第5話 想定外の提案

 シャルロッテやオットマーといった総督府のメンバーが参加したマリアを歓迎する晩餐会は、表面上は和やかに進み終盤へと差し掛かっていた。


「北部の味はいかがでしたかな、殿下。些か中央とは趣きが違うやもしれませぬが」


 そう切り出したのは、副総督のオットマーだった。

 レーゲンスブルク属州は帝国本国とは違い、異民族の文化である稲作が主流の農業地帯だ。そのため属州では米を使った料理が多くなる。


「確かに本国とは趣が違うが、これはこれで新鮮だ。それに美味かった」

「そう言っていただけると、用意した甲斐があったというものですな」


 和やかに会話をしながら、内心でオットマーはこれからどうすべきかを考えていた。


(上手く思惑を引き摺り出さなくては。利用するにも排除するにも、まずは情報が必要だ)


 そんな風にオットマーが考える一方で、シャルロッテは何とかしてマリアを味方につけようと躍起になっていたが、基本的に話すことを禁じられて手詰まりとなっていた。


「ところで、殿下は今後どうされるおつもりですかな」

「どうとは?」


 ワイングラスを片手に食後の時間を楽しんでいたマリアに、オットマーは探りを入れるように問いかけたが、彼女はわざとらしく首を傾げて見せた。


「このレーゲンスブルク属州の総督にこのまま甘んじるおつもりなのか、それとも……」


 そこで一度言葉を区切ると、オットマーは探るような眼差しでマリアを見つめた。

 その視線を受けたマリアは、ワイングラスをゆっくり回しながら静かに口を開いた。


「仮に私がその意志はあるといえば、そなたはどうするのだ?」


 まるで試すような口ぶりだったが、オットマーは特に動じた様子もなく淡々とした口調で返した。


「それなりの支援を陰ながら行うつもりです」

「見返りは必要無いと?」

「然るべき地位についた後、属州に恩恵を授けていただければと思います」

「ふむ、意外に欲がないな」


 そう言うとマリアはワイングラスを置いて、オットマーに告げた。


「帝位争いには興味がない」


 あまりにもはっきりと断言したため、オットマーは僅かに目を見開いたが、すぐに表情を取り繕って問い返した。


「では総督としてこの地に留まると?」

「帝国議会の指示には従う。つまりそういうことだ」


 その言葉を聞いた瞬間、オットマーはテーブルの下で拳を握り締めた。


(私の邪魔をするということか。ならば……)


 内心の激情を抑え込んだオットマーは、努めて冷静な声でマリアに言った。


「そうですか……ならば帝国の臣下として殿下をお支えするまでです」


 笑みを浮かべながら心にもない言葉を口にしたオットマーに対して、マリアは気づかないふりをしながら頷いて見せた。


「副総督であるそなたが積極的に支持してくれれば、私も非常に心強い」


 こうして腹の内を互いに見せぬまま、晩餐会は終わりを告げたのだった。



「殿下には退場していただくしかあるまい」


 シャルロッテの自室を再び訪れたオットマーは、開口一番にそう言った。

 それを聞いたシャルロッテは一瞬呆気にとられたあと、一気に顔を青褪めさせた。


「こ、皇族を暗殺するつもりですかっ!?」


 信じられないとばかりに叫ぶシャルロッテに、オットマーは怒りを圧し殺した低い声で言った。


「皇族とはいえ中央から追い出された皇女に過ぎぬ。それに大した後ろ盾もない。ここで始末しても問題ない」

 平然と言い放ったオットマーの言葉に、シャルロッテは愕然となった。

 そして同時に、彼は本気なのだと悟った。

 しかしだからといって、素直に頷くわけにはいかなかった。

 そんなことをすれば間違いなく破滅だからだ。


「中央は間違いなく介入してきます。そうなれば貴男の家も無事では――」


 すまないと言い掛けて、シャルロッテは気づいた。オットマーは暗殺を自分にやらせるつもりなのだと。

 実際に彼は冷めた目でシャルロッテを見つめていた。


「気づいたか?暗殺はお前がやるのだ。そうだな、総督の座に執着した挙句に毒殺に走った女、というのが一番しっくりとくるかもしれんな」

「そ、それだけはどうかお許しください!私には無理です!」


 慌てて懇願するシャルロッテに、オットマーは冷ややかな目を向けたままである。

 だがそれは仕方のないことだった。何せ彼は総督の座を手に入れるために多くの人間を踏み台にしてきたのだ。

 今さら皇族殺しを躊躇う理由などなかった。

 それを察したのか、シャルロッテは力なく項垂れた。

 そんな彼女を一瞥してから、オットマーがその場を立ち去ろうとした時、外で待機していた侍女がやって来てた。


「閣下、皇女殿下の侍女がお迎えにいらしております」

「迎えだと?」

「はい、皇女殿下が内密にお会いしたいとのことで」


 その言葉に、オットマーは訝しげに眉をひそめた。


(こんな夜に何の用だ?まさか私の計画に気づいたのか?いや、そんなはずはない)


