉の三つらしいが、部外者の俺は蚊帳の外だった。
リウトはひとり走り、空を仰ぎ見た。月はまた隠れ、谷の向こうから黒ずんだ雲が流れるように続いている。腕や肩に受けた怪我は完治していたが、剣を握ることはままならなかった。
「はっ……はっ……」
どの道、自分に剣の腕を期待するヤツはどこにもいない。偵察に持っていくのは硬い
「はぁ……はぁ……はぁ」
坂道はじりじりと上がっていた。すぐに足の筋肉がパンパンに張った。リウトは永遠とも思えるほど続く坂道を登り続けなければならなかった。
「ふぅ……ふぅ……ひぃ」
(俺は、何故こんなことをしているのだろう?)
自分を疑りだすには充分な時間があった。自分で思いついた心配事で、勝手に自分を苦しめているだけのような……。
こんな気苦労はさっさとやめて、部屋でゆっくりとしたい。ケーシーと村長たちは今も必死に議論を繰り広げているのに。
やがて林を抜けて、立ち並ぶ岩だらけの場所へ出た。道は尚も、急になっており振りかえると、既に村と吊り橋が一望できる場所にきていた。
遠い村を見てふと、帰りたいと思った。マリッサのいる村に。議論でケーシーや皆と盛り上がり、彼女に一目置かれたかったのかもしれない。誰にも意見を聞かれない脇役には、そんなささいなことが夢物語になりうるのだ。
「!!」
その時、コロコロと砂利が落ちていった。リウトは頭の中が真っ白になって、今までで感じたことのない恐怖を感じた。追われ、赤子のように泣き叫び、自分は殺されるのだと悟った。
別に身を忍ばせて丘を登ってきたわけではない。だから、黒騎士も気付いていたはずだ。だが、連中は気付いていなかった。
「……」
冷たい汗が革鎧のしたを虫が這うように流れた。彼は黒騎士が切り立った岩の影で集まっているのを眺めていた。あちこち、二十人以上の黒革、黒兜の騎士がリウトを、囲むように立っている。
悔しくて叫び出したい気持ちになった――誰にも気づかれず、こんな場所で死ぬのかと思うと情けなくて涙がでそうになった。
息が苦しくなった。俺が最期にとんでもない馬鹿をして、わずかな希望もかなわないとは。村の皆に、ここから逃げろと伝えることも出来ないまま終わるとは。
これほどの短期間に数えきれない馬鹿をした……ダリルを置き去りにし、ローズの父親は見つけられず、アネスには騙され、助けてくれたマリッサも救えない。
岩の反対側からくぐもった声が聞こえた。驚いたことに、すぐそばの黒騎士は俺を無視して会話を始めた。
誰も、俺に気付いていなかった――。
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