2-2 真っ白な栞

「ま、いいや。その人は?」

 その茶髪の青年が、礼華に目を向ける。慌てて礼華が頭を下げると、にこやかな会釈が返ってきた。


「さっき連絡したろ。てか、お前が呼んだんでしょーが」

 いつもより何割増しかで気だるげな調子で髪の毛をがしがしとかく隠岐に、礼華は「おや」と少しだけ目を見張る。隠岐が人を「お前」と称するところを初めて聞いたからだ。


「それはそうなんだけど」目の前の優男が、柔らかに苦笑する。「紹介してくれって意味だよ」

「はいはい、紹介ね。なら最初からそう言えよ。お前は婉曲表現が多すぎんの」

「婉曲表現は大事だよ、人間関係を円滑に進めたいならね。君こそ、もうちょっと普段から行間を読んだ方がいい」

「……」

 はあ、とため息をついた隠岐が礼華に向き直り、左手をポケットに突っ込んだ姿勢で右手の親指を茶髪の青年にくいと向ける。


「こいつは二年C組の出水いずみ恭介、生徒会の会計。今の会話でも分かると思うけど、超絶めんどくさくて腹黒だから。見た目に騙されないように」

「どうも、ご紹介に預かりました腹黒です」

 人好きのする笑顔を浮かべたまま、出水が再び会釈をする。流れるように滑らかな動作に、見惚れていた礼華は会釈を返すのが一拍遅れた。


「あ、一年F組の須藤礼華です。突然お邪魔して、すみません」

 そして身を起こしながら、今更ながら礼華は気付く。今、彼は自分で自分のことを、腹黒と言っていやしなかったか。


「いや、そもそも呼んだのこいつだから。ちゃっちゃと用件済ませてくれる?」

「ほんとに渉は堪え性がないよね。そもそも

この件自体、君が持ち込んで来たのにさ」

「仕方ないだろ、頼まれたんだから。それがなかったら、なんでわざわざお前にまで……」

「はいはい拗ねない、邪魔してごめんね」

「別に俺、拗ねはしてないんだけど」

 少しむすりとした顔の隠岐と、柔らかな笑顔で対応する出水。彼らの間でぽんぽんと交わされる応酬を前に、礼華は少し後ずさった。これは空気に徹した方が良さそうだ。


 それにしても、と礼華は内心首を傾げる。先ほど出水と対面してから、隠岐の口調が、礼華の知っているものと少し違う気がするのだ。


「まあ、どうでもいい話はこれくらいにして、本題に入ろうか」出水が自分の背後を振り返りながら手で示す。「多分話長くなるだろ、入ったら? 須藤さんもどうぞ」

「ん」

「あ、ありがとうございます」

 言葉少なにずかずかと部屋の中へ入っていく隠岐の後を追い、礼華は会釈しつつ歩を進めた。


 思っていたよりも、生徒会室の中は広かった。面積としては礼華たちの教室の、半分ほどはあるだろう。縦長の長方形をした部屋の中はシンプルで、左右の壁一面には淡いクリーム色のスチール引戸車庫が並び、部屋の中心には木目調の長方形の机が四つ、ロの字形に構えているのみ。机の周りには一台あたりそれぞれ三つずつ、パイプ椅子が置かれていた。


 先ほど出水が座っていたのは部屋の最奥に位置する部分の机らしく、スマホに本、そして数枚のプリントがそこだけに散らばっている。ぐるりと周りを確認してみても、部屋の中にはどうやら他に誰も居ないようだ。入ってきた扉の反対側に位置する壁には大きな窓が構えており、その外には長方形の大きめサイズの花壇が複数並ぶ、中庭の光景がゆったりと広がっている。


 確か、あの花壇の数々のうち一部は調理部がミニ畑として使っていて、残りは全て園芸部が使用しているのだと、礼華は兄から聞いたことをぼんやり思い出した。

『普通、花壇って全部花だと思うじゃん? 調理部の区画になると突然野菜だらけになるから、何も知らないで見た人はびっくりすんだよね。自由すぎでしょ』――かつての兄の言葉どおり、花を咲かせる花壇がざっと三分の二ほど、キャベツやトマトなどの野菜がでんと構えている花壇が三分の一ほどあるのが見えた。何も生えていない花壇も生徒会室の手前に一つだけあるが、これから先の季節に備えて種を蒔いているのだろう。


「――さて。今度は何をやらかしたのかな、渉」

「どこでも好きな席に掛けて」との出水の言葉に従い、各自が席に着いた後。相変わらずにこやかな顔で、出水が穏やかに切り出した。

「あのさ、俺が何かしでかすの前提で話すのやめてくんない?」

「事実だろ。実際、しょっちゅうしでかしてるじゃないか」

「だーから、今回はマジで俺じゃないって」

 礼華の隣で深いため息を吐いた隠岐が、白衣のポケットから何かを取り出す。無造作に彼の手から放り出されたそれは、静かにひらりと机上へ着地した。

 しばし流れる、沈黙の時。礼華は机の上に置かれた物を見て、ゆっくりと首を傾げた。


「……栞? ですかね?」

 それは一枚の、まるで七夕の笹に飾る短冊のような紙だった。短冊と違うのは、その紙が何も書かれていない白紙であること。そしてその紙が、つるつるとした透明な硬いフィルムで加工されていることだった。


「さあ? なんだろね」

「知らないで持ってきたのかい?」

 苦笑する出水に、「仕方ないでしょ」と隠岐が顔を顰める。


「持ってきた奴は、『何も聞かないで捨てろ』って言ってたんだから」

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