第8話 任命書

 三公爵家は共にかつては侯爵家であり、帝国の版図を広げるのに大いに貢献、東方遠征においてザクセンブルクとレゼネクス地域を獲得したのは彼らの尽力があってこそであった。

 

 しかし時の皇帝はそんな彼らが強大になるのを恐れて冷遇した。僅かな報酬に皇女の降嫁と公爵位を与えると、帝国政治の中枢から追い出したのである。

 当然、彼らは反発したが帝室の権威と権力は当時最盛期を迎えており、とても太刀打ちできるものではなかった。

 

 彼らは自領へと引き篭もり内政に力を入れながら復讐の機会を、時が熟すのをじっと待ったのである。

 鉱山事業、大規模農業、そして宗教とそれぞれが得意分野で成果を出しつつ、力を蓄えた彼らは裏から帝国経済や物流を操って勢力を拡大していき、先々代の頃から再び表舞台へと姿を表した。

 そして莫大な資金を背景に中央貴族たちを取り込んでいき、その影響力を強め、皇帝の力を一つ一つ削いでいった。


 その結果、今や帝国の三大役職は三公爵家が占め、皇妃も三公爵家の娘たちがほぼ独占、皇帝の住まいたる宮殿も三公爵家の息の掛かった者たちで固められ、実質的に帝国を動かしているのはこの三公爵家といっても過言ではなくなった。


 ただそれはあくまでも表向きの話である。彼ら三公爵家は一枚岩ではなく、それぞれが独自の思惑を持って動いているのだ。

 現当主たちはそれぞれの考えのもと、互いに牽制し合い、時に協力しつつ、帝国の舵取りをしているのだが、ここにきて大きな問題が発生していた。


「さて、どうしたものか」


 宰相執務室においてヴィルヘルムは椅子に深く腰掛けて思案していた。

 帝国は現在、東西に敵を抱えていたが、その西の敵対国家アルバニア連邦の動きが活発になってきていた。

 尤もそれは大動員というような正面からの形ではなく、水面下での裏工作や諜報といった活動であった。

 アルバニア連邦は現在、西で大和皇国と島を争って激戦を繰り広げているため、帝国国内を混乱させての侵攻を防ぐ狙いがあるのだろう。


「忌々しい。アルバニア連邦など今は興味がないというのに」


 帝位争いと国内の立て直しに忙しいヴィルヘルムにとって、今のアルバニア連邦は全くもってどうでもいい存在なのだ。

 もし彼が興味を抱くとすれば、それは帝位争いと国内の立て直しが終わったあとだ。


「諜報程度なら放置しておくが……流石に誘拐までされてはな」


 現在、西方では若い女性を狙った人攫いが多発しており、既に多くの若い女性が消息を断っていた。ただこの程度ではヴィルヘルムも捨て置いただろう。問題なのはその中に下級の貴族令嬢も混ざっていたのだ。


「魔力持ちを増やすためなのだろうが……ふざけた真似を」


 魔力持ちは平民同士からは決して産まれない存在で、貴族の男女、貴族男性と平民女性、貴族女性と平民男性という組み合わせのみで魔力持ちは産まれる。

 そうなれば必然的に攫いやすい若い女性が標的になり、見境なく攫ったことで下級貴族令嬢も巻き込まれてしまったのだろう。


「問題は誰を責任者にするかだが」


 最初はフリードリヒを据えようかとも考えたが、これまでの醜態を考えると適切とは思えない。寧ろさらに状況を悪化させて派閥の貴族から見放されかねない。

 ならば次はクリストフやシュテファニエだが、逆に手柄を立てられては帝位争いで先を行かれて困ることになる。

「……試してみるとするか」


 暫く悩んだ末、ヴィルヘルムは書類作成すると文官を呼んで軍務大臣に届けるよう命じたのだった。



 ◆◇◆◇


 ローゼンハイム帝国の軍組織は近衛騎士団と帝国騎士団の二つに大きく分かれている。前者は皇帝の身辺警護と宮殿の防衛を担当する精鋭集団であり、後者は主に国境警備や侵攻を担当していた。


