第14話 老騎士と勾玉の剣

 最後に飯を食い、水を飲んだのはいつだろう。老騎士は大剣を構えたまま、ほとんど動くことがなく二日たっていた。


「ギイィ、キイィ」


「プギ、イッイッイッイッ」


 群れは近づけば不思議な剣が勝手に動き、反応することを学んでいた。


 なかに業を煮やしたゴブリンが槍を持って飛び出すこともあったが、不思議なことに、軽く剣先を当てられて転倒させられた。


「ギイィ……キッ」


「キィ、イッイッイッイッ」


 激しくあたれば、激しく返され、小さくあたればちいさく返された。場合によっては気絶してしまうゴブリンもいた。


「……」


 だが、当の老騎士は微動だにせず、じっと剣を構えているだけだった。魔剣の束頭ポンメルには勾玉の宝珠アクセサリが埋め込まれていた。


         ※


 二年前――。


 老騎士ダリルは仲間である白騎士と共に深林ディープウッド地境・ネックを探索していた。 昔よく母親と山菜をとりにきたのも、こんな森だった。


 二人の騎士と一人の女魔術師。三人は楽しそうに笑い、若さを過信していた 。老騎士は白馬の鬣を撫で手入れを終えると大きな荷物を担いだ。


「よーし、よし」老騎士は鼻を鳴らす馬の引き綱を引っ張り、なだめるような優しい言葉をかける。「ただの森じゃ、怖がることはない。そう、ただの森じゃ」


 最後に使い古された鋼のショート・ソードに手をのばすと、若きリーダーのヴォルカが言った。「白髭の爺さんには杖のほうが似合ってるな」


「やめなさいよ、ご老体に向かって」


「老体っつーより、老害だけどな。なんで馬の世話なんてする? そんなのは下っ端魔術師の連中がやる仕事だ」


「違うわ。一緒にしないで」女魔術師はプライドが傷つけられたようだ。「厩舎で働いてるのは呪術師のたぐいよ」


 多くの騎士たちは、時間をさいて馬や動物を手なずけることはしない。厩舎で複数人の精霊術師から導きを受けた馬は、乗馬の経験が無くとも容易く乗りこなすことが出来るからである。


「ははは、とにかく爺さんはそいつら以下だ」


「だから、そんな言い方しちゃ駄目よ。失礼でしょ、精霊術師に。ふふふ」


「そっちかよ」


 勝手に二人で会話を楽しんでいるのかとのんびりと聞き流していたが、どうやら自分の話を聞きたいらしい。


「ああ、美しい白馬じゃ。この馬は儂によく懐いておる。あんたらみたいに噛みつかんし」


「はん?」ヴォルカは眉を吊り上げて言った。「上官をバカにしてるのか」


「めっそうもない」


「もう、いいじゃないの。荷物運びは必要よ」


「ああ、必要じゃとも。最近じゃ百人隊長にもよく褒めてもらえる」


「隊長もついに諦めたんだろうな。黒騎士ヴィネイスを一匹も殺せない〈臆病者のダリル〉に」


 女魔術師は、キャス。〈囲み魔法のキャス〉といった。艷やかな金髪のしたに目鼻の線がくっきりと描かれていた。


 老騎士はせいぜい二十歳くらいだと見積もっていたが、柳のしなだれたような仕草や、ゆったりした物腰を見ていると実際の年齢はよくわからなかった。


 ヴォルカはというと、まだ二つ名はなく、もっと若いくらいの背の高い男で、燕の紋章がついた甲冑と装飾がついた銀のロング・ソードを持っていた。茶褐色の胸毛がモジャモジャとしたプライドの高い男だった。


 体つきは小さいが、だだっ広い鼻をした目力のある男は〈完膚なきグラウン〉といった。顔のわりに礼儀正しく、よく鍛えられた逞しい腕をしていた。


「あんまり、気にするな。高貴な産まれのヴォルカ様は、初仕事がこんな森の探索任務で苛立ってるんだ」


「ほう、あんたが用心棒ってわけじゃな」


「だっ、誰に聞いた?」


「いいや、思っただけじゃ。名家出の騎士が伏兵も付けずに初任務とは思えんかったでの」


「それは、黙っていてくれ。ヴォルカ様は体裁を重んじるお方だ。二つ名を〈燕の子〉と呼んだ兵士は、指を切り落とされた」


「ひ、酷いのぅ。そりゃあそうとグラウン、あんたはなかなか腕のある剣士のようじゃな」


 手入れの行き届いた美しい曲剣だった。老騎士の剣は古く粗野で、短く、変色していた。変形したグリップは手に馴染むように幾度となく握られた跡がついていた。


 白騎士が初期装備で使う鋼のショート・ソードを何十年と大切に使い込んでいた。

 

 大抵の騎士は早いうちにランクを上げた銀製のショート・ソードか、両手で握ることを前提としたロング・ソードを手にする。片刃で幅広の刀身を持つファルシオンを使う騎士も少なくはない。


