第19話 ミノタウロス

 ローズは慌ててベルトからグラスダガーを一本抜いた。暗闇に身長二メートルはある大きなモンスターが迫っている。ローズの心臓は恐怖で跳ね上がり、髪が逆立った。


「お前は、隠れていろ!」


 走りながらローズは黒いシルエットを見た。四つ足の猛獣が巨大な二本の角を携え、リウト目がけて突進してきた。


〈パゴ・ダンス〉


 あの日のパーティー。兄妹の独特なダンスを見たものは、皆が腹を抱え体をくの字に曲げて笑った。生まれ育ったパーゴ村では当たり前のように、この足さばきを覚える。


 二人一組の舞踊だ。ソフィアにせがまれ、嫌というほど踊ったことを思い出す。


「ハハッ! 当たるもんかっ」リウトは寸前で角をかわし、クルリと剣をまわした。頭の中で何かがリンクした。


 賢者の石によって一瞬だけ開花した回避能力とパーゴ村の舞踊による足さばき。陽気なダンスで運気をあげろと言ったシャイアの言葉。

 

「こっちだ!」


 リウトは器用にぎりぎりで身をひるがえす。同時に剣をまわしミノタウロスの後頭部に攻撃を加える。


(よ、避け専のはずの俺が攻撃してるっ?)


 怒り狂った猛牛は角を振り回し、次の攻撃の隙を与えない。ローズは地下の迷宮で感じる地鳴りと反響する雄叫びに混乱していた。


「駄目だわ。ほとんど致命傷ダメージになってない」


 ローズはグラス・ダガーを思い切り振ってみた。未だにコツは掴みきれていない。


「……」


 もう一度。空を切る風の音に意識を集中すれば、肉体の加速化ヘイストは出来ないまでも、僅かに思考速度をあげることが出来る。


「……」


 ヴヴヴ……ヴウウ……モモ……モ………。


 見える。突進するミノタウロスが、ゆっくりと動いている。視覚と聴覚、思考能力だけは加速化することが出来たようだ。


 冷静に……周りを見てみよう。足元には岩鼠ストームロックが這っていたが、思ったよりずっと数は少ない。


 先発隊が、通路へ引き返し一匹づつでも片付けてくれた結果だった。硬い表皮につまずけば一瞬で猛牛の餌食になる。


 手練れが二人も殺られているのは当然と言えた。鼠と猛牛の組み合わせは神殿に祭られるほどの最強のコンビだった。


(この連携を、崩すことが出来れば――シャイアが見せた精霊魔法と同じことが岩鼠にも起きているはずだわ。どこからか操られている。それは石板か、宝珠か……)


「ミ、ミノタウロスの首に!」


 リウトは流れる舞踊のように動きを止めず、これをかわし続けた。本人は認識していないようだが、おそらくは戦闘用に組み立てられた武術舞踊なのだろう。


 だが、あまりにも個体差が大きい……このままでは彼が危ないと思った。


「リウト!」地鳴りの間に、角と剣がぶつかる音が響く。「そいつの首の鎖。宝珠が架かってる。それを、それを破壊して!!」


「ハッ……ハッ……あれか」


 ゴブリンの槍を交わした時の感覚が残っていた。二本の槍と、二本の角。


 動きと大きさの違いはあるが、平行に突進してくる角をかわす方がよほど難易度は低い。くらえば一撃アウトではあるが、不思議と恐怖心は無かった。


 感覚を研ぎ澄ませば、猛牛の単純な攻撃は簡単に感知できた。回避の感覚とパーゴ村のダンスが、まるでパズルを組み合わせたように一致した感覚だった。


 最小限の回避と最大限の攻撃。単純な強さでは圧倒的に不利な戦いに見えるが、勝敗の基準はそこにはない。


 左右に振り回される角を器用にかわしながら、細かく剣を滑り込ませる。狙うのは首に架かっている宝珠だ。


「くっ、届かないか」


 するどい角が空を切るたびに胃が持ち上がるような戦慄が広がる。逃げることは出来ない。粘り強く、緻密な攻撃をしなければ。


「ふうっ。最後に勝つのは集中力を切らさない臆病者だって言ってたな。こういうことか」


 少しずつ、互いの動きが鈍くなってきたように思えた。「やってやる!」

 

 ブモモモモオオオ――――……


「こ、ここだ!!」彼は岩鼠を足場にジャンプすると体を器用に捻り、ショートソードで鎖を断ち切った。


「はぁ……はぁ……はぁ」


 息が持たない。またゲロを吐きそうだった。ローズが駆け寄り、鎖のついた宝珠を掴み取るのが見えた。

 

(だ、駄目だ。いくら攻撃が読めても体力が持たない。もう、もう動けない……)


 リウトが絶望しかけたとき、何かが暗闇を走る音がした――すれ違うようにローズの目の前を赤い光が通過したかと思うと、ミノタウロスを包み込んだ。


「ま、魔術!?」

 