 しかし長年の戦争よって皇帝が直轄していた騎士団の全てが消耗によって解体され、残っているのは各貴族家からの徴用によって構成される騎士団のみであった。

 そしてこの騎士団の殆どが東西の国境防衛回されており、帝都に残っているのは再編途中の団や訓練を終えた新人騎士ばかりであった。


「宰相殿も無茶を言う」


 そんな状況の中、執務室で書類を届け取ったディートフリートはその内容を見てため息をついた。

 内容は最近西部で頻発している人攫いの調査及び解決、可能であれば犯人を捕縛せよというもので、総指揮官に第二皇女マリアを据えた新たな部隊を新設せよとのものだった。


「どうかなされましたか、閣下」


 そこに赤みを帯びた髪を後ろで束ね、碧眼の瞳には知性が宿った美女が入室してくる。

 彼女の名はエルネスタ・フォン・エクハルト・ベルナー。

 ディートフリート派閥における重鎮ロストック侯爵の次女で、彼女の役割はその頭脳を生かし相談役を務めることと、愛人としてディートフリートの子を産んで魔力持ちを一人でも多く増やすことだ。

 彼女は今年で二十一歳になるが、既に二人の子を産んでいた。


「宰相殿からだ。人攫いの調査して解決せよとのことだ」


 そう言ってディートフリートは手にしていた書類を手渡す。それを受け取ったエルネスタは内容を素早く読み取ると少し考えた後に口を開いた。


「成程、これは確かに難題ですね。それに第二皇女殿に指揮をとらせろとは……我が派閥にもヴェーデル派閥にも手柄を立てさせたくないとなると確かにこれしかありませんが」

「後ろ盾のフリードリヒを差し向ければ良かろうに」


 そうぼやくディートフリートの言葉に、エルネスタは目を丸くして問いかける。


「本気ではありませんよね、閣下。昨今醜態を考えればとても外には出せないでしょう」

「だからだ。我々が何もせずとも勝手に自滅してくれそうではないか」


 実際、彼の言う通りであった。先の親衛隊選びや議会で大失態を犯したフリードリヒは、これまで築き上げてきた名声を失いつつある。

 それに加えて今回の人攫い事件でも何かやらかしてくれれば、一気に派閥貴族の信頼を失うだろう。そうすれば後はどうにでもなるというものだ。


「意地悪な人ね。まあ私も同意見ですけど」


 そう言って微笑むエルネスタはディートフリートにもたれ掛かるとそのまま彼の唇を奪う。そうしてしばらくキスを交わした後、瞳を間近で見つめながら問いかける。


「それでどうなさるおつもりですか?」

「宰相殿の意向を汲むしかあるまい。まだ本格的に対峙するには準備不足だからな」

 その言葉に満足げな笑みを浮かべたエルネスタは、再び彼にキスをすると耳を甘噛しながら囁いた。


「今夜はいかがしますか?私としてはまた激しくされたい気分ですけれど……」


 その艶のある声に情欲を刺激されたのか、ディートフリートはエルネスタを抱き締めると耳元に囁くように告げる。


「そうだな、今夜は朝まで愛してやるとしよう」


 その答えを聞いたエルネスタは喜々とした表情でもう一度キスをしたのだった。


 翌日、軍務大臣室にブリュンヒルデを伴ってやって来たマリアはディートフリートと対峙していた。


「……眠そうだが大丈夫か」


 開口一番にそう言ったマリアの言葉に、ディートフリートは僅かに顔をしかめる。昨夜は久しぶりにエルネスタを抱いたのだが、あまりに盛り上がってしまい、結局明け方近くまで抱き続けてしまって寝不足なのだ。


(流石にやりすぎたか)


