第10話 ソフィア教大神官
「……さてどうしたものか」
自宅の執務室にて西部からの報告書を読んだヴィルヘルムは、顎に手を当て思案する。
マリアが騎士団を率いて西部へ展開してから僅か二ヶ月で、アルバニア連邦の工作員は一網打尽にされたのだ。
「困ったことになったな……まさか軍を率いる才能があるとは」
贔屓目に見ても孫のフリードリヒには皇帝としての資質が決定的に欠けていた。はっきりいって四人の皇族の中で一番皇帝に向いていない存在だ。
色狂いで政治に興味がなく、金と女にだらしない。利用価値があるからこそ担いでいるが、そうでなければ早々にヴィルヘルムはフリードリヒを切っていただろう。
「……フリードリヒの婚姻を早めるしかないか」
帝位簒奪という好機は今をおいて他にない。万が一にも失敗すれば二度と巡り会えないはずだ
「儂がもう少し若ければな」
未だ生気に溢れているとはいえ、年齢を見ればあとは下りるだけで老い衰えていくだけだ。ヴィルヘルムもそれに気付いているからこそ、自分の代で帝位を得ようと躍起になっていた。
「マリアは後回しだ」
今後の方針を決めたヴィルヘルムは鈴を鳴らして執事長を呼ぶ。
「旦那様、いかがいたしましたか?」
「うむ、フェルディナントを大至急呼んでくれ。急ぎ相談したいことがある」
「かしこまりました」
執事長が下がってから数分後、扉がノックされてフェルディナントが入室してくる。
「お呼びと伺いましたが」
「そうだ。例の帝国教会の孫娘との件はどうなっている?話は進んでいるのか?」
「いえ、それが……」
歯切れの悪いフェルディナントに、ヴィルヘルムは訝しむ。
「なんだ?なにかあったのか?」
「はい。実はあの一件ですが教皇猊下はもちろんですが、枢機卿たちも一部反対しております」
「なんだと!?何故だ!?」
予想していなかった報告にヴィルヘルムは激昂した。
「そ、それはその、どうやらフリードリヒ殿下の醜態が漏れているようでして……どうやら意図的に広めている者がいるようです。おそらくですが――」
「このような手を好んで使うのはラングハイム家の者だろう。忌々しい連中め!」
ヴィルヘルムは苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
「それでどうなさるおつもりですか?」
「決まっている!なんとしても婚約を成立させるのだ!もし拒否するようであれば力尽くでも構わん!」
「しかしそれでは教会との関係が悪化してしまう恐れが――」
「金を積んで枢機卿を買収しろ!それで駄目なら暗殺しても構わん!絶対に成立させろ。時間がないのだ!」
「承知しました。そのように手配いたします」
フェルディナント退出を見送ったヴィルヘルムは苛立ちをぶつけるように机を叩いて叫んだ。
「何処までも使えない奴だ、フリードリヒ!」
実の孫に対して憎悪の念を抱くヴィルヘルムであった。
◇◆◇◆
「ヴィルヘルムはどうやら力で婚姻を押し進めるようです」
ディートフリート宅の応接室にて協力関係にあるソフィア教会の帝国教区大神官をもてなしていたエルネスタは、先程届いた報告を簡潔に伝えた。
「根回しが得意なヴィルヘルム閣下が力で押し切るとは珍しいことです」
「……噂を広めるのに協力してもらい感謝しています」
「ふふふ、信徒自らが行ったことです。感謝されることではありませんわ」
そう言って笑みを深める大神官は、お茶請けとして出されたクッキーを一つ摘まんで優雅に口に運ぶ。
その姿を見ながらエルネスタは内心でため息を吐いた。
(――やはりこの方は苦手だ)
人当たりが良く温和な笑みを浮かべているが、どこか得体の知れない怖さがある。まるで蜘蛛の巣に絡め取られた獲物になったような錯覚を覚えてしまいそうになるのだ。
「……何かありまして?」
「――っ!?いえ、なんでもありません」
目の前にいる大神官――名前をジュリアンヌ・アリエールといい、二十五歳という若さで大神官という地位に上り詰めた傑物だ。
ソフィア教会は国教と定めるセフィア聖王国はもちろん、大陸各地に影響力を持つ大陸一の宗教勢力で、聖女を頂点に補佐する聖王と大神官七人名が実質的な権力を握っている。
当然、ただの若造が大神官なれるはずもなく、エルネスタは何かあると常に警戒していた。
「そうですか。熱心に見つめていらっしゃるので、私に見惚れているのかと思いました」
腰まで伸ばした白銀色の髪と雪のように白い肌、そして神秘的な紫色の瞳を持っている彼女が頬を赤らめて恥じらう姿は確かに魅力的だ。同性であるはずのエルネスタですら、思わず見蕩れてしまったほどだ。
「んんっ!そろそろ本題に入りましょうか」
わざとらしい咳払いをしたエルネスタは、表情を改めて切り出した。
「ふふっ、そうしましょうか」
