第5話 三人の皇族

 第二皇子クリストフはセフィア聖王国とも深い繋がりがある帝国南部ルクセンベルク公国を治めるラングハイム家を後ろ盾としており、人懐っこい人柄から帝国貴族の御婦人や若い令嬢から人気を集めている人物である。

 そんな彼は現在、執務室にて配下からの報告書を呼んでいるところであった。

 そこには人懐っこい人柄いわれる面影は一切見られなかった。


「……母上も無茶を仰る。アーデルハイトを簡単に殺せるはずないだろうに」


 大きなため息とともに吐き出された言葉からは、彼の苦悩が伝わってきた。

 皇帝陛下の寵愛を一身に受けるアーデルハイト皇妃だが、カサンドラ皇妃もロスヴィータ皇妃も目障りだとは思っていても、所詮は帝位を奪う為の政略結婚であったため排除するほど敵視はしていなかった。

 しかし母上であるマヌエラ皇妃は違い、皇帝を愛してしまっていた。

 故に寵愛されるアーデルハイト皇妃のことを目の敵にしており、彼女を排除しようと躍起になっているのだ。

 そんなアーデルハイト皇妃は茶会にも行事にも参加せず、宮殿の自室で近衛騎士に守られているため、はっきり言って手の出しようもなく、またクリストフ自身も暗殺するほどの必要を感じていなかった。そのため放置していたのだが、母上からの催促は酷くなる一方であった。


「殿下、ただいま戻りました」


 そんな風に悩んでいると、若い侍女が入室してきた。彼女はクリストフが抱える暗殺者の一人である。


「それで、どうだったんだ?」


 クリストフの問いに侍女は答えた。


「此度も失敗です。申しわけ御座いません」


 そう言って跪き深く頭を下げる侍女に対して、クリストフは椅子から立ち上がると優しく頬に手を当てて顔を上げさせる。


「気にすることはないよ、アンナ。君には絶大の信頼を置いている。失敗するのならそれだけ相手が用心深いのだろう」

「殿下……!」


 クリストフの言葉に感極まった様子で涙を流す侍女――アンナを見てクリストフは微笑む。その笑顔はまるで絵画に描かれた天使のように美しいものであった。


「君が戻ってくることのほうが大事だ、いいね?」


 そう言ってクリストフはアンナに視線を向ける。その視線を受けただけでアンナの心臓は大きく跳ね上がった。


(あぁ、私はなんて幸せ者なのでしょう)


 アンナにとってクリストフに仕えるということは至上の喜びであった。彼に仕えてからというもの彼女の人生は大きく変わったといっても過言ではない。ただ暗殺のために育てられてきた自分に生きる意味を与えてくれたのだから。

 そう思うと自然と身体が熱を帯びてくるのを感じた。


「それにしても聞いたかい?ハイドリヒの娘がマリアを主と仰ぐそうだよ」


 マリアの名前を出されてアンナの身体がビクリと震える。そんな彼女の反応を見てクリストフは意地の悪い笑みを浮かべた。


「どうした?ハイドリヒの娘が怖いのかい?それとも……僕に捨てられと思ったのかい?」


 耳元で囁かれた言葉にアンナは思わず息を飲んだ。そんなアンナの様子にクリストフはますます笑みを深める。それはまるで新しい玩具を見つけた子供のような無邪気なものだった。


「ふふっ、君は本当に可愛いね。僕のお気に入りだよ」


 そう言いながら頬にキスをするクリストフの行動を受けて、アンナの顔は真っ赤に染まった。そのまま硬直してしまった彼女を見て、クリストフはさらに追い打ちをかけるべく口を開く。


「心配しなくても君を見捨てたりしないさ。これからも僕を支えてくれよ?いいね?」

「はい、殿下!」


 元気よく返事をするアンナを見て、クリストフは一旦思考を打ち切った。母の願いを叶える機会は必ず巡ってくるだろうと考えたからだ。それよりも今は目の前の可愛らしい侍女を愛でることのほうが重要だった。


「おいで、アンナ」


 甘く囁くようなクリストフの言葉に、アンナはふらふらと吸い寄せられるように近づいていく。そして彼の膝の上に座ると蕩けたような表情でクリストフを見上げた。


 そんな彼女にクリストフは満足げな笑みを浮かべると、今度は唇にキスをしたのだった。



 ◆◇◆◇


 第一皇女シュテファニエは帝国東南部ラインベルク公国を治めるヴェーデル家を後ろ盾としており、その美貌故に帝国の至宝と称される人物である。

 彼女は聡明で思慮深く、皇女としての品格を持ち合わせている人物として周囲から評価されていた。


 そんな彼女はバスローブに身を包み、ワイングラスを片手に持ちながら密偵から報告を受けていた。


「――そう、ハイドリヒ卿はマリアを選んだのね」

「はい、その通りでございます」


 跪き恭しく頭を垂れながら答える密偵を一瞥した後、シュテファニエは意地悪な笑みを浮かべて言葉を掛けた。


「フリードリヒは馬鹿よね。普通にしていればまず間違いなくハイドリヒ卿を獲得出来たでしょうに、よりにもよって押し倒して手籠にしようなんてね」


 そう言いながらシュテファニエは足先で密偵の顎を軽く持ち上げると、妖艶な笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「どうしたのかしら?顔が赤いわよ?」