 そう思いながらもディートフリートは平静を装って口を開く。


「問題ありません。それよりも殿下自らご足労頂き感謝いたします」


 そう言って軽く頭を下げたディートフリートは、すぐに本題へと入った。


「貴族はもちろん、皇族にも軍役が課せられることは第二皇女殿下もご存知でしょう」


 帝国においては全ての貴族に軍役が義務づけられており、それは三公爵家も例外ではない。貴族たちは例外なく全員騎士なのである。

 しかしだからといって全員が戦場に駆り出されるわけではない。

 当然、宰相や軍務大臣の意向が反映され、大貴族やコネのある者、金を積んだ者は戦場行きを免除されており、皇族が軍役を課されたのはもはや何十年も前のことである。


「知っているがそれどうした」


 その問いに対してディートフリートはゆっくりと任命書を差し出す。


「第二皇女殿下には新設される騎士団の団長となっていただきたく思います」


 差し出された任命書に目を通したマリアは思わず目を見開いた。そこには新しく編成する部隊の名称とその責任者となる者の名が記されていたのだ。


『第一遊撃騎士団・団長マリア・フォン・クラウゼヴィッツ・ハルデンベルク』


 その下には宰相ヴィルヘルムと軍務大臣ディートフリートのサインが記されていた。


「……帝国史上女性の騎士団長は一人もいない。構成比率も明らかにおかしい。女性しかいないではないか。また何をする騎士団なのかも不明だ。説明してもらおうか?」


 鋭い視線を向けてくるマリアに、ディートフリートは淡々と説明を始めた。


「この部隊は侵入してきたアルバニア連邦工作員に対抗するためのもので、女性のみで構成された少数精鋭の騎士団となります」


 それを聞いてますます怪訝な顔をするマリアに対し、ディートフリートは報告書を差し出しながら言葉を続けた。


「現在帝国西部では誘拐が多発しており、被害者の中には貴族令嬢も含まれているそうです。我々はこれを解決するべく新たに部隊を編制しました」

「体のいい囮にしか聞こえないが?あわよくば消そういうのか?」


 そう言いながら疑いの眼差しを向けるマリアだったが、ディートフリートは首を横に振って否定する。


「いえ、決してそのようなことはありません。我々の目的は攫われた者たちを助け出して、アルバニア連邦の工作員を一網打尽にすることです」


 明らかに嘘混じっているが、体裁を整えている以上は反論も出来ない。そのためマリアは黙って続き促した。


「もちろん、すぐに赴けなどとは申しません。新設ということを考慮して訓練期間を一ヶ月、それから西部ヘと展開して頂ければと思います」

(新設一ヶ月の訓練など実戦に耐えうるものか!)


 内心で毒づくものの口に出せるはずも

 なく、かといって無視することも出来ず、結局は受け入れるしかないことを理解しているため、マリアは小さくため息をついて了承の意を伝えると、自室に戻って大きなため息を吐いた。


「少しフリードリヒを弄りすぎたな。まさか面倒事を押し付けられるとは」


 明らかに三公爵間における権力闘争のとばっちりを受けた形で、どう見積もっても面倒な任務であることは間違いない。


「アルバニア連邦の工作員ということは手練だろう。それを新設の騎士団で探して叩けとは……」

「親衛隊もいます。何とかなるのでは?」


 そう口にするブリュンヒルデであったが、それに対してマリアは大きくかぶりを振るとこう答えた。


「目立った功績など上げてみろ。三公爵家から袋叩きに遭うぞ」


 弱小勢力が目立ったところで、ろくでもないことにしかならないことは明らかだ。下手をすれば全力で潰しに来るだろう。慎重に動かなければ待っているのは死だ。


「とりあえず考えるのはあとだ。騎士団を一ヶ月で鍛えないと。ああそうだ、親衛隊を呼べ。時間が惜しいからな」


 こうして慌ただしく動き出すことになったマリアとブリュンヒルデだが、これが新たな戦いの始まりになるとはまだ知る由もなかった。



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