第10話 魔剣アンサラー

「あぶない、リウト。後ろ!」


 ローズは叫ぶやいなや、突風に吹かれた木の葉のように突き飛ばされた。ゴブリンのタックルを受け、叫びながら尻もちをついた。


「!!」


 間近に見たゴブリンは、灰色がかった分厚い皮膚と太く長い腕を持ち、少女には目をくれず周囲を落ち着き無く動きまわっていた。


「ギウ、ギウ、ギウ」暗闇でひとつの声が絶叫すると、他の声が「グギィ、ググギィ」と叫びだし、続いてあまりにも多くの叫びが聞こえたのだった。


「お、襲ってくるわ。四方八方から」


「ここにいたら邪魔だ」リウトの声だった。「真っ直ぐ左手の扉を解錠しろ!」


 真上に構えられた剣が、そのまま後ろからの攻撃を捌いていた。背後から降りかかったゴブリンの爪を指先ごと斬りとった。


 まるで背中に目が付いているかのように、攻撃に反応していた。そのまま、後ろ向きで剣を振り回しゴブリンを追い払う。素早くゴブリン達は、飛びのき距離を取ろうとしていた。


 クルリと向きを変えるとリウトはブン、と横一文字に剣を振った。本人が、何を切ったのか分からないうち腕が、二つボタボタと床に落ちた。


「お、俺がやったのか!?」リウトは自分の剣技に驚いた。「命の惜しくない奴は、かかってきやがれ」思わず、心にもない恥ずかしい台詞が出てしまった。


「す……すごいわ、リウト」


 剣先がぐるぐると回り、ゴブリンに向けられた。しっかりと握った剣は左にまわり、右にまわりするうちに、真っ直ぐと敵に向かって突進していった。


「うっひゃああああああ!」


 狂戦士のように歓声をあげていたが、実際には剣を握っているだけで精一杯だった。本人のイメージとは裏腹に、リウトが決死で戦う姿は滑稽な曲芸に見えた。


「ひゃああああ!」


 群れの注意をローズには向けさせないように。それには〈かくれんぼ〉とは逆のことをしなくてはならない。


(敵意があるなら、俺にだけ向けろ。憎悪ヘイトは全部、俺が引き受けてやる)


「あいつ……どこに行く気だ?」老騎士はローズに手をかし起き上がらせた。「大丈夫か」


 軽い脳震盪により焦点が合わないようだったが、慌てて頷いていた。「ここはまかせて正面の扉だ」


「ひゃあ! ひゃああああああ!」


「あの扉を開けてくれ、ローズ」老騎士はローズの背中を優しく押した。「儂ではどうにもならなかった」


「う、うん」最後の扉だろうか。「簡単よ。内側からロックするタイプの、落とし猿よ。待っていて」


 扉の左下に滑り込むように駆け寄ると、上下できる四角い棒状の〈猿〉と呼ばれる鉄の塊を引き抜いた。


「これで、開くはずよ!」


「お前がいなきゃ、分からんかった。ゴブリンでも分かる単純なことすら、儂には分からなかった。ローズよ」


 老騎士はドアを蹴り開けた。二人が飛び出すと、峠向こうの森へとたどり着いた。


「やったわ! 坑道を抜けたわ」大きく両手を振りあげて、歓喜の声を上げた。頭上にまばゆい光が溢れ、季節の木々の香りが広がった。ロザロの街に続く森へと繋がっている。


 リウトの姿が見えない。魔剣を手にしている限り、倒されはしないと思いつつもローズは顔を強張らせた。ダリルも息を荒立てている。


「ふーっ。ここで待っているんだ。儂が行く。あのお調子者を連れて帰って来るわい」

 


 キイイイ―――……キイイ――――……


 リウトはゴブリンに囲まれていた。四十匹もいるゴブリンの群れを一手に引き付け、最後の部屋の端から端まで駆け抜けていた。


 彼は振り向くと大剣を握り、一番手近なゴブリンに激しく振り下ろした。


 魔術照明マジックライトに照らされた薄暗いダンジョンに、叩きつけられた剣の音と砕ける木刀の音が鳴り響いた。


 リウトは叫び、跳ね回り、首を振って暴れまわった。鉛のように重たい腕は、しびれて上がらなくなった。


 全身の筋肉がズタズタに切り裂かれたような激痛が走った。この魔剣アンサラーがひ弱なリウトの身体を蝕んでいく。 


 この剣さえあれば、どんなモンスターに襲われようと対等に戦えるはずだった。しかし、そんな名剣でも扱う者の能力値ステイタスが低すぎれば役にはたたない。


 脚があまりにも痛むので、立っていることも出来ないほどだ。剣をひと振りするごとに悲鳴をあげたかった。


(もう少し……あともう少しだけ)魔剣は無慈悲にリウトの身体を操った。死を覚悟するまで、倒れて、死を懇願まで終わらない――呪いが全身を支配するかのように。


 既に汗が乾ききって寒気すら無くなっていた。左腕の靭帯が切れている。右腕の筋力も完全に失われて、剣をもつ手はブルブルと痙攣していた。


 一匹のゴブリンが隙をみて飛び掛かる。全身の力を振り絞って剣を持ち上げるが、足元がふらつき剣は空振りされるだけだった。ゴブリンの鋭い爪がリウトの肩をかすめた。


 えぐれた肉の間から血が噴き出した。息は上がり目の焦点はどこにも合っていなかった。リウトは自分の血しぶきで足を滑らせそうになった。


 それを見たゴブリンはここだと言わんばかりにリウトに向かって牙を剥いた。食らいつくゴブリンを剣尻が殴りつける。


 なんとか、引きはがしたときには、自分の肉もそぎ落ちていた。


「っ……痛」


(なんてこった。せめてもう少し、こいつらを引き付けておかなきゃ、カッコ悪すぎる。耄碌もうろく爺いとローズは無事にロザロに行けるんだ)


