第7話 ルストハイム領の現状

 レーゲンスブルク属州の北東部に位置するルストハイム領は、数十年前に領地を治めていた貴族が行方不明になって以降、総督府から派遣された代官が暫定的に管理を行っていた。


 そんな地を治めることになったマリアは、馬車から街の様子を眺めて大きなため息を吐き出した。


「ここまで寂れているとはな。帝国の属州とはとても思えん」

「……これ立て直すのは骨が折れそうですね」


 マリアの対面に座っていたリアンナも、窓の外に広がる街並みに顔をしかめる。

 視線の先には、色褪せた家々が立ち並ぶ光景があった。建物の多くは屋根や壁を何度も修繕した跡があり、見るからにボロボロだ。通りを歩く人の姿も少なく、まるで活気というものが感じられなかった。


「まぁ貴族の横暴に重税が続けばこうもなるか……。リアンナの言う通り、苦労しそうだな」


 偶に見かける住民は、マリアたちの乗る馬車を見て明らかに怯えて警戒している。それほどまでに、貴族は恐怖の対象なのだろう。

 これから自分たちが統治していく街の現状を見て、二人は表情を曇らせるのだった。

 そんなマリアたちが到着したのは、寂れた街とは思えないほど豪華な屋敷だった。旧領主邸を改築した代官の屋敷である。


「……全く、どれだけ住民から絞ったのやら」


 呆れた様子で屋敷を眺めるマリアの横で、リアンナは険しい表情を浮かべていた。

 門の前で出迎えた中年の男は、マリアたちを見るなり笑顔を浮かべて頭を下げた。


「お待ちしておりました、殿下。ルストハイム領の代官を任されております、テオドール・フォン・クロイツと申します」


 テオドールと名乗った男は、一見すると人当たりの良い笑顔を浮かべているものの、その視線は明らかに品定めするように動いている。そのあからさまな態度に、リアンナは内心で嫌悪感を覚えていた。

 一方のマリアはというと、違う意味で不快感を抱いていた。


(レーゲンスブルクでは貴族を咎める者などいない。その弊害か)


 帝国本国は今では実権を失っているとはいえ、その皇帝を頂点としたピラミッド型の貴族社会で秩序を保っている。

 皇族であるマリアに後ろ盾がなく、どれだけ見下していようとも、表面上は敬って見せるのが当たり前なのだ。

 それが貴族制度を維持する為には必要なことでもあるからだ。


 だがレーゲンスブルクは違う。中央から放置された結果、帝国の出先機関でしか無かった総督府が絶対的な権力を持ち、その総督府の力を振るう貴族こそが支配者だと自認するようになっていった。

 その結果、総督府に属する貴族の権力だけが肥大化していき、貴族階級による支配体制は形骸化した。

 伯爵が総督府に属する子爵に頭を下げることすらあるほどに、このレーゲンスブルクの地は腐敗していったのだ。


「……レーゲンスブルク総督にしてルストハイム領を治めることになったマリア・フォン・クラウゼヴィッツ・ハルデンベルクだ。理解できるな?」


 ならばその権力を利用させてもらおうと、マリアは尊大な態度でそう告げた。

 その効果は覿面であり、総督と聞いた途端、テオドールはようやく思い出したのか慌てて頭を下げ直して、すぐに豪華な屋敷へマリアたちを案内した。


「さて、既に総督府から指示が届いていると思うが、本日付けでそなたは代官の任を解かれ総督府へと戻ることになる。当然だが、ルストハイム領に関する引き継ぎの為の資料は揃っているだろうな?」


 屋敷の応接室に案内されたマリアは、ソファに座ると同時にそう切り出した。

 その言葉を聞いたテオドールは、慌ててながら執事長と思われる初老の男性を呼びつけ、引き継ぎの為の資料を持ってくるように指示を出した。

 それから数分もしないうちに、書類を持った執事長が部屋に現れた。


「こ、これが引き継ぎの為の資料になります」

「ご苦労」


 差し出された書類を受け取ったマリアは、その内容に軽く目を通していくが、すぐに呆れたような表情を浮かべた。

 それもそのはず、引き継ぎの為の資料でありながら、あまりにも内容が杜撰で、しかもいい加減なものだったからだ。

 これではまともに仕事をしていないと言っているようなものだ。


(これでは何もわからないではないか。役立たずにも程があるぞ)


 あからさまにため息を吐き出したマリアは、資料をテーブルに放り投げて告げた。


「よく分かった。ご苦労だったな、テオドール。後のことはこちらで処理しておくので、お前は今すぐ総督府へ戻る準備をするといい」

「も、もうよろしいのですか?」


 いきなりそう言われたテオドールは、困惑しながらマリアに聞き返した。


「構わん。総督府はお前の帰りを待っている。早く戻って安心させてやれ」


 いても役に立ちそうに無い以上、マリアはさっさと追い出すことに決め、適当な言葉でテオドールを追い出した。


「はぁ……リアンナは早急に屋敷に残る執事長と侍女を取り纏めろ。アネットは資料を作り直せ。いいな」


 マリアは指示を受けた二人が出て行った後、ソファに深くもたれながら背後に控えるブリュンヒルデに愚痴を溢した。


「人というのはこうも怠惰に過ごせるものか……引き継ぎ資料一つまともに作れないとはな」

「この分ではまともに帳簿をつけていたかも怪しいのではありませんか?」

「……考えたくない話だな」


 マリアは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、天井を仰いで大きなため息を漏らした。


(全て一から把握する必要があるなど冗談ではない。それに代官があれでは、役人共にもまともな者はいないのだろうな。うんざりだ)


 内心で毒づきながらも、それを表に出さないだけの理性はあったようで、マリアはすぐに思考を切り替える。


「文官共は私が何とかしよう。問題は衛兵隊だ。道中、一人も見かけなかった」

「やる気がなくてさぼっている。賄賂を貰って働かない。理由は色々考えられますが……」

「とにかくケツを叩くなり、見せしめに殺すなり、方法は任せる。衛兵隊を鍛えろ。即戦力になりそうなのはそれしかいないからな」


 手持ちの戦力が親衛隊と第一遊撃騎士団しかない以上、早急に戦力を拡充する必要がある。

 いつオットマーがこちらの思惑に気づくか、分からないのだから。


「了解しました。そういえばガウェインは今、どうしていますか? 」

「ん?あぁ、あの爺様なら上手くやっているようだ。報告書には女の家に住まわせて貰っていると書かれていた」

「……まさか任務を忘れて遊んでいる訳ではありませんよね?」


 どこか呆れた様子のブリュンヒルデだったが、それを聞いたマリアは笑いながら答えた。


「さぁな、もしかしたらよろしくやっているかもしれんぞ?」



 ◆◇◆◇


 夜の帳が降りた頃、領都ヴェストファーレンの酒場では住民たちが集まって今朝の出来事を話し合っていた。


「こんな寂れた領地に新しい貴族様がやってくるとはな」

「全くだ。代官の時でさえ苦しかったのに……考えたくもないぜ」


 酒の入った木杯を片手に集まった男たちは、昼間に起こった出来事について口々に噂していた。

 そんな彼らの話題の中心になっているのは当然、今日赴任してきたマリアについてである。


 どうやら彼らは、新しくやってくる領主のことを詳しく知らないらしく、不安そうな表情を浮かべていた。


「やけに豪華な馬車だったよな。きっとレーゲンスブルクでも高位のお貴族様に違いない」


 その言葉に他の男たちも頷いて同意を示しながら、悲痛そうな表情で口を開いた。


「これ以上、税を徴収されてみろ。俺たちは死ぬしかないぞ」

「まだ徴収されると決まったわけじゃ――」

「代官であれだけ徴収されたんだ。領主ならもっと取られるに決まってる」


 誰かが反論するも、その声はすぐにかき消されてしまった。

 誰もが口を揃えて、今以上の税金を納めるのは無理だと嘆く中、一人の青年が立ち上がった。

 その青年の表情は怒りに満ちており、彼はテーブルを叩いて叫んだ。


「ふざけるな!今まで俺たちからどれだけ搾取したと思っている!?」


 青年はそのまま立ち上がると、テーブルの上に置かれた木杯を手に取り、一気に中身を飲み干した。

 そして空になった木杯を床に叩きつけて叫ぶ。


「お、おい、落ち着けよ!叫んだところで何も変わらない」

「黙っていたところで同じことだろう!いいか!?俺たちがこんなに苦しんでいるのは、貴族たちのせいだ!」


 彼の叫びを聞いて静まり返る店内で、一人の男が諭すように告げた。


「お前の言う通りだが、俺たちはどう足掻いても貴族様には勝てない。それにお前一人が死ぬだけならまだいい。だが奴らは確実に見せしめをするだろう」

「じゃあ一生このままでいろってのか!?」

「それがレーゲンスブルクに生まれた者の運命だ。受け入れることだ」


 男の言葉に項垂れた青年は、力なく椅子に腰掛けると再び酒を飲み始めた。そんな彼の姿を見て、周囲の者たちは彼が諦めたのだっと思った。

 しかし、それは違った。


(このままじゃ、みんな死んで終わりだ。俺は一人でも戦ってやる)


 青年は密かに拳を握り締めながら、そう決意する。

 彼が頑なまでに諦めないのは、前代官が街の若い女たちを侍女と称して召し上げ、夜の相手をさせていたからだ。

 その中には彼の姉もおり、もう二年ほど会っていない。


(きっと交代したばかりで警戒は手薄だ。上手く忍び込んで、不意を付けば……)


 青年はそう考えると、静かに店を後にして夜の街へと消えていった。

 


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