第6話 炭鉱の村ヴァッレ
小川に沿うよう馬車が進んだ距離は、僅かだった。狭い傾斜路から山道に入ると、迷路のような小道が続いた。どれも十メートルと真っ直ぐには伸びていない。
老騎士は小道が交わる合流点にくるたび馬車を止めては地図を出し、目印になるようなものを探してはメモに記入していた。
臆病者と呼ばれる老騎士ダリル。その反面では、慎重で思慮深く、同行するパートナーとしては最高だと少女は感じていた。
誰もいない丸太小屋には二回押し入った。どちらも人はおらず、寒くて埃っぽかった。ダリルが重たい扉を揺すって開け放つと翼のある何かが、風を切って飛び出していったが、老騎士は慌てることなく笑っていた。
肩に食料袋を担いで小屋に入るリウトに付いて少女だけは警戒し、身構えていた。まだ他に、天井付近に鋭い目をした何かが羽ばたいていることに気付いていた。
「なあ、あのハトが襲ってきたら、その暗殺者のダガーで守ってくれよ」
「へっ? え、ええ、いいわよ」
「ぷぷぷっ、そっちの
「試してみる? あなたで」
「勘弁してやってくれ。リウトは、教師に
「おいおい、それは言わない約束だぞ」
「「アッハハハハッ!」」
青年は顔をしかめたものの、大して気にしていない様子だった。何日かの食事は最高だった。食材は豊富にあり綺麗な水もあった。
勿論、宝石や食料を持って旅をするのは危険に違いない。だが、少女にとって二人は生きた知恵そのものだった。
常に危険なコースは避け、人気のない小屋を拝借する。危険に満ちた旅をする冒険家より、物語にも出てこない彼らのほうが立派なのではないかと思えるほどだった。
「本当に美味しいわ。野草でこんなに味がかわるなんて」
「だろ、肉も柔らかくなるんだ」
「どこで料理を勉強したの?」
青年は少しバツの悪そうな顔をして鼻を掻いた。「レンギルの学生食堂。ほら、いつも昼飯は一緒に食うやつがいなくて調理師の婆さんと食べてたから、料理を教わったんだ」
「お、お婆さんに御礼が言いたいわ」
「ああ。でも、爺さんに間男だと思われて食堂は出入り禁止になったから、直接は言えないと思うけどな」
「若い学生が一人で毎日来てたら不振に思うわな。美人の調理師さんじゃったのか」
「ああ、テキパキとよく働くんだ。連れて帰りたくなったよ。笑うと、しわくちゃになって見ちゃいられなかったけどな」
「「あはははは」」
食器を置いてローズが言った。「ねえ、ずっと気になってたんだけど、二人はこの戦時下で自由に行動してるってことは何か特別待遇でもうけてるの?」
「そ、そうだな。エリートってやつかな」
「嘘はよくないぞ、リウト」
百人からなる第一部隊から数えて四番隊に属していた老騎士ダリルは、ある特別な任務を受けていた。
十日以内に目的が達成出来なければ、脱走兵の扱いを受けて強制労働施設に送られるか、死刑にされる可能性もある。
手ぶらで部隊に戻ることも許されないという切迫した状況だった。魔法封印された宝箱を開けられる人材を連れてこいという指令である。
解封術の使える人材、手品師だろうが泥棒だろうが構わないから、その技術と経験を持った人間を探して来なければならない。
運び屋の異名を持つリウトは、この命令の巻き添えになった。自由な行動が許されている点では特別待遇ともいえたが、二人の気は沈んでいた。
既に九日が経過している。二人は現実から目を背けるように互いに目を合わせようとしなかった。こんな無茶な命令を受ける理由は一つ。
戦力外であるからに他ならない。部隊の食い扶持を減らし、優秀な解封師が入ってくれば、一石二鳥の命令である。
「それじゃ、一刻も早く部隊に戻らなきゃならないじゃないの!?」
「まあ、待てって。何日か遅れたくらいで本当に強制労働施設になんて連れていけるもんか。逃亡兵は死罪。重すぎる刑罰がまかり通れば隊の士気にもかかわる」
「楽観的じゃな。儂らが居なくとも部隊は何ともない。逃亡兵を狩るための騎士もおるくらいじゃ。先は気を付けて行かなきゃならん」
「ひどいわ、味方なのにどうして……」
「剣と魔法の世界で、戦わない騎士は罪人扱いなんだよ。俺らは地を這うミミズ以下だ」
いざ行動を共にしてみれば食料の調達や狩りの技術、馬の捌きかたから荷物の上げ下ろしまでが少女の想像以上だった。
老騎士の馬の扱いには、感動すらおぼえた。ローズは精霊魔法で操られた動物を見たことがあったが、それ並みか、あるいはそれ以上に馬はダリルに従順だった。
彼らは自分が思うより、はるかに優秀なのではないか。部隊でつまはじきにされている厄介者のはずの彼らが。そう思えば思うほどローズは許せなくなった。
