第16話 急転直下

 アーデルハイト皇妃毒殺事件によって、権力闘争は大きく動き始めた。

 まずロスヴィータ皇妃及びシュテファニエ第一皇女が近衛騎士団によって拘束、幽閉されギュンター派閥は大きく揺らぎ始めた。


「ロスヴィータ皇妃殿下が主催したお茶会でアーデルハイト皇妃殿下は毒殺された。犯人は明らかではありませんか」


 帝国議会でそう追求するディートフリートに対して、ギュンターは真っ向から反論した。


「証拠はあるのですか? 起きた事象だけを見て犯人と決めつけるのは早計ではないでしょうか?」

「確かに物的証拠はありません。しかし状況から考えて、一番怪しいのはロスヴィータ皇妃殿下です。現に仕えていた侍女が一人行方不明ではありませんか!」

「そ、それはだな……」


 ギュンターは言葉に詰まった。確かに侍女が行方不明になっており、未だに発見されていないからだ。


「近衛騎士団からの報告書によれば、アーデルハイト皇妃殿下が使っていたカップから毒物が検出されたそうです。ではこれを用意したのは誰です?ロスヴィータ皇妃殿下の侍女ではありませんか!」

「自分の茶会で毒を盛れば疑ってくれと言わんばかりではないか! これは明らかな謀略だ!!」


 ギュンターは声を荒らげた。だがそれに負けじとディートフリートも声を張り上げる。


「その謀殺を企んだのがロスヴィータ皇妃殿下なのでしょう!わざと疑わしい状況で毒を盛ることで、誰かの謀略と見せかけて自らに疑いの目が向かないように画策したのです!」

「我が娘がアーデルハイト皇妃殿下を毒殺する理由などない!」

「理由などいくらでもありましょうまさか本当にないとでも?」

「それは……だが……」


 ギュンターは断固として否定するが、状況から見て明らかに怪しく彼は無言にならざるを得なかった。

 そんな彼の姿を見てディートフリートがさらに追及しようとしたところで、二人の論争は中断を余儀なくされた。

 議事堂の大扉が勢い良く開け放たれたのである。

 そしてそこには一人の少女が立っていた。

 背中まで伸びた金色の髪を揺らしながら、血塗れの甲冑姿でその少女はつかつかと大股で議場へと入っていく。


「だ、第二皇女殿下」


 ディートフリートは思わず呟く。彼女の登場は完全に想定外であったのだ。


「お、おい、あの格好はなんだ!?」

「血じゃないか!?何があったんだ!?」

「誰か止めないか!?」


 突然現れたマリアの姿に誰もが動揺して議会内は騒然となる。そんな中、彼女はゆっくりとディートフリートへ近づくと、彼に向かって手にしていた布包を放り投げる。そして床に落ちた布包の中から、目を見開いた生首が三つ転がり落ちる。それを見た貴族たちは一斉に悲鳴を上げた。


「ひっ」


 腰を抜かす者も続出し、会場は混沌とした空気に包まれる。そんな彼らを一瞥してからマリアは堂々とした態度で口を開いた。


「軍務大臣殿、盗賊団と思われる者たちを一人残らず殲滅した。首級はこれだけしか持ち帰れなかったがな」


 淡々とした口調でそう報告するマリアに対して、ディートフリートは激昂する。


「殿下!!これは一体どういう了見ですか!今は大事な会議の最中なのですぞ!!」


 ディートフリートの言葉に彼の派閥に所属する議員たちも同意するかのように頷く。それに対してマリアは一切表情を変えずに答えた。


「何の会議だ?」

「決まっているでしょう!殿下の母君であらせられるアーデルハイト皇妃毒殺事件に関する会議です!」

「ほう、その割には当事者のロスヴィータ皇妃殿下もシュテファニエ第一女殿下もいらっしゃらないが?それに皇帝陛下もご不在のようだが」

「ぐっ……陛下はアーデルハイト皇妃殿下を失った哀しみで臥せっておられるのです。それとロスヴィータ皇妃殿下もシュテファニエ第一皇女殿下も今は近衛騎士団に拘束され幽閉されています」


 苦虫を噛み潰したような表情で答えるディートフリートの言葉を聞いたマリアは、わざとらしく肩を竦めて見せた。


「大事な会議では無くただの茶番ではないか」

「なっ、何を仰っているのですか!」

「いやなに、ただ思ったことを口にしただけだ」

「いい加減にしてください!いくら殿下とはいえ、これ以上は看過できませんよ!」

「笑わせてくれるな。そもそも皇族を裁く権利などディートフリート殿はないだろう」

「それは……」


 マリアの指摘に対してディートフリートは言葉を詰まらせた。確かに皇族を裁くための手順は皇室典範によって定められており、皇帝及び帝国議会三分の二の承認を得て、ようやく裁判を開始することが出来るのだ。