 老いてなお、初期装備である鋼のショート・ソードを大切に使っているような変わり者は、この老騎士以外には皆無といってよかった。


「ああ、この曲剣と宝珠アクセサリか、めずらしいだろ。こいつは東洋で造られた勾玉と呼ばれるものだ。敵の気を失わせたり、硬直させたりするスタン効果がある」


「なんじゃって? スタンスか」


「ぷっ、まあいいや、名前なんぞどうでも」


 先行する若きヴォルカと女魔術師キャス。ふたりを見守るようにグラウンが森に目を配って歩いていた。日が傾きかけたころ、それは起こった。


「きゃあああっ!」


 二十メートル先でキャスの叫び声が聞こえ、グラウンが走った。老体と罵られては堪らないのでダリルも急いで後を追う。


「!?」


 森に自然と出来た窪地に死体が転がっていた。女は口元を抑え、グラウンは尻をついているヴォルカを抱えあげていた。


「う、動いてる。動いてるぞ、死体アンデッドだ」


 死体がうごめいていた。動く死体を見るのは初めてだった。泥にまみれて悪臭をはなち、うじでふくれあがった大きな眼をむけている。


『うう……うう……うう……』


「危なかったの。窪地に落ちたら、帰りはアンデッドなっておった」


「冗談は言ってられないぞ、最悪のトラップをひいちまったようだ」


 担ぎ上げたヴォルカを匿うように、グラウンは剣を抜いた。死体があちこちでムクムクと起き上がっているのが分かった。


 すかさず女魔術師はワンドを構えマジックアローを放った。だが、しかばねは魔法攻撃を素通りするように動いていた。


 一点への攻撃では致命傷にはならなかった。命中率が低いうえ、的確に頭部に当てないかぎりダメージがないようだ。


「き、効かないわっ!!」


「……当たっておらんからのぉ」


 老騎士だけは荷物を持ったまま、冷静に周囲を見ていた。決して素早い動きではない。


 無数のアンデッドは、鋭い矢尻や錆びついた剣を持って、まっすぐにヴォルカの心臓を狙い押し迫っていた。


「……よけるんじゃ」


「うぎゃあああっ! なんて気持ち悪いんだ。貴様はすぐに迎えがくる歳だろうが、お、俺はまだまだ死にたくない」


「なんちゅう失礼なことを言う」


 寸前のところにグラウンがしかばねを凪ぎ払う。やはり、腕を飛ばしたくらいでは、ダメージにはならない。返す剣ですぐに、かぶりつこうとする頭部を斬りあげた。


「落ちついてください、ヴォルカ様。勝てない相手じゃありませんぞ。はやく剣を抜いて後ろをカバーしてください」


「くっ、それが、う、動けんのだ」若きリーダーは腰を抜かし、くるぶしまで浸かる湿地に足をとられていた。「敵の魔法攻撃だ。体が動かせないんだよおっ!」


「泥に浸かっただけじゃ。泣いておのか?」


「い、いやだ。こいつ、何の、何の躊躇ちゅうちょもなくこいつ……」

 

 初任務の洗礼だとダリルは思った。実際にあんな遅い攻撃が、避けられなかった。


 相手の、ためらいなくすという単純な行為を頭が理解しないのだ。そして意味のない涙が溢れ、自分を丸裸にされる。どんな訓練をしてこようが、経験に勝るものはない。


「ほれ、儂が担ごう。敵は頼むぞ」


 パニックに落ちいったのはヴォルカだけではなかった。女魔術師は、すぐさまアンデッドに効果がある水属性の詠唱をはじめ、聖水を合成しはじめた。


「行け、ホーリー・ランス!」


 空気中から矢のような流水が湧き上がり、アンデッドを次々に吹き飛ばしていく。


「!!」


 倒れたのは一瞬だけだった。屍はよろけながら、立ち上がりゆっくりと四人を取り囲んでくる。グラウンは唇を噛み締めた。


「たかが、動きの遅いアンデッドだろうが。どうして効かない。聖水が生成できていないのか、あるいは魔力が足りてないのか!?」


「分からないわ。死体と戦った経験はないけど、詠唱は教本どおりでミスはないはず」


「くっそぉ!」グラウンは落ち着き無く、かすれ声で叫んだ。「揃いもそろって役に立たないとはな。みんな俺の後ろについてこい。元居た場所まで引くぞ」


 ぞろぞろと寄り付く屍は、二十体を超えていただろうか。目を皿のようにしたグラウンは左右に剣を振りながら必死に道を切り開いていく。


「か、囲まれたら終わりだぞ!」


 深く暗い森の中。たった一人で足手まといの三人を庇いながら、このアンデッドの群れから脱出することは可能だろうか。


 だだっ広い鼻をした〈完膚なきグラウン〉は震えながらも、懸命に勇気を奮い起こして屍を斬りつけ、前に進んだ。








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