ジュリアンヌはそう言って姿勢を正すと真剣な表情になる。
「正直申し上げて我々聖王国が直接帝位争いに戦力を貸し出すのは不可能です」
「……理由をお伺いしても?」
「近年ガリア王国やフランドル王国が我が信徒を迫害していまして、我々はそれに対抗している最中なのです。帝国内の問題に介入するのは不可能です」
「なるほど。つまりそちらの国の問題を片付けてからではないと難しいと?」
「そういうことになります。状況が悪化すればガリア王国とは開戦という事態になりかねません」
これを聞いたエルネスタは思わず天を仰いだ。三公爵家の中では一番軍事力が低いため、いざというと時は聖王国の援助をあてにしていたのだ。
(困ったわね……まさかここまで酷い状況だったなんて)
いざこざがあることは知っていたが、まさかそこまで深刻化しているとは思っていなかった。
「……ではせめて資金援助だけでもお願いできませんか?」
「本国に確認しなければ分かりませんが、多分それは大丈夫でしょう」
「本当ですか!?」
光明が見えたことでエルネスタの表情が明るくなる。
「はい。それと戦力に関してですが、本国からは無理ですが帝国支部からなら可能です」
「……どういうことでしょうか?」
話が急に飛んでしまったため、エルネスタは思わず聞き返した。
「我が国には本国に展開する教会騎士団とは別に、各地の支部に派遣される隠密部隊があります。彼らは大神官直轄の精鋭で帝国魔導騎士にも劣らない実力を持っています。」
「大神官直属の精鋭ですか……」
それを聞いたエルネスタは考え込む。味方であれば心強いのは確かだが、果たして言葉通り信用できるのだろうか。そんな疑念が脳裏を過ぎったからだ。
「疑う訳ではありませんが、本当に魔導騎士にも劣らないと?」
帝国魔導騎士は帝国の最高戦力であり、その戦闘能力は折り紙付きだ。文字通りの一騎当千を地でいく連中で、数多の猛者がこれに挑んで散っている。
そんな連中と同等など、エルネスタは簡単には信じられなかった。
「ええ、もちろんです。大神官である私が神の名において保証します」
自信満々に胸を張るジュリアンヌを見て、エルネスタはこれ以上追及するのを諦めた。ここで議論をしたところで時間の無駄だと判断したのだ。
(戦力はあって困るものではないわ。ならば素直に借りたい。問題は対価ね)
いくら大神官直属とはいえ、無償で力を貸してくれるとは考えにくい。何かしらの要求をしてくるはずだ。それを見極めなければ借りるのは危険だ。
「見返りは何を差し出せばよろしいのでしょうか?」
「そうですね……まずは教会の増設許可、あとは派閥内貴族への面会を」
「……それだけですか?」
思いの外少ない要求にエルネスタは拍子抜けしてしまう。てっきりもっととんでもないことを要求されると思っていたのだ。
「あと大事なことを忘れていました」
そう言うとジュリアンヌはソファから立ち上がり、エルネスタの隣に腰掛けた。そしてそのまま密着すると耳元で囁いた。
「私と一晩ご一緒してくださいませんか?私好みの良い身体をしていますし、とてもそそられます」
「――はい!?」
予想外の発言にエルネスタの顔が真っ赤に染まり、身体が硬直した。
「ふふ、可愛らしい反応ですわ」
そう言って妖艶な笑みを浮かべるジュリアンヌとは対照的に、エルネスタは混乱の極致にあった。
「わ、私は女ですが?」
どうにか声を絞り出して抗議するも、エルネスタの声は震えていた。
「見ればわかりますわ。でも私は男女問わないんです」
「そ、そんなことを言われても困ります!」
「どうしても嫌ですか?では援助の話は無かったことにしましょう」
「……卑怯者ですね」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
勝ち誇ったように微笑むジュリアンヌに、エルネスタは苦虫を噛み潰したような顔になる。
この提案を蹴れば援助の話は無くなる可能性が高い。
何しろ教会と彼女に失うものは一切ないのだから。
(どうするべきか……)
悩むこと数分、やがて決断を下したエルネスタはゆっくりと頷いた。
「……わかりました。その代わり絶対に約束を違えないでください」
「もちろんです。私の名に懸けて必ず履行しますわ」
ジュリアンヌは満面の笑みを浮かべて了承すると、エルネスタから離れて立ち上がる。
「では後日改めてご連絡いたしますわ」
そう言い残して応接室を後にするジュリアンヌを見送った後、エルネスタはソファーに倒れ込むようにして倒れ込んだ。
(もうやだ!なんなのあの人!?)
まだ顔が熱いまま、エルネスタは頭を抱えるのであった。
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