1-5 何を試しているのだか

「……解決できる? 何をですか?」

 呆けた自分を立て直し、礼華はポケットから出した右手で学生鞄を持ち上げつつ問い返す。中身が詰まっているのもあるけれど、心なしか肩にかけた鞄が、さっきよりも重さを増したような気がした。


「その鞄、人から触られるのが怖くて持ち歩いてるんだろ? 違う?」

 図星を指され、礼華は目を見開いて一瞬言葉を失う。

「……なんで」

 ぎこちなく相手を見返す礼華を前に、「お、やっぱり合ってた?」と隠岐は朗らかな笑顔を浮かべた。


「なら、ますます手伝ってくれると助かるね。俺と君は利害が一致する」

「あの、仰ってる意味がよく……」

「昼休み、次期美化委員長と校内のゴミ拾いをする美化委員。この構図、何か問題ある?」礼華の言葉を遮り、隠岐はわざとらしく顎に手を当てて考え込む素振りをしつつ続ける。「君にとっても色々解決すると思うし、一番良い選択肢だと思うけど」


 勿体つける言い方が、どうにも鼻につくけれど。

「ほら、他の生徒もそろそろ図書室に来そうだし。君も嫌でしょ、目立つの」

 やたらとこちらのことを言い当ててくるその姿に、礼華は可能性を賭けてみたくなった。

「……先輩は、それで良いんですか」

 この先輩ならもしかして、本当に、今の自分の問題を「解決」してくるのかもと。


「というか、それで良いからクジに仕込みを入れたんだよ。なんせこの顔とスタイルなもんで、一人で歩くのも大変で」

 礼華が「この人、自分で言いやがった」と二重の意味で絶句している間に、彼は踵を返しつつ彼女の鞄をひょいと取り上げた。


「てことで、人払い要員よろしく」

「よろしくって、ちょっと」

「うわ、めちゃくちゃ重くない? この鞄」

「あの、とりあえず鞄返してください」

 問答無用で鞄を持っていかれ、礼華は慌てて彼の後を追いかけるのだった。


◇◇◇◇◇

「さっき思ったんだけどさ、須藤さんのその鞄、新品じゃないよね」

「……兄のなんです」

 数分後。意外とあっさり返してもらえた鞄を肩に掛けつつ、礼華は隠岐と共に校内のゴミ拾いに勤しんでいた。

 まずは上の階から順番に巡った方が楽だという彼の言葉に従い、旧校舎三階の廊下を歩いていたが、こちら側の校舎のこの階には図書室の他、生物室と音楽室、それから社会科室と化学室とそれらの準備室しかない。授業開始までまだ時間はあるため人の数もかなり少なく、礼華は比較的リラックスして動けていた。


「ああ、通りで。なるほど」

 頷く隠岐の手には、例の噂通り、ゴミ拾い用の銀色のトング。先ほど判明したのだが、どうやら普段は白衣のポケットに仕舞っているらしい。


「なるほどって、何がですか?」

「いや、ふつう新品下ろしたて数日の鞄って、できるだけ地面に置くのは躊躇うか、避けようとすると思うんだよね。しかもうちの高校の廊下、割と汚いし」

 隠岐がトングで下を指差す。確かにその言葉通り、淡いベージュのリノリウムの廊下の上には、うっすらと埃と砂が見えた。


「だけど君は、入学式初日から鞄をどかどか床に置いてた。だから、元々そういうの気にしないタイプなのか、それとも鞄自体が上履きと同じくお兄さんからのお下がりなのか、どっちなのかなと」

 どうやら入学式初日、床に鞄を置いたところから見られていたらしい。

「まあ、正直どっちもです」礼華は渋々事実を認めて頷いた。「ところで先輩、まだその時のことについて解説をいただいてなくて」


「解説?」

「入学式の日、私の上履きが、一目で兄の物だと断言できた理由です」

「ああ、それか」

 隠岐が廊下に落ちていた紙をトングで器用に拾い上げる。二人は音楽室準備室の前まで差し掛かっていた。


「うん、ちょうどいいや」彼はその紙を一瞥し、礼華の方へ見えるように傾ける。「須藤さん、このチラシ見たことある?」

 そこには、白紙に黒くレタリングされた大きな文字でこう書いてあった。


『あつばみ同好会 ゲタライ 4月14日(木) 12時半〜 みんな来てね!』


 情報はそれだけで、シンプルなチラシだった。ざっと見て、礼華は首を振る。

「いえ、一度も見たことないです。ビラは一枚も受け取ってないので」

「なんと」隠岐はわずかに目を丸くした。「説明会とか勧誘は?」

「ないです。部活勧誘も同好会勧誘も全部避けてますし、そもそも部活説明会は今日の午後からですし」

「そう。ま、君が今ここにいる時点で答えは明白か」ぼそりと呟いて軽く肩をすくめた後、「そんならこれ、どう思う?」と彼はチラシを振って見せた。


「どう思うも何も……この日の昼休みにライブやるんだなって」

「どこで?」何故かにんまりとし出した隠岐の様子を不審に思いつつ、礼華は「え、昇降口」と応える。


「何の団体がライブやるのかな」

「これ、何を試されてるんですか?」

 意図の分からない質問しか重ねてこない隠岐に礼華が胡乱な目を向けると、彼は涼しい顔で「いいから答えてみて」とチラシをひらりとそよがせた。

「……何の団体も何も、そこに書いてあるじゃないですか。『あつばみ同好会』って」

「うん、やっぱりね」

「はい?」

「これ見て『何なんだろう』って思わないこと自体が不思議なんだよ、だって校内生にしか分からない略語だらけなんだから。本来なら普通の新入生にはこのチラシの意味が分からない、だから彼らは『何だろう』って疑問に思って、後ろの詳細を見ようとするはず――これはそういう目的で作られてるチラシだ」

