第20話 カタコンベ
三人は、整然とした本棚のように積み上げられたミイラの脇をすり抜けるように進んで行った。そのミイラは古代王国の
ついに古代迷宮の最深部にたどり着いたリウトは、レンギル魔法大学の同輩であるはずのアネスを別人ではないかと疑っていた。
※
最深部では急激に気温がさがって、吐く息が白くなるのを感じ、奥歯がなった。
部屋を通るたびに衛兵のように立ち尽くしたミイラがおり、それらが動き出すのではないかと不安になった。
彼らはみなボロボロになった法衣や武具、錆び付いた武器や宝石、金貨、宝珠を持っていた。だが、すべてが簡単には奪えないよう魔法封印がなされている。
ローズは仕事に取りかかる時がきたと思ったようだ。「お目当てのお宝はどこ? 見た感じ、どれもかなりのお宝だと思うけど」
「いや、本命はここにはない」アネスが止める。「まだそのツイングラスダガーのほうがマシだ」
「……ふうん」
自分専用のダガーを誉められ、いい気分のようだ。まだ使い方も魔法付加された
「歴史的な価値は認めるけど、わざわざ時間をかけて解印するのも苦労するわね。まったく全部が封印されてるなんて、古代の王族って本当に用心深いのね」
「うむ」俺は応えた。「魔術の歴史は、封印術の歴史だからな」
「どうして?」
「例えばマグネティアっていう魔術。中性子の超速自転を利用して強烈な磁場を作る。 爆発的なエネルギーを放出して脳や心臓を動かしている神経の電気信号を破壊する。まあ、そんな危なっかしい魔術は封印しなきゃならないんだ。地上にいる全生命体が一瞬で滅亡しちまったら、敵も味方もないだろ」
「――じゃあ、ふ、封印術を発展させなかったら魔術は人間が使える代物じゃない。そういうことなのね」
「ああ、もっとも……正確なことは誰にも解らない。魔法は矛盾だらけだから」
俺はそう言いながらアネスのことを思い出していた。論文のこと、卒業式の日のこと。
何かアネスが本人だという確証を得られる決定的な出来事はなかっただろうか。本人かどうか……この場で問いただすことは出来ない。それはあまりにも危険だった。
「腹が減ったな。教えてくれよアネス。昔、ある大魔術師が五千の難民の腹をたった五つのパンと魚を使って満たしたって話」俺は自然を装ってアネスを見た。
「聖書か何かで読んだ気がするわ」
ローズには言ってない。アネスは口をずっと閉ざしたまま、ゆっくりと歩いている。彼女の論文のテーマは封印された禁忌の〈無限増殖魔法〉だったはずだ。
「……」
死んだ者に対する敬意ともとれる沈黙。同じ大学で学び、自分が書いた論文のことなら答えられて当然のはずだ。
「解らないのか?」
「失われた魔法になど興味はない」
解らないはずはない。あの論文はアネス本人が提出し、物議をかもしだした問題作だったからだ。答えられないなら、アネスの名を語る別の存在に入れかわっているとしか思えない。
レンギル魔法大学。そこに入ればありとあらゆる世界の神秘に触れられると思っていた。複雑なエレメントや魔術体系、生命の謎や進化の歴史。神仙術や、呪術、隠形術、禁呪、確かに図書館にはそれだけの蔵書が並んでいた。
だが、現実は違った。実戦で役にたつことを体で覚えることが最重要課題だった。やることといったら魔法弓と魔法盾をいかに素早く生み出すかの訓練ばかり。エレメントや属性なんてのは二の次だ。
その後は
いっそ、大学なんて呼ばずアロー&グラス特訓所に名前を変えたほうが、期待せずに済む。
「答えろよ。アネス・ベルツァーノ」
「ふん。
「まっ、待てよ。何かが抜けてる気がする」答えの分かる質問をするべきだった――。
「抜けているのはお前の頭だ」アネスは蔑んだ目で睨み付けた。
「もっとも、魔術が使えなかったよな。お前がつかえるのは子供でも出来るマジック・ハンド(※握手をするときに手をダミーの木片に変える術)とマジック・フロート(水遊びに使う浮き輪をだす術)だけだったな。無駄話は終わりにしてくれ」
「……」
