1-2 謎のままでは気持ちが悪い

 尋ねる訳でもなく言い切られ、礼華は一瞬言葉に詰まった。

 彼の言い分は完全に当たっていた。兄が居る、などという話も情報も、礼華が一切漏らしていないにも関わらず。


「……」

 相手の姿を無言でしばし見つめ、ややあってから礼華はおもむろに口を開いた。

「どうして、そう思ったんですか?」

「え、俺の考え間違ってる?」

 質問に質問で返される。戸惑いつつも「いえ、合ってますけど」と彼女が頷くと、「そう。じゃあ俺は満足だ」と、気の抜けた欠伸が返ってきた。


「え、あの」

 こっちは満足どころか不完全燃焼だ。正直、礼華個人としてはなぜその結論に至ったのか、もう少し説明が欲しかったのだが。

「やっぱやばいな、あの人口密度。あそこに飛び込む人の気が知れないね」

 その長いコンパスで一気にガラスの壁際まで足を運んだ青年が、眼下の生徒たちのざわめきを見下ろして顔を顰める。戸惑う礼華などそっちのけだ。


「……あの、先輩はなんでここに来たんですか?」

 ひとまず先ほど答えてもらえなかった問いを横に置き、礼華は質問を試みたけれど。

「え? 高みの見物」

 反応に困る答えが返ってきた。

 実のところ礼華はそもそも、あまり人と話すのが得意ではない。どんな返しをするのが最適解なのか分からず、考えあぐねていたのだが。

「君もそうでしょ?」

「いえ、違います」

 突然の冤罪が降りかかりそうになり、礼華は思わず真顔で否定した。大変申し訳ないが、一緒にされるのは勘弁願いたい。


「高みの見物じゃなきゃ、何だって君はこんなとこに居るのかな」

「色々あるんですよ……」

 礼華はぼんやりと、遠い目をして眼下の光景を眺める。両手にわんさかビラを載せられた新入生のカバンのポケットに、更にビラを突っ込む上級生たち。そんな場面に顔を顰めていると、隣で「ふうん。色々、ねえ」と興味なさそうに呟く声が聞こえた。


「ところで先輩、どうしてこの上履きが私の兄の物だと言い切れたんですか?」

 階下のざわめきはまだ収まりそうもない。上級生から制服の濃紺のブレザーのポケットにまでビラを詰め込まれている新入生たちの図を、なおも顔を顰めて見つめつつ、礼華は相手からの応えを待っていたのだが。

「……」

 いつまで経っても返事がない。意を決して横へ目を向けると、いつの間にやら無言で見つめられていて、礼華は思わず後ずさった。


「……何ですか?」

「いや、さっきから思ってた反応と違うなと思って」

「思ってた反応?」

「ここって『すごい! どうして分かったんですか?』ってなるところじゃないの?」

「……そういう、可愛げのある反応は他の人に求めてください」

 思ったよりもかなり平坦で冷たい声が出てしまい、礼華は「やってしまった」と口をつぐむ。

 流石に初対面の、それも学校の先輩相手に、この態度は良くなかったかもしれない。


「……すみませんでした」

「え、何で俺謝られてんの?」

「先輩に対して、失礼な口を利いてしまったので」

 一瞬きょとんとした後、彼は「ええ……」と困惑の声を上げた。

「どうでもいいよ、そんなこと。先輩後輩つったって、高校生なんてみんなほぼ同じようなもんでしょ。ましてや君と俺なんて、生まれたのが数ヶ月、後か先かってだけなんだから」

「なんせ、高一と高二だからね」と補足しつつ、彼は自分と礼華を交互に指差す。そして一拍置いた後、彼は「あれ?」と言いながら首を傾げた。


「そもそも、今ってどの辺が失礼だったのかな」

「あ、いえ、なら良いんです。すみませんでした」

 分かっていなかったのならこれ幸いと慌てて首を振る彼女を不思議そうに見遣った後、「ま、いいや」と彼はだらんと壁に寄りかかり直した。


「とりあえず、会話を元に戻そうか」

「話を逸らしたのはそちらでは」という言葉を飲み込み、礼華は頷く。

「……はい」

「君のその上履きが、君のお兄さんの物だと分かった理由、だったよね確か」

「そうです」

「どうしても知りたい?」

「……知りたいですね」

「どうして?」

「謎が謎のままなのは、気持ちがとっても悪いので」

「……へー、なるほど?」

 途端に、それまで気怠げだった彼の表情筋が少し動く。口許に薄く笑みを滲ませるその表情は、誰でも思わず見惚れてしまうほど綺麗だったのだが。


「じゃあそうだな、君が俺と同じ委員会に入ったら、靴の理由について教えるよ」

「……はい?」

 その表情のまま繰り出された発言に、礼華は思わず眉を顰めた。


「委員会?」

「そ。新入生は明後日、委員会決めがある。そこで俺が居る委員会に入ればいいだけ。簡単だろ?」

「いえあの、『簡単だろ』と言われましても」 

「欠伸が出るほど簡単だよ、君が前を見てさえいれば確実に分かる」

 それだけ言って、「それじゃ」と彼は踵を返す。

 反射的に礼華は彼の上履きの踵を見たが、そこにはちゃっかり何の名前も書いていなかった。個人情報の断片の把握すらままならない。


「君が別にそこまで気にならないってんならそれまで。俺としてはどっちでも良いよ。ま、頑張って」

 そしてそんな台詞と、呆然と佇む礼華を残して、彼はあっという間に階下へと降りて行ってしまい。


「何あれ……」

 謎を謎のまま放置し、新たな謎を付け加えるだけ付け加えて去っていった。随分と変な先輩だったなと思い返しながら彼女が窓を見ると、ちょうど階下で繰り広げられていた行事がひと段落したところだった。

 どうやら新入生は全員帰ったらしい。上履き姿の上級生たちが、わらわらと昇降口へと戻って行っている。


「……帰らなきゃ」

 礼華は呟き、カバンと上履き袋を引っ掴んで旧校舎の方へと歩き出す。上履き袋の中にはローファーを入れてきたから、このままこの時間には上級生たちが来ない出口を出て、正門から出れば良い。

 暫く歩いていると、制服のブレザーのポケットの中で、スマートフォンが小さく震えた。


〈須藤 じゅん:入学式お疲れ。どうだった?〉


 画面を開いてみれば、短いメッセージが一言。ちょうど今し方話題になっていた、兄からだ。


〈部活勧誘の花道回避したら、変な先輩とエンカウントした〉

 メッセージにそう返信して、礼華は再び歩き出した。

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