第15話 本当の強さ
『うう……うう……うう……』
『うう……うう……うううう……』
裂けた肉と砕けた骨を露出させた屍の群れを、グラウンは幾度となく斬りつけていった。
ひとたびアンデッドの攻撃を受ければ、病原菌が繁殖して、アンデッド化するという。次は自分がこうなるという恐怖が纏わり付くと簡単に拭い去ることは出来ない。
グラウンの使う
「……」
「……じゃっ」
無駄に
「……使うんじゃっ」
しつこく襲ってくる屍は、踏ん張りと手数で押し通すしかない。斬って斬って、斬りまくる以外に道はなかった。
「スタンス剣を、使うんじゃと言っとろーが!!」
酸欠状態になって意識が遠のいていたようだ。言われるままにグラウンは曲剣を振り上げ、スタン・スラッシュを発動した。
するとアンデッドはいともたやすく転倒し、地べたを這いつくばった。
「!!」
後ろの老騎士が何かを叫んでいたようだ。グラウンは、空気を掻き集めるように息を吸い、背後を守る女魔術師の姿を見た。
アンデットは苦しむようにもがきながら動きを止めている。(やっと、やっとホーリー・ランスの効果があらわれたのか……)
いいや。女魔術師キャスは、首をもたげて老騎士の後ろに隠れているだけだ。汗で乱れた髪をあげ、今度は老騎士のほうを見る。
呆れたことに、老いぼれは剣も持たず、荷物から取り出した白い粉を撒いて、死体を撃退しているように見えた。
「この爺いっ、なにをしてるんだ?」
「塩じゃよ。こいつらはアンデッドじゃない。顔をよく見てみい」
「は、はあ?」グラウンは、よたよたと歩いている屍の薄気味悪い姿を初めて冷静に直視した。丸い目に丸い口を開いている。
――――
腐敗の進んだ頭部が熟しきっているものだと思った。いや、本能的な恐怖が屍の顔をよく見るという単純な行為を無意識に拒否していたのかもしれない。
丸い目には乳白色の透明な蛆の腹が飛び出している。丸く開かれた口は――おぞましいことにヒルのように細かい牙が何重にも生えており吸いついて体液を奪う構造になっていた。
「うげぇえぇ……なんだ、この生き物は」
「ワーム・スラッグじゃろ」
「聞いたことがあるわ」女魔術師が言う。「レアなモンスターよ。動物を食い荒らして頭部を奪い、自由に動き回るのよ。こんなに繁殖力があるなんて」
「アンデッドじゃ、なかったのか。分かったところで、対処は?」
「塩なら、もうないぞ。はやく逃げよう」
息も絶え絶えに四人は森を進んだ。冷静さを取り戻した若きヴォルカに、ダリルは自力で歩けるかと聞いてみた。
「ふーっ、ふーっ、もう大丈夫だ。蛆虫野郎は、この剣で叩き斬ってやる!」
「そう興奮するでない、無理に戦わんでええじゃろ。やめておけ」
「いいや、俺様はこいつらを全部始末して立派な二つ名を貰うことにする。そうだな、候補は〈蛆虫殺しのヴォルカ〉様。これは格好悪いな。〈ワームスラッガー・ヴォルカ〉いや、センスが古くさい。普通に〈褐色の貴公子ヴォルカ〉様と呼ばせよう」
「二つ名は自分で考えるものじゃないぞい」
「うるさいっ!」若きヴォルカは美しく装飾された輝くロング・ソードを鞘から抜いて怒鳴り付けた。「老人は黙っていろ!!」
「……」
老騎士は、そんな長い剣をこの森で振り回すのはやめたほうがいいと言いたかったが、はやるヴォルカには届かないと思った。
案の定、事態は悪化した。ヴォルカのロング・ソードは木々と枝にはばまれ、まともに振ることも出来なかった。
「だから、言ったじゃろう。言っとらんけど」
「くっ、ぐわあああっ!」
ヴォルカの輝く剣は、枝に刺さったまま抜けなくなった。女魔術師はグラウンの後ろで逃げまわっていた。
「し、仕方ないわ」キャスの魔力も枯渇してしまうと、状況は更に悪くなった。「こうなったら、逃げるしかないわね」
「……はじめから、そう言っておるじゃろ」
「くそっ、走れ、走れ、走れ!」
