第5話 レンギル魔法大学

 は生まれつきあった能力だった。


「俺の産まれた村では昔からバカバカしい『かくれんぼ大会』っつう祭りがあるんだ」リウトは重い口を開いた。


「隠れ里パーゴ」老騎士はこの話を楽しもうとしていた。「田舎独特なキテレツな祭りというやつじゃな?」


「そうだよ。まあ、詳しくは言わないけど、その村では、そこでだけは、俺は英雄扱いされるほど有名な神童だった」


 まずは〈オニ〉の顔を認識することが必要不可欠で、それを見てイメージする。誰にでも見たい未来や、見たくない過去があるように、見たくても見れない〈抜け道〉が存在する。


 それほど難しいことではない。相手をよく見て〈オニ〉の視野がどの位あって、どこなら視えないか把握するだけのことだった。


「はっ! かくれんぼの名人だっていうのか」


「ああ、可笑しいだろ」青年は自嘲して肩を揺らした。本当に負け知らずだった。青年の名は遥か王都の女教皇アリシア様にまで届いたのだから。「奨学金まで用意してくれたんだ。喜んで進学したよ」


「レンギル魔法大学、超一流の大学じゃ」ダリルはローズに説明を加えた。「じゃが魔術師にはなれなかった。まさか大学で馬鹿が発覚したのか?」


「ダリル」青年はため息をついた。「真面目に聞く気は、なさそうだな」


「いや、すまなかった。続けてくれ」老騎士はスープを啜りながら、上目づかいでこちらを見ると、話を進めるように手を振った。


「あんたの言う通りさ。教師にはっきり言われたよ。貴様は遊戯が得意だという理由でここにいるのか。ならば、正気とは思えない。さっさと荷物をまとめて田舎に帰れ、とね」


「そんなこと言う権利はその教師には無いわ」ローズの真剣な目が刺さる。「酷いわよ。教師なら、才能を伸ばすのが仕事じゃない」


「ま、まあそうだな」


 驚いていた。大学では教師だけではなく優しい顔つきの女性さえも魔術の使えない生徒を、同じ人間だとは思わなかったのだ。


 ガン無視対象。学生はすべてライバルとして教育されていたのだから、それは仕方のないことでもあったが。


「ありがとう、ローズ。ありがとう」


「ううん、続けて――」


「あ、ああ」


 先まで読める代わりに字を書く能力は無かった。ほんの少し先の未来が見えること。これは、何なのか? 考えて答えがあるものでもなく、よく解らないないもの。


 弱い頭の人間には理解できないものが含まれていると感じていた。理解できないものは無益なものと同じ、むしろ重荷でしかない。


 黒板に字を書くだけでも、手より先に映像が入ってきてしまえば、他人の何倍も混乱するばかりで何のメリットもない。

 

 幼いころから、その調子だったから周りから「危険人物」や「馬鹿」の称号を得るのは容易かった。超田舎どいなかの里を出るまでは、もっと強気で勝ち気な性格だったかもしれない。


 父親はいない。母と妹と三人で暮らしていた。村では可愛い妹を馬鹿にする連中を捕まえては、よく殴りつけていた。


 攻撃までが読めるのだから、喧嘩で負けることはなかった。腕っぷしにも自信があり、剣士になれると信じていた。愛しい妹に自分の腕を斬りつけられるまでは。


 誰かを傷付ければ、必ず自分も傷付く。心の中までは読むことは出来ない。そうして幼かった妹は、娼館に売られていった。


 すべては自分の馬鹿な行動のせいだった。母親の手が震えていたのを見ていた。どうして震えているのか、俺は知らなかった。大切な人の心まで、読むことが出来なかったのだ。


『おい、貴様。その年になっても、まだ字も書けないのか、やる気がないのか? 怠け者、愚か者、出直してこいっ!』


 大学では毎日がそんな始末だった。どれほど成長しても、この神秘的な能力を突きとめようなどと思えなかった。考えたくもなかった。


『あんた隠れるのだけは上手いらしいな。それが戦場で役にたつと思うか。誰がお前みたいなウジ虫野郎と組むかよ』


 自分のような単純な人間が、自然の摂理だの崇高な原理だの神聖な役割だのといった盲目的な、信仰に似た価値観を知る資格、関わる資格はないと感じていたからかもしれない。   


 周りに友達は一人もできなかった。実際に馬鹿だったのだから仕方がない。全く魔術なんて使えないのだから。


 卒業式の日だった。母親が大学に来たのだ。あの超田舎から高い旅費をかけて。大聖堂の前には椅子が並べられ、各地の重鎮が賛辞と祝福を告げに来ていた。将来有望な卒業生たちを見にきていたのだ。


「母親は初めて知った。俺がまともな大学生活を送っていなかったことを。簡単な魔法数列すら組めず、着座して講義を受けることも許されていなかった生徒だと」


「……辛いのぉ」


「連中は俺の母親まで馬鹿にしやがった。卒業式で教師が何て言ったと思う?」


「想像もつかん」


「親の顔が見たいと思っていたのです、だってよ。彼がこの大学を卒業できるのは、これ以上奨学金を無駄にさせないためであって、大学始まって以来の特例中の特例だと。ご丁寧に俺が大学の恥さらしだと教えてくれた」