 内心で様々な憶測を巡らせていたオットマーだったが、いつまでも待たせるわけにはいかないため、仕方なくその申し出を受けることにした。

 すると案内された部屋――フェルゼンシュタイン家で一番上質な客室には、確かにマリアの姿があった。


「わざわざ呼び立ててすまぬな」


 ソファに腰掛けているマリアは、上等なナイトガウンに身を包んでいた。湯浴みを終えて時間が経っていないのか、肌はほんのりと上気しており、髪はまだしっとりと濡れているようだった。

 また僅かに着崩れた胸元からは、豊かな双丘の谷間が見え隠れしていて、オットマーは思わず生唾を飲み込んだ。


(いかんいかん)


 頭を振って邪念を追い払ったオットマーは、なるべく平静を装って言われるがままに向かい側のソファへ腰を下ろしたが、彼女が足を組んでいるせいで、露わになった美しい脚が嫌でも目に入ってしまう。


(ふむ……やはり殺してしまうには些か惜しい女だ。奴隷刻印や魔導具で利用するのも悪くないかもしれないな)


 そんな下卑たことを考えながら、オットマーは表面上は何食わぬ顔で切り出した。

 ちなみに侍女がオットマーに紅茶を用意してから退出したため、今は部屋に二人っきりだった。


「それで何か御用でしょうか。このように人払いまでされて」


 そう尋ねると、マリアは軽く頷いてから口を開いた。


「そうだ。総督に関することだ」


 そう言って彼女はカップに口をつけると、一息ついてから話を続けた。


「知っての通り、帝国議会は私を総督に任命した。これを覆すのはまず不可能だ」

「確かにその通りです。実際にそのような伝手など我々にはありません」


 オットマーが神妙に頷くと、マリアは言葉を続けた。


「とはいえレーゲンスブルクは長らく中央から切り離されてきた地だ。当然、今回の件も内心では快く思っていない者もいるはずだ。違うかな?」

「……そのような者がいるのは確かです」


 マリアの問いかけにオットマーは一瞬言い淀んだが、言葉を濁すことで何とか自分は違うと逃げることに成功した。


「そうだろう。まぁ当然といえば当然だ。放置しておいて今さら干渉するなど、現地の貴族にしてみれば迷惑でしかないからな」

(分からん。一体何を考えているのだ、この女は?)


 マリアの意図が全く読めず、オットマーは困惑していた。

 だがそれを表に出さないだけの処世術は心得ていたため、表面的には落ち着き払っていた。

 そんな彼を見て何を思ったのか、マリアは小さく笑みを零すと本題を告げた。


「そなた、総督代行を務めてみないか?」


 思わぬ提案を受けて、オットマーは目を瞠った。


(何を言っているのだ、この女は?)


 あまりにも突拍子もない内容だったため、思わず聞き返してしまったほどだ。

 しかし彼女の表情を見る限り、冗談ではないようだった。


「最初は総督の家系であったフェルゼンシュタイン家を代行にとも思ったが、総督は現在病気で、シャルロッテも若い。とてもレーゲンスブルクを纏めていけるとは思えない。故に副総督であったそなたが、総督代行としてまとめるべきだと思ったのだ」

「……総督代行と仰りますが、総督である殿下はどうされるおつもりです?」


 半ば呆然としながらオットマーは尋ねたが、マリアは事も無げに答えた。


「何処かの領地を譲ってもらって引き籠もるつもりだ。出しゃばっても碌なことにならないだろうからな」

「総督府の運営に関与なさらないのですか?」


 その問いに対して、マリアは首を縦に振った。

 どうやら本気で言っているらしいと判断したオットマーは、素早く思考を巡らせる。


(つまり、私が事実上の総督となれるということか?いや、慌ててはならん。落ち着け)


 自分に言い聞かせるように心の中で呟くと、オットマーはゆっくりと息を吐いてから口を開いた。


「……大変喜ばしい話ですが、急な話ですので困惑しております」


 オットマーとしては、この話は願ってもないチャンスだ。しかしだからこそ慎重になる必要があった。

 最後の最後で詰めを誤ってしまえば、今までの苦労が全て水の泡になってしまうからだ。


「ふむ、そなたの評判は聞いている。レーゲンスブルクを纏める人物として相応しい働きをしているとな」

「過分なお褒めの言葉、ありがとうございます」

「謙遜する必要はない。事実だからな」


 そう言ってマリアは柔らかく微笑むと、オットマーの目を見つめながら静かに告げた。


「少し猶予をやろう。一週間後に返事を聞かせてくれ」

「は、はい。承知いたしました」


 予想外の展開に戸惑いながらも、オットマーは頷いて部屋をあとにしたのだった。


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