1-6 昼休み、鞄を持ち歩く生徒の謎

「うん、そこんとこもうちょっと詳しく。まずなんだけど、君の『隣の席の人』って、『小野くん』と『近石くん』?」

「なんで分か……って、もしかしてクラス名簿ですか?」

「ご名答」

 目を細める礼華の前で、隠岐は白衣のポケットから四つ折りの紙を取り出す。例の、入学式当日に彼が持っていたのと同じ紙だ。


「新入生の教室での席順は、最初は出席番号順だから」

「確かにクラス名簿を見れば、自然に席順も分かりますね……」

 礼華は彼の言葉を引き取って唸る。高校のクラス席は全学年共通で、教室の一番正面の教卓から見渡すと縦六席×横七席の計四十二席。特に新入生は初めの数ヶ月間、出席番号さえ分かれば席順まで自動的に分かってしまう。


 ちなみに礼華は出席番号十二番、廊下側から二列目の一番後ろの席だ。先ほど名前の挙がった『小野くん』は六番で廊下側の一番後ろの席、『近石くん』は十八番で廊下側から三番目のこれまた一番後ろの席。両者に挟まれる席に、礼華の席の机はあった。


「そんで? その小野くんや近石くんが、君の鞄を、君が居ない間に無許可で触ってたと」

「触ってたというか、文字通り『持っていた』の方が正しいです。こう、取手の部分に手をかけて持ち上げて、鞄をぐるっと一周回してから、私の机の横にある荷物掛けのフックに戻してました」

「君はいつ、それを見たの」

「先週の金曜、昼休み終了のチャイムが鳴る直前の時間です」

「それまで君は何してたの?」

「図書室でずっと自習してました。昼休み終わりギリギリ、自分の席に戻ろうと教室の中を様子見した時に、さっき言った様子が見えたんです」


「へえ、なるほど」それまで立て続けに質問を繰り出していた隠岐が思案するように目を細め、一瞬口をつぐんでまた開いた。「ちなみにその時、どっちの男子が持ってたの? 君の鞄」

「……それ、重要ですか?」

「とりあえず、取得できる情報は出来る限り全部把握しておかないと。そのせいで何かしら、重要な可能性を見落としたりなんてしたら悔しくない?」

「それはまあ、確かにそうなんですけど」

 礼華は躊躇い、口ごもる。自分の中でぐるぐる悩んでいたことをいざ人に話そうとすると、いつも上手くいかないのだ。


 もしかして自分は自意識過剰なのでは、大したこともないのに騒ぎ立てているだけなのでは。「全然大したことないじゃん」と呆れられるようなことなのでは。そんな考えがずっと、頭の片隅に居座っていて――

「あのさ、一応言っときたいんだけど」

 傍でカチカチとトングを鳴らす音がして、礼華はハッと我に返った。

「俺は起こった事象そのものの内容を聞いてるだけで、それに対する君の判断はどうでもいい」

「……?」

「だからさ」隠岐が焦ったそうに顔を顰める。「今この話題において、物的証拠は何もない。つまり現時点では君の記憶だけが頼りなんだから、君は問題の大小なんて余計なこと考えないで、客観的な状況描写をしてくれりゃいいの。でないと謎を解くための仮説も立てづらいだろ」

 戸惑う礼華へ目線でついてくるように促しながら、彼は止めていた歩を進め、渡り廊下のその先の、中央階段へと向かっていく。


「で? 小野くんと近石くん、どっちが君の鞄を持ってたわけ」

「……近石くんです。小野くんは横に立ってそれを見てただけで」

 妙な威圧感に気圧された礼華が素直に述べると、「うん、それでよし」と満足げに隠岐は頷いた。

「それぞれどんな感じの人?」

「え、思いっきり私の主観入っちゃいますけど大丈夫ですか?」

 先ほど「客観的な状況描写をしろ」と言われたばかりだが、「どんな感じの人」と問われてしまうと完全に主観での答えしかできない。


「ま、この際仕方ないし気にしなくていいよ。情報がないよりマシだし、君、こういうことに対して嘘つくタイプ?」

「嘘は絶対つきません」

「ならよし。言ってみて」

 頷きつつも、これは難題だと礼華は頭を悩ませる。あまり人と話すのが得意でない彼女にとっては、同じ教室に席を並べてから間もないクラスメイトの人物描写はかなり至難の業だった。


「ええと、小野くんはそうですね、眼鏡をかけてて、制服は着崩さずにシャツは第一ボタンまで閉めてます。どちらかというと比較的口数の少ないタイプで、真面目な印象です。主観ですけど」