「ハァ……ハァ……あと、少し、あと少しだけ。お前らの怒りを、嫌悪を引き受けてやる。くっそおぉ、こっちだ!」


 リウトは恥も外聞も捨てて大声を出して転げまわったが、すぐさまゴブリンに掴まった。爪がリウトの喉元に達する瞬間――顔面に兜が投げつけられる。


「情けないのぉ」


「ひ、引き返してきたのかよ」


「訂正せい」ダリルは使い込まれた剣を鞘に納めた。「臆病者と呼んだことを、訂正せい」


「キッ……キキッ」警戒したゴブリンの群れは老騎士から距離をとった。


 リウトが魔剣アンサラーを受け渡そうと、グリップを廻すと止め金から菱形の宝珠が滑り落ちた。今度は老騎士が魔剣を手にした。


「ほほう、宝珠アクセサリはお前を選んだようじゃな。そいつを持っていけ先に行け、出口でローズが待ってる。街まで行くんじゃ」


「ハァ……ハァ……あんたも一緒だ」


「あとでゆっくり合流できる。足手まといだと言っとるんだ」


「ほ、本気か?」


「ああ、議論はしないと言ったろ。儂は出来ないことは出来ないという」


 老騎士の言葉には有無を言わせぬ重みがあった。何度か本気で殺してやろうと思ったが、彼ほど食えない老人は他にいない。なにか策があるに違いない、そう信じさせる何かがあった。


「――わ、わかった。死ぬなよ」


 リウトは〈賢者の石〉だけを持って駆け出したが、数十匹のゴブリンはダリルの剣を警戒して動けずにいた。


「この剣の」ダリルは剣をクルリとまわすと全身で道を塞いだ。「切れ味を試したいんじゃが、向かってくるヤツはおるかの?」



 黙ったままリウトは最後の力を振り絞って部屋を突き進んでいった。坑道の半分近くは瓦礫で埋もれているし目は霞んで魔術照明マジックライトも無い状態だったが、出口がどちらにあるかは分かっていた。


「ハァ……ハァ……」


 温かい空気が流れ込んでくる、たったひとつの場所。まっすぐに坑道の扉を出ると外にはローズがいる。眩しさで視界は更に霞んでいた……彼女が……彼女は低い姿勢をとり両手にグラスダガーを構えているようだ。


「そ、外だ!!」なにをしているんだ、と疑問に思う。だがもう考えたくもなかった。「助かったと……思いたかった」呆然として言葉が出なかった。


「!!」


 そこには二匹のゴブリンが無骨な槍を構えて立っていた。ジリジリと少女を追い詰め、まさに殺そうと期を見ていた場面へリウトが現れたのだ。


 体格差はない。二対二。とはいえ、戦闘力、武器の様子から見て圧倒的に不利な状況である。明るい場所で間近に見るゴブリンの顔は猛り狂った動物そのものだった――縄張りを荒らされて怒っている野蛮な獣である。


「リウト! 待っていたわ」顔に冷や汗をかいたローズが言った。


「ハァ……ハァ……ま、まさか俺をあてにしてたのか」


「あの剣はどうしたの?」


「ダリルに渡してきた」


「馬鹿っ。それじゃ二人が入れ替わっただけじゃないの!?」


 泣きたくなる。さっきまで命がけで助けようとした女に罵られるとは。それもよりによって自分が一番呼ばれたくない馬鹿という称号で。この痛みは肩の傷だろうか。


「ハァ……ハァ……丸腰だ。ダガーを一本、貸してもらえませんかね」


「いやよ。貴方あなた、怪我をしてる」


「ケチ……ゴブリンに降参したら、どうなるんだろ」


「生皮をはがされて天日干しにされて、ディナーにされるに決まっているわ」


 恥ずかしくていたたまれない気分だった。この少女は自分ひとりで逃げることもできたはずだった。だが仲間を見捨てて逃げるようなことはしない。立ち向かうタイプの女だった――。


「おい、そっちの娘はガリガリで美味くないぞ」ローズを守ると決めた以上、やることは決まっていた。自分に向けて二匹を惹き付けるしかない。「こっちだ!」 


「ッキイ――……イイッキイイイイ――!」


「だ、駄目、リウト!!」ローズはその時はじめて理解した。ずっとリウトが能力を利用してゴブリンの視線を集めていたのだと。自分が無事に出口へとたどり着けたのは、彼の能力ちからのおかげだったのだと。


「!!」


 一瞬だった。ゴブリンは飛び出してきた青年の腹部めがけ、素早く槍を付いた。二本の槍が、交わるようにリウトの身体を貫いていた。


「きゃあああああぁ!」




 

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