レーゲンスブルク属州
第1話 野望渦巻く属州
レーゲンスブルク属州へと足を踏み入れたマリアたちは、最初に訪れた都市で盛大な歓待を受けた。
「偉大なるローゼンハイム帝国の皇女殿下をお招き出来たこと、真に光栄に存じます」
豪華な食事に贅を尽くした歓迎の宴は明らかに度を越しており、連日連夜パーティーや茶会が催された。しかし、それでもなお足りないとばかりに様々な催しが開かれ、常に人の輪の中心にいることが要求されるような状態がずっと続いた。
「明らかに足止めだな」
ウンザリした表情でソファに勢いよく腰を下ろしたマリアは、テーブルに用意されていた菓子を口に運んだ。
「足止めの理由はなんでしょうか」
「さぁな、中央からの干渉が気に入らないとかそんな理由ではないか?」
ブリュンヒルデの疑問に答えたマリアは、リアンナが淹れた紅茶で菓子を流し込むと、再び口を開いて菓子を放り込む。
彼女たちに与えられた部屋は豪奢を極め、家具一つとっても高級品であることが一目瞭然であった。
ベッドも天蓋付きで、調度品に至っては芸術品と呼んで差し支えない物ばかりである。
「属州なのに豪華絢爛過ぎる。余程金が余っていると見える」
部屋の内装を見回してマリアはそう感想を漏らす。
本来、属州は帝国に莫大な税収を納める必要が有るため、貴族であっても生活は困窮していることが多い。
だが、ここレーゲンスブルク属州は、その逆を行っているようで、どこの貴族を見ても裕福そうな暮らしをしている者ばかりだ。
実際にパーティーに参加していた貴族は高価な宝石などで着飾った者たちばかりで、下手をしたら中央貴族の伯爵よりも資産を持っているのではないかと思えるほどである。
「……そういえば都市に入場した際も平民の姿は見ていないな」
マリアの言葉に、ブリュンヒルデは記憶を掘り起こすように視線を彷徨わせながら答える。彼女が思い出す限りでは、確かに平民の姿を見かけなかった。
それだけで大まかなことは理解することができた。
「搾取……ですか?」
「それ以外ないだろうな。それも極限までの搾取だ。この様子では帝国法など守られいるとは思えない」
帝国法では最大で六割の徴収までが認められており、それを超えれば厳しい罰則が与えられることになっている。
しかし、レーゲンスブルクの貴族を見る限りでは、その規定を明らかに超えていると思われるほどの贅沢ぶりだ。
「中央の目が無いからとやりたい放題か……」
呆れたと言わんばかりに呟いたマリアだったが、それはある意味で好機でも有ると彼女は考えていた。
つまり総督府や貴族は莫大な資産を蓄えており、上手くやればその殆どを接収することが出来るかもしれないのだ。
もっとも、それが可能なほどに上手く行くかどうかは別問題ではあるが。
そんなことを考えながらマリアは紅茶を飲み干した。
マリアがそんなことを考えている一方で、レーゲンスブルクでは二つの勢力が今後を見据えて暗躍していた。
「ふむ、殿下は最初の都市に未だ滞在していると?」
「はい、諜報員からの連絡によりますと、既に一週間が経過しております。これがこれまでの報告書です」
「ご苦労、引き続き動向を監視するよう命じておけ」
レーゲンスブルク属州の北東部を治めるヘンリック・ヴァルネミュンデ・フォン・ヴァイスミュラー伯爵は、それだけ告げると部下を下がらせて報告書に目を通した。そこに書かれていた内容は、これまで集めた情報を裏付けるもので、同時にこれからの計画を考える上で重要なものであった。
「んっ……ぁ……旦那様?」
ゴソゴソとベッドのシーツが動く音と共に、甘ったるい女性の声が響いた。
「起こしてしまったか?」
「いえ……大丈夫です」
そう言ってシーツから出てきた女性は起き上がると、一糸纏わぬ美し裸体を晒したままベッドに腰掛けた。
そんな彼女をヘンリックは抱き締めると、そのまま口付けを交わす。
それからしばらく二人は抱き合ったまま舌を絡め合い、ゆっくりと離れた時には銀色の橋が出来上がっていた。彼女の名前はアイーシャといい、特徴的なウサギのような長い耳としっぽを持つ亜人種である。
「はぁ……何か良いことでもありましたか?」
「ん?何故そう思う?」
唇を離したアイーシャの問いに、ヘンリックは不思議そうに首を傾げた。
すると彼女はクスリと笑うと、彼の頬に手を添えて答えた。
その表情はどこか艶めかしく、そして妖艶な雰囲気を漂わせていた。
そして、そっと囁くように告げた。
「女の勘です」
「なるほど、実はレーゲンスブルク属州総督に帝国第二皇女殿下が就任することになった」
これを聞いた瞬間、アイーシャの表情が一変した。彼女にとって皇帝の血筋と帝国は忌むべき存在であるからだ。
「レーゲンスブルクを我々から奪ったのは帝国であり侵略を指示した皇帝です。そんな者の血を引くものが総督?冗談ではありません」
「確かにそうだが、それを言ってしまえば私も侵略した貴族の血を継いだものだぞ?」
諭すようなヘンリックの言葉に、アイーシャは不機嫌そうにそっぽを向いた。
そんな様子に彼は苦笑いを浮かべると、彼女の特徴的な耳を優しく撫でた。
「あっ、んぅ、私は真面目なっ、話を、あん、してっ、いるのですぅ」
くすぐったいのか感じてしまっているのか、ビクビクと身体を震わせながら彼女は抗議する。