「いえ、そのようなことは……」


 言葉とは裏腹に密偵の視線はバスローブか伸びる白い脚へと向けられていた。それに気づいたシュテファニエは楽しそうに笑うと、見せつけるようにして脚をゆっくりと動かす。


「ふふ、物欲しそうな顔しちゃって」

「……っ!申し訳御座いません」


 慌てて謝罪する密偵に対して、シュテファニエはクスクスと笑いながら足を戻した。


「いいのよ、別に怒ってないわ。だって貴方も男ですもの。私に劣情を抱いてしまうのは当然のことだわ」

「お戯れを……!」

「ふふ、貴男でさえ理性で抑え込めるというのに、あの獣ときたら……」


 そう言うとシュテファニエは再びワイングラスを傾けて中身を飲み干し、一息ついたところで口を開いた。


「ねぇ、貴男はマリアをどう思うのかしら?一応、一通りは調べたのでしょう?」

「はっ、確かに調査致しましたが……正直なところ良く分かりませんでした」

「分からないとはどういうことかしら?」


 訝しげに問うシュテファニエに対し、密偵は慎重に言葉を紡いでいく。


「ご存知の通りマリア殿下は北西部オストマルク領を治めるクラウゼヴィッツ家出身ですが、そこでどうやって過ごしていたのかは良く分からないのです」

「どういうこと?普通はお茶会や貴族の集まりに顔を出すものでしょ?」


 不思議そうに首を傾げるシュテファニエに対して、密偵はゆっくりと頷いた。


「伯爵夫婦は徹底的に存在を隠したようです。娘が身籠った醜聞を消し去りたかったのか、権利争いを避けるためかは分かりません。お陰で宮殿に来るまでの足取りは不明です」

「……オストマルク伯爵も可哀想ね。そこまでして娘と孫の存在を隠匿したのに、結局は陛下に見つかり権力争いに利用されてしまったのだから」


 同情するように呟いたシュテファニエは、見せるけるように脚を組み替える。その動きに合わせてバスローブの隙間から覗く太股が露わになる。それに気づいた密偵は慌てて視線を逸らした。

 そんな様子を愉しげに眺めたシュテファニエは、悪戯っぽい笑みを浮かべたまま命令した。


「ハイドリヒ卿を得たマリアがどう動くのか監視しなさい。それとマリアの親衛隊に誰が入隊したのか、報告書で提出してちょうだい」

「はっ!」


 そう言い残して去っていく密偵の背中を見送った後、シュテファニエはソファへともたれ掛かる。


(さて、これからどうしましょうか)


 今後の方針について考えを巡らせていたシュテファニエだったが、次第に瞼が重くなっていくのを感じた。


(フリードリヒは間違いなく荒れるでしょうね。ふふふ、これからが楽しみね)


 そう思いながら、彼女は夢の世界へと旅立ったのだった。


 同じ頃、シュテファニエの考えは正しく、ブリュンヒルデがマリアを選んだと聞いたフリードリヒは荒れていた。


「あの女がマリアを選んだせいで怒られたではないか」

「殿下、どうか落ち着いてください」


 怒りのあまり拳を強く握りしめるフリードリヒの前に跪いた側近は、宥めるように声を掛ける。しかし、それが逆効果となったようで、さらに表情を険しくさせた。


「うるさい!こんなことならあの時、最後まで犯しておけば良かった。そうすれば確実に物にできた」

「殿下、ご自重くださいませ」

「黙れ!」


 諫めようとする側近に対して、苛立ちを募らせたフリードリヒは声を荒げる。そして近くにあった酒瓶を掴むと一気に飲み干した。


「大体、なぜだ!?俺は次期皇帝だぞ!」

「はい、その通りです」

「だったら俺を選ぶべきだろう!?」


 フリードリヒはそう叫ぶと手に持っていた酒瓶を乱暴に放り投げた。ガシャンと大きな音を立てて割れると同時に、中身が飛び散って床を濡らしていく。


「くそっ、忌々しい女め!」


 吐き捨てるように言った直後、ふと何かを思いついたように顔を上げた。そしてニヤリと笑みを浮かべると、側近に向かってこう告げた。


「そうだ、良いことを思いついたぞ!」

「良いことですか?」

「ああ、ブリュンヒルデを公衆の面前で辱めてやるのだ。そうすればいくら高潔な騎士でも心が折れるだろうからな!親衛隊同士の模擬戦をやろう」

「なっ、それは流石に……」


 あまりの衝撃的な発言に思わず口を挟んでしまった側近に対して、ギロリと鋭い視線を向ける。そして再び声を張り上げた。


「五月蠅い!これは決定事項だ!」


 その迫力に気圧された側近はそれ以上何も言えず、静かに頷くことしか出来なかったのだった。

 後日、彼は再びヴィルヘルムから激怒されることになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る