第6話 マリアの展望

 オットマーが立ち去ったあと、入れ替わるようにしてやって来たブリュンヒルデ。彼女はマリアの対面に座ると、真剣な表情で切り出した。


「提案に乗ってくれるでしょうか」

「野心家だからまず間違いないと思うが……というより、乗ってくれないとどうにもならないな」


 総督としてレーゲンスブルクを改革して戦力を蓄えるというのが、マリアの当初の計画だったが、思っていた情勢とは随分と違う状況になっていた。

 総督の家系であったフェルゼンシュタイン家は力を失い、代わりに副総督の家系であるヴィンデンライヒ家が実権を握っていたのだ。

 仮にこの状態で総督の座に座った場合、間違いなくヴィンデンライヒ家は反発して、中央からの介入に否定的な者たちを集めて叛旗を翻すだろう。

 そうなれば戦力で劣る彼女たちに勝ち目はない。

 すり潰された挙げ句に殺されるならばいい方だ。最悪、奴隷刻印を施されて性奴隷として扱われるかもしれない。


「最初から総督としてというのは虫が良すぎたようだ。地道に戦力を蓄えろということだろう」


 尤もマリアはこの状況に苛立ったりはしておらず、むしろどこか楽しんでいる節があった。

 一方でブリュンヒルデはというと、そんな彼女の態度に困惑していた。


「ですが貴族の大半はオットマーの統制下にあります。引き抜く材料も無い以上、戦力を蓄えるなど不可能に近いと思われますが」

「貴族に拘る必要が何処にある」


 ブリュンヒルデの言葉に対して、マリアはあっさりとそう返した。


「は?で、ですが魔力持ちの貴族を相手にするには同じ貴族でないと。それに領地経営なども……」


 彼女がそこまで言ったところで、マリアは鼻で笑った。


「平民を育成すれば良いではないか」


 その一言を聞いて、ブリュンヒルデは思わず絶句した。

 平民を育成する。確かに文官なら可能かもしれないが、武官となると話は別だ。

 魔力無しの人間では訓練したところで魔力持ちには敵わないからだ。


「平民では貴族の魔力障壁を打ち破ることは敵わない。常識ではありませんか」


 それはこの世界の誰もが知る事実であり、だからこそ彼らは貴族に従うのである。

 しかしそんな当たり前の話をされても、マリアの表情は変わらない。

 彼女はまるでそれがどうしたと言わんばかりに言葉を続けた。


「少し前まではそうだったな。だが時代は変わった。今は魔導具があるではないか」


 それを聞いて、ブリュンヒルデはハッとした表情を見せた。

 確かに今は戦力の底上げという意味でしか使われていないが、そもそも魔力を一切持たない人間でも魔法の恩恵を受けられるのが魔導具だ。


 今まで誰もやらなかっただけで、やろうと思えば今すぐにでも可能なのだ。

 ただし、これには大きな問題がある。


「……殿下のお考えは理解しました。ですがこれは……下手をすれば帝国の統治体制そのものを崩壊させる危険もあるのでは」


 魔力を持つ貴族が、魔力を持たない平民を統治する。そして平民は反抗する手段がないから、それを受け入れて服従してきたのだ。

 しかし魔導具が平民の手に渡り、反抗する手段を手に入れたらどうなるか。


「貴族制度は崩壊するかもな」

「……よろしいのですか」


 不安げな表情で、ブリュンヒルデは再度確認するように尋ねる。

 それに対してマリアは平然と頷いた。


「内部まで腐敗した帝国は、もはや一部の除去だけではどうにもならないところまで来ている。ならばいっその事、一思いに全て壊して最初から作り直した方が早い」

「……周辺諸国が黙って見ているとは思えません。国土を奪われてしまう可能性もあるのでは?」


 ブリュンヒルデの指摘は尤もだった。周辺諸国から見れば帝国は老いた大国だ。そんな国が内戦など始めれば、どうぞ食べて下さいとその身を差し出しているようなものだ。

 だがそれでも、マリアの考えは変わらない。寧ろそれこそ望むところだと言わんばかりにニヤリと笑う。


「大事を為すのに小事に拘る必要などない。国土などくれてやればいい。そんなものは、いつでも奪い返せるのだからな」


 マリアの目は本気で、それを見てブリュンヒルデは戦慄を覚えた。


(国土を餌に周辺諸国を釣るつもりなのか)


 もしも相手が国土を奪えば、帝国は大義名分を得る事が可能だ。

 つまりマリアの改革によって誕生する新たな帝国は、なんの憂いもなく周辺諸国へと侵攻できる。


(新たに生まれ変わった帝国が、一新された軍隊が攻め込む。まさに大陸動乱ではないか)


 魔導騎士故にそれは甘美な夢にも思えたが、同時に危険な考えでもあった。

 もしそうなれば、確実に多くの血が流れることになるだろう。

 これまでの貴族だけの戦争ではない。平民すらも動員した大規模な戦争の幕開けとなる可能性すらあるのだから。


「新たな時代……地獄の蓋を開くことになるかもしれませんよ」


 ブリュンヒルデの忠告に対し、マリアは真面目な表情で答えた。


「魔導具は既に世に存在する。私がやらなくとも、いつか誰かが同じようなことを思いつく。ならば早い方がいい。そうでなければ帝国は生き残れまい」


 マリアの言葉を聞いて、ブリュンヒルデは確信した。


(地獄の蓋を開く覚悟があると言うことか)


 マリアの瞳に迷いはなく、その意志の強さにブリュンヒルデは心を新たにする。主の剣として、どこまでも付き従うと。




 ◇◆◇◆


 その頃、オットマーはいつもの高級ホテルのレストランでエリザベートと密会を行なっていた。ただし、いつものようなテーブル席ではなく、VIP専用の個室であった。


「そうですか。まさか殿下がそのような提案を……どうされるおつもりですか?」

「……魅力的な提案なのは確かだ。総督代行ということは殿下の権威すらも利用できるのだからな。まさに夢見た未来が現実になるというわけだ」


 理想の実現に近づいたというのに、オットマーの表情は険しいままだった。

 そんな彼を見て、エリザベートはワイングラスを揺らしながら口を開いた。


「あまりにうまく運びすぎていると」

「そうだ。何か裏があるのではないかと思ってな」


 マリアの提案はあまりにも都合が良すぎた。だからこうして悩んでいるのだが、考えれば考えるほど分からなくなるというのが本音だった。


「殿下は帝位争いには関わらないと仰ったとか。ならば政治から離れてひっそりと暮らしたいだけとも考えられますわ。どちらにしろ、どこかの領地に押し込めてしまえば何も出来ないでしょう。恐れる必要などありませんわ」


 確かにエリザベートの言う通りだ。現状ではこれ以上考えても答えが出るとは思えなかったので、ひとまず納得することにした。


「そうだな。千載一遇の好機なのは確かだ。この機会を逃す方が愚かというものだ」


 この言葉を聞いたエリザベートは、オットマーの腕に身体を絡めて耳元で囁いた。


「これで名実共に閣下がレーゲンスブルク属州の王ですわ」


 積極的に身体を押し付けてくる彼女の行動に対して、オットマーは満更でもない表情を浮かべていた。


「前から思っていたのだが、私に抱かれたいのか?」


 ストレートな質問を受けて、エリザベートは一瞬驚いた表情を浮かべたものの、すぐに妖しい笑みを浮かべて頷いた。

 そして彼女はそっと顔を近づけると、囁くように答えた。

 その言葉は誘惑するように甘く、それでいて艶めかしかった。


「えぇ、もちろん。お恥ずかしい話ですが、わたくしは閣下に犯して欲しくて堪りませんの」

「犯罪組織の長が、とんだ変態趣味だな」

「そんな……酷いですわ」


 そう言いながらもエリザベートは嬉しそうであり、その瞳の奥には隠しきれない情欲の色が見て取れた。

 そんな彼女の反応に気を良くしたのか、オットマーは彼女を抱き寄せて唇を重ねた。

 そのまま舌を絡ませてお互いに貪るような激しいキスを繰り返す。

 やがて唇を離すと、唾液の糸が橋のように二人の唇を繋ぐ。


「すっかり出来上がっているな」

「えぇ、もう待ちきれませんわ。どうか今宵はこの身を存分に可愛がってくださいませ」

「ならば遠慮はしないぞ。お前の望み通り、徹底的に犯してやる。泣いても喚いても止めない。朝までたっぷりと付き合ってもらうからな」


 そう言って彼はエリザベートを抱きかかえてベッドへと向かう。

 そして彼女をベッドに下ろすと、その上に覆い被さるようにして組み伏せた。

 その後、朝方まで個室からは絶えず女の喘ぎ声が響き続けたのだった。



 それから一週間後、オットマーは再びマリアと面会していた。


「ほう、総督代行を受けてくれる」

「はい。微力ながらお力添えさせて頂きたく存じます」


 オットマーの言葉に満足そうに頷くと、マリアは背後に控えていたリアンナに合図を送った。


「ではこれが総督代行に任命する条件となります」


 するとリアンナは書類を取り出し、それをオットマーの前に置いた。


「……なるほど、殿下はルストハイム領をお望みですか」

「総督代行の近くに総督がいては、そなたも色々とやり難いだろう」


 マリアの言葉を聞いて、オットマーは愛想笑いを浮かべながら思考を巡らせた。


(本気で総督府の運営に関わる気が無いようだな。となると政治から距離を取って、静かに暮らしたいという可能性は十分にあるな)


 マリアが提示した領地は、レーゲンスブルクでも寂れた田舎街だ。しかも現在領主不在で代官が駐留している土地である。そこをわざわざ選ぶあたり、本当に政治的な関わりを持ちたくないのだろう。


(そうだな、領地に関しては確かに問題ない。問題があるとすれば――)


 オットマーは書類に記載されたある項目に視線を向けた。

 そこにはフェルゼンシュタイン家のシャルロッテを、マリアの侍女に採用する旨が記されていた。


(あいつは私がやってきたことを全て知っている。もし殿下に密告するようなことがあれば、この話も無かったことにされてしまうかもしれない)


 それだけは絶対に避けたかった。何故なら、これまで築き上げてきたものを全て失うことになってしまうからだ。

 しかしそんなオットマーの考えは杞憂に終わった。


「想像するに……そなたはシャルロッテ殿に様々な脅迫行為を働いたのではないか?」


 まるで見透かしているかのようなマリアの発言に、思わずオットマーの心臓が跳ね上がる。


「い、一体何を――」

「正直言って、そんなことはどうでも良いのだ」


 狼狽するオットマーを無視して、マリアは淡々と言葉を続けた。

 それはまるで世間話をしているかのように自然な流れだったが、その内容はとても無視できるようなものではなかった。

 なぜならそれは、彼が行ってきた悪事を全て認めるものだったのだから。


「シャルロッテ殿にはレーゲンスブルクを纏めるだけの力が無かった。その一方でそなたには計画を練り、実行するだけの能力があった。それだけの話だ」


 マリアはまるでそれが当然とばかりに語る。まるで彼の罪など取るに足らないことだと言わんばかりに。


「総督代行であるならば実力がなくてはならないな。その点、そなたは合格だ。存分に総督府で力を振るうがいい」


 そう告げた直後、マリアは笑みを深めた。


「交渉成立、ということでいいな?」

(シャルロッテへの行為を見逃すというのか。ならばもはや恐れるものはない)


 ついに名実共にレーゲンスブルクの王として君臨したことを実感したオットマーは、心の中でほくそ笑みながら手を差し出す。


「全て問題ありません、殿下」

「よろしい。では総督府のことは全て任せるぞ」


 そんな差し出された手を掴みながら、マリアは満足そうな笑みを浮かべていたが、内心では別のことを考えていたのだった。


(精々浮かれていろ。いずれ綺麗さっぱり粛清してやる)


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