第8話 坑道・ダンジョン
三人は封鎖地区となった〈坑道〉へ向かう事にした。黒騎士が待ち構えるという峠を超えず、地下深いトンネルを進むルートである。
広がる
老騎士は、宿屋で馬車を売り、僅かな金に替えた。森林を迂回しながら荒れた野原を抜け、ヴァッレの村から半日ほど歩くと、八フィートおきに立てかけてあった木の柵を超え、更に砂利道を進んだ。
落石で積み重なったような大きな岩がごろごろと転がっていた。岩場には坑道の入り口があり、あちこちに施錠された鉄格子が無造作に並んでいた。
入り口はいくらでもあるようだが、ゴブリンが使う入り口は限られているようだ。少女は錆びた鉄格子を見て、簡単に開けられるだろうと言った。
ひと昔前には、街への近道として利用されていた坑道である。だが、戦火がひろがり騎士たちが前線に出てからというもの、ここは放置されゴブリンの巣になってしまったのだ。
ゴブリンとは豚の頭をした大猿である。人間のように火を使い、種族間でのみ通じる三十程度の言語を持っている。
知能は低いが、獰猛で森や洞窟では人間を襲う事もよくあるモンスターだ。
何匹いるのか分からないモンスターを、老騎士は慎重に足跡を調べながら割り出そうとしていた。そして何匹かのゴブリンが利用している洞窟を見つけると、かなりの距離をとって身を隠した。
見つからないように洞窟に入るには、先にモンスターを確認しなければならない。リウトの〈かくれんぼ〉の能力は、まず〈オニ〉を見る事が前提なのだ。
彼自身が敵対者の視野、視覚、見えない部分を把握して、はじめてその〈オニ〉から見つからないルートを絞り出すことが出来る。
いきなり出くわしたモンスターから直ぐさま身を隠すようなマネは出来ない。先に敵を見つけることが出来なければ全くといっていいほど役にたたない能力であった。
老騎士は目を細めて数十メートル先にいる二匹のゴブリンを指さして言う。「リウト、あっちに行ったぞ」
「あいつが、岩場から降りたら十分は戻らない」リウトはたった一つの能力を発揮した。
何十時間も入り口を見張り、すでに十二匹のゴブリンを〈オニ〉と認識していた。少なくともこのモンスターに見つかることは無くなったわけだ。
「こっちの穴から入ろう。鉄格子の鍵は開けられるか?」
「あれは、エビ型の錠前ね。一分で充分よ」
「エビ型?」リウトは少女に尋ねる。「エビの形はしていないけど」
「うん、バネを押し込んだだけの単純な仕掛けっていう意味なの。バネが跳ねる感じがエビを連想させるから、エビ型」少女はウインクしてピックを取り出した。
「ああ、なるほどね」
「行くわね」
暗闇に目が慣れるまでローズの心臓は高鳴っていた。時間にせまられた状況で錠前を開けた経験もほとんどなかった。まだまだ経験が足りなかった。
思ったように手が動いてくれない――ガチャリという音がするまで、ローズの頭の中は目の前の錠前以外には何も見えなくなった。そして鍵が開いた瞬間、現実に引き戻されたような感覚を味わう。
「ふーっ」
至福の瞬間、開放されたような幸福感と達成感が全身を包む。この瞬間の為に、解封師はいるのだ。まるで味わったことのないような興奮と快楽を得ることが出来る。
「ご苦労さん、ダリルの後ろに続け」
「う、うん」
錠の中の多くはウォード錠と呼ばれるものである。(ウォードというのは突起を意味する)デコボコとした突起が付いた専用の鍵でなければ開かない構造は、千年以上も前に作られたといわれる。
驚くべき点は、それだけの年月を経ても、きちんとあった鍵を使えば宝箱はしっかりと開くということだ。
複雑で精巧な作りであることは当然として、頑丈で劣化がしにくい魔法が仕掛けてある。さらに解錠トラップや呪術数式の発展まで――この封印術の進化は目を見張る素晴らしさがある。
それはまさに芸術作品と言っても大げさではない。ローズにとって錠前と鍵は対になっている夫婦のようなもので、それ自体が宝物と等しいほどの価値があった。夫を奪う泥棒猫のような罪悪感がいっそう刺激的な快楽となるのだ。
三人はリウトの先導で暗闇を歩き続けた。少女の解錠前に、リウトは五分ほどの時間を要して
どれくらいの時間か経っていたのか、どれほどの距離を進んでいたのかローズには分からなかった。何度かリウトはルートを確認して引き返すこともあったし、低い天井の道や、深く下る道もあったからだ。
いくつかの出入り口を通り、階段を下り、石畳の廊下を進み、また階段をあがった。道は細くなったり、広くなったりした。ローズは自分がどのくらい歩いたのか、たちまち見当もつかなくなった。
閉塞感が強くなり、筋肉が震え出した。「少し休もう。もう四時間は歩いている」リウトが察したように言った。「こっちで」
「きゃ!」硬直した身体を掴まれ、心臓が高鳴った。「……急に掴むんだもん」
「あ、ああ、ごめんよ」薄明りの中で
「う、うん」
