第7話 温泉宿と封鎖地区

 浴室から正面の食堂には粗末だが暖炉があり、レンガ造りの歪んだ宿屋にしては立派なテーブルが正しく並んでいた。


「びっくりさせちゃったわね。いくらなんでもあの格好でしょ」太った女中の甲高い声が聞こえた。「女湯に向かわなきゃ、てっきり男の子だと思ったくらいよ」


「そ、そうですよね」


「あらぁ、とっても似合うじゃない。お詫びにそれ持っていっていいわよ」


「そんな、こんな素敵なワンピース。申し訳ないです」


「いいのよ。私のお古だし、どうせ誰も着ないんだから」


 風呂上がりのリウトは、太った女中と若い娘が楽しそうに話しているのを見かけた。どこかのお嬢さんだろうか。


 ドレープ感のあるシフォン生地にリボンが付いたワンピース。艶のある髪で、色白で、清潔感のある、まるで高貴な聖女がそこにいた。


「ちょっと待って。ベルトは旦那のホルダー付きで男っぽいのしかなかったけどサスペンダーなら子供用のが確か。ほら、あったわ。あなた意外と胸があるわね。ちょっと子供用じゃ小さいかしら。やだ、この組み合わせって、可愛いすぎっ!!」


「は、ははは」


「だって大き過ぎるベルトに細過ぎる身体でしょ、小さ過ぎるサスペンダーに意外と大きい胸、くわえて長過ぎる脚にはショート・ブーツ。このギャップ萌えが、堪らないのよ!」


「ははは、ほんとにありがとうございます」


「いえいえ、楽しませてもらったからお礼はいらないわ。あの死体みたいに見える緑色のボロ袋は捨てさせてちょうだい。いいわね?」


「は、はい」


(ボロぶくろっ!?)


 折り返しのついたブーツのおかげで背の高さが変わっていた。そのせいで、すぐには分からなかった。


 薄汚く黒ずんだ肌が、透き通るほど白かったこと。ベタついた黒い頭髪が、実際は明るいブラウンだったこと。濃いブラウンの瞳とぴったりではないか。まるで別人だった。


「ろっ、ローズなのか――」


「ああ、リウト。どうしたの、急に。さっきからここに居るじゃない」


 ついさっきまで、ローズを汚くて生意気なドブの臭いのする少女だと思っていた。もちろん多少は可愛いことは知っていたが。


 髪を梳かすことも、華やかに笑顔を見せて笑う事も知らない、単なる子供ガキだと思っていたのだ。そんなわけはないのだが。


「おなか空いたね。女中さんが注文をしてくれって、いってたわよ」テーブルについたリウトはローズに見とれまいと、必死だった。「どうかした? ねえ、この格好じゃ目立つかな」


 少女がベージュのワンピースの裾を摘まんで見せる。そこにいるのは恐ろしく可愛い生き物だった。と、いうか女性だった。


「いや、目立つってほどでもないよ。地味な色だし、地味に動きやすそうだし、地味に暖かそうだし、地味だよ」


 そう言いながら内心では、地味で何も整えていない状態でありながら目立つのは、彼女自身の責任だと訴えたかった。白く細い二の腕が眩しい。


「ふぁあ~っ」


(な、なにっ!?)


 その両腕をぐっと伸ばし、首の後ろに放り出すようにもちあげる。そして恥ずかしげもなく大あくびをすると、口の中がチラリと見えた。


 とっさに少女から、リウトは目を下に逸らした。どういうわけか、こちらの方が恥ずかしい――。(ちくしょう、なんでだ?)


 逸した目線の先では、なんとワンピースの裾が釣り上がっていく。今度は、白く長い太ももが眩しくうつった。足が長すぎて裾丈が短く見えるようだ。


「うん、ん~」ローズが伸びをすればするほと、裾丈はどんどんと短くなっていく。リウトは、どこを見ていいのか分からなくパニックになりそうだった。


 直視はしたいが、そんな姿をローズに悟られる訳にはいかない。絶対にいかない――。(だから、なんでだ?)


 特技の〈かくれんぼ〉を使い、少女の視線が逸れた瞬間にガン見するか。今まで目の前の人間に対して特技を使ったことは無かったが。


 リウトはゆっくりと覚悟を決め、呼吸を整えた。やってみる価値はあると判断した――。


 その瞬間、ローズが語り掛けリウトはギクリとした。「ねえ、宿屋のおばさんがくれた服、やっぱり返そっかな。なんか恥ずかしいし、目立つもん」


「そ、そっか? でもまたボロキレ着るのも、どぉかなぁ。なんかあれ臭かったぜ。それに、すっきりしてさ、きっ……綺麗になった」


「うん、リウトもすっきりしてハンサムになったよね」


「はぃうっ、うん」(きゅうに“はい”って敬語になっちまうところだったぜ)


「なんか、さっきから変よ?」


「もともとこうだけど」(可愛い娘の前では)


「やあ、お二人さん」その時、赤い顔をした湯上がりのダリルが水差しを持ってテーブルに着いた。「リウト、女の子をじろじろ見るんじゃないぞ」


「いやいやいや」リウトは右手を大きく振った。「いやいやいやいや! 違うから。服だから、見てたのは!」汗が噴き出して耳が赤く、熱くなった。


「馬鹿じゃないの?」声も上ずっている。「馬鹿は俺だとか思ってるかもしれないけど、馬鹿じゃないのか、爺いは!」


「じょ、冗談だったのに、そこまで必死に否定するかの」


「ははは……はは」


「ダリル、さっぱりしてハンサムになったね」


(誰にでも言うんかぃ!)


