2節 フリバー・ライヘルド13
☆前置き
こちら、元は12話の続きとなります。
書き直した結果、長くなりましたので、別けさせて頂きました。
………………。
震える身体を言い聞かせて、フリバーはナイフを手に取ったのは、ブレイルが聖剣を抜いたのと全く動じの事だった。
ナイフを握りしめたまま、フリバーは見知らぬ声がした方向へと振り向く。
それは、路地の入口。大通りへと抜ける細い出口の前。ここから5mほど離れている場所に。
立っていたのは、一人の男。
黒い服を纏った男。
自分達とは違い、武器なんて何も持っていない、ただの男。
「――……っ!」
それでも、息を飲む。見た瞬間に気が付く。
男が纏う、黒い空気に。
その場は酷く冷たく、凍り付くように寒い、張りつめた空気に。
この、殺気は、あの男が出しているモノだと。
男は、鋭い黒い眼に二人を映しとり、小さな笑みを浮かべていた。
「おまえ、アドニス――!」
「!」
隣からブレイルが声を上げる。
フリバーは思わずブレイルを見た、彼を見て、もう一度目の前の男に視線を戻す。
――アドニス。
もう一人の、『異世界人』。
ブレイルが殺し屋だと断定した。“死”の側にいる男。
その男が、アイツだと言うのか。息を呑む。
いや、呆然としている暇なんてない。
フリバーは額に冷や汗が流れ落ちるのを感じながら、ナイフを握りしめた。
「――なんだ。もう一人はどうした。女が一人いただろう」
そんな此方の様子にお構いなしに、アドニスが口を開く。
うっすら湛えていた笑みは消え、鋭い眼があたりを見渡す。
視線が此方から離れた。
しかし、フリバー達からすれば一瞬たりとも目は話せず。油断も出来ない状態は変わりない。
目を逸らせば、危険であることが嫌でも察していたのだ。
ただ、考える。アドニス。この男が言う「女」とは?
いや、簡単だ。この状況から考えて、おそらく
「な、なんだ!俺達に何の用だ!」
先に声を荒げたのはブレイル。
ただ、その声からは緊張感が走り、表情は余裕がなく、聖剣を握りしめる手に力が入る。
嗚呼、当たり前だ。
アドニスの殺気は全く衰えていないのだから。――……怖い。怖くてたまらないのだ。
「――何の用だ、か」
アドニスがポツリと呟く。彼の視線が此方に戻る。
酷く面倒くさそうに、整った顔を顰めて、懐に手を伸ばす。
その僅かな行動に、ブレイルも、フリバーも肩を震わす。
「なんだ。つまらん連中だな」
二人を前にアドニスは笑む。
しかし、その眼は酷く呆れ果てたようなものだった。
フリバーは静かに眉を顰め、声を出す。
「物騒なのは何方だ。そんな、恐ろしい殺気を出しておきながら」
声が震えるのが分かる。笑みを浮かべる余裕も無い。
フリバーの言葉に、アドニスは僅かな溜息を一つ。動きを再開する。
彼の手が動く。懐から何かを取り出す。
緊張が走る中で、彼が取り出した其れは、1つの紙袋。
疑問に思う前に、アドニスは手にする袋をブレイルの足元へと投げ捨てたのだ。
「――ほら、薬だ。“医術”からのな」
そう、どこか面倒くさそうに小さく呟いて。
これに首を傾げずにはいられない。
「薬……?」
「ああ」
アドニスが頷く。
「特別に調合した、薬だそうだ。ブレイルってやつに渡せと言われたんだが……」
「――!」
名を呼ばれ、ブレイルは表情を変える。
だが、それも瞬間。再び彼の表情は険しい物へと変わった。
「パルの薬か!?」
「――ん?しらん、ピンクの髪の『異世界人』の薬だそうだ」
特徴を聞いても、それはパルしかいない。
だが、何故彼が?
