第25話 森の娼館

 トムの息子はゴブリンに囲まれていた。ロザロの街へ向かう道中、産気づいたトムの妻を休ませる場所は森の奥の娼館しか無かった。


 皆がトムの妻に気を取られているうちに幼い息子は一人、森に足を踏み入れてしまった。


 三匹のゴブリンが無骨な槍を構え、少年を追い詰めていた。少年は絶望に打ちひしがれ、手を組み命乞いをした。


 恐怖でズボンを濡らしていると、何処からか人間の叫び声がした。飛び去る野鳥の鳴き声かと思ったが、違う。


「ギイィヤ! ギイィヤ!」


 森に響き渡る得体のしれない叫びに、ゴブリンたちは反応した。互いに確認しあうよう見合わせると、きびすを返して森に駆けていった。


「……」


「坊主、危うくモンスター達の夕飯になるところじゃったな」


「!!」


 トムの息子は首をのけぞらせて大木を見上げた――そこにはゴブリンに似た緑色のパンツに上半身が裸の大男がこちらを見ていた。


「……に、人間なの?」


 樫の木に大きな剣を背負って、ぶら下がっている。その姿はまったく知性を感じさせない。見たところ、白髪だらけの爺さんだったが、森で野生化したのだろうか。


「妖精のお爺さん。いまのは、声だけでゴブリンを追っ払ったの?」


「よ、妖精のお爺さんって。ああ、ギイィヤは逃げろって意味だ。練習するといい」


 白髭の大男は眉を吊り上げて少年を見た。ゆっくり大木から降りてくると、その顔を近付けて言った。


「やってみるか?」 


「うん。ギイヤ……」


「違う、ギイィヤじゃ!」年老いた大男は目を剥いて言った。


「う、うん、ギイヤ……だね」


「違うと言っているだろうが、ギイィヤじゃ!」年老いた大男は歯を剥いて、口元を指差し繰り返し言った。


「……」全く違いが判らず、少年は頭の可笑しい老人だと思った。「ギイ……ゲホッ、ゲホッ……も、もういいや」


「そりゃこっちのセリフじゃ」


「でも怪物モンスターにも言葉があるの?」


「ははは、有るとも。さあここは危険だ、さっさと行こう」

 

 遠くにゴブリンの鳴く声が聞こえる。「あれは、助けてくれって意味だ。こんなにゴブリン狩りが流行っとるとは思わなかったわい。ほれ、ギイイヤァだ。やってみるか?」


「ううん。もう、いいってば。みんな一緒に聞こえるから」


 少年はしつこい爺さんが哀れに思えた。きっと一人で生きていて話し相手もろくに居なかったのだろう。


「何事も練習じゃぞ、諦めるな。この年まで生きて誰も儂の話に耳を貸さない」そういうと野性的な妖精の爺さんは少年に別れを告げた。


「待ってよ、お爺さん。まさかゴブリンなんかを助けに行く気かい?」


「ああ、馬車いっぱいにゴブリンを載せて連れて行こうとする悪い連中がいるんじゃ。何度も逃がしてやっとるが、キリがないわい」


「僕、足を挫いちゃったみたいなんだけど」


「甘ったれおって……」爺さんは露骨に面倒だという顔をした。


「ええっ?」少年は涙目になって大男を見つめた。「置いていかないで」


「……待っていろ。ちゃんと後で助けてやるから」妖精のお爺さんは人間とは思えない速さで森に消えていった。


 少年は娼館で待っている家族ややかたあるじに、森で出会った妖精の話をしても信じてはもらえないだろうと思った。


「……」


 ましてや、森を勝手にうろついてゴブリンに襲われたなどと話したら、どんなに怒られるか知れなかった。



 森を抜けると改築されたばかりの大きな建物〈森の娼館〉が現れる。外から眺めると、アーチ型の窓枠の玄関ポーチや丸窓などが目に付き、貴族の洋館を思わせる。


 一階の広間は酒場になっており、賑やかな客の声がしていた。肉料理と酒、そして化粧品の入り混じった匂い。


 前庭は手入れが行き届いている。だが一歩でも脇道に逸れ森に足を踏み入れれば、倒れかけた柳の木や突き出した切り株によって、すぐに方向感覚を失うような閉ざされた場所だった。