 この時、青年は薄っすらと考えていた。本人の目前で〈かくれんぼ〉の能力が発揮できれば、何もかも覗く事が出来るに違いないと。そう、この世界の何もかも。


 リウトは鳩のパイを三つ頼みローズに一つ勧め、老騎士はワインを頼んだ。パイに夢中でかぶりつく三人の前に太った女中が立っていた。


「どうかしたかい?」ダリルはジョッキを置いた。「白騎士が珍しいか。儂らはロザロの街に向かう道中だが」


「……」太った女中はやっと口を開く。「子供を連れて行くのが任務なの?」


「ああそうじゃ。子供を連れて行くのが任務なんじゃ。疑るのも無理はない」ダリルは言った。「まだまだ子供だが、立派な解封師だ。ロザロの街に送り届けるのに、これから峠を越えるつもりじゃ」


「まあ、丁度良かった。ぜひお願いが御座います。騎士さま」


「ふむ。話は聞けるが、儂らは任務中じゃからな」


「そっちは」太った女中は続けた。「新米騎士のようね」


「お言葉の通りだ。もう二年以上騎士をやっているが、誰も俺には期待していない」リウトはパイを頬張って言った。「剣やら鎧やらが綺麗なのは、俺が強いからだとは思わないのかね。まあ、見た目ほどマッチョじゃないけどさ」


「……」太った女中は返事もせず、話し始めた。「ベルファーレの峠に黒騎士が集まっているのは知っているかしら。もう何人も白騎士が殺されたわ。あいつらは、きっとロザロの街に攻め入るつもりだわ。一刻も早く、このことを街にいるミルコ隊長に伝えて欲しいの」


「いい情報だ、ありがとう。残念だが、儂らは峠を迂回する事にするよ」


「ああ」リウトは頷いた。「危うく、峠の道を通るところだった」


「危なかったな」


「……」ローズはフォークを置いて二人の騎士を見た。「それじゃ、いつまでたってもロザロの街になんて着かないわ」


「まさか敵の待ち構えている峠を、抜けられるなんて考えているのか?」


「返り討ちにされるに決まってるじゃろ」リウトに続けて老騎士も弁解に回った。「すまんな。そろそろガッカリするのにも慣れてくれ」

 

「違うわよ」ローズはクビを振った。「二人とも。私はそんな事を期待して言っているんじゃないわ。炭鉱を抜ける道があるのよ」


「坑道か。ああ、女中さんに聞いたのか。たしかに近道ではあるが、今は封鎖されて通れないらしい」老騎士はワインを一口飲んで続けた。「封鎖地区というのはトラップが仕掛けてあるかモンスターの巣窟になっているか。だから封鎖地区なんじゃ」


「私たちなら、すんなり行けるんじゃないかしら。トラップだろうと錠前だろうと、私なら解除できるのよ」


「俺だって下級モンスターくらいなら〈かくれんぼ〉で切り抜けられる」


 女中はジョッキにワインを注ぎながら、坑道にゴブリンが住み着いていることを教えてくれた。ただでさえ、冷戦時代には何百人といた村の人々が戦争で突然いなくなったことを悲しんでいたし、村に残った数少ない人々では、とてもモンスターにまで対処はできないと心配していた。


「ゴブリンていどのモンスターなら、ダリルも遠慮なく叩き斬ってやれるんじゃないか。意外に簡単に行けるかもしれないと思うけど、どうだい?」


「わかった。じゃが、儂みたいな者がここまで生きてこれたのは、少しくらいヘマをしたとしても大丈夫なように、用心してきたからじゃ。ちゃんと話を聞いてくれよ。儂が無理じゃと判断したら――おい、リウト、聞いているのか。はっきり言っておくがそのときは必ず、この場所に引き返すんじゃ。でなけりゃ、まずはじめに、お前が命を落とすことになる」


「ああ――」とだけリウトは言った。臆病者の老騎士は、これまでに何人もの騎士が死ぬのを見たと確信した。その言葉に聞く耳を持たなかった連中が、実際に順番通りに逝ったのは、間違いないと思った。



【装備品一覧】

〈白騎士ダリル〉

 武器……鋼のショート・ソード 

 装備……白騎士の革鎧ボイルド・レザー

 宝珠……勾玉のお守り


〈白騎士リウト〉

 武器……新品の鋼のショート・ソード

 装備……白騎士の革鎧ボイルド・レザー

 宝珠……パーゴ村のリング・ピアス


〈解封師ローズ〉

 武器……ツイン・グラス・ダガー

 装備……厚革のベルト付きワンピース

 宝珠……ソロモンの指輪(模造品)

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