 

「……第二皇女殿下は母君を毒殺した犯人を捕まえて裁判に掛けたいとは思わないのですかな」


 マリアの登場で議会の空気が変わったことを感じ取ったヴィルヘルムは、静観する姿勢を止めて彼女に尋ねた。


「犯人が捕まる。それが一番良いが、状況証拠だけで決め付けるのは反対だ。ディートフリート殿は明確な証拠を提示出来るのか?」

「……」


 マリアの問いにディートフリートは口を噤むしかなかった。

 そもそも今回の事件にディートフリート自身は一切関わっておらず、孫のクリストフが全てを秘密にした上で計画し実行させている。

 当然、証拠を握っているのはクリストフである。


(ロスヴィータかシュテファニエの部屋に毒物でも仕込めれば完璧だったけど、警戒が厳重だったからな)


 皇族席から議会の様子を見守るクリストフは内心で溜息を吐く。完璧な計画というのが如何に難しいかを実感したからである。

 そしてヴィルヘルムもまた、マリアの言葉を聞いて思考を巡らせていた。


(帝国教会を取り込んだとはいえ、ソフィア教会と戦うにはまだ準備が必要だ。今、ギュンター派閥に崩れてもらっては困るか)


 そう考えたヴィルヘルムは宰相席から立ち上がると声を張り上げた。


「明確な証拠が提示されない以上、ロスヴィータ皇妃殿下とシュテファニエ第一皇女殿下の幽閉は不当なものであると考える。よって即時開放を私は提案する。賛成する貴族は起立せよ!」


 ヴィルヘルムの声に応えて自身の派閥とギュンター派閥の貴族が一斉に立ち上がった。それを見たディートフリート派閥の議員たちは動揺して、長であるディートフリートに視線を送る。


(あのまま静観しておけば良かったものを……ヴィルヘルムめっ!)


 ディートフリートは内心歯嚙みするが、最早どうすることも出来なかった。何しろ過半数は優に超えているのだから。


「……決まりだな」


 ヴィルヘルムはそう言うと、近衛騎士団長ランベルトに命じた。


「ロスヴィータ皇妃殿下及びシュテファニエ第一皇女殿下を即時解放せよ」


 これを聞いたマリアは悔しさを滲ませるディートフリートを鼻で笑うと、マントを翻らせて議場を後にしたのだった。



 ◆◇◆◇


「ここから先は何人たりともお通しできません。皇帝陛下のご命令です」


 皇帝の私室の前に立っていた二人の近衛騎士のうちの一人がそう言った。もう一人の衛兵も頷きながらそれに同意する。彼らは職務を全うしているだけなのだが、今のマリアにとっては邪魔者以外の何者でもない。


「どけ」


 有無を言わせぬ口調でマリアは言った。それを聞いた二人の近衛騎士たちは一瞬怯むものの、すぐに表情を引き締める。


「なりません」

「殺すぞ……どけ」


 殺気を込めて睨みながら再度言ったマリアの言葉に、二人の近衛騎士は完全に気圧されてしまうが、それでも頑なにその場を動こうとしない。

 そんな彼らの態度に業を煮やしたマリアは剣の柄に手を伸ばした。それを見て二人の近衛騎士は咄嗟に身構える。しかし次の瞬間、背後から声が掛かった。


「通して構わん」


 声の主は近衛騎士団長ランベルトであった。彼の姿を見た二人は慌てて敬礼を行う。


「し、失礼致しました」

「ご苦労だったな。ここは私が引き受ける」


 ランベルトはそう言って二人の近衛騎士を遠ざけると、マリアに向かって尋ねた。


「陛下とのお話の間、少し娘をお借りしても宜しいでしょうか、殿下」


 護衛として佇むブリュンヒルデを一瞥ししたランベルトに対してマリアは頷いた。


「積もる話もあるだろう、構わん」

「感謝致します」


 ランベルトが一礼すると同時にマリアは蹴破る勢いで扉を開け放ち、皇帝の私室へと消えていった。

 一方の残されたブリュンヒルデは久々に父親と再会したというのに、一言も発することなく、ただ静かにその場に佇んでいた。


「……元気そうだな」


 暫くしてから沈黙を破ったのはランベルトの方であった。それに対しブリュンヒルデは無表情のまま淡々と答える。


「お父様は随分とお疲れのご様子ですね。少し痩せたのでは?」

「……かもしれんな」

「近衛騎士団の再編も随分進んだようですね。見たことのない騎士が多くなりました」

「ああ、多くの者が騎士団に編入されて前線へと移動になった。古参の近衛騎士はもう第一近衛騎士団だけだ。他は三公爵家から来た騎士で埋まってしまった」「そうですか」


 そこまで言ってランベルトは一旦言葉を切ってブリュンヒルデの様子を窺うが、相変わらず表情に変化はなく何を考えているのか分からない。


(変わってないな)


