第18話 麗しのソフィア

 旧ロザロの地下迷宮。先発の部隊に合流すべく地下へと足を踏み入れたリウトとローズ。沈黙を破ったのはローズの方だった。


「こんなに頼りになるとは思わなかった」


「馬鹿は信用できるんだ。お利巧さんは裏切るけど、馬鹿は裏切らないからな」


「ふうん。でも剣を使うのは得意じゃないんでしょ?」


「上手く使えないんだ」


 リウトは銅製籠手ブロンズバックルを器用に外すと腕をまくって見せた。手首から肘にかけて真っすぐに傷跡がある。


「ごめんなさい。知らなかったから」


「いいよ。どういうわけか以前に比べりゃ使えるようになったんだ。あの石のおかげか、シャイアの精霊魔法のおかげか分からないけど」


「どうして怪我を負ったのか話してくれる? よかったらだけど」


「ああ――そうだな。気分転換くらいにはなるか。話す代わりにさ、手紙を書いてくれないかな。妹がいるんだ」


「うん。もちろん」


「年の近い妹なんだけどさ。つり上がった目付きをしていて……まあ、少し特徴のある顔つきというか。決して美人とは言えない顔だ。街では女狐めぎつねなんて呼ばれていた」


 どこまでも続く迷宮のなかで彼はゆっくりと話し始めた。ぎこちなく、悲しげだった。


「本当の名前は、ソフィアだと聞くと誰もが笑った。妹は俺よりたちが悪い人間だった。


 自分が醜いなんて信じなかった。俺は妹を馬鹿にした男たちを、片っ端から殴り倒さなきゃならなかった。

 

 やかましく泣く妹の声は聴いていられないからな。今思えば昔は喧嘩ばかりしてたよ。そして村で妹を女狐と呼ぶ者は居なくなった。最後には、ついに〈うるわしのソフィア〉と呼ばれた」


「勝ったのね」


「ああ。勝ちまくってた。で、ある日、妹と俺は貴族のパーティーに招待された。名前が知れわたったおかげさ。誰でも美しい名前の娘はパーティーに招待されるんだ」


 リウトは足を止め、ブーツの紐を結び直した。松明が降ろされると、先の暗闇が一層と広がるようでローズの体は身震いをした。


「まだ十一歳か、そこいらで産まれて初めてのパーティーだった。ソフィアは何ヵ月も前から楽しみにしていた。だから、毎日ダンスのレッスンに付き合わされるはめになった」


「リウトがダンスを? 見てみたいわ」


「多分、想像してるようなダンスじゃない」恥ずかしそうに頭を掻いて言う。


「馬鹿だったからさ、パーゴ村の民族舞踊を練習していた。ははは、伝統的だけど独特なステップなんだよな。あの村にしかないやつでパゴ・ダンスっていうんだ。可笑しいだろ?」


「あ、あら、そうなの。〈かくれんぼ祭り〉よりはインパクトないから大丈夫よ」


「大丈夫かぁ、良かった」


「うふふっ。そんなことより、続きは?」


「うむ。パーティーで貴族どもは『麗しのソフィア、私の求婚を受けてくださいますね』『いや、求婚を受けて貰うのは私だ』と妹に言い寄った。妹は幸せそうに俺を見ていたよ」


「ずいぶんと、ませていたのね。でもまあ女の子はパーティーで着飾ると別人になるものね。それに、呼び名が変わるだけで印象なんて違ってしまうのかも」


「いいや――どうかな。俺はいいと思ったけど。見た目なんて変わらないさ。その後に待っていたのは貴族のガキどもの忍び笑いだった」


「……」ローズは眉をひそめた。


「段々と笑い声は大きくなった。最後にはハッキリと連中の言葉が聞こえた。あんな醜い顔をした女が、〈麗しのソフィア〉だとは驚きだとな。どれだけブスを集めても、妹はとびぬけて醜い顔をしていると言っていた」


「ひ、ひどい」


「連中にとって、あの求婚はほんの遊び。狐狩りという名のゲームだったんだ。忍び笑いはいつの間にか大笑いになった」


「そんな。なんて男達なの」


「ソフィアは戸惑った顔をしていたよ。だから、いつものようにくずどもを殴り倒さなきゃならないと思って、俺は立ち上がった」 


「……」ローズはゴクリと唾を飲んだ。


「すると、どうなった。ソフィアは護衛の騎士から短剣を奪って俺に斬りかかってきやがった。酷い形相で俺に叫んだ。


『全部お前のせいだ! お前が私の悪口を言う人間を片っ端から打ち倒してきたおかげで、私は今の今まで自分が醜いなんて信じなかったんだから!!』ってね……」


 しばらく黙ったまま、リウトは自分の腕の傷をなぞるように指した。


「腕を切りつけられたのは、その時だ」


 リウトは彼女が笑うだろうと思って顔を覗き込んだ。誘い笑いをしようと、ひきつったような声をだした。


「はっ、はははっ、可笑しいだろ。いまだに意味が分からねぇよ。ここは笑う所なんだけど、せっかく可笑しい話で、この場を明るくしてやろうと思ったけど、お前にはまだ分からない話だったか。どこが面白いかと言うとな、ソフィアは――」