 リウトは食べ終わったスープ皿を投げ出し、肩を丸めて座りなおした。


「母親はどうした。勿論、怒ったんだろ」


 式場は笑いの渦だった。「うつむいて震えていたよ。それ以外なにが出来るって言うんだ」


 あの時、母親は身体を小さくして広間の真ん中に座っていた。耳を真っ赤にして、ハンカチを目に押し付けていた。


 周りにいた学生や、親たちの笑い声と侮辱の込められた視線に晒されると、唇を震わせてうなだれていた。


 ハンカチを持つ指先も震えていた――母は全身を震わせていたのだ。母にとって俺は、唯一残った自慢の息子だった。


 唯一の希望だった自分のせいで、身体を震わせて悲しみに息を乱していた。それが今でも耐えられない。思い出すだけで胸が締め付けられるように痛むのだ。


 努力は惜しまなかった。惜しんでいれば、まだ救われた。入学から全ての時間は大学に所蔵されている魔術に関する書物を読み漁った。


 卒業のわずか三日前に、所蔵本の全てに目を通し終えた。その数、一万冊。教師ですら、その全てを読んではいない。だが魔法使いの本には、魔法が使えない人間の為のレクチャーなど全く書いていなかった。


「分かるるようになったのは、地図や魔術の知識と、お宝の鑑定くらいだよ」


 諦めるな、努力するんだ。駄目な人間なら他人の何十倍、何百倍も勉強するしかない。そう思って、そう自分に言い聞かせて孤独に耐え、死ぬ気で学んだ。

 

 全て、四年間の全ての努力は、無駄に終わった。リウト・ランドの学生生活は何の変化もなくあっけなく終わった。報われない努力ほど、むなしい物があるだろうか。


 笑み。ゲラゲラと同輩や教師達の笑い声が響いていた。大切な人のたった一つの名誉を守れなかった。


 ただそんな自分を恥じらい、もじもじとしながら周りの評価にあわせて母を見ていた。最低な連中と調子をあわせ、気の利いたことは何も言わず、ただ笑っていた――震える母を。


「一緒になって、笑っていたんだ。なあ、俺は、俺は最低な人間だろ……なあ、俺は本物の馬鹿だろ?」彼は記憶を振り払うように手のひらで顔を擦った。


「あきれた教師だ」老騎士は囁くようにいった。「いやな話を思い出させちまったようだ」

 

「待って。魔力の――」少女はうつ向いてこぶしを握りしめていた。「ベクトルが極端に防御むきなのかもしれない」


「俺には魔力なんてなかったんだよ」


「ううん、あんなに的確に黒騎士の動きが読めたのよ。私も魔術は使えないけど解封師の勘で分かるわ。魔力はあるはずよ」


 そのこぶしに、ポタポタと水滴が落ちているのが見えた。肩を震わせて、言葉を搾り出しているように見えた。


「よしてくれ。有ろうが無かろうが魔法数列が組めないんだ」


「火を起こすのに五分もかかる魔術師。なら時間をかけて、立ち止まってなら魔法は使えるのよね」リウトの顔の近くに身を乗り出す。その頬にはピンク色をした線がついている。「部分的に組めないのじゃないかしら?」


「どういうことだ、ローズ」ダリルが言う。「儂にも分かるように説明してくれ」


「えっと……防御魔法っていうのはダメージを減らす方法と、全くダメージを受けないようにする魔法の二種類あるっていうのは分かる?」


「ああ」


「リウトのやっていることは、ダメージを受けないようにする魔法なのよ」


「……」彼女は泣いていたのだ。大切な母と同じように言葉を震わせ、泣いている。


「回避魔法の一種ってことじゃな」


「うん。その究極系は攻撃を予知する能力よ」


「おいおい、こいつは呪文も宝珠アクセサリも使っていないんだぞ。儂にだってその話がおかしいことは分かるぞ」


「き、聞いて――とにかく回避魔法を使いながら、時間や空間に密接に関係する魔法数列を計算して組むことなんて出来ないのよ」


「じゃあ、何か? ずっと魔法を使いっぱなしってことか」


「ずっと、産まれたときから使っているのよ」少女は断固とした口調で言った。「あなたは今も回避魔法を使っているのよ。だとしたら、素晴らしく優秀な大魔法使いかもしれないわ」

 

「……」口を開けたまま、呆然としたリウトの顔があった。その頬にはうっすらと涙がにじんでいた。少女は無意識に彼の頬をつたう涙を、細い親指で拭った。


「うそうそうそっ!」言ってからリウトは自嘲するように笑った。涙を流したのは、生まれてはじめてだった。


「ぷっ」少女はたくさんの涙を溜めた目をむけながら、優しい微笑みを漏らした。

 

「ぐすっ、泣きたくなった。強くならなきゃならないと思って白騎士になったんだ」


「うん。私も……泣いちゃった」少女の頬に涙が伝っていくのが見えた。更に涙はポタポタと溢れだしていく。


「おもいきり泣け」ダリルが言った。「身内を泣かした時は、一緒に泣けばええんじゃ」


「ごめんよ、ごめんよ。泣いていたんだ。母さんも、妹も、俺も、ずっと涙を見せないように泣いていたんだ」


 少女の流した涙。それ見て青年は初めて自分も涙を流すことが出来た。彼女を守り、彼女の父親に合わせてやりたいと思った。


「……」


 直ぐには答えず、老騎士は少女の顔を見て言った。「本当に泣くとは思ってなかったよな。情緒のやばいヤツだったんじゃな」


「うん。ええっ!?」







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