 ブリュンヒルデの様子を見てランベルトは改めてそう思った。幼い頃から感情を表に出すことが少なく、子供らしさというものを感じさせない娘であったが、それは今でも変わっていないらしい。

 魔導騎士としてはそれでもいいが、一人の女性としてはどうなのかと常々疑問に思っていた。だがそんな思いを抱きつつも何も出来ずにいたことを彼は後悔していた。


「……第二皇女殿下だが、本当にお前に相応しい主なのか?」


 意を決したようにランベルトは口を開く。対するブリュンヒルデは相変わらずの無表情で答えた。


「どういう意味でしょう」

「そのままの意味だ。お前が命を懸けて仕えるような人物かどうか聞いているのだ」


 マリアに対する不信感を隠しもせずに尋ねる父に対して、ブリュンヒルデはやはり表情を変えずに答える。


「それはいずれ分かることだと思います」

「……そうか」

 短い言葉のやり取りだったが、それだけでランベルトには十分伝わったようだった。これ以上このことについて追及するのは止めた方が良いと判断したのだ。

「一つお聞きしたいのですが」


 ここで再び口を開いたのは今度はブリュンヒルデの方だった。


「なんだ」

「お父様は当主としてハイドリヒ家をどこへ導くおつもりですか?三公爵家の犬にでも成り下がるおつもりですか?」


 その問いにランベルトは苦笑する。どうやらブリュンヒルデから見て自分はそう見えるらしい。実際にそうなりつつあるのだから、ある意味反論の余地はない。


「そういうつもりは無いのだがな……どうもそう見えて仕方がないようだ」

「……」


 ランベルトの言葉に無言で返すブリュンヒルデに対し、彼はさらに続けた。


「ハイドリヒ家は帝国建国以前から存在して、建国後は武によってこの国を支えてきた由緒ある家門だ。その誇りを忘れたことは一度も無いし、これからも忘れることは無いと思っている」


 そこで一度言葉を切り、ランベルトは真っ直ぐにブリュンヒルデを見つめた。


「だが結局は武力しか持たない家門だ。政治の世界では無力に等しい。力も金も発言力ある三公爵家とは到底戦えまい。いや、戦うこと可能だろう。だがそれは内戦を意味する。周辺諸国に付け入る隙を与えるだけだ。帝国の為にならん」


 そう言ってランベルトは大きく息を吐いた。そんな彼に対してブリュンヒルデは静かに問い掛ける。


「帝国の為なら家が潰れようとも構わないと?」

「本家が無くなったところで分家が残っていれば再興は可能だ。無理に血を流す意味を感じないだけだ」

「……なるほど」


 ランベルトの言葉を受けて、初めてブリュンヒルデが少しだけ反応を示した。ただその表情の動きは僅かで何を考えているかは相変わらず読み取りにくい。少なくとも納得した表情には見えないことだけは確かだ。


「納得していないようだな」

「お忘れのようですが私は第二皇女殿下に仕える魔導騎士です。その殿下の母君を殺めた者共を生かしておくとでも?」

「……三公爵家に挑むか。無謀ではないかな」

「いいえ、無謀ではありません」


 ランベルトの言葉を否定したブリュンヒルデの瞳には、明確な決意の色が見て取れた。彼女はこう言いたいのだろう。たとえ相手が誰であろうと必ず復讐してみせる、と。


「まあ良い、好きにしなさい。お前は既に一人前の魔導騎士だ。信じた道を進めばいい」

「ありがとうございます、お父様」


 ランベルトとブリュンヒルデの会話が一段落したのをまるで見計らったかのように、マリアが勢い良く扉を開けて出てきた。


「用事はすんだ。行くぞ、ブリュンヒルデ」


 マリアはブリュンヒルデにそう声を掛けると、返事を待たずに歩き出した。そんな彼女の後を追い掛けるようにブリュンヒルデも歩き出す。


 そして二人の姿が完全に見えなくなったところで、ランベルトは皇帝の私室に足を踏み入れるのだった。




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