 こうしてみると、薄っぺらい描写しかできない。自身の不甲斐なさに、礼華は内心歯噛みした。

「うん、オッケー。近石くんは?」

 かなりゆるりと話の続きを振られ、面食らいながらも礼華は再び口を開く。

「……近石くんはこう、明るくてクラスの中心になる根明タイプって感じです。実際、休み時間のたびに誰かしらが席の周りに集まってるみたいです」

 先ほどよりも更に薄っぺらい人物描写だったが、隠岐は「うん、なるほど」と言っただけで、それ以上は追及してこなかった。礼華はほっと息を吐く。


「彼ら同士に接点は?」

「出身が同じ中学らしいです」

「彼ら同士、仲は良いの?」

「さあ……昼休みに一緒にお弁当食べてたりしますし、悪くはないんじゃないでしょうか」

「ふうん」少し空中を思案気に眺めてから、彼は礼華に目を戻す。「彼らと喋ったことはある?」

「いえ、ほとんど」礼華は首を振る。だからこそ、尚更彼らの行動の意味が分からないのだ。


「木曜の昼休み、私が教科書持って外に出ようとしたときに、近石くんから『席借りていい?』って聞かれただけですね。お弁当を小野くんと一緒に食べるために」

「休み時間とかは?」

「休憩時間は私、教室に居ないので」

「放課後は?」

「私はチャイム鳴ったら即帰宅してるので」

 本当に、他は何も会話していない。そもそも礼華自身が極力周りと話さなくて良いように普段から人を避けているため、会話の発生しようもないのである。

 そんな礼華の突拍子のない返しにも表情を崩さず、隠岐は「なるほど」と会話をあっさり流す。


「因みに、金曜日の君の鞄に何かモノは入ってた?」

「今日と同じく、教科書が詰めてありました。誰かがぶつかった拍子に鞄が落ちる、なんてことがほぼあり得ないくらい重いはずです」

「それさっきも疑問だったんだけど、なんでそんなに重いの? その鞄。教科書なんて個人ロッカーとか机の中に『置き勉』しときゃ良くない?」

 階段を降りながら先ほどの礼華の鞄の重さを思い出したのか、眉を顰めながら隠岐が問う。「肩にかけてたら内出血起こりそうなくらい重かったよ、それ」


 確かに彼の言葉通り、教科書類が重ければ、学校に置いておけばいいのだ。通称、『置き勉』というやつである。

 実際、礼華のクラスでも多くの生徒が鍵付きの個人ロッカーへ、自分の教科書を既に置き勉している。勿論自分の家で自習するために逐一教科書を持って帰る勉強熱心な生徒もいるだろうが、礼華の場合、その生徒たちとは少し異なっていた。


「ああ……すみません、個人ロッカーは既に私の教科書で埋まってて、机の中も資料集類でパンパンなので仕方ないんですよ」

「……ん? どういうこと? その鞄の中身、教科書なんじゃないの?」

 珍しく隠岐が「解せぬ」という顔をする。超然と余裕綽々な態度ばかりの彼にも分からないことはあるのだなと少し謎の優越感を感じつつ、礼華は自分の肩にかけた鞄を見下ろした。


「ここに入ってる教科書、兄の物だったやつなので」

「ええ……君のお兄さん、どんだけ物横流ししてんの?」

 彼の言葉に、「横流しとは人聞きの悪い」と礼華は眉を顰める。

「これはこれで便利なんですよ。授業で習ったことの書き込みとかもあるので、かなり参考になりますし」

 実際、それを参考に、礼華はここ数日昼休みに図書室で自習をしていたのである。

「それはそうかもだけど……もしかして学校で使う物、大体お兄さんから貰ってたりする?」

「そうですね、学校経由で発注するものはほとんど一式」

「もしかして、ジャージとか体育館履きとかも全部だったりする? 上履きみたく」

「あ、それも貰いました」

「まさか制服も?」

「貰ったんですけど、流石にジャージと違って男女でデザインが違うのでクローゼット行きです」

「めちゃくちゃ横流しされてるね」

「うちの兄、面倒くさがり屋なので処分するのも面倒くさかったんだと思います。うちの両親も『節約にもなるしいいんじゃない』って」そこまで言って、聞かれてないことまで喋りすぎたと礼華は口をつぐんだ。「すみません」


「ま、確かに節約にはなるね。なるほど、よく分かった」

「今の下り、鞄の件に何か関係あったんですか?」

「んー、ないね」

 あっさり返された言葉に「ですよね」と礼華はがっくり肩を落としつつ、隠岐と共に階段を降り切って二階へ辿り着いた。二年生の教室がここ新校舎側に、渡り廊下の先の旧校舎側に職員室と物理室とその準備室がある階だ。


「とにかくそんな重い鞄なら、例えば『床にたまたま何らかの拍子で落ちてしまった鞄を、彼らが元に戻そうとしてくれてた』とかの事象はあり得なくなるわけだ。明らかに彼らはわざわざ何らかの意図を持って、君の鞄を持っていたってことになる」

 思案するように腕組みをしつつ、二階の渡り廊下の方へ隠岐が足を向ける。そんな彼に着いて行きつつ、礼華はぼそりと口を開いた。


「……あの、ちなみに私からも一つ聞いていいですか?」

「ん? 何?」

「先輩、さっき昼休みの初め、私の教室に来ましたか? 私が居ない間に」

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