 ブモモモモオオオ――――……


 真っ赤な光に雄叫びを上げたミノタウロスはリウトに向かって狂ったように突進を始める。岩鼠を蹴散らしながら、潰れた死骸にひづめを取られながら。


 巨大な角は大きく傾き、凄まじい勢いで壁に激突していった。リウトは一歩も動けずに、走り過ぎる猛牛を目で追った。


「……!?」


 既にローズは宝珠を破壊していた。岩鼠との連携を崩した猛牛は、方向感覚を失って壁に頭部から突っ込んだ。


 更には三半規管への魔術攻撃。平衡感覚を狂わす何者かの補助魔法。完全に麻痺した猛牛は、硬い石壁へ自身の角を食い込ませている。


「!!」


 リウトはミノタウロスに飛びつき、鋭い剣をこめかみに差し込んだ。ドバドバと黒い血が床に流れ落ち、腕には熱い感触が残った。


「ハア……ハア……か、可哀想だけど、悪く思わないでくれ。こんな地下深くでいつまでも生きてるほうが、よっぽど地獄だろ?」


 猛牛はビクビクと身体を震わせながらリウトの言葉を聞いていた。鼻を鳴らす呼吸が短くなっていくのが分かる。


「し、死んだ……殺っちまった」


 リウトはゆっくりと立ち上がった。ローズが松明を掲げると、女の白く長い素脚がこちらに近づいてくるのが分かった。


「あ、貴方は……あの時の魔法使い?」


 以前、自分とリウトを脱走犯と決めつけた妖艶な目つきの魔女だった。白かったローブは薄汚れ、所々ほつれていた。


「あの時の解封師か?」


 松明が消える寸前に、魔女の手から魔術照明マジックランタンの薄暗い光が無数に灯った。部屋の全体が薄っすらと浮かび上がり何匹かの岩鼠が引き上げていくのが見えた。


「アネス・ベルツァーノ。あんたなのか?」


「ああ、そうだ。お前は……本当に騎士になったとはな、〈運び屋のリウト〉。貴様がこの子供を連れてきたことにも驚きだよ。他の騎士はどうなった?」


「二人だけでここまで来たんだ。それに、子供じゃない。立派な解封師だ」リウトは他に仲間がいないのか確かめながら言った。


「ああ……見てのとおり私ひとりだ。白騎士は全滅した。そこに潰された死体が転がっているが、確かめたいなら確かめろ」


「団長直属の特殊部隊〈シビラ〉があっさり全滅とは、聞いて呆れるな。隊長はどうなった。あんたがリーダーってわけでもないだろ」


「ふん、私が隊を任されている。リーダーは私だ。何か不満でもあるのか」


「……」


 命令しなれた立場にいれば、人間はどんな状況でも自信を持った態度でいられるのだろうか、とリウトは思った。魔女はツンと尖った胸のふくらみを彼に向かって突き出した。


「喜ぶがいい、褒めてやる。初めから貴様らのような腕のたつ解封師と白騎士がいれば、全員助かったかもしれん」


「頭の切れるリーダーが、だろ?」


「ふん、まだ悪態をつくか。欲しがりおって、分かった。数日前はすまなかった。詫びよう、それで駄目なら、私を好きにするがいい」


「……持っている食料と水。時間逆進術リカバーを頼む」


「使えるのは回復魔法ヒールまでだ」


 リウトは顔をそらして剣を収めた。ローズが傍らにいなければ、この胸に視線を吸い寄せられていたかもしれない。魔女のとりこになってのぼせ上っていたかもしれない。


 さっきだって自分だけなら確実に逃げていた。あんな猛獣に向かっていけたのは、賢者の石が回避能力を開花させたからじゃない。


 馬鹿のレッテルを剥がしてくれた少女を守りたいと、本気で感じていたからだ。仲間を平気で見殺しにする魔女に誘惑されたとて、誰が信用するものか。


(そもそも、こいつ。俺の知っているアネスなのか。大学で会話をしたことは無いが――もっとこう、気弱で大人しい感じだった)


「で? この先はどうなっているんだ。生き延びた魔女様は、とっくに一人だけお宝探しに行ってたんだろ」


「否定はしないぞ、それが任務だからな。この先は貴族どもの墓〈カタコンベ〉だ。山ほどの死体が安置されている」


「お宝はあったのか?」


「ああ、少し厄介な鍵がついている」


「待って。ミノタウロスの宝珠を壊したら、中に鍵が入っていたみたい」ローズはほんの小さな鍵を手のひらで二人に見せた。


「……何かを守っていたみたい」


「ははっ。そう来ると思ったぜ!」リウトはアネスより先に鍵を受け取ると、微笑んで言った。


「墓荒らしと行こう――」


         






 

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