「はぁ……はぁ……はぁ」
「もう少しで、馬がいるはずだ。頑張れ」
「ひぃ……ひぃ……ひぃ」
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ」
しばらくすると初めに馬を降りた丸太小屋が見えた。しかし肝心の馬の姿が見当たらない。一頭の白馬だけが老騎士に向けて走ってきた。
「よくきてくれたのぉ」
「くっそ! なんで一頭だけなんだっ」
「……そりゃ、そうじゃろ。お前さん方は馬にリスペクトがなさすぎる」
「馬は貰うぞ。お前の図体はデカすぎる」
「なっ!?」
グラウンは馬の荷物を投げ捨てて真っ先にヴォルカを乗せた。続けて自分と女魔術師を乗せるため、武器も鎧も、曲剣まで投げ捨てた。
「ま、待ってくれ。儂はどうなる」
「その曲剣と勾玉の
白馬は騎士の命令に
「……」
十日が過ぎ、自力で本隊に戻った老騎士は無断での単独行動を罰せられ十回のムチを受けた。ヴォルカやグラウンの姿はなく、既に別動隊に配属されたと聞いた。
森では何も無かったことになっていた。女魔術師のキャスだけは、まだ本隊に所属していたが、年も素性も知らない女に会いに行くには、気力も体力も無くなっていた。
あのときの白馬だけが、ダリルを歓迎した。皺だらけでエラの張った老騎士の顔をべろべろと舐めて、鼻を鳴らした。
「よーし、よし。馬はええ。本当によく懐くわい。人間は誰も儂の話しを聞こうとせんがの」
「ヒヒーン!」
「そうかそうか。怖かったのぉ、大丈夫じゃ大丈夫じゃ。あそこはただの森じゃ。ありゃ、ただの死体じゃ。大丈夫じゃ」
※
そして――老騎士のもとに一匹のゴブリンが大きなズタ袋を持って現れる。
激しく当たれば、激しく返される。ならば、この老騎士に出て行ってもらうには、彼が坑道の奥で落としていったズタ袋を渡し、そっとしておくしかない。
「……諦めたかの?」
老騎士はズタ袋を受け取り、薬草や非常用の食事をその幼いゴブリンに渡した。自分よりも腹を空かしているいるように見えた。
「ギイイ……ッギ」
「美味しいかい。全部お食べ」
「ギイィ、ギイィ、ギイィ」
「ああ、それは怪我をした仲間に塗るんじゃ。分からんかのぉ。こうやるんじゃ」
老騎士は惜しげもなく魔剣アンサラーを床に置くと、あらわにした腕を見せて薬草を塗る仕草をしてみせた。
「ッギ! ッギ!」
「ふぉふぉ、そうじゃそうじゃ。よーしよし、頭の良い子じゃな。可愛らしい顔しとるわい」
ゴブリンの群れは少しずつだが、老騎士を理解したのかもしれない。この老騎士は自分たちを一匹たりとも殺しはしなかった。
狂気のような武器を手にしても、決して傷つけないように、細心の注意をはらいながら剣を振った。それは容易なことではない。
確かな技術が必要だった。まともに斬りあったなら、この老騎士は誰よりも強いのでさないか。ただ、そう感じとった。
そして、彼らは本当の強さとは優しさだと知っていた。愚かな人間より、それが当然のことだと知っていたのだ。
「あとは……宝石や金貨が入っておるけど、おまえらは興味ないじゃろうな」
「キイイ。キイイ!」
「綺麗、綺麗じゃな。あっははは、二日もにらみ合いをしとったら、何となく言葉が分かってしまいおるな。お互いに」
「キッキキキ、キッキキキ」
「こっちこいか。まさか持て成してくれるのかい。お前さん、儂が怖くないのかい。人間の儂に敵意がないのかい?」
「……キィ、キッキッキッ」
「そうかそうか。しかし、リウトは本当に不思議なやつじゃな。怒りや嫌悪感を全部、ひとりで持っていってしまうんじゃから」
老騎士は無邪気に微笑んだ。剣に埋め込まれた勾玉のアクセサリーが転がり落ちた。
幼いゴブリンは珍しい形をした勾玉を拾うと、楽しそうに転がして玩具にして遊んだ。
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