第9話 浅慮な者と切れ者

 ヴェストファーレンの街が暗闇に包まれた頃、義憤に燃える青年ダニエルは錆びた短剣を手にして、旧代官屋敷への侵入を試みようとしていた。


 彼の脳裏に浮かぶのは徴税によって飢えて死んでいく住民と、醜悪な貴族に蹂躙される姉の姿である。


(今なら殺れるはずだ。そうしなきゃ、姉貴も街のみんなのも助からない)


 今のダニエルは、新しく就任してきた貴族を殺せば全てが解決すると思っていたが、実際にはそんなことは万に一つもない。


 領主を殺したところで、新しい領主か代官が総督府から代わりに派遣されてくるだけだ。

 さらに言えば、貴族を殺せば間違いなく見せしめ行為が行われる。下手をすれば街ごと破壊されてもおかしくはないのだ。

 だが頭に血が昇った彼は、その程度のことすら思い浮かばないほどに追い詰められていた。

 というよりも、自分が悪を断罪する正義の味方だと本気で信じていた。


 圧政に立ち向かう勇敢な自分。悪を裁く正義の自分。そんな大義に酔いしれて、彼は領主屋敷へと忍び込む。

 幸いにも屋敷の警備兵はほとんどおらず、難なく厨房へと侵入できた。



(こんなに食い物が……俺たちは空腹を我慢して日々を過ごしているのに)


 ダニエルは明日使われるであろう食材の山を見て、怒りで拳を震わせる。


(早く領主を探さないと。こんな支配は……俺が終わらせてやる)


 厨房から出たダニエルは、今度は領主を探すために屋敷の中を探索し始める。


(腹の足しにもならねえ美術品ばっかり飾ってやがる。無駄な金があるなら、俺たち使えってんだ)


 そんなことを思いながら廊下を進んで行くと、人の話し声のようなものが聞こえてきた。


「つまり……して街の……を……するのが明日からの仕事だ」

「犯罪組織から……を貰った場合は?」

「受け取って構わないが……と……だけはするように。何れ必要な……だ」


 声の主は一人ではないようで、複数人が会話しているようだったが、扉を挟んでいる為に聞き取りづらい。

 ただ街や犯罪組織といった単語は聞こえ、ダニエルは新しい領主がさらなる収奪を行うつもりだと判断した。


(やっぱり自分の懐だけ潤わせるつもりか!許せねぇ!!)


 怒りに燃えるダニエルはそのまま二階へと上がり、屋敷内を探索していく。

 やがてやたらと豪華な扉を発見して、そこが目的の場所なのだと確信した。

 音を立てないように慎重に扉を開け、隙間から中を覗き込む。

 部屋の中は寝室のようで、天蓋付きの大きなベッドが見えた。


(寝ているようだな。よし、今のうちに殺すぞ!)


 ダニエルは足音を殺してベッドに近づいていく。布団を頭まで被っているために領主の顔は見えないが、この距離ならば確実に仕留められる。

 そう思って枕元に立った彼は、短剣を抜くと勢いよく振り上げた。そして振り下ろそうとした瞬間、布団の中からぬっと腕が伸びてくる。

 それはまるで蛇のように素早く動き、剣を握る腕を掴むと、そのまま捻り上げられてしまった。


「ちくしょう、離せ!!」


 ダニエルは必死に腕を動かそうとするがびくともせず、そのままベッドに倒されて馬乗りにされてしまう。


「代官の差し金かと思ったら、ただの小僧か」


 月明かりが差し込んだことで、ダニエルはようやく相手の顔を見ることができた。

 ブロンドの長い髪に紅い瞳をした少女で、若い男には刺激的過ぎるレースのネグリジェを身に纏っている。

 そんな扇情的な格好をした少女が、不敵な笑みを浮かべて見下していた為に、彼は思考を停止せざるをえなかった。


「な……え……こ、ここは領主の部屋じゃ……」


 混乱のあまり言葉が出てこないダニエルに対して少女は鼻を鳴らすと、彼から降りて側に置いてあった鈴を鳴らした。

 すると隣の部屋で待機していた侍女がやって来て目を丸くした。


「賊が侵入した。ブリュンヒルデを呼んで来い」


 指示を受けた侍女は慌てて部屋を出ていき、ダニエルは我に返ると何とか逃走しようと試みたが、少女はソファに座ると置いてあったワインを飲み始める。

 その余裕な態度に苛立ちを覚えたものの、ここで暴れれば返り討ちにあうことは明白だった。


  暫く待つと、隣室に繋がる扉が開いて騎士服を纏った女性が入室してきた。

 彼女は凛とした佇まいをしており、肩まである赤髪を揺らしながら少女の側に立つ。


「賊の侵入を許してしまい申し訳ありません。直ちに処分いたしますので」


 そう言って腰に下げていた剣を抜こうとしたのだが、少女が笑みを浮かべてそれを制した。


「待て。とりあえず小僧、座れ」


 有無を言わさぬ口調に逆らえず、ダニエルは言われるままにソファへ座った。


「さて、貴様は領主を狙って侵入してきたようだが、お前が狙っていた領主は誰だ?」

「だ、誰って……領主は一人しかいないだろう。貴族に決まってる」

「まぁ確かに領主は貴族だな。それで?お前が想像した領主どんな奴だ?」

「どんな奴って……それは……」


 ダニエルの貴族像は前任の代官テオドールである。その為に目の前の少女が貴族であるという事実一向に気付かないでいた。

 そんな彼の様子を見て、ブリュンヒルデは小さくため息を吐くと、彼に現実を突きつけることにする。


「お前が狙った領主は今、目の前にいるだろう」


 そう言われても理解できないのか、ダニエルは困惑した様子を浮かべるだけだった。


「お前の中の貴族像がどんなものか簡単に予想がつくな。私はマリア・フォン・クラウゼヴィッツ・ハルデンベルク。帝国第二皇女してレーゲンスブルクの総督であり、このルストハイム領の新領主である」


 その言葉を聞いた時、ダニエルは目を大きく見開いた。まさか自分が暗殺しようとした相手が、皇族だとは思いもよらなかったのだ。

 それと同時に自分が犯した罪の重さを理解し、顔面蒼白になる。


「理解したようだな。まぁ貴族を暗殺しようとした時点で一族連座の極刑だ。とりあえず地下牢に放り込んでおけ」


 マリアの言葉を聞いて動き出したブリュンヒルデは、抵抗しようとするダニエルをあっという間に拘束してしまう。

 そして引きずるようにして部屋を退出していった。


「……寝るか」


 騷ぎも収まり静かになった部屋で、マリアは大きく欠伸をすると再びベッドに入るのだが、騒動に気づいた侍女の一人が慌ててやってきたことで、結局眠ることはできなかった。



 ◆レーゲンスブルク 某所◆


 エリザベートがボスである最大の犯罪組織『ノイモント』は奴隷売買、娼館経営、金貸し、暗殺、クスリといったありとあらゆる犯罪に手を染めている。


 しかしそんな犯罪組織に、勝るとも劣らない巨大な商会がレーゲンスブルクには存在する。

 海を渡ったアンダルシア連合王国と主に取り引きを行っている『ヴィアベル商会』である。


 ドミニク率いるこの商会は、アンダルシア連合王国産の食品や海の幸を扱う一方で、奴隷売買でも利益を上げていた。


「商会長、アンダルシア連合王国での取り引きが終了しました。これがリストになります」


 部下から報告を受けて、ドミニクは書類を受け取った。

 そこには名前、性別、年齢といったあらゆる情報が書き込まれている。


「結構な数だ。それに貴族階級が多い。王弟派は余程、金に困っているようだな。まぁ五年も内戦をしていればそうもなるか」


 ドミニクはそう言いながら次の書類に目を通していく。

 彼が見ているのは今回アンダルシアで購入した奴隷リストであり、その多くは内戦に破れた王兄派貴族たちであった。


「困っているなんてものではありませんよ。売れる者は何でも売ろうとしてきます。内戦に勝ったとしても国を立て直すのは容易ではないでしょう」


 部下の言葉を聞いてドミニクは笑みを深めた。その言葉が事実なら、アンダルシアではありとあらゆる物が安値で買い叩けるということだ。


「道理で元貴族の奴隷しては安かった訳だ。そうなると、農産物も安く買い叩けそうだな。現地に指示を出しておけ。この機会を絶対に逃すなと」


 ドミニクの指示を受けた部下たちは一斉に動き出すと、各々の仕事に取りかかる。

 そんな彼らの姿を見てドミニクは満足気に頷くと、自身は椅子にもたれ掛かりながら思案する。


(元貴族奴隷は高値で売れる。女なら高級娼館に愛人、男なら護衛や用心棒として引く手数多だ。さて、どこに売れば利益が出せるだろうか)


 そこまで考えたドミニクは、ルストハイム領に新たな領主が着任したことを思い出した。


(ルストハイム領は近隣だ。挨拶がてらにどんな人物か見定めておくのも悪くないな)


 皇族で総督にも関わらずルストハイム領の領主となった変わり者ならば、面白い商売ができるかもしれない。


 そんな考えに至ったドミニクは早速行動を起こすと、ルストハイム領主に面会を申し込む手紙をしたためるのだった。

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