第21話 亡霊の騎士

 ボロボロの布と鉄の鎧を纏った亡霊騎士ワイトは、ハンドアックスや鋼鉄の剣を携え、ヨタヨタと三人に向かって近づいていた。


 リウトは剣を抜きながら敵を数えた。右に五体、左に六体――来た通路には百体にも及ぶ死者達がこちらを見て並んでいた。


「アネス!」リウトは既に走り出していた。「左右の亡霊騎士ワイトを何とかしろ。俺は部屋の入り口を押さえる。ローズは出口を探せ」


 頭を下げて剣をかわすと同時に歩く骸骨の肩を掴み、後ろを向かせると尾骨のあたりを蹴り飛ばした。


 扉の前で亡霊騎士はバラバラに崩れ、うようよと密集していた何体かの死者が扉の後ろに押し出された。


 広間に続いた入り口はアーチ状の通路ひとつだけだ。ここから同時に攻撃にくる亡霊騎士には限度がある。


 今は時間を稼ぐしかない。

 

 剣と剣がかち合う音が響くと、ローズの緊張感は一気に高まった。暗闇に閃光が走る。


 アネスが両手から放った魔法弓マジックアローは亡霊騎士の胴体をすり抜けた。


 魔術攻撃との相性は最悪の結果を招いたようだ。亡霊騎士はローズに剣を降り下ろした。


 寸前でかわしたローズはバランスを崩し剥き出しの頭蓋骨と体が密着した。実体のある亡霊に触れるとローズは少しずつ冷静さを取り戻した。


「足を使え、ローズ」リウトの声が響き渡る。「左のダガーはスピードだ。威嚇にも使え。引き手を素早く!」


 言われるままに、ローズはミノタウロスと戦ったリウトの足の動きを真似てグラス・ダガーを振った。


 シュッ……シュッ……という小気味良い風切り音が鳴る。左手のダガーを骸骨の目線におよがせると、亡霊騎士は目前のダガーにしっかりと反応しているのが分かった。


「そうだ。ナイフの基本は動きを止めないこと。そして相手より先に主導権を取ることだ。教本の受け売りだけど」


 まるで見えているかのような指示だったが、リウト自身も他の亡霊騎士と格闘していた。


「右は最後の一撃か方向転換ターンに使うんだ。やってみろ!」


 ローズは踊るように剣をかわすとクルリとターンをして亡霊騎士の首にダガーを刺した。


 ダガーは小さく〝シュッ〟とだけ音をたてた。陰鬱な地下の墓場に、まったく別の世界から、さわやかな草原グラス・ウインドが吹き込んだようだ。


 少しだけ間隔を空けてから……ゆっくりと亡霊騎士の頭部は胴体から落ちていく。僅かに加速化ヘイストが発動していた。


「……やったわ!」


 リウトと女魔術師は笑いたくなった。二人が笑ったのは、この極限に近い状況で恐れずやってのけた、この少女の不思議な大胆さと対応の早さに対してだった。


 風の属性を付加された武器ダガーは、瞬間的に使用者の素早さを上げるという。


 多くのナイフ使いは、その効果を発動させる手段として視覚以上に聴覚を重視している。


 ローズは無意識に風切り音を鳴らして、亡霊騎士の注意を引き、加速したダガーでクビを切断してみせた。


 その行為は、必死に戦う少女をよそに、見ている二人に微笑みと余裕をうんだ。



 今度は冷気を帯びた衝撃音が響いた。それは何体かの亡霊騎士が破裂する音だった。


「どいてな!」アネスは青く光る氷晶の指輪を使っていた。指輪からの冷気を纏い、亡霊騎士に殴りかかっていた。


 一瞬にして凍り付いた亡霊騎士は僅かな衝撃で粉々に弾けとんだのだ。


「いつまでも魔力は持たない」アネスの必死の声が聞こえた。「解封師なら、部屋の奥に抜け穴か、排気口がないか見てくれ」


 ローズは死者の群れをかわし、部屋の奥に向かった。僅かな水の音が聞こえる。


 迷宮と言っても水や食料を通す道くらいは存在するはずだ。また時間との戦いだった。どこを探すのか、もっとも効率的な方法は。

 

 ローズは一番冷たい石壁に耳を付けた。ポタポタとする水の音は……井戸とつながっている狭い水路が真上に延びている証拠だ。


「アネスさん、この場所を打ち砕いて」


「よし!」


 すかさず魔法弓が石壁に当たり火花を散らす。ひびの入った石をローズは両手を使って引っ張りだした。


 細かい石が手のひらに食い込んで出血するが、気にしてはいられない。小さい穴の向こうに光が見えた。


「こっち」ローズは体をねじ込んで石の壁に潜り込んだ。「梯子はしごだわ。アネス、リウト。縦穴に梯子がある!」


「先に行け」リウトが叫んだ。


「まだ穴が小さ過ぎる。ふたりが通れないわ。アネス、もう一度、お願い」


「おう」アネスの持つ氷晶の指輪は、薄青く輝いている。「いっけええぇ!」


 無数の氷晶が石壁に打ち付けられ、壁の穴が広がっていく。やっと大人が一人通れる位の穴が開いた。


 言われるままに暗闇に伸びている長い梯子に飛びつき、落ちないように力いっぱい掴んだ。上も、下もどこまで続いているかわからない冷たい梯子だった。


 どこから来て、どこへ向かっているのか分からない鉄製の梯子が暗闇に伸びていた。


「はあ……はあ……」ローズは汗だくになって井戸の中の梯子を登った。


「んっく……」自分の血で、何度も足を滑らせては必死に梯子を掴んだ。とにかく、上がれるだけ。


 一番上へたどり着けば、リウトたちを救う算段がつくはずだと信じ、必死に腕を上げ続ける。自分の腕ではないような震えがおき、痺れがおそうたびに、くじけてはいけないと自分に言い聞かせた。