〈森の娼館〉には、踵の高い靴を履き、透けたドレスを着た女たちが、酒や料理を用意して客の来るのを待っている。


 そこで適量の酒を飲むなら、大して高い金は掛からない。かえって若さと健康を取り戻すとまでいわれていた。


 だが、娼婦を買い、暴飲暴食に溺れてしまえば、あっという間に大金は消え、全てを失うと言われる場所だった。



        ※


「いやあああああああっ――痛いっ! 痛いっ! やめて! 誰か助けてえええっ!!」


 その晩、森の娼館には引き裂かれたような女の悲鳴がこだましていた。


「もう、少しよ。頑張って」


「……頭が見えた」


「オギャアアア、オギャアー」


 娼館で新たな命が産声をあげた。下の階で酒を酌み交わす男達は、安堵の顔を向けあいジョッキを持ち上げ乾杯をした。


「男の子だわ」女中の娘がドアを開けて父親になったトムに言った。


「ソフィア、君のおかげだ」トムは彼女の肩を叩いた。「君が我々を導いてくれなかったら、妻も子供も死んでいたよ」


「良かった。本当に良かった」ソフィアは新たな生命の誕生に感動していた。およそ、場違いな娼館で赤子は産まれた。


「お……おめでとうございます」神父は当惑して言った。「意外な嗜好をお持ちのようですな。ソフィア殿」

 

 一昨日――教会であった彼女は新品のドレスに金髪ブロンドをかっちりと留めていたが、目の前の彼女はまるで幼さの残る女中そのものだった。


 このやかたの主人にして〈節制の女神〉とまで謳われた女性とは到底思えない粗野な格好である。


 娼館の女中や酒場の男達は、だれ一人と文句を言わず、この出産に協力していたようだ。この世知辛い世の中で、小さな奇跡を見たような気がする。


「さあ飲もう、ソフィア様に感謝を込めて」


「こちらこそ、今日という日に立ち会えた事に感謝して!」


「「カンパイ!」」

「「カンパーイ!」」

 

 ジョッキに注がれたエールが神父の丸いテーブルにも置かれる。「店のおごりよっ」


 ソフィアと同じくらい若い女中がウエーブの掛かった黒髪を揺らし、くるくると回ってソフィアにも酒を注いでいる。


「ありがと、サマー」胸元が幅広く開いたワンピースに小さなエプロンを付けている。



「まさか、手前に赤子の洗礼をさせるために無理やり連れてきたわけではございませんな。今一つ、自分の置かれている状況がつかめそうにありません。ここは本当に、かつて〈森の娼館〉と呼ばれた場所でしょうか。改築までされた様子。鞍替えをされたのでしょうか?」


「いいえ、ラルフ神父。世の中の流れがやかたを変えたのよ。繁殖行為を娯楽に費やすほど世間に余裕がなくなってきただけのこと。こういったボランティアのほうが、窮境の市民や難民には必要でしょう。だから、あなたのような聖職者がここにいても、何のとがもありません。それと……無理やり連れてきたとは知らなかったわ」


「失礼ながら。手前の知人の浮浪者に案内されたのは、飼い犬に別の飼い主がいたような錯覚を起こさせます。手前を震え上がらせるには最高の手段と言わざる得ません」


「大げさね。何も取って食ったりはしないわ」


「貴殿を誤解していたようですな。息苦しい世の中で、人を信じる心を無くしてしまうとは、神父も失格。ともあれ、そろそろ手前を呼んだ目的を聞かせいただけませぬか?」


「賭け引きをするつもりはないのよ。私はローズさんの力になって騎士を救いたいと本気で思っているの。会わせたい人が二人いるの。一人は……今、彼が紹介してくれるわ」

 

