第11話 姉妹の語らい
地方貴族のアーデルハイトにとって中央貴族や帝都は憧れの存在であると同時に、本来であれば一生縁のない場所であった。
しかし運命の悪戯か、彼女は地方の視察に来た皇帝ディートヘルムに見初められてしまい、一夜を共にしてしまう。
当然、身分違いもあって一夜の恋で終わるはずだったが、予想外なことに彼女は妊娠してしまった。
「なんということを……」
それに気付いた両親は愕然としながら、
皇帝と関係を持ったことが公になり、妊娠していると知られたら間違いなく三公爵家に殺されることをアーデルハイトに教えた。
「……お腹の子を産むのなら、絶対に陛下や中央貴族に知られてはならない。それとここにはもういられない」
そして両親は二人の侍女とお金を渡すと、領地からアーデルハイトを送り出した。
「お父様もお母様も私を守るためにそうしてくれたのだから、私も責任を取らなくては」
アーデルハイトは両親との約束を守るため、自分の出自を隠しながらひっそりと身を潜めながら生きた。
そして子供であるマリアが誕生して十五年、慎ましくも穏やかな生活を送ってきたのだが、その生活は近衛騎士の来訪で終わりを告げることになる。
そこからはあっという間だった。突然現れた近衛騎士によって娘と一緒に王都へと連れて行かれ、そこで彼女はディートヘルムと再び出会い皇妃として迎え入れられることになった。
それからは何もかもが変わってしまった。
(どうしてこうなったのかしら)
あれだけ憧れた帝都も、今のアーデルハイトにとっては恐ろしい場所でしかない。
味方も殆どおらず、いつ暗殺されるか分からない恐怖の中、それでも彼女が生きてこられたのは愛する我が子マリアがいたからである。
だから何があっても、どんな目にあっても、彼女だけは守り抜くと決めていた。
そんな悲壮感漂うアーデルハイトに対して当のマリアはというと、西部から帰還して早々にシュテファニエに拉致されていた。
「……なんだこれは?」
「見ての通りよ。貴女とお茶をしようと思って」
そう言いながら優雅に紅茶を飲むシュテファニエを見て、マリアは思わず頭を抱える。
「……仲良く茶を飲むような仲だったか?」
「あら、酷いわね。私は可愛い妹をお茶に誘っているだけなのに」
そう言って微笑むシュテファニエを無言で見据えたあと、マリアは控える侍女に視線を移した。
「私は珈琲を」
「畏まりました」
静かにお辞儀をした侍女は配膳ワゴンからカップを取り出すと、洗練された動きで手際よく珈琲を淹れてマリアの前に置いた。
「お待たせ致しました」
「流石が第一皇女殿下に仕える侍女だな。仕事が早い上に所作が美しい」
「ありがとうございます、第二皇女殿下」
褒められたことに礼を述べながらも表情一つ変えない侍女に感心しつつ、マリアは珈琲を口にする。
「……毒殺の心配はしないのかしら?」
毒味もせずに出された珈琲を口にしたマリアに対し、シュテファニエは面白そうに問いかけた。
「クリストフなら考えなくもないが、お前はそんなことをする奴じゃないだろう」
「信頼してくれているのかしら?」
「信頼?性格を考慮しただけだ」
「ふふふ、そういうことにしておきましょうか」
そう言うとシュテファニエは優雅な仕草で紅茶を口に運んだ。
「それで?私に何の用だ?」
「そうね、西部はどうだったのかしら?随分と活躍したそうね」
「工作員と言っても本物とは程遠い連中だった。あの程度なら誰でも対処できたはずだ」
淡々とした口調で語るマリアだが、それは謙遜でも何でもない事実であった。西部で動いていたアルバニア連邦の工作員は名ばかりの素人で、実際に捕捉から拘束まで時間は掛からなかった。
「そう、でも解決したのは貴女よ」
「……」
シュテファニエが何を言いたいのか理解したマリアは、珈琲を口に運びながら眉間にシワを寄せた。
「今回の一件、フリードリヒはだいぶ御立腹だそうよ。貴女にも、そして叱ることしかしない祖父にも」
「自業自得だろう。少しでもまともに生活していればこんなことにはならなかったはずだ」
「そうね、その通りね。でもフリードリヒがそんな風に考えると思って?」
問いかけるシュテファニエに対して、マリアは何も答えない。それは分かりきった答えだからだ。
「暫くは気をつけることね。思慮が浅い者は何をするか分からないのだから」
「……忠告には感謝しよう」
素直に感謝の言葉を述べたマリアを見たシュテファニエは、思わず笑みを漏らした。
「ふふっ、やっぱり貴女は可愛いわ。私の元に来れば可愛がってあげるのに」
「冗談を言うな。誰がお前の玩具になるものか」
「あら、残念だわ」
言葉とは裏腹に楽しそうな笑みを浮かべたシュテファニエを見て、マリアは溜め息をついた。