リウトは少女の潤んだ瞳を見てドキリとした。更にローズはリウトの腕を掴み返してきたのだった。少女の暖かく柔らかい腕が力なく、青年の腕を取っている。
白騎士の鎧は二の腕が開いている。リボンの付いたワンピースの下からローズの胸がしっかりと当たっていた。予想以上の大きな胸のふくらみに、リウトのほうも硬直していた。
「こっ、こっ、こっ、こっちに座ろう」
「ぷっ、お前はニワトリか」とダリルが冷静なツッコミを入れる。
「うるさいんだよ、くそ
そのまま一緒に腕にしがみついたままの少女が愛おしくて堪らなかった。
「儂は、ここで横になる」ドカリと腰をおろす老騎士があくびをする。「ふぁぁ~眠いわい」
「安心して休んでろよ。俺が付いているから」
「ありがたく横になっとるわい」
「爺さんに言ったつもりはないけど」
「……うん、ありがとリウト」
まさか自分がこんなセリフを吐くとは思ってもいなかった。誰かから期待されたり、頼られたりした記憶が無い自分が。
「この区画は、しばらくなら安全なはずだ」
「さすがは〈かくれんぼ〉の
「馬鹿にしてんのか? かくれんぼは子供の遊びじゃねぇんだぞ」
「……」
「ゴブリンに一匹も出会わなかったんですもの、立派だわ。そんな騎士なんて、たぶん貴方達だけだと思うけど――」
「やっぱり、馬鹿にされてる気がするな」
靴を脱ぎ、足を放り出す少女。「ごめんね、足の筋肉が震えちゃって」少女は恥じらいもなく太ももをさらけ出して揉み始めた。
「お前ふくらはぎより、ふともものほうが長いんだな」
「えっ? へ、変かな……」
「う、ううん、全然変じゃないよ」
リウトは思った。なんで自分は彼女の脚の話なんかしてしまったんだろうと。少女に恥じらいの気持ちを与えてしまったら、二度とその脚を拝める機会が無くなるかもしれないのに。
それに、これじゃあ、まるで自分はローズの脚に興味があるみたいじゃないか。もっとよく見せてくれと言っているようなものだ。実際、そう思っていたが。
恥ずかしそうに脚をくねらせる姿は、何とも言えず愛らしい。リウトは、何か別の話をしなければと思った。
「大丈夫か。顔が少し赤いな」(また、やっちまった。また余計な事を言っちまった。むしろ、赤いのは自分のほうじゃないか!)
顔が赤いのを指摘されて、喜ぶ人間がどこにいるっていうんだ。自分が口を開けば、開くほどローズは失望するんじゃないだろうか。リウトはそう思って口を閉じた。だが、また二人は暗闇で目を合わせた。
「あ、赤くないよ……口を開けて」
「え? うん」
ローズは御礼のつもりか、リウトの口に小さいトマトを放り込んだ。甘酸っぱい香りが口の中に広がった。「最後の、あげる」
「うまい……少し、寝るんだ」
「うん」
「疲れたろ」
「うん」
「ごめんな。頼りなくて」
「ううん」
「きっと、すぐお前の親父さんに会えるよ」
「うん」
「……」
まだ幼さの残る少女に腕を抱えられながら、リウトの心臓は脈打っていた。これ以上、会話を続けていたら、また女々しい事を言って少女を幻滅させてしまいそうだった。
いや、それ以上かもしれなかった。また、彼女の前で泣き出すことすらあると思った。
「スー……スー……」
肩にもたれ掛かったまま、少女の寝息がリウトの耳元にかかった。彼女の呼吸と心拍音が聞こえ、穏やかなリズムを感じた。
「安心して眠ったようじゃな」老騎士の声が暗闇に漏れた。「まあ、疲れていたんじゃな。まだ人を見る目が肥えてないのかもしれん。儂らの真ん中にいて眠れるなんてのは、まだ幼い娘だけじゃろうよ」
「どうかな。あんたより愚痴や不平はこぼさなかったと思うぜ」
「ぶっ!」老騎士は吹き出して言った。「儂は本気で文句を言ってたわけじゃないぞ。この娘のことを思ってだな」
「ははっ、分かっているさ。でも、この娘だっていつまでも子供じゃない」
「あ、ああ。そうだな、儂もそう思う。半端者の儂らを、ちゃんと認めて頼っておるんじゃ。応えてやりたいわい」
「ふふ、確かな剣の腕を持っているだってさ。そんなこと言われたの、初めてだろ?」
「お前こそ、大魔法使いなんて言われたのは初めてじゃろうが」
「ああ」リウトはローズの安らかな寝顔を見つめた。「生まれて初めてだ」
孤独に慣れていた――この娘と騎士達には共通点があった。長い間、孤独や沈黙を背負い、慣れきってしまっていた。そして自分のことは自分で何とかしようと生きてきた。
それは助け合うことの尊さ、重要性を忘れてしまうほど長い時間だった。少女に出会う前は、見下し合っていた二人にも、いつしか強い信頼関係が産まれていた。多くを語らなくとも、考えていることが互いに分かった。
「なんとしても、その子を無事に父親に届けてやりたいもんじゃ」
「ああ、勿論だ」
「そう言ってお前が手をだしたら、承知せんぞ、ロリコンモンスター」
「出さねぇよ! ぜんぶ聞いてやがったな。クソ爺ぃ……」
「クックック」
「ニワトリかよ」
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