卒業式の日のことだ。卒業証書とアルバムを配る受付に彼女はいた。生徒たちが回ってきたアルバムにメッセージを書きあっていた。
字の書けなかった俺に、何人かの卒業生がメッセージを書いてやるといってきた。アネスは地味な受付役をしていた。
最後には笑っていた生徒たちも、優しさをみせてくれたと思った。楽しみに手元に戻ったアルバムを見て、俺は立ち尽くしていた――。
母さんに渡すはずだった俺のアルバムには酷い落書きがされていた。顔写真のまわりには、『大馬鹿リウト!』『究極の無能!』『僕は字が書けません!』。
名簿の空欄には『奇人変人』『大学きっての恥さらし!』『特例中の特例で卒業』と様々な筆跡で、殴り書きされていた。
怒鳴る気力もなかった。誰かに腹を立てたわけでもなかった。ただ、また母さんが傷つくと思うと胸が苦しかった。
こんなものを見たら、母さんはどう思うだろうか。卒業式でも泣いていたのに、追い打ちをかける必要はない。
俺は黙って卒業アルバムをゴミ箱に捨てた。それを拾ってくれたのは、確かにアネスだった。彼女を覚えていた。
学生たちののくすくす笑いの中、そっと俺の手に戻してくれたアルバム。
『落書き、ぜんぶ消してあるよ』
短く礼を言った。するとアネスは『気にしないで』と言った。アルバムのコメントには、小さく『写真だと髪が少し茶色くみえるね。あまり、お話できなかったけど頑張って』とだけ、書いてあった。
あんな地味なアネスが、クラス一目立たないタイプの彼女が今――こうも変わってしまうだろうか。
今更そんな惨めな思い出を掘り出すのは嫌な気分だったし、覚えていないといわれたところで、無理もないと思った。
アーチの門をくぐり抜けると見通しのいい
また小さな薄暗い発光体が無数に浮かび上がると、連なって部屋の上に飛んで行った。
「ここが王家の部屋だ」アネスは部屋の中央に備えられた小箱に、指をさした。
「ローズ」俺は彼女の肩を叩いて言った。「お前の出番はないな」まっすぐミノタウロスの鍵を取り出すと、部屋の中央に固定された宝箱に向かって駆け出した。
「高級感のある小箱だ」持っていた鍵はピッタリと箱に収まった。アネスとローズは、両脇から小さな箱が開くのを見守った。
鍵をゆっくりと回した。
カチャリ――開いた箱を覗き込む。そこには赤いベロア調の生地のうえに三つの指輪が並べられていた。
「綺麗……赤、青、黄色だね」ローズは宝珠の価値を感じたのか、息を飲むように言った。
「火炎の指輪、氷晶の指輪、雷光の指輪か」手を伸ばそうとするアネスを遮るようにして俺は言った。「待て、ここは一人一つずつ持っていこうじゃないか」
「ちっ」アネスは小声で毒づいた。「どうしてお前が決める? 私は
「部隊は全滅した。俺は誰も信用しない。もちろん魔女様は一番信用できない、ラッキーカラーの黄色を貰おう!」
「騎士宿舎のミルコは何と言うだろうな」
「ローズ」俺はにやりと笑った。「お前は赤を持って行け。なくすんじゃないぞ」
ズズズズズズズ………ズズ。
三人が指輪を取り出すと同時に部屋中で何かが蠢く音がした。武器を構える鋭い音も。
「!?」
ツンと鼻を刺す初めて嗅ぐ異臭が四方から俺たちを包んだ。三人は身を固くすると、膝をまげて腰を浮かした姿勢をとった。
おびただしい数の足音。俺は悪夢を見ているのかと思った。冷や汗が吹き出すより早く体が勝手にショート・ソードを抜いていた。
白骨化した死者の
トラップを意識せず鍵を回したのは俺のミスだった。後悔の念を抑えながらも、勇気を搾りだし剣を握りしめた。
今度こそ、助からない。そんな考えがよぎった。だが、ここまで来たんだ。何がなんでも、ローズを守る。
大魔術師と呼んでくれた。卒業式に傷ついた母の話を聞いて泣いてくれた。俺の涙を拭ってくれ、妹を愛していると気付かせてくれた。
少女は俺の空っぽの頭をいっぱいにしてくれた。それは『心』だった。何よりも、命に代えても守るべき、温かく眩しい、胸に溢れるほどの『心』そのものだった。
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