「リウト、アネスさん。はやく梯子にきて。私の後に登ってきて!」


 生暖かい風が吹き込んでくる。出口は見えないが、道はある。


        



 リウトの剣が折れた。すかさず降り下ろされた亡霊騎士ワイトの斧を流れるように側転でかわした。だが死者の斧は彼の肩をえぐり取っていた。立ち上がった瞬間には別の鉄剣を手にしていた。


「はぁ……はぁ……いい所に落ちていた」リウトは上下に剣を振り亡霊騎士を薙ぎはらった。バチッバチッと剣を持つ手からは放電で生じる音がしていた。


 魔術を使おうとしても魔法数列は組めない。雷光の指輪を使おうとすれば己の腕に反転し、焼けるような激痛が走るだけだった。


 バチン……パチッ……。


(気でも狂ったか。無駄に魔力を消費して、まともな意識とは思えない)


 それでも激しく亡霊騎士に挑む彼を見て、アネスは助からないと思った。亡霊騎士は、死の匂いを嗅ぎつけたようにリウト目掛けてを押し寄せてくる。


(おかげで、こっちは助かるが――)



 血と鉄の味が口いっぱいに広がった。妹に付けられた傷口から、あの時と同じ血の味がした。肩の傷がズキズキとうずいた。攻撃は感知できても、回避し続ける体力がもう残っていない。


 脱水と酸欠により意識が朦朧としていた。興奮状態のリウトは、あの日の貴族のダンス・パーティーを思い浮かべ可笑しくなった。


 音楽が鳴り始めると、妹のソフィアはまっすぐリウトのそばに歩み寄り、手を握って頬を赤くした。


『お兄ちゃん、練習なんだけど一緒に踊ってくれる?』


 ソフィアが、人生で一番幸せそうな笑顔を見せてダンスに誘ってきた夜だ。透明なショールをはおり、手には白い扇子を持っていた。


 踊って暑くなったら扇いでくれるのかと聞いた。『違うわ、笑うときとか顔をかくす為に使うのよ』と言った。


 そんなことの為に使うのか……高い買い物だと笑った。そんなモノで笑顔を隠す必要なんてないんだ。俺は、おまえの笑顔が見たいんだから。

 

 いつだって、いつまでだって、ずっと見ていたいんだから――そう思ったんだ。


『お兄ちゃん、勘違いしないでよね。練習なんだからね』

「はぁ……はぁ……はぁ」


「リウト! 早く来い」女魔術師の甲高い声が遠くに響いている。


『お兄ちゃん、ごめんね。いっつもいっつも練習に付き合わせちゃって』

「はぁ……はぁ……」


「どうした、リウト。急げ! 亀裂の入った床が崩れ始めているぞ」



 アネスは梯子に手をかけたまま叫び続けていた。リウトが足をもつれさせながら必死に梯子へ向かってくるのを待った。


 亡霊騎士たちは塊になって重さを増している。動き回る亡霊と、固まっている亡霊の違いはなんだ……アネスは見た。


「!?」


(磁気を帯びている……鉄の甲冑と剣が張り付いたように、固まっている。


 リウトは戦いながら、雷光の指輪をつかって強力な磁石を作ったのか。


 いや、鉄剣と銅の籠手があっても原理的に何か足りないはず。絶縁体は、血液を術式変化させたか?)


「偶然か。馬鹿のお前に、魔法数列の組めないお前に、そんなことが出来るものか」


 石壁を抜けると同時に壁は崩れ、床が抜けた。何十体もの亡霊騎士が石に潰されながら井戸の底深くガラガラと音をたて崩れ落ちていく。


『お兄ちゃん、練習なんてウソよ。本当はお兄ちゃんと踊りたかったんだもん』

「はぁ……はぁ……」


 梯子まで駆け寄り、飛び付いたリウトはアネスの手を掴んだ。


「手を離すなよ」瓦礫が崩れ、梯子だけが中に浮いているようだった。「間一髪だったな」アネスは言った。リウトの右手には黄色い指輪が輝いていた。



『ああ、うるわしのソフィア――』



「……っ!」



 アネスが持っていたのは、リウトの右手だけだった。手首から先はスッパリとナイフで切り落とされていた。息を整えたアネスは、冷や汗を拭った。


 魔女は暗闇でほくそ笑んでいた。


 氷晶の魔術攻撃と亡霊騎士の大群が一気に押し寄せたことで、老朽化した石床は崩壊していった。この暗闇深くに落ちていたら、自分とて、まず助からなかっただろう。


 ゆっくりとナイフを鞘に収めると『手』から指輪を抜き取ろうと爪をたてた。


(マジック・ハンド……だと)


 木片と化した『手』を真下の闇の中へ放り投げ、アネスは叫んだ。「リウトオオオオオオッ!! くっそおおおおおおっ!!」


「あ、アネスさん」梯子の上からはローズの声が聞こえた。震えるような不安の入り混じった声だった。


「リウトが」アネスは我に返ったように応えた。


「……リウトが落ちた」


 




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