 隠岐がくるりとチラシをひっくり返すと、チラシの裏にはさらに文字が書いてあった。


「説明しよう! 『あつばみ』とは」という文面から始まり、『あつばみ』が『あつまってバンドミュージック』という軽音楽同好会の平仮名略称であること、『ゲタライ』は昇降口の下駄箱付近で行う『下駄箱ライブ』の略であること、そして構成人数などの諸々詳細が、楽器のイラストと共に記載されている。


「今の一瞬からでも分かるけど、君は入学式初日から、やたらとこの高校の内部事情に詳しい。全然、新入生っぽくないんだよね。新入生なのに」

 言葉を切って、彼は廊下にゴミがないか見回しながら歩を進める。奇しくも二人は、先週初めて彼らが会った、例の三階の渡り廊下へとちょうど差し掛かっているところだった。


「あの日――入学式の日ね。まず第一に当たり前のことだけど、普通の新入生は『君たちは今から何処そこを通って帰れ』って言われたら、その通りにするはずだ。間違っても君みたいに、入学式初日から教師の指示を無視して校舎の中を勝手にうろついたりなんてしない。校舎なんて、新入生にとってみれば道も分からない巨大要塞みたいなもんだ。だろ?」

 ゆっくりとガラス壁の方に歩み寄り、あの日を再現するかの様に、隠岐は窓の外を見下ろした。


「しかもあの日のこの場所は、ピンポイントに人が来ない場所だった。三年生は授業中で、二年生は入学式後の部活勧誘の花道に出払ってたからね。だから、三年の教室と図書室と音楽室、それから理社関連の部屋しかない三階には、誰も寄りつくはずがなかったんだ。……君は、あの時間なら人が来ないと分かってて、ここで足を止めた。そうだね?」

 アーモンド型の彼の目は、整っているだけに見つめられるとどことなく圧がある。完全に言い当てられているのもあって、礼華は渋々と無言で頷いた。


「――入学式当日にピンポイントで人が来ない場所を知っていて、校舎の構造にも詳しい。おまけに多分、うちの教師陣が『外部に迷惑をかけない限りは生徒にあんまりとやかく言わない』体質なのも熟知してる」

 そう続けつつ、彼は床に目を落としてため息を吐く。

「うちは校則も教師も緩いから、多少外に上履きのまま出ても何も言われないんだよね。あの日も上履きのまま外に出てた奴だらけだったし……だから、廊下がこんなに汚れるんだ」

 うんざりした様な口ぶりで廊下をざっと一瞥した後、「てなわけで」と彼は右手の人差し指を立てた。


「君は人が来ない校内のルートにやたら詳しくて、もし万が一教師に見つかっても怒られはしない自信があった。そこまで校内のことを熟知するには、一朝一夕のリサーチじゃ足りない。日常的に繰り返し、この高校の話を聞いたり、写真とかで見る機会がだいぶ最近にあったと考えるのが妥当だ」

「だから、元在校生が身内に居るのでは、って思ったんですね」

「そういうこと。んで、君の足元よく見たら大きいサイズの、学年カラーの違う上履きを履いてるだろ。ここまで来たら、その上履きはここ最近高校を卒業した、お兄さんのだったってことで決まりだ」

 よく口の回る人だ、と礼華は思う。情報量の多いことをここまで淀みなく喋るとは。立板に水とはまさにこのことだろう。


「ん、どした? すんごい間抜けな顔してるけど」

 しかもナチュラルに失礼な人だ。礼華はぐっと口を真一文字に結び、気を抜いてしまった表情を引き締め直した。

「いえ、その、そもそも私のことを先輩の同級生だって思う選択肢は無かったのかなと」

「そりゃ無理だ、君は目立つし。流石に同級生に居るか居ないかくらいはすぐ分か……って、めちゃくちゃ目が死んでるね。何? どこが地雷だったの、今」

 表情は取り繕ったが、目の表情までは誤魔化せなかったらしい。この際もはや仕方がないと、礼華は思いっきり顔を顰めて彼を見上げた。


「……すみません。外見のこと言われるの、あんまり好きじゃなくて」

「へえ、そうなんだ。俺がその顔なら、原宿の竹下通りで何回か往復してみたいけど。俺と君でどっちが多くスカウトされるか、競争してみたら面白そうだ」

 礼華の脳内で、隠岐の人物像に『とてつもなくデリカシーがない』という要素が追加される。

「あの、もう帰っていいですか?」

「別にいいけど、このまま帰れるの? 教室」

「……」

「君がそんなに重い鞄を昼休みも持ち歩いてる原因、まだ解決してなくない?」

「……してないですね」

 そうなのだ、その問題がまだ残っている。渋い顔をする礼華とは対照的に、やたらと上機嫌な調子で「一応状況を正しく判断したいから、何があったのか具体的にちゃんと聞いとこっか」と隠岐が少し首を傾げた。


 こうなったら、もうやぶれかぶれだ。礼華は渋々頷きつつ、重い口をゆるゆると開いた。


「……先週の金曜の昼休み、教室に帰ろうとした時に見てしまったんです。クラスで私の隣の席の人たちが、私の鞄を持ってたのを」

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