フリバーと同じ考えにブレイルも至る。
「なんでお前が――!」
「だから、頼まれたんだよ。治療が出来ない代わりにだとさ」
ブレイルの問いは、あっさり返された。
何故だろうか、アドニスの言葉の端々、態度からは嘘偽りは一切感じられない。
ただ、身体が危険信号を送り続ける。嘘はついていない、だが決して目を逸らすな。
それはブレイルも同じ。
ただ、今の彼にとっては何にだって縋りたいのだろう。“医術”の名を出されれば尚更だ。
だから、ブレイルはゆっくりと膝を付く。
聖剣を利き手に握りしめながら、足元に落ちた薬の袋に手を伸ばすのだ。
刹那。――アドニスの、口元は吊り上がった。
「――!」
黒の陰が地面を蹴りあげる。
いや、正確に言えば、蹴り上げた所なんて目にも映らなかった。
ついさっきまで立って居た処から唐突に消えた。この表現が正しい。
だから、それはフリバーの憶測。蹴り上げて、男は移動したのだと。
いや、どちらでも、良い。
「――がっは!!」
ブレイルの口から、声にならない音が零れる。
冷たい大きな手が、容赦なくブレイルの肩を掴み上げ、容赦なく地面に叩きつけたのだ。
背中を叩きつけられたブレイルの手から、聖剣が投げ出される。
フリバーが我に返るよりも先に。
理解が追い付くよりも先に、もう片方の手がフリバーのナイフを握る腕を掴み上げた。
ぐるりと世界が揺れる。次に後ろ首に冷たい手の感触。うつ伏せに倒れ、身体全体に感じる鈍い痛み。
ブレイルと同じ様に、アドニスの手によって、地面に叩きつけられたと理解するまでに酷く時間が掛かった。
あまりの衝撃で息が出来ない。抑えられている首が痛くてたまらない。
ただ、妙に頭だけはハッキリしている。
この瞬間で、あの一瞬で、この男は二人を押さえつけたのかと。
それも、此方に迫りくる瞬間は、目にも見えなかった。
「――なるほどな。これは、骨が折れそうだ……」
鈍く感じる痛み。折れるのではないかと思えた痛みが、軽くなる。
アドニスが手を離したのだ。同じように、ブレイルからもアドニスは離れる。
フリバーが首を押さえ、身体を起こすと同時、その手に
驚き顔を上げた瞬間に、アドニスの姿は目の前から消えていた。
「――――っ!?」
「よわいな、お前ら」
つまらなさそうな声。気が付けば、黒い影は再び、路地裏の出口の前にいる。
いつの間に、あそこ迄移動したと言うのだ。また、目でとらえることも出来なかった。
ただ、あの恐ろしいまでの殺気が当たりから消えている。
反対に送られるのは、冷たい視線。心底飽きたと言う様な、物へと変わっていた。
フリバーは思わず、眉を顰める。
――この男の真意が、全く見えない。
何故、どうして、この男は、自分達の目の前に現れ。剰え襲ってきたと言うのか。
「お、まえ…!」
側で、同じように肩を押さえるブレイルが声を漏らす。しかし動けないようだ。
いや、彼は恐らく、自分より強く、背中を叩きつけられたのだ。暫くは動けないだろう。声だってうまく出ないはずだ。
それでも、もう興味も失ったように此方を見据えるアドニスに、擦れながらも声を張り上げる。
「――お、まえ!なんの、つもりだ!」
「タナトスからの命でね」
当たり前のように彼が答える。
ブレイルがその言葉に理解し、顔を歪ませていったのは瞬間。
「お、まえ!!あいつの居場所を!!」
ようやく声が戻る、でも身体はまだ動かない。何とか身体を起き上がらせるのが精一杯。
そのブレイルの様子に、アドニスは完全に興味を失ったのか、背を向けた。
ポケットに手を入れ、音を鳴らしながら、問いに答える事無く、この場を離れていく。
その様子は、ブレイルを逆上させるには十二分だ。
「お前!!――なんで、アイツの側にいるんだよ!!あいつの正体を知らないのか!!!!」
アドニスの歩みが止まった。
彼は、もう一度振り返る。
振り返って、ブレイルを映しとる。黒い黒曜石の瞳に。
そして、笑みを一つ。口を開く。
「――この世界の『死』だろ。勿論しっているさ。知っていて、俺はあの子に付くことにした」
あまりに、冷静に、当たり前に、全てを肯定したのだ。
これに目を見開き、口を閉ざしたのはブレイルだ。
反対に、フリバーは違う。自分も同じ様にエルシューには協力しないと言ったのだ。
そんな存在がいても可笑しくないと最初から分かっていた。
だが、彼を見て気が付いた事がある。――この男は自分と違う。
「死を消したこの世界」を案じて、エルシューを突き放したのではない。別の理由がある。
「――何故だ。何故、“死”に協力する!」
だから、問いただした。
疑問のままに、問いただす。
僅かな間、アドニスは、口を開く。
「あれは……」
そう、一息おいて。
「――そう、美しい。だから、俺はアイツを主としただけだ」
僅かな笑みを浮かべたのだ――……。
辺りが静まり返るのが分かる。
その表情に、言葉にフリバーもブレイルも呆然とするしかない。
――……理解など追いつく筈も無い。
愕然とする二人を前に、アドニスは鋭い眼を細めた。
もう笑みはない。無表情のままに、彼は最後に言う。
「――じゃあ、またな」
ただ、そう一言零して。
何事も無かったように、路地から出ていくのだ。
黒い影がゆらりと視界から完全に消える。
「――おい、平気か」
「あ、ああ。骨は、折れてない」
すこしして、まだ起き上がるのがつらそうなブレイルにフリバーは手を貸す。
肩を借りて漸くブレイルは立ち上がる事が出来た。
ただ、2人とも理解できない。あの男の全てが。
薬を届けに来た、コレは分かった。“死”の正体を知った上で協力している。コレも理解出来た。
だが、何のために自分達を襲い、彼が何故“死”に協力しているか。――この答えが見つからない。
頭が上手く回らない。
「……取り敢えず、家まで行くぞ」
フリバーはブレイルに肩を貸したまま、リリーの家に身体を向ける。
ブレイルは無言だ。無言のまま、大人しく従っている。
その姿を見て、小さく息を付く。
今日は、本当にコレで解散すべきだ。
そう、判断して。
――アドニスから手渡された、手にある小さなメモをきつく握りしめるのだ。
『アドニス』
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