 ゲラゲラと笑い声がする中、トムという青年がジョッキを掲げ、声を上げた。


「もうひとり、カンパイしたい人がいる。老騎士ダリル! 今日、兄貴になった俺の息子をゴブリンから助け出してくれたんだ」


 紹介された白髭の大男は立ち上がり、酒を煽った。「勇敢な老騎士にカンパイ!」


「「カンパーイ!!」」


「なるほど。あの娘、ローズ殿の依頼にはやくも、ひとつお応えになるとは」神父ラルフはにこりともせずに言った。


「しかるに、彼を勇敢な騎士と信じるほど、手前は愚かではございません。どこで何をしていたかは知りませんが、臆病者が部隊に帰還する手助けをすることなら、出来ましょう。手前が脱走兵ではないと保証すればいいのですね」


「それだけじゃないわ。ローズさんのそばに配置するよう進言して欲しいのよ」


「そのような便宜を図るのは、手前の得意とすることではございませぬが」


 ソフィアは、ロザロで流通している紙幣を神父に手渡した。ラルフは首を横に振って答えた。「これはしたり。ずいぶんと安く見られましたな」

 

 サマーの陽気なダンスに男たちが歓声をあげていた。真っ白でシミ一つない胸の谷間を見せながら、エールのジョッキを置いていく。


「店のおごりよっ! もう一杯」 


「……」神父は目配せをするソフィアの意図を理解した。「この紙幣は、彼女の胸に挟んだ方がよろしいのですかな?」


「ええ。それが、ここのルールよ」


「さようで」ラルフはそれを、彼女のブラジャーの前に挟んだ。胸に手を触れないよう注意を払って。


 更に彼は館の二階奥、一番静かな場所へ案内された。紹介したいもう一人、というのがリウト・ランドであることを期待していた。


 あるいは雷光の指輪を手にすることを。


 ベッドに寝ていたのは髭面の男だった。顔の半分は包帯に包まれていたが。そしてよく見ると全身に傷を負っていた。


 きちんと治療を受けた様子で命に別状はないようだった。ラルフは部屋に入るとすぐに善意ある行動にでた。


時間逆進術リカバーを。わずかながらクレリックとしての知識もございますれば」


 回復系の魔法にはさまざまな種類が存在する。外傷を負った部分の再生を促進させる精霊魔法フェアリーエイド。負傷者の生命力、あるいは寿命を前借りし、傷を繋ぎあわせる治療を回復魔法ヒール


 細胞レベルで怪我の時間を巻き戻す時間逆進術リカバー。中には、術者の生命力を怪我人に分け与えるものも存在するとか。


 どれも高等なレベルの魔術師か僧侶クリックでなければ扱えない代物である。


 彼の顔の包帯を取ると、ラルフは驚きを隠すように長く息を吸った。


「手間の記憶では……彼は特殊部隊シビラにいた男ですな。部隊は迷宮調査で全滅したと聞きましたが」


 この男の名は、スレイド・モリスン。特殊部隊シビラでは隋一の剣の使い手であり、二つ名は〈術師殺しのモリスン〉。幾人もの魔術師を死に追いやったといわれていた。


「ええ、運がよかったのね。起きたようね」


「うっ……ううん。そいつは、どうかな。あんたに殺されなければいいが」


「初期治療が良かったのです。はじめに精霊魔法フェアリーエイドを施されたのはソフィア殿でしょうか。モリスン殿に悪魔が憑依していない限り、死ぬことはありませぬ」


「なら、安心だ。となりに女神がついてる」


「精霊魔法を使ったのは下で働いてる女中のサマーよ。才能があるわ。それよりラルフ神父、ぜひ彼の話を聞いてくださいませ」


「傷ついた白騎士の独白となれば……だれが断れましょうか。やむをえませんな」





 

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