「では最後まで聞いてくれ。このままフェルゼンシュタイン家が総督で、レーゲンスブルクは変化するか?それに近年はヴィンデンライヒ家の動きもおかしい。恐らく総督の地位を虎視耽々と狙っているのだろうな」
そこで一旦言葉を切ったヘンリックは、手を離して真面目な顔で続きを語る。
「これは変化の為の絶好の機会なのだ。中央の介入――第二皇女殿下の登場よって嫌でもレーゲンスブルクは変化を求められるだろうからな。もちろん、我々の計画にも大きく関わってくることだ」
そこまで言うとヘンリックは再びアイーシャを抱きしめて囁く。
「君も人目を忍ぶよりも堂々と妻だと名乗りたいだろう」
「それは……もちろんです」
レーゲンスブルクにおける亜人種の地位は低く、平民の奴隷よりも低い扱いである。またその特徴的な容姿と希少性故に愛玩奴隷として売買されて、貴族のパーティーや大都市で見世物として飼われることも少なくなかった。
そんなアイーシャたちにとって人前に堂々と、それも愛する夫と共に立てるというのは夢物語に近いものだった。
そしてそれはヘンリックも同じである。亜人種であるアイーシャを娶るということは、現状では貴族の地位を剥奪されても文句は言えない。帝国貴族にとって亜人種は所詮は獣であって、そんな者と交わって結婚するなど言語道断だからである。
その為、普段は彼女を愛玩用として扱うことで世間体を取り繕っているのだ。
「大丈夫だ……全て上手くいく。愛しているよ、アイーシャ」
「旦那様……あっ……そこはっ……」
ベッドに押し倒されたアイーシャは抵抗することなく、甘い吐息を漏らしながらヘンリックの愛を受け入れていくのだった。
一方で総督簒奪を目論むオットマーは、最高級ホテルのレストランで犯罪組織の長と会談していた。
「計画も順調に進んでいたというのに、まさか中央から第二皇女殿下がいらっしゃるとは……ままならないものですね」
そう言って優雅に微笑んだのはエリザベート・フォン・アーレンベルク子爵である。美しい肢体を持つ彼女は胸部から下を紐で結ぶドレスに身を包んでおり、側面から見れば磨き上げられた肌や脚が丸見えになっている。
また透き通るような白い肌に、長く艶やかな金髪が映えており、大きな胸も相まって一見すれば娼婦にすら見えるほど煽情的であった。
しかし実際の彼女は、レーゲンスブルクの犯罪組織の大半を傘下に収める首領で『魅了の魔女』という異名で恐れられるほどの人物で、下級貴族とは思えないほどの権力を有している。
「最悪の場合は殿下を殺すことも考えているが……可能だと思うか?」
エリザベートに相対するオットマーは、険しい表情を浮かべながらそう問いかけた。
そんな彼に対してエリザベートはクスクスと笑うと、ワイングラスを傾けて一口飲んだ後に答える。
「正面からではまず不可能でしょう。ですが搦め手を使えば可能でしょう。クスリや魔導具に禁術……方法はいくらでもあります。それこそ殺すも利用するも、全て閣下がお決めになればよろしいかと」
妖艶な雰囲気を漂わせながらそう言ったエリザベートだが、すぐに真剣な表情を浮かべて続けた。
「とはいえ相手には魔導騎士がいますので、慎重かつ確実に事を運ばなければなりませんわ。万が一、皇族に手を出して失敗すれば、我々は全員処刑台行きですので」
「やはり厄介なのは魔導騎士……か」
真剣な表情を浮かべるオットマーに対して、エリザベートは小さく頷きながら内心では違うことを考えていた。
(あぁ、やはり素敵だわ。男はこうでないと……)
犯罪組織の首領として荒くれ者共を束ねているエリザベートだが、心の中では男性に蹂躙されて支配されるのことを常に想像していた。
そんな彼女にとって目の前のオットマーは理想の男だった。何しろ支配欲の塊で野望に忠実な男だからだ。
(きっと私がお願いしたら抱いてくれるのでしょうけど、それではダメね。やはり最初は乱暴に……無理矢理犯して欲しいわね。泣き叫ぶ私を無理やり組み伏せて、自分の欲望を満たすために好き勝手に貪り尽くして欲しいわ)
そんなことを思うエリザベートの表情は恍惚としており、まるで恋する乙女のように頬を紅潮させていた。
そんな彼女の様子に気付かないまま、オットマーはワイングラスを揺らして思案していた。
(利用出来るのならばそれに越したことはないが……とにかく今は情報だ。もっと詳しく情報を集めさせないと)
「部下を何名か貸して欲しい。出来れば侍女働きが出来そうな者を数人だ。次の滞在先に送り込む」
「任せてちょうだい。腕の良い娘を何人か見繕うわ」
それからしばらく今後の方針について話し合った後、オットマーはグラスを置いて立ち上がる。
「それではまた、ご連絡いたします」
「えぇ……お待ちしておりますわ」
立ち去るオットマーを見送った後、エリザベートは落胆の溜息を堪えながら残ったワインを飲み干した。
(……私に魅力を感じないのかしら?それとも警戒されている?どちらにせよ今日もダメね)
エリザベートがこうして色仕掛けを試みるのは初めてではない。むしろ頻繁に行っているのだが、今のところ成功した試しはなかった。
しかし、それでも諦めずに行動を続けるあたり、彼女の本気度合いが伺えるというものである。
(次に会った時こそは必ず……)
想像で興奮しながら一人妄想に浸るエリザベートは、やがて立ち上がると最上階のスイートルームへと戻って行くのであった。
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