第17話 古代迷宮
リウトは死体に見向きもせず、天に向かってポーチを投げた。耳をつんざくような破裂音がしたかと思うと少し遅れて熱風が彼女の頬にあたった。
ポーチは跡形もなく引き裂かれ、焦げた匂いが立ち昇った。少女の心臓は口から飛び出しそうになった。
「解除出来るかい?」
「マジック・アローね。出どころが分からなきゃ解除しようがないわ」
「そりゃそうか」リウトは呪文を唱えた。小さなガラス繊維の長方形のトレーが前方に浮かんだ。四つ、八つと折り重なって現れる。
普通の魔法使いが瞬時に出す盾を、リウトはたっぷり三分近く掛けて出す。アロー・グラスとよばれる一般的な魔法盾だった。
「俺の背中にくっついて」
「うん。魔法、使えるようになったの?」
「いいや、複雑なやつは全然。立ち止まり詠唱なら基本的なやつはいける」
少女はぴったりと彼のバックルを握り、背中越しに半透明の魔法盾を見やった。薄い盾は光の矢を受けるたび、火花を散らしビリビリと激しく振動した。
二人は石像の道を通りすぎ、迷宮の入口に迫った。古く枯れた大木にオレンジ色の石壁が埋め込まれている。
「白騎士は、ここから撃たれたんだ。固定された神木から自動で矢が放たれる仕掛けだ。神木は壊せそうもないな」
「解除してみるわ」
ローズは指輪の宝珠を内側に向けると神木に手をかざした。トラップ解除はランダムな魔法数列を一つずつ割り出さなければならない。時間と労力の掛かる仕事だ。
「ヒントをやるよ」リウトは石畳に座り込んで言った。「数列はランダムとは限らない。小さな数から、大きい数へ――あるいは大きい数から小さい数へ向かう」
「どうして分かるの?」ローズが聞いた。「まあ、ここを作ったヤツは完璧主義だった。数列にまで美しさを求めたんだ」
「ふうん。人を寄せ付けない殺戮トラップにも美学があったとはね」
「迷宮とか神殿をつくるようなやつは、ちょっと頭がいかれてるんだろ。まあ、面白かったからけっこう読み込んだけど」
「ぷっ……ずっと封鎖しておけばいいのに。どうしてミルコ団長はこんな所に白騎士を送りこむのかしら」
「お宝が眠っているんだとよ」リウトは大あくびをしながら退屈そうに言った。「俺たちもお宝同様、眠っちまわないよう気を付けなきゃな。前に八人いると聞いていたが、どうやら残りは六人だな」
二体の死体を差し引くと、先行している残りの騎士はたったの六人。解封師なしで先へ進む意味も、神経も分からなかった。
リウトは松明に火を付けると更に地下へと進んだ。先発隊のおかげで、数か所に
手探りに瓦礫を避けながら、いりくんだ通路を進むこと数十分。朽ちた神木と、砕かれた石板を何度か見かける。
大部分の魔法弓トラップは神木ごと、侵入者によって破壊されている。石柱が立ち並ぶ奥に、真っ直ぐ伸びた狭いトンネルがある。
「ま、また死体だわ」
「さあ、用心しろよ」
リウトはポーチを投げた。ポーチは三メートル離れた地面にドサリと落ちた。トンネルの周囲、格子扉の前までゆっくりと進んだ。
「魔法弓の攻撃は無さそうだな」
右膝を付き騎士の死体を調べる。顔に火傷のような跡。窪んだ眼球の奥に血だまりが出来ており、口の周りには酷い吐血がある。
「他に外傷はない。毒か、ガスだな。どこかに仕掛けがあるのかも」
「ポイズン・トラップだわ。壁の隙間から毒霧が噴き出す仕掛けよ」
格子扉に仕掛けはなかった。暗がり、通路の入口に四つの突起があり、組み合わせを間違えれば毒が噴き出すと二人は考えた。
「何とかなりそうか。残り五人の騎士さまに追いつくのは何時になる事やら」
ローズは四つの突起を一つずつ慎重に上下に動かしてみた。バネが仕込んである突起は二つ、もう二つには戻りバネが仕込んでいない。
恐らく、二本の
ゆっくりと二本のバネに集中して動かしてみる。微妙に音が違う事がわかる。同時に上げるのではなく、順番がある。
「……」額から汗が滴り、彼女はしばらく目をつぶった。余りにも微妙な音――自分の心臓の鼓動音すら煩わしい。
もう一度ゆっくりと突起を上げてみる。手前から順番に……違う。あの白騎士が判断を誤ったのはバネの硬いほうから上げたからだ。
二本のバネが戻る仕掛けなら、逆に考えるべきだ。初めに上げるのは緩いほう。
カチリ――……確かに音がした。ローズは額の汗を拭ってリウトを見た。
「開いたわ」
リウトは彼女の目を遮るように長い腕を伸ばして、格子扉に手を掛けて言った。「後ろを歩けって。腕に自信があるんだろ?」
「あるわ、だからってあなたを実験台には出来ない。私に行かせて」
「遠慮するなって」
リウトは松明を握ると石の廊下をじりじりと歩いた――出来るだけ腰を低く構えて。
「……ごくっ」
自分の影がゆらゆらと揺れていて、亡霊が耳元で何か囁いているいるようなザワつく感覚を味わった。毒ガスの仕掛けは無事に解除されているようだ。
「大した腕だ」リウトは言った。「脇に部屋があるが、ここも開けてくれ」
石壁の脇に小さな扉があった。物置部屋のようで前を進んだ数々のパーティーも無視して行った扉のようだ。
「簡単に言わないでくれる? この部屋自体がトラップの可能性もあるのよ。それとも迷宮好きな愛読者さんは、全部の部屋を見てまわりたくて仕方ないのかしら。ふふふ」
