第19話 新たな地

 帝国北部に位置するレーゲンスブルク属州。

 かつては異民族が生活を営んでいた地域で帝国とは友好的な関係であったが、そんな関係は帝国と周辺諸国を襲った疫病とそれに伴う飢饉によって終わり迎えてしまう。

 食料の枯渇に苦しんだ帝国は肥沃な大地が広がるレーゲンスブルクに侵攻して農地を収奪し、さらに異民族を奴隷として使役することで飢えを凌ごうと計画したのである。


 しかしこうして開始されたレーゲンスブルク侵攻は、帝国側の想定通りにはいかなかった。

 異民族たちは自分たちの土地を守るために団結して、強固な抵抗を繰り広げたのである。帝国軍はその抵抗の前に苦戦を強いられ、どうにかして彼らを鎮圧した時には既に疫病は聖女によって治癒されていた後であった。

 結果、帝国はレーゲンスブルクへの興味を失い、侵攻軍の責任者であったフェルゼンシュタイン家に総督府を任せて統治を丸投げしたのである。


 こうして中央からの干渉を受けなくなった総督府は、苛烈な支配体制を敷いて異民族たちを虐げ始めた。法外な税を課して反抗する者は容赦なく弾圧、逆らう者がいなくなるよう見せしめの公開処刑や奴隷刻印を実施して、恐怖による支配で総督府の支配力を強めていった。

 そして総督府は犯罪組織が行う人身売買や法外な金貸し業、賭博などを賄賂や上納金を受け取ることで黙認して利用するようになり、何時しかレーゲンスブルク属州は帝国中央ですら手が付けられない魔都へと変貌していったのだった。


 そんな魔都と化したレーゲンスブルク属州において総督として長きに渡って君臨してきたフェルゼンシュタイン家。

 中央貴族や中央商人に太いパイプを持ち、経済力も軍事力も持ち合わせた彼らはまさに属州を支配する貴族に相応しい存在と言えただろう。

 だが当然というべきか、その権勢を快く思わない者たちもいる。

 その中でも特にフェルゼンシュタイン家の支配に反発する勢力が副総督を務めてきたヴィンデンライヒ家であった。フェルゼンシュタイン家が長年に渡り築いてきた栄華の歴史の中で、常に影の部分を担ってきた一族である。

 彼らの主な収入源は犯罪者を使った裏稼業であり、表立って活動できないような後ろ暗い仕事を請け負ってきた。

 そんなヴィンデンライヒ家の悲願はフェルゼンシュタイン家から総督の地位を奪うことであった。

 そのために彼らは忠臣の振りをしながら今まで何度も機会を伺っていたのだが、中々その機会が訪れることはなかった。

 何故ならフェルゼンシュタイン家の歴代当主は揃いも揃って有能であり、常にヴィデンライヒ家の監視を怠らなかったからである。


 しかし総督の妻が病に倒れて急死したことで状況が一変した。妻の死により気落ちしていた現当主は、政務を放置して女と酒に溺れる日々を送るようになったのだ。

 この隙を逃すまいと、ヴィンデンライヒ家は水面下で着々と総督奪取の為の準備を進めていった。そしてその準備が完了しようとした矢先、中央から伝令が送られてきたのである。


「総督交代…だと」


 その報告を受けたオットマーは呆然と立ち尽くす他なかった。彼は今、屋敷内の執務室で部下からの報告を受けている最中だった。


「はい、皇室からの通達です。『第二皇女マリア・フォン・クラウゼヴィッツ・ハルデンベルクの到着を以ってフェルゼンシュタイン家のレーゲンスブルク総督の任を解く。以後は臣下として忠節に努めよ』とのことです」

「馬鹿なっ!!」

 

 オットマーは怒りのあまり机に拳を叩きつけた。これまで見向きもしなかったというのに、どうして今になって皇族が出てくるのか理解不能だったのだ。


「何故急にこんな話になったのだ!何か情報はないのか!?」

「はっ、中央の商会に伝手を持つ商人に確認しました。噂によると次期皇帝争いの余波ではないかと」

「……詳しく話せ」


 オットマーは歯ぎしりしながら続きを促した。


「ご存知の通り継承権を持つ皇族は四人おりますが、その内の三人は公爵家出身の母を持ちます」

「知っている。だが第二皇女の母は北西部辺境伯爵家の出身だろう。吹けば飛ぶような相手ではないか」

「仰る通りですが、問題なのは皇帝が第二皇女を寵愛しているということです。また第二皇女は意外なこと魔導騎士を二名も抱えています」

「つまり厄介者故に中央から遠ざけられたと……忌々しい」


 オットマーは思わず舌打ちをした。

 確かに皇族同士の権力闘争なら理解できるが、そのせいで成就目前となった長年の計画が水の泡になるのでは堪ったものではない。


「……その第二皇女はどんな人物なのだ?」

「詳しくは分かりませんが、容姿端麗で非常に聡明らしいと。あと魔力保有量も高いとか」

「そうか……」


 オットマーは顎に手を当てながら考えた。何らかの策を講じる必要があるかもしれないと。


「……少し詳しく調べてくれないか? 第二皇女の性格や気性。それと随行する親衛隊の人数。あとは側に控える侍女だ。付け入る隙があるかどうかだ」

「畏まりました」

「うむ、下がって良いぞ」

「失礼します」


 そう言って部下は部屋から退出した。一人残されたオットマーは椅子に深く座り込み、天井を見つめながら今後について思案した。


(計画を修正すべきか、それとも……)