「はぁ……そういえばそのフリードリヒだが、婚姻が決まったそうだな」
「ええ、帝国教会教皇猊下の孫娘とね。随分と無茶をしたらしいわ」
「無茶を……ね」
それを聞いたマリアは珈琲を飲み干すと、侍女に視線を送った。するとすぐに新しい珈琲がカップに注がれる。
「フリードリヒは気付いているのか?」
「どうでしょうね。まぁ生活態度や日頃の言動を見る限りではね」
「そうか……」
そう言ったきり黙り込むマリアの様子を見ていたシュテファニエは、彼女が何を考えているのか察することが出来た。
(このまま行けば最初に脱落するのはフリードリヒね。それにしてもヴィルヘルム閣下は思い切った行動もとるのね)
シュテファニエからすればヴィルヘルムの行動は意外だった。政治的な駆け引きにおいては狡猾な面を見せる一方で、根回しを周到に行い計画を進めて突発的な行動は決して取らないタイプだと思っていたからだ。
「……それにしても帝国教会か。ソフィア教会が黙っていなさそうだな」
「でしょうね。共に相容れないもの」
帝国教会とソフィア教会は信仰する神からして違う。
創造神ユピテルを唯一絶対として崇めているのに対して、ソフィア教会は生命の母たる女神ソフィアとそれに従う七大精霊たちを崇拝している。この違いだけでも大きな隔たりがあるのだが、他にも差異があった。
例えば医療に関して言えば、ソフィア教会は神官による回復魔法によって治療を行うのに対し、帝国教会は薬草による薬学での治療が主流となっている。
またソフィア教会は性に対して寛容で、子を宿すための行為というだけではなく、男女共に快楽のために行う性行為についても肯定的であるが、帝国教会は女性には貞淑さや慎みを求め、男性には性欲を抑え理性的に振る舞うことを求めるなどの違いがある。
「強引な手法で進めた以上、ヴィルヘルム派閥は帝国教会に譲歩せざるを得ないが……きっと理解していないだろうな」
「そうね、そしてソフィア教会はそこを利用して勢力拡大を図るでしょうね」
「面倒なことになったものだ」
マリアは小さく溜め息をつくと、茶請けのクッキーを摘んで口に放り込む。そんな彼女の姿を見ながら、シュテファニエは訪ねた。
「貴女は神を信じているのかしら?」
「……なんだ急に」
突然の問い掛けに訝しげな表情を浮かべるマリアだったが、それを気にすることなくシュテファニエは続けた。
「他意はないわ。ただ純粋な興味よ」
「……神はいるのだろう。ただ宗教家共が言うように信じれば救われるというものでも無いだろう」
マリアはそう言うと、珍しく真剣な表情を浮かべた。
「神は私たちに生を与え、頭脳を授け、魔法という奇跡の力を贈った。それだけだ」
「神は助けてはくれないと?」
「当然だ。助けるくらいなら最初から全て平等であればいいのに、何故差をつける?神は力を与えただけで、そこから先は自分で切り開けということだ。私はそう思っている」
はっきりと言い切ったマリアの言葉を聞いていたシュテファニエは、小さく微笑んだ。
「面白い考えね。それが貴女の原動力なのかしら」
「……さぁな。ただの考えの一つに過ぎない。お前はどうなんだ?」
マリアの問いかけにシュテファニエは少し考え込むような仕草を見せたあと、ゆっくりと口を開いた。
「そうね、私もあまり信じていないわ。貴女と同じね」
「そうか」
素っ気ない返事を返すマリアは、少し考えたあとに再口を開く。
「まぁ神の存在はどうでもいい。問題はこのまま行けばソフィア教会が勢力を拡大するということだ。そうなれば必然的に――」
「ディートフリート派閥が台頭してくるわね」
マリアの言葉を遮ったシュテファニエの言葉に、マリアは無言で頷く。
そしてそれは同時にセフィア聖王国の影響力が帝国にも及ぶことを意味する。
「ディートフリートは先のことをきちんと考えているのかしらね」
「知らん。どうでもいい」
「それは本心かしら?」
「忘れているようだが、私は帝位争いに興味はない」
そう言って珈琲を飲み干すマリアを見て、シュテファニエは思わず苦笑いを浮かべた。
「そういうことにしておきましょう」
「……勝手にしろ。では私はそろそろ行くぞ」
マリアはそのまま席を立つと、シュテファニエの部屋を後にした。
「宜しかったのですか?ご当主様や皇妃殿下からは第二皇女殿下とは距離をとるように申し付けられていましたのに」
マリアが去ったあと、控えていた侍女がそう尋ねるとシュテファニエは笑みを浮かべて答えた。
「遠くを見ることは悪いことではないわ。でもね――」
そこで一度言葉を切ったシュテファニエは、冷え切った紅茶を見つめながら告げたのだった。
「足元を疎かにすると簡単に転ぶわよ」
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