「直ぐに行くべきだわ。私が行けば、みんな助かるのよね……だったら」
「おいおい、後悔するぞ。俺は初めから反対だった。こんな小娘を荒くれだらけの百人隊に連れていくつもりはないんだ。だろ?」
「はてさて。儂は、逃亡兵じゃないからの。解封師を探すつもりじゃよ。街まで行って」老騎士はやり切れぬ義務だと言わんばかりに両方の肩を持ち上げた。
「親父さんに決めて貰おうと思っとる。この娘は未成年なんじゃし。ロザロで親父さんを探すんじゃ。親父さんは名のある解封師じゃろ」
「ははは、上手く逃げたな。でも下手にうろつけば反逆者扱いで強制労働施設に送られる。街で解封師探しをしている奴なんか、すぐに目につく。いっそ、逆に騎士宿舎に忍びこんで魔法アイテムやらお宝やらを盗んで親父さんを捜したらいいかもな」
「おまえは本当に馬鹿じゃな。ただ父親に会いたいだけの子供だぞ。なんで犯罪者にならなきゃならない」
「ご老体。でかい身体してるくせに肝っ玉の小さいやつだな。せっかくの能力、自分のために使って何が悪いんだよ」
カッとなった老騎士はリウトの胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。だが、リウトが俊敏に位置を入れ替えたため、その腕はローズのぶかぶかなチュニックを掴んでいた。
「まっ、またやりおったな!?」
「あっははは。ちゃんと現実を見てないからそうなる。臆病者は何にも見えて無いし、何にも耳に入らないんじゃねえか」
「す、すまなかった。ローズ」老騎士は慌てて、離した腕を悪気は無かったというように天に向けた。
「ううん、喧嘩はもういいから。私のことで怒らないで、ダリル。こんな状況ですもの、後悔したっていい。危険だなんて言ってられないよ。軍に行くのに文句なんてないわ。死んだって恨んだりしないよ」
ダリルは
「ああ、お前が百人隊に入ったとしても俺たちが助けにいくよ。勝手に死なれちゃ困る」
「ほ、本当に!?」少女はその言葉を長く心にとどめておくように、大きく息をすい飲み込んで言った。「すごく嬉しい」
「食堂のお婆さんに礼を言ってもらわないといけないし、後悔していたら俺の言った通りだったろって伝えないといけないからな」
「「ぷっ……ぷはははは」」
二日後。馬車は長く続いた牧草地を抜けて、登山道へと入っていった。山の天候は気まぐれで『炭鉱の村ヴァッレ』に到着するころには、冷たい雨が降っていた。ぬかるんだ土は赤く、鮮血に染まっているかのようだ。
「宿をとろう。風邪をひいちまう」そんな危険は冒せない。ローズは老騎士ほどたくましくはないとリウトは思った。「ずいぶんと寂れた村だな。まともな宿が一軒もない」
「炭鉱が封鎖されて、禁止区域になったようじゃな。それにこの雨で、みな引きこもっておるんじゃろうて」
見覚えのある風景だった。そこは少女の住んでいた土地の丘によく似ていたが、その先の景色は違った。
ロザロの街へ向かうには、この先に切り立った断崖の続くベルファーレの峠を越えて行かねばならない。
濡れ鼠になった老騎士は粗末な宿屋を目指して馬を止めた。薄汚れて寂れた宿にも風呂があったのはありがたい。
歓迎する太った女中に案内され、硫黄の匂いが漂う天然温泉に入る。冷えた体を熱湯で洗えるだけでも、最高の幸せであった。
「かーっ、気持ちいい!」
「ふうーっ、疲れが取れるわい」
ふたりと別れ女湯に向かったローズはオリーブ色のチュニックを脱いで、匂いを嗅いでみた。臭いだけではなく、襟はひどくほつれ、裂けた肩の袖はいいかげんに縫っただけのありさまだ。
男装のために汚していた体と、短く切って張り付いた髪を丁寧に洗った。ふと手を止めて、このあとのことを考えた。時間は飛ぶように過ぎていく。長い間、ただ待っていたからかもしれない。
老騎士が任務を受けてから、ちょうど十日が経とうとしていた。全身にこびり付いた汗と泥をながして、熱いお湯に浸かった。カンテラかガス灯のほのかな明かりがお湯に反射して、心までが癒やされる。
体があたたまり、いい気分になってくる。最高といっていい気分に。これまでの人生で最高といえる気分だった。何ヶ月も人と会話すらしていなかったのだ。何かに属している、誰かと共にいる。そう思うだけで、自分の居場所があるような安心感をおぼえた。
ふいに脱衣所に明かりが灯った。小さな窓から黒い人影がこちらを見ている。女性の人影のようだったが、はっきりしたことはわからなかった――。
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