第9話 異質な二人

 ブリュンヒルデとガウェインが親衛隊と騎士団を鍛えている頃、マリア自身は侍女であるリアンナとアネットを教育していた。


「……私たち侍女よね?」

「そのはずなんだけど……」


 二人はこのところ侍女らしい仕事は一切しておらず、マリアが持ってきた本を読んで勉強するだけの日々を送っていた。二人は薄々ではあるが、彼女が自分たちを文官にするつもりであること察していた。

 問題なのはなぜ彼女が文官を必要としているのかということである。


「やっぱり殿下は……」

「……憶測だけで口にしてはいけないわよ」


 明らかに帝位争いに必要だから人材育成をしていることは明白だ。

 しかし表向きマリアは帝位争いには興味がない立場を貫いている。故に二人は今の状況を誰にも話していないし、言うつもりもない。下手をすれば排除されかねないからだ。


「それにしても……帝国はこうしてみると厳しい状況なのね」

「帝都にいては分からないわね。いえ、中央貴族も本当の意味では理解していないのかも」


 ローゼンハイム帝国は、国政を担当する中央貴族と領地を運営する地方貴族に分かれている。

 そして問題なのは中央貴族の権限が強すぎることだ。

 皇帝領と独立国家に近い三公領以外の領地で集められた税収は、一旦国庫に納められてから中央貴族の財務官たちが各地の状況に応じて分配しているため、中央貴族に顔が利く地方貴族に予算が偏ることも多くある。

 また地方貴族は軍を組織することを許されておらず、戦力といえば精々が平民で組織した警備隊程度で、叛乱など起こしようがない。

 地方貴族は中央貴族の顔色を伺いながら生きていくしかない。それは地方の民から搾取して成り立っているのと同義であり、それが帝国の歪みでもあるのだ。


「こうして勉強しなければ一生知ることもなかったかもね」

「そうね……私たちは恵まれているのかもしれないわ」


 子爵家の出身とはいえ中央貴族であったことで比較的裕福で高い教育を受けられ宮殿侍女という職にありつけた。

 これが地方貴族出身であったらこうもいかなかったはずだ。領地で生活して、地方の何処かに嫁いで一生を終えていたはずです。


「……殿下は帝国どう思っているのでしょうね」


 ポツリとリアンナが呟いた言葉に、アネットは答えることが出来なかった。マリアのことを理解できるほど付き合いは長くないし、彼女自身から聞いたことも語られたこともなかったからだ。

 ただ分かっていることもある。


「少なくとも、殿下は成人したての子供ではないわ」


 実際に二人から見てもマリアの能力や才能は明らかに常人のそれを大きく上回っていた。帝国では十五歳で成人として扱われるが、実際に大人と渡り合うにはそこからさらに多くの経験が必要だ。

 特に権謀術数渦巻く中央においては相手の考えを読む洞察力や交渉力は必須であり、それは長年の経験が圧倒的に物を言う。

 その点において彼女は既に十分過ぎるほどの能力を持っていた。元々が地方貴族出身ということを考えれば明らかに異常だ。


「……考えても仕方がないわ。私たちは言われたことをこなしましょう」

「そうしましょう」

 そう言って二人は再び本に視線を落として、勉学に励むのだった。



 ◆◇◆◇


「……帝国はもはや限界だな」


 私室にて書類に目を通していたマリアは、小さく溜め息を吐いた。

 魔力血統思想に凝り固まった今の帝国では、誰が支配者にあなろうと周辺諸国の侵攻を防ぐことは不可能だ。むしろ今までよく保っていたものだと感心すらしていた。


(魔導具の利用は帝国でも始まったが、あくまで貴族限定だ。そしてこれからも平民に広く広まることはないだろ)


 魔法を独占するからこそ貴族階級は平気で平民から搾取を行い繁栄してきた。

 なにせ平民では貴族が展開する魔力障壁を正面から破って殺すことは不可能だからだ。魔力障壁は魔力を以てしか突破できない以上、どれだけ数がいようとも平民ごとき敵にはならない。それがこれまでの常識でもあり真理でもあった。

 しかし魔導具の登場はこれらの常識を打ち壊した。魔導具とは魔石を用いた道具や武具類の総称であり、誰でも使える点が特徴の一つだ。

 つまりこれまで貴族のみが使えた魔法を平民でも使えるということだ。

 仮にこれが平民に広まればどうなるだろうか。答えは簡単だ。帝国全土は瞬く間に叛乱という業火に包まれるだろう。

 それだけ平民を虐げてきたのだ。地方貴族の多くも叛乱に加担するはずだ。そうなればもはや止めることはできない。例え皇帝の座に就いたとしても待っているのは滅亡だけだ。


(しかし逆に考えれば絶好の機会でもある)


 貴族階級に頼らない、平民階級を母体とした新しい勢力基盤を構築することができれば、マリアも三公爵家と正面から対峙することができる。いや、平民の数が貴族よりも多い以上、圧倒的優位な立場を築くことも可能かもしれない。


(問題は時間と場所だ)