「何が可笑しい?」リウトの目は真剣だった。考え込むような表情で壁に背をもたれて胸の前で腕を組んだ。さっさと仕事をやれと言わんばかりに片手を振った。
「ふんっ!」自分の方が、この迷宮に詳しいってひけらかしてるのだ、そう感じた。
トラップ解除はローズの専門分野だ。書物が間違っているか、あるいは書いてあったことを彼が間違って覚えていることを疑った。
「あのね、一目みて解るような罠よ。無視して大丈夫だってば」茶化してはいるものの優しくローズは言ったつもりだった。
「まあ。十八年生きてきたけど、誰も俺の言葉には耳を貸そうとしない。ダリルの爺さんじゃないけど言いたくなるよ」
「
「……」
その瞬間、彼の顔に浮かんだ悲しい表情を見て後悔した。何かを察した彼女は小さくうなずき、大きく潤んだ目を扉に向けた。
「私は、私よ。他の誰とも違う。自分で考えて、ちゃんと対処が出来る。待っててね。いま開けてみせるから」
ピックを取り出しシリンダーを押し込む。ローズは変わった手ごたえを感じた。直感的に解かる――この扉は開かない。
「この扉は……おかしいわ」自分の声が震えていることに驚いた。「ただ、扉が壁に埋め込まれているだけだと思う。開かない。何か別の場所でトラップが発動したみたい」
ガタガタ、ガタガタッと地響きがした。
「正解だ。よくそこまで解ったな」
「からかったの?」
「いやいやいや、今の解印で入口のトラップが再構築された。かわりに先のトラップは、いくつか開いたはずだ」
「えっ!? な、何してくれてんのよ、勝手に。思わせぶりな態度までして」
「落ち着いて聞いてくれ。つけられてたんだ。見張られてる。何度か合流するチャンスを与えたんだが連中は来ようともしない。ミルコは俺たちを信用していない。それどころか、逃がさないつもりだ」
「それは、貴方のせいだと思うけど」彼女は両手を腰にあてて、まるで不愉快なものでも待ち受けているように顔をしかめた。
「なんで俺のせいなんだよ。逃げ道は塞がれてるんだ。前にはトラップと特殊部隊がいて、後ろまで押さえられたら
「団長から聞いたわ。暴行、盗難、覗きに横領、いままでよく罪に問われなかったって。私が頼まなかったら、とっくに縛り首になっていたんだからね」
「ひでぇな。本気で俺が犯罪者まがいの大馬鹿だと思ったのか。俺よりミルコの言葉を信じるのか。たかが覗きくらいで縛り首にされてたまるかよ」
「はあ!? なんでそこは否定しないの。そうよね。覗きなんて〈かくれんぼ〉を使ったらやりたい放題だもんね。大人の女の裸とか見るんだ。やだわっ、最低、このスケベ!」
「ああ、スケベで悪かったな。それが俺だよ、役立たずで馬鹿ばっかりやってる。抜けられない堂々巡りの無限馬鹿だよ!」
「……ごめんなさい。やめましょ」
(そんなことない、そんなこと言ってないよ。リウトは自分のことを無能だなんて考えちゃ駄目だよ。リウトの人生はこれから……)
彼女は話の本筋から、あらぬ方向へ脱線していることに気付いて、片手を上げた。不毛な会話をしている場合ではない。
それに自分が彼を高く評価しているのが、ばれてしまうのも問題アリだと思って話題を変えることにした。
「ダリルのこと、聞いた?」
「ああ。消息不明なんていってるが、ろくに調査はしていないと思うよ。必ずロザロに来るって信じてるけど」
ミルコ団長はダリルとノアが見つかったら必ず連絡をくれると約束してくれた。お宝が目当てだというなら、手に入れて損はない。
団長や特殊部隊に恩をうることは、連隊長、百人隊長に恩をうるより効果があるはずだ。これを条件にふたりを探してもらうことも出来る。少女は真面目にそう考えていた。
「そのお宝って何なの?」
「王家の保管していた
「……」ローズは肩を持ち上げた。もう、貴方のせいだとは言わなかった。しばらく先のトラップまでは解除されているのだ。恐がったり、悔やんだりしている暇はない。
「進むなら、さっさと行きましょ」目の前の蜘蛛の巣を振り払おうとした。その腕を乱暴にリウトが掴んだ。
「なっ、なによもう」
ただの蜘蛛の巣――ではない。目を凝らしてみると糸状の繊維は生き物のようにゆらゆらと蠢いている。
「な、何これ。蜘蛛の糸?」
リウトはすっと拾い上げた石片を近付けて蜘蛛の糸を払ったように見えた。パラパラと床に落ちたのは、糸の方ではなくスライスされた石片のほうだった。
「ひっ、ひいっ!」
素手で巣に触れていたら指先はきれいな
ズズズズ――……。
糸は、逃げようとする彼女に掴みかかるように前進してきた。尻をついたまま後ろ手をバタバタとついて這いまわる。
「ひっ、ひいいつっ!!」
彼女の前に立ち、すかさずリウトは松明の火をあてる。蜘蛛の巣は煙を撒くようにして小さくなって消えていった――。
「はぁ……はぁ……」
物理的な錠前や魔法を使ったトラップが解除されたとしても、蜘蛛のような怪物にまで注意を配らなければならないとは。
リウトが
「松明より先には行くなよ」
「……はい」
二人は更に奥へと足を進めた。迷宮は暗く深く、少女は息苦しさを感じ始めていた。
彼の案内が無ければ、平常心を保つことすら叶わない地下の迷宮。逃げも隠れも出来ない場所で、信頼できるのは自分たちの勘と能力だけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます