第9話 ゴブリンの巣窟
薄明りの中で黒い石畳を見ながら、ひたすら重い足を前へ前へと突き出し続けていた。
ゴブリンの巣窟。
ローズは足を踏み入れるのが
ところが実際のゴブリンの住処は清潔であった。足元にはどこかで拾い寄せ集めた調度が並んでおり、天井からは干した野菜やにんにく等がぶら下げてある。
消臭効果のある乾いたイ草の匂いもする。これならヴァッレの村の安宿のほうがよほど不潔かもしれない。
何度か、はっきりとゴブリンの気配がした。だがリウトは注意深く気を配りながら、息を潜め二人を案内した。すぐ近くにいるゴブリンに慌てもせず、狼狽もせず迷路のような地下の洞窟を進んで行った。
ローズは真っ暗な戸口に立ち止まって、ダリルの小さな声を聞いた。
「頭をさげろ、こっちだ。ここを、見てくれ。宝箱が埋まっておる」
何年か前に聞いたことがある。炭鉱のような古い
あらゆる採掘師や白騎士の部隊が通るなか、誰もが解錠する事を諦めた開かずの宝箱だ。戸口に入ったとたん、カビの臭いが漂った。
「誰も通らないルートを選んだから、見つけられたんだ。かなりの年期ものだ」
「リウト、自慢したいのは分かるが口を挟むな」老騎士が言った。「こいつを、開けられるか?」
少女が暗闇に目を見張ると、そこには豪華に装飾された宝箱が浮かんでくる。食い入るように宝箱を見つめると興奮で自分の手が汗だくになっている事に気がついた。
箱の上部に触れると、埃が落ち、ざらついた凹凸が姿を現す。古文書に出てくる文句がぎっしりと彫られた、お宝中のお宝だった。
「三十分くれる? 貴方達について来て、本当によかったと思ってるわ」
胸が高鳴り、頭は興奮していた。これほど精巧に作られた宝箱の錠前に没頭できる時間は解封師にとって、至高の喜びだった。
手先の器用さとピックの勘はとっくに父親をこえてはいたが呪文数列の組み合わせは無限に近い。少なく見ても一万二千通り。
それを作り手の性格や癖を手掛かりに紐解いていく以外にない。これほど厳重な錠前を作り出すには時代背景も、社会的背景も全く今とは別であったことは間違いない。
ステイトの民は戸締りの感覚ですらほとんど無いのだから。運のいいことにローズは呪文数列が半分以上解かれていることに気づいた。
これは何十年、何百年もの間に多くの解封師が挑戦してきた証拠だった。ローズはその挑戦者のなかに父もいたのではないかと思った。
「……うるさいわ」
二人が小声で言い争っている。「ゴブリンは人間じゃないんだぞ。普通に考えて、殺せないのは人間だけだろ」
「人の型をしとるじゃろが」頭ごなしな物言いに老騎士が、言い返す。「どちらかと言ったら人間じゃないか」
「どちらかと言ったら
「儂はデリケートなんじゃ。試しにやってみろと言われただけで、もう絶対に出来ないからな。その言い方でもう出来ないのは確定した」
「その体格に、毛むくじゃらなくせにデリケートだって。十五の娘じゃねぇんだぞ?」
「何度も同じ議論をする気はない。お前は馬鹿だから、それでいいかもしれんが」
「馬鹿じゃなかった」リウトは声を荒立てて言った。「俺はな、馬鹿じゃなかったんだよ。魔力のベクトルがだな……とにかく訂正しろ」
「いいや訂正しない。儂は出来ない事は出来ないとはっきり答えをだしている」
「臆病者に馬鹿呼ばわりされるのはうんざりだ。もう、さっさと引退するべきだな」
「分かってない。最後に勝つのは集中力を切らさない臆病者なんじゃ」
「単に戦わない騎士が最後まで生き残っているだけだろ」
「儂はちゃんと戦っとる。睨み合いに、しびれを切らせて逃げる相手だっていたんじゃ。隠れるしかない貴様とは……」
ガチャ。
ローズの手元で錠前が跳ね上がった。その瞬間、少女の首筋には鳥肌がたち、ともいえぬ快感が全身をおおう。
「開いたのか!」二人の白騎士が目を会わせた。「まったくなんちゅう娘じゃ」
「待って」ローズは手を広げて両側にたつ二人を止める。「トラップがまだよ」
「時間が無い。あと五分でゴブリンがくる」
「だったら、もううるさくしないで。集中したいのよ。果てしない議論はいい加減にして、仲良くしてくれない?」
「「……はい」」
少女は信じてついて来て良かったと言ったことを少しだけ後悔していた。額に汗が噴き出している。ここまで複雑な宝箱は後にも先にも聞いたことは無かった。
しばらくするとついに宝箱が開いた――三人は目を疑った。リウトは納められた大剣を取りだした。
肩にズシリとくるほどの重量は、十五キロ以上はあるだろうか。大学の図書館で見た記憶がある。分厚く広い
「ま、魔剣アンサラー。どんなヘボでも勝手に剣が戦ってくれるっていう伝説の大剣。めちゃくちゃ重いんだな、コレ」
「名前だけは聞いたことがある……実在したのか」老騎士は息を飲んだ。「別名、応答丸と呼ばれる魔法剣か」
「宝珠が取れかけているわ」ローズが手を伸ばす。薄赤い光が仄かに少女の頬を照らす。「すごい……こんな高純度の宝珠は見たことがないわ。何なのこれ」
「賢者の石だよ。こんなものがこの世に本当にあったのが驚きだ。魔力の根源へのアクセスを可能にするとか。もう一度、図書館に行って文献を見なきゃ、はっきり思い出せな……まずい! ゴブリンだ」
老騎士はゆっくりと扉から現れた
「!!」
大きい。岩場や暗闇で見かけたゴブリンは遠目にみても、ローズと同じ百五十センチ程度の身長だった。だが、そいつは老騎士と同じかそれ以上の体格をしている。リウトがつまづきながら立ち上がると同時に、松明が辺りを照らし出した。
「まずい。走れ!」三人は坑道にまっすぐ伸びた中央道を駆け出した。石畳はぬめっていて決して走りやすい状態ではなかった。
闇の中をよろよろと走るリウトは、さっと革鎧を脱ぎ棄てた。ショートソードのかかった剣帯は三歩か四歩ごとにずり落ちる。
「ハァ……ハァ……」
重過ぎる。調理に使う鋼のナイフと水筒も、剣帯ごと投げ捨てた。持っていくのはこの伝説の剣だけで充分だと思った。
「一気に走り抜けるしかない!」リウトが言った。キイイキイイ――……というゴブリンの仲間を呼ぶ声が左右の暗闇から聞こえる。
正面の暗闇から向かってくるゴブリンにダリルが飛び膝蹴りを入れる。飛びついてきたもう一匹のゴブリンの腕を掴むと後方に走り寄るゴブリンの群れに向かって、背負い投げのように放り投げた。
適格な判断だった。老騎士はズタ袋に食糧と金貨、宝石を担いでいたが、敵の動きを最小限でかわし、攻撃を加えて道を作った。
「ハァ……ハァ……」
リウトは泣きたくなった。また一歩、また一歩と踏み出す足が丸太のように重く、もはや自分のものではないような気がした。
闇から飛び出してくるゴブリンたちは、まだ戦闘の準備が出来てはいないのだ。槍や石を使って攻撃される前に逃げるしかなかった。
「ハア……ハア……息が持たんわい。何匹いるかさっぱり分からない」
「多分、四十二匹だ。残飯目当てのチビを除いてな。かくれんぼは得意だけど、ハァ……ハァ……鬼ごっこは苦手だ」
少女は恐怖で顔面蒼白になっていた。リウトの袖を掴んだまま黙って走り続けていた。あらゆる暗闇から石畳を踏み鳴らし群れが駆けてくるのを感じた。
その地鳴りのように響く足音は、ゴブリンが一般に知られる個体より大きく、逞しいことを意味していた。
「もう、出口は近い。がんばるんじゃ!」
「ハア……ハア……ま、まずいわ、待ち構えている。ゴブリンが来る!」
情けないことにリウトは泣いていた。魔剣はただの剣よりも重く、あつかえる自信もない。ただの剣さえ上手く扱えない自分が、白騎士の装備を捨てたことを、早くも後悔していた。
(なんて馬鹿なんだ、俺は。怖がってる場合じゃない。後悔してる場合でもない。とっくに決めてたはずだ。ローズを守るって!)
「くそっ。俺の後ろを離れるなよ。道をあけろっ、俺が相手だ!」リウトは魔剣アンサラーを抜いて叫んだ。
アンサラーはリウトの意志に関わらず勝手に真上に掲げられた。「お、おお、なんだ。剣に引っ張られる!」
ガキッ――頭上から牙を剥きだし、飛びついてきたゴブリンが串刺しにされ、頭から大量の血飛沫が散る。
「キイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ――――――――ヤアアッ!」
鼓膜が破れるほどのゴブリンの叫び声。背後に迫る、その群れが薄明かりに目にうつった。
個体の大きさは様々。灰色がかった丈夫な皮膚を持ち、大きくつきだした下顎はリウトの細腕を簡単に砕いてしまいそうに見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます