第8話 腐敗と横暴

 代官屋敷で働いていた執事や侍女を取り纏めることになったリアンナは、先ずは面談から始めることにしたが、一通り終えた彼女はため息を吐きたくなっていた。


(あの代官、本当に碌な奴じゃないわ)


 本来、代官屋敷ともなれば行政府機関となるべき建物であり、侍女であってもそれを補佐すべき人材を配置するものだ。

 しかしここの侍女は前代官が容姿の優れた者を徴集しただけの、はっきり言ってしまえば領地経営には全く役に立たない者ばかりであった。


「そもそも侍女に夜の世話だけをさせるって、いったいどんな神経しているのよ」


 貴族が美しい侍女を侍らすことは、帝国本国でも珍しくはなく、リアンナもそういうものだと理解はしていた。

 だがそれを行政機関で働く人間にまで求めるなど、まともな思考ではない。


「……普通ならば即時解雇で新しい人員を手配するところだけど、そんな余裕はないのよね」


 そもそも帝国本国なら入れ替えも可能だろうが、この領都ですぐに可能とはとても思えない。

 貧しく、識字率も低い領民たちを相手に、有能な人間を確保することがどれだけ大変か、その困難さを想像できないリアンナではなかった。


「少なくとも……礼儀作法に関しては一から教えるよりマシのはず。やっぱり今いる人材を有効活用するしかないわね」


 嘆いたところで現状が変わるわけではないのだから、やれることをやるしかない。

 そう結論付けたリアンナは、まず最初に侍女たちの教育を最優先することに決めたのだった。


 一方で資料の作り直しを命じられたアネットは、違う意味で悪戦苦闘していた。

 必要な書類の提出を役人に求めたところ、用意されたのは全く役に立たない書類ばかりであった。


「なんという……これが資料と呼べる代物?何も分からないじゃない」


 ルストハイム領は領都ヴェストファーレンの他に、港街や鉱山街に農村が複数あるのだが、そこでの税収を記した帳簿や、特産品などを記載した目録などが全くないどころか、人口すら不明という有様だ。

 これでは何がどうなっているのか把握するのも難しいし、対策を打つことも出来ない。


「役人共はこれまで、何の仕事をしてきたのかしらね?」


 怒り心頭といった表情のアネットだが、頭の中では冷静に状況を分析していた。


(この調子ではどうにもなりません。こうなったら……直接出向いて調べるしかありません)


 そう判断したアネットは、マリアに現状を報告する。


「やはりそうか。では第一遊撃騎士団から一個小隊連れて行け。しっかり頼むぞ」

「はいっ!お任せください!」


 こうしてアネットは領内の実情を調べるべく、領都から旅立っていった。


 こうして文官一同が領内の把握に四苦八苦している頃、ブリュンヒルデは街の治安を維持する存在である衛兵隊の隊舎へと足を運んでいたのだが、一同は到着するなり顔を顰めた。


 なぜなら建物内には酒の匂いが充満しており、しかも食堂には多数の人間が酔い潰れて倒れていた。おそらく昼間から酒を飲んでいたのであろう。


 その光景を見たブリュンヒルデは小さくため息を吐く。


「まったく嘆かわしいことだ」

「……本当にそうですね」


 そんなブリュンヒルデの嘆きを聞いて、親衛隊騎士であるグランツが答える。

 彼を含め他の二人も同意見らしく、皆一様に頷いていた。


「とりあえずここの隊長を呼んできてくれ」


 ブリュンヒルデの指示を受けて部下の一人が隊長を呼びに行く。そして待つこと数分、くたびれた三十代半ばの男性が現れた。


「お前がこの衛兵隊の隊長か?」

「そうだが……あんた誰だ?」

「私はブリュンヒルデ・フォン・ハイドリヒ。帝国魔導騎士にして帝国第二皇女の親衛隊隊長だ」


 その言葉に男性は不快感を隠さずに答える。


「魔導騎士……ね。つまりお貴族様だ。それでお偉いお貴族様が平民しかいない衛兵隊舎に一体何のご用でしょうか」「貴様、隊長に向かってなんという口の利き方を――!」

「いい、下がれ」


 激昂する部下たちを制しながら、ブリュンヒルデは一瞬だけ考えて言葉を口にする。


「私はこの隊長と二人っきりで話してくるから、お前たちは衛兵どもを起こして待機していろ」


 それを聞いた部下たちは慌てて反論しようとするが、ブリュンヒルデの有無を言わさぬ眼光の前に沈黙せざるを得なかった。


「では隊長室に案内してもらおうか?」「了承した覚えはないが……分かったよ」


 そうしてブリュンヒルデは隊長の案内で隊長室へと移動する。

 そして部屋に入るなりソファに腰を下ろした彼女は、足を組みながら質問する。


「私は名乗ったぞ。名前は?」

「……ラインハルトだ」


 名前を尋ねられた男性――ラインハルトは渋々答えた。それを見たブリュンヒルデは満足そうに頷くと、率直な質問を繰り出す。


「ラインハルト、お前は貴族が嫌いなのか?」

「当たり前だろう。嫌いを越えて殺したいほどさ」

「貴族の私に向かって言うくらいだ。不敬罪で処されるとは思わないのか?」

「どうでもいい。俺はもう疲れたんだ……」


 そう言ってラインハルトは大きく息を吐き出すと自嘲気味に笑う。

 そんな彼を見てブリュンヒルデは考え込んだ。


「……真面目に働くのは無意味か?」

「当たり前だろ。犯罪者を捕まえたところで、繋がってる貴族どもが圧力をかけて釈放しちまう。下手すれば逆に衛兵の家族がひどい目に遭う。俺の前任者は拉致された上で、妻と娘が何度も強姦されるところを見せつけられて自殺しちまった。拷問された末に豚に生きたまま食われた衛兵もいた。俺よりも若かったんだぞ!」


 そこまで言うとラインハルトは頭を抱えて俯く。その表情は恐怖で歪んでおり、いかに酷い仕打ちを見てきたかが窺えた。


「だから衛兵は仕事をしないと?」

「ああ、そうだ。下手に動けば殺される。貴族どもは俺たちを人間とは思ってない。単なる消耗品だと思ってるのさ」


 そう言うとラインハルトは再び大きなため息を吐いた。どうやら彼は本気で疲れ切っているようだ。その様子を見ていたブリュンヒルデは思わず同情してしまう。


(なるほど、こいつは典型的な被害者だな。今のレーゲンスブルクの現状では、貴族に対する殺意や憎悪が蔓延していてもおかしくはないのだが――)


 実際、帝国を支配する貴族の数は平民に比べれば圧倒的に少ない。それでも平民の叛乱が起こらないのは、貴族のみが魔力を保有して魔力障壁を展開できるからである。これを打ち破るには魔法を当てるか、魔鉱石で造られた魔導武器を使うかの二択だが、魔力を保有していない平民には魔法使用は不可能なので、選択肢は一つしかない。


 しかしその選択肢も魔鉱石を武器に加工するには魔力が必要であり自力での作製は不可能。あとは手に入れる以外に方法はないが、魔導武器は値が張る上に厳重に管理されているため入手も困難だ。


 結局、平民がいくら不満を募らせようとも現状を打破することは不可能なのだ。だからこそラインハルトは絶望して諦めているのだ。それを悟ったブリュンヒルデは計画を修正することにした。


「衛兵隊を取り巻く現状は理解した。その上で通達する。綱紀粛正に努めろ」

「……なに?」


 突然の命令にラインハルトは困惑するが、ブリュンヒルデはそれに構うことなく淡々と説明する。


「衛兵隊は領都内の巡回はせずとも良い。但し今の緩んだ規律を改めろ。朝昼晩、私が派遣した部下の下で訓練にのみ励め」

「……どういうつもりだ?」


 訝しむラインハルトに対してブリュンヒルデは立ち上がって言葉を続ける。


「いずれ分かるさ。話は以上だ」


 そう言って踵を返すと、そのまま部屋を後にする。


「お話はすみましたか」


 部屋を出たところで待っていたグランツが声をかける。それに対しブリュンヒルデは小さく頷いた。


「ああ、しばらくは衛兵隊は訓練のみに注力させようと思う」

「それがいいでしょう」

「ではお前たち三人に命ずる。ここに残り徹底的に衛兵を鍛え上げろ」

「はっ!お任せ下さい」


 三人が揃って敬礼するのを見届けたブリュンヒルデは、マリアに現状を報告するために一人で衛兵隊舎を後にしたのだった。



「……思った以上に貴族共は色々とやってくれているようだな」

「衛兵隊の現状はかなり深刻です。それと貴族と犯罪者共の癒着も酷いようです」


 執務室にてブリュンヒルデの報告を聞いたマリアは小さく息を吐く。


「まあ予想出来たことではあるな。それで、衛兵隊にどんな指示を出したのだ?」

「とりあえず、親衛隊騎士に訓練を補佐するように命じました。また巡回任務については当面禁止させました」

「そうだな。いてもいなくても変わらないなら、訓練だけさせた方が効率がいい。当面の巡回は親衛隊と騎士団にやらせるとしよう」


 その答えを聞いてブリュンヒルデは少し考えてから、マリアに尋ねることにした。


「問題の犯罪組織ですが、取り締まりますか?」

「いや、今は泳がせておく。巡回に当たる者たちにはそう徹底しろ。今の私たちには、あれもこれもと手を出している余裕はない」


 確かにその通りだと思ったブリュンヒルデは黙って頷く。

 現状で一番優先するべきことは領内の現状を把握することと、戦力の強化であることは間違いないのだ。そのためならば多少の問題は目を瞑らざるを得ない。


(いずれ……いずれ全て潰してやる。精々、今のうちに楽しんでおくといい)


 魔導騎士であるブリュンヒルデにとって、帝国を食い荒らす犯罪組織というのは憎むべき存在だ。

 それを叩き潰す日を夢見ながら、彼女は静かに闘志を燃やしていくのだった。



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