 帝国の情勢が混沌としている今、何十年も掛けての改革など現実的ではない。

 また場所も重要だ。三公爵家に目を付けられず、自由に行動できる場所が望ましい。そうなると選択肢は限られてくる。


「北部しかないな」


 帝国の北に位置するレーゲンスブルク属州。そこは帝国であって帝国ではない中央から見捨てられた土地である。


「……少し危険かもしれんが、早々にアルバニア連邦の工作員共を始末するか」


 目立つことは避けたいが、そうでもしなければ帝都から離れて北部へ行けそうにもなかった。


「成果を上げて恩賞として北部へ。または目障りだから北部へ飛ばされる……それともやはり殺しに来るかな」


 どちらにせよやることは変わらないと結論付けたマリアは椅子から立ち上がると、騎士団を視察するために部屋を後にするのだった。


 その頃、訓練場では騎士団に入隊したアンネリーゼ・フォン・グリューネヴァルトが全身汗だくになり、肩で息をしながら地面に膝をついていた。

 貧しい男爵家生まれの彼女は幼い頃からの山で狩りをして、成人してからは西部国境での戦いに傭兵として参加して実戦を重ねてきたが、目の前に立つ女性――ブリュンヒルデには手も足も出ない状態であった。


「立て」


 たったそれだけの言葉なのに体が震えてしまうほどの威圧感がある。そして同時に理解する。強敵だと。


 アンネリーゼはふらつきながらも立ち上がり再び構えを取るが、瞬間にはブリュンヒルデが剣を上段に構え目の前に迫っていた。

 アンネリーゼは咄嗟に鞘を盾にして防ぐが衝撃までは抑えきれずに大きく吹き飛ばされてしまった。地面を転がりながらも何とか体勢を立て直すことに成功するが、今度は脇腹に強烈な蹴りを叩き込まれる。


「かはっ……!」


 口から空気が吐き出される。そしてそのまま数メートル程転がっていった。


「なんだその剣は?騎士団に入るために誰かに教わったのか?未熟すぎて話にもならん。お前自身の剣を見せろ」


 容赦のない言葉を浴びせられ歯軋りをするアンネリーゼだったが、やがて息を整えると立ち上がった。

 そして深呼吸をしてから一気に駆け出していく。そのスピードは今までとは比べ物にならないほどで、一瞬にして間合いを詰めると横薙ぎの一閃を放つ。対するブリュンヒルデはそれを堂々と受け止める。


「それがお前本来の剣か。なるほど、実戦向きの良い剣だ」


「……」


 無言で返すアンネリーゼに対して、ブリュンヒルデは口角を上げるとさらに力を込めて押し込んでいく。


(私は西部国境で戦ってきた。そこいらの騎士や兵士なんかより遥かに強い奴らと何度も戦ったことがあるのよ……!負けるわけにはいかないっ!)


 徐々に押し込まれていき、遂には力負けしてしまったアンネリーゼは大きく後方へ飛ばされてしまう。受け身を取って素早く立ち上がると、休む間もなく襲い掛かってくる相手に対して必死に食らいついた。


「まだまだ甘いっ!!」


 振り下ろされた一撃を受け止めた瞬間、アンネリーゼの手から剣が弾き飛ばされた。それに動揺した一瞬の隙を突いて繰り出された回し蹴りを受けて大きく吹き飛ぶと、背中から地面に叩きつけられて激しく咳き込んだ。


「……はぁっ……ゴホッゴホッ!……はぁ……はぁ……」


「もう終わりか?」


 その言葉にギリッと歯を食い縛ったアンネリーゼはゆっくりと立ち上がる。そして地面に転がっていた自らの剣を拾い上げると、両手でしっかりと柄を握って構えを取った。


「ほう、まだやる気があるのか。だがお前の実力はもう分かったぞ」


「……ッ!」


 それを聞いた瞬間、アンネリーゼの中で何かが弾けた。そして体中に魔力を巡らせると、身体能力を極限まで強化していく。それと同時に脳が焼き切れそうな程の熱が全身に広がり、視界が真っ赤に染まる。同時に意識が飛びそうになるのを堪えて無理やり意識を繋ぎ止めた。そして地面を蹴ると一瞬で距離を詰めて斬りかかった。


 だが――


「やはりお前はまだ未熟すぎる」


 突き出した渾身の一撃はいとも簡単に受け止められてしまい、そこから反撃とばかりに腹部に拳を喰らってしまった。アンネリーゼの口から大量の血が溢れ出す。あまりの痛みに意識を失いそうになるが、ここで倒れる訳にはいかないという意思だけで踏みとどまっていたが、それも限界に近かった。


(冗談じゃない……彼女は魔導騎士なのに……魔法と剣を使いこなす魔導騎士なのに……)


 アンネリーゼは愕然とする。何しろ身体強化を施してもなお届かないどころか明らかに手加減された状態、剣技と体術だけで圧倒されたのだ。


(これが武の名門ハイドリヒ家が生んだ怪物『鮮血』ブリュンヒルデ』か)


 しかしそんなことを考えている余裕など無い。何故ならブリュンヒルデの剣先が眼前に迫っており、アンネリーゼは反射的に防御の姿勢を取ろうとするがそれすらも間に合わないと判断して目を閉じる。その直後、鳩尾辺りに拳を受けた衝撃で呼吸が出来なくなった。


「ごほっ!げほ!おぇぇぇえっ!」


 胃液と共に血液を大量に吐き出すアンネリーゼの瞳からは光が失われつつあった。

 そんな彼女を見下ろしながらブリュンヒルデは静かに告げる。


「今のお前にできることはただ一つだけだ。死にたくなければ強くなれ」


 その言葉を聞いた直後にアンネリーゼの意識は闇に落ちたのだった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る