かばったのよ」


「うん……なんだって?」


「分からないの!? 貴方をかばったんだわ」


「いやいや、妹はそんな性格たまじゃなかった。だって大怪我だったんだぜ、骨が見えちまうくらいの切り傷だった」


「貴族の子供相手に、暴行をはたらいたら死刑になるのよ。だから止めたのよ」


「いいや、俺は」彼は手で顔の汗を拭った。先ほどとはうってかわり、真剣な顔をして足元をじっと見た。「……」


 真剣な表情の彼に向かって、これ以上馬鹿と言うのは酷だと感じた。風変わりな田舎の村で育った彼が、世間知らずだったのは仕方のないことかもしれない。


「俺は、なんだって構わなかった。だって俺はどこまでだって逃げられるんだ。〈かくれんぼ〉の名人なんだから」


 ローズは彼の妹がどうなったか聞いていた。娼館に売られた妹がいると。だが、その後の話は聞けなかった。貴族の祝宴で暴行を起こせば、永久追放か死刑と相場は決まっている。


 少女は思った。彼は本当に間違っていたのだろうか。優しさが、間違っていたなんてことがあるのだろうか。


「妹さんを……愛していたのね」


「愛していただって? 俺はただ妹を傷つけたくなかっただけなんだ」


「ほら、やっぱり」


「そうか。愛っていうのか」リウトは妹の人生を思い鼻で笑った。「なんてこった」


「……」妹さんも、きっとリウトを愛していたとローズは思った。


 彼は白騎士たちに、こう呼ばれていた。劣等生、怠け者、影の薄い存在、卑怯者、逃げ足だけの頼りにならない男、騎士としては役立たずの単なる運び屋と。


 リウトは幼い頃からずっと、愛する人の為に多くの敵を作って来た。そして多くの心ない言葉で自信を失ってきたのだ。


 不器用なままで、妹の気持ちも分からないまま大人になってしまった。自分の感情すら分からないまま。


 誰よりも愛を持っているにも関わらず。この世界では、素晴らしい心を持っていることは何よりも尊いことだとローズは知っていた。


 少女はそんなリウトを、決して馬鹿だとは思わなかった。それでも他の誰かが彼を馬鹿だというなら、絶対に許さないと思った。

 

 迷宮は何処までも長く、深く続いている。何度となく落とし穴や、魔法弓、トラップが仕掛けてあった。


 地面に散った砂やほこり、先発隊の足跡、わずかながらの痕跡を見つけながら、二人は慎重に最深部へと近づいて行った。


 更に数時間後――。


「うっ……」


 大型犬ほどの大きさもある岩鼠ストームロックの死骸が壁に沿って並べられている。ローズは口に手をあて、そこにしばらく立っていた。


 戦闘の痕跡は初めてだった。死骸は二十、三十匹と続いている。


「先発隊は派手にやりあったみたいだな。騎士たちは無事のようだ、一匹残らず死んでる」


「どうした? 大丈夫だよ、びびったか」


 左右に松明を振ってみせるが、生きている岩鼠の気配はなかった。ローズはおそるおそる、その死骸に触れ、観察した。


「その岩みたいな茶色い表皮は、まともに斬れないんだ。ひび割れに剣を突き刺して倒すのが、攻略法だってさ、受け売りだけど。あと、口の中をみてみろよ」


 緑色の口に牙は無く、濡れた研ぎ石のような黒い塊が見えた。


「変わってるだろ。蠕動ぜんどうして、固い昆虫とか草を磨り潰すんだ。食らい付いたら離さない。だけど、騎士を攻撃するには向いてないよな。俺なら勝てない相手からは全力で逃げるけど」


 その疑問にわずかな魔力を察知した解封師が応える。「侵入者を襲うように操られているんだと思う。魔力を帯びているわ」


 解封師は微弱に滞留していた魔力を感じ取ることが出来た。生態系の底辺で、醜くかよわく死んでいる岩鼠たちが哀れにも思えた。

 

「魔力の痕跡は魔法を使う側の人間にも残るわ。もしかしたら、私たち人間もこの鼠たちと同じかもしれないわね」


「人間も何者かに操られているのか。大学の書物で読んだことがある。魔力が無くならない限り、人は戦争をやめられないって説だ」


「はっ……」ローズは目を疑った。「血が壁にかかってるわ」目で追うと、またもや騎士の死体があった。倒れていたのは二人。


「し、死んでいるわ。まだ温かい」


 壁にこびり付いたまだらの血痕、むせかえるような悪臭がした廊下を過ぎ、二人は更に奥へと歩を進める。


 大きな剣で突き刺されたような傷痕。いや、剣というよりは騎士が馬上で使う太い槍でもなければ、肉体にこんな大穴はあかない。


 石の廊下は広々とした細長い部屋ギャラリーに出たが、死体の匂いはこの場に留まっていた。残る我が騎士殿は、あと三人。


 リウトは同胞である白騎士の死体を手でひっくり返した。いつか見た頬に傷のある男だ。もう一人いた髭面の男は……見当たらない。


「そうか。岩鼠は攪乱かくらん目的だ。足元でこいつらにウロウロされたら、どんな使い手でもバランスを崩す。そこを狙って……」


「な、何に襲われたのかしら」彼女が言うと、リウトは暗闇に目を向けた。


「犯人はあいつだ」松明を左手に持ち替えるとスラリと剣を抜く。

 

 ブモモモモオオオ――――……ビリビリと地響きのする雄叫び。


「迷宮には」リウトは足元を走る岩鼠をかわすため、ほとんど無意識に独特なステップを踏んでいた。


「……ミノタウロスか」









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