 オットマーが今後の事を考えていると、部屋のドアがノックされた。


「入れ」


 オットマーが許可を出すと一人の侍女が入ってきた。


「失礼致します、旦那様。お茶をお持ち致しました」

「ああ、すまない」


 オットマーは一旦思考を中断し、ソファーに移動すると用意された紅茶を口に含む。


(帝位争いに興味があるなら支援するという手もある。そうすれば間違いなく重用されるだろう。中央進出も夢ではないかもしれない)


 そこまで考えてオットマーは頭を振った。


(いや、危険だな。下手に手を出して三公爵家を敵に回すのは得策ではない。支援するにしても秘密裏にだろう。問題は――」


 第二皇女が帝位争いに興味を示さず総督の座に固執した場合だった。その場合は非常に面倒な事態となる。

 最悪、暗殺などの手段を取らざるを得ない。だがそれは最後の手段だろう。

 何せ相手は帝国の守護者たる魔導騎士従えるほどの強者である。下手なことをすれば返り討ちに合う可能性の方が高いのだ。


(……皇族だろうが邪魔はさせんぞ)


 オットマーは決意を固めると、侍女の腰に手を回して勢い良く抱き寄せた。


「きゃあっ!?だ、旦那様……?」


 突然のことに驚く侍女であったが、次の瞬間には強引に唇を奪われてしまう。


「い、いけません。私には夫が……」


 拒絶しようとする侍女だったが、オットマーは構わずに彼女の体をまさぐり始めた。


「夫が栄転するか左遷されるかはお前の態度次第だぞ?」


 そう耳元で囁かれた侍女は小さく体を震わせた後、抵抗を止めて大人しくなった。


(そうだ。レーゲンスブルクの支配者は俺だ)


 それからしばらくして、屋敷の執務室からは甲高い嬌声が鳴り響き続けたのだった。



 その頃、レーゲンスブルク属州と帝国の境目であるテーゲルンゼ伯爵領では、マリアたちが総督府からの迎えを待っていた。


「事前にも話した通り、レーゲンスブルク属州は帝国であって帝国ではない。我々の常識などは一切通用しない」


 マリアの言葉に同行者たちの表情が強張る。彼らはこれから訪れるであろう未知の土地への期待と不安が入り混じった表情を浮かべていた。


「外では決して単独で行動するな。訓練通りに三人一組で行動しろ。何があってもだ」

「そこまで警戒する必要があるのですか?」


 マリアの説明を聞いたブリュンヒルデが疑問を呈すと、マリアは真剣な面持ちで頷いた。


「レーゲンスブルクは犯罪組織の巣窟となっている。奴らは狡猾で残忍で容赦がない。もし一人でいればあっという間に餌食になるだろう」

「犯罪組織がそこまで脅威なのですか?」

「魔導具が厳格に管理される本国とは違い、レーゲンスブルクでは魔導具が貴族側から犯罪組織に流れている。それにお前たちも知っている奴隷刻印や魔封じの枷はレーゲンスブルク発祥の技術だ」


 マリアの話を聞いて一同の顔が青ざめた。レーゲンスブルクの危険性については事前知識として知っていたが、実際にどのような場所なのかまでは知らなかったからだ。


「理解したな?油断していれば貴族であろうと奴隷行きだ。特に我々は女が多い。その先は想像がつくだろう」


 マリアの言葉に全員が頷く。それを確認した後、彼女は表情を和らげた。


「まぁしばらく総督府は対応に追われて迎えは寄こせないはずだ。今のうちに羽を伸ばすといい」


 マリアの言葉を聞いて安堵の表情を浮かべた面々は、それぞれが思い思いの行動を取り始める。


(……正直、正面戦闘ならば不安はないのだがな)


 親衛隊にしろ第一遊撃騎士団にしろ、訓練したのはブリュンヒルデとガウェインという二人の魔導騎士である。

 しかも西方で実戦経験も積んだ。余程のことがない限り戦闘で遅れを取ることはないとマリアは確信していた。


(とはいえ正面から仕掛けてくるほど相手は愚かではない。何かしらの搦め手で来るのは間違いないだろうな)


 マリアはレーゲンスブルクに対する警戒心を強めながら、皆の様子を眺めるのだった。


 それから一ヶ月後、総督府からようやく迎えがマリアの下に到着した。

 これにより彼女は、遂にレーゲンスブルク属州へと足を踏み入れることになるのであった。





――――


次回から新章になります。

評価など宜しくお願いします。

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