落とし物探しは放課後に

瀬橋ゆか@『星空喫茶で謎解き遊びを』発売

第一章 学生の鞄は重いもの

1-1 自分のモノでは無いモノ

「時は金なり」と、人は言う。

「時間は金と同様に貴重だ、だから有意義に使え」と。

 それは確かに正論だ。例えば人がぼんやりと歩いているその瞬間にも、時間は無慈悲にも流れるのだから。持てる時間は、寿命までの時間は、刻一刻と減るばかりで、戻ることなど決してないのだから。


 けれど果たして、「自分は与えられた時間を悔いなく有意義に過ごせている」と胸を張って言える人間はどのくらい居るのだろう。少なくとも今の自分は胸を張れる側ではないな、などと取り留めもないことを考えつつ、須藤礼華すとうれいかはゆっくりと進めていた歩みを止め、眼下の光景を見下ろした。

 彼女が今居るのは高校の校舎三階、新校舎と旧校舎を繋ぐ壁面ガラス張りの渡り廊下。生徒たちの下駄箱が一堂に会する昇降口が、ちょうど上から眺められる場所だ。


「人、やば……」

 見渡す限りの人、人、人。昇降口の出入り口から、百メートルほど先にある高校の正門へ向けて、幅広の長蛇の列がそこに出現していた。


 列の構成員は様々だ。ジャージやユニフォーム姿に身を包む生徒。団体ごとに揃いであつらえたようなTシャツやパーカー姿の生徒。楽器やラケット、ボールやプラカードを持つ生徒。そうしてめいめいの格好をした上履き姿の上級生たちから、真新しい学生鞄を抱えてピカピカのローファーを履いた制服姿の新入生たちが、ビラを次々に手渡されている。


『入学おめでとう!』

高戸たかど高校へようこそ』

 晴れやかな四月の晴天のもと、そんなプラカードがあちこちに聳え立つ列はとにかく賑やかだ。距離もある上に音自体はガラス壁に阻まれているにも関わらず、ざわめきと熱量がここにまで届いてくる。


――大丈夫。誰もこっちなんて見てない。


 深く息を吐いたあと、礼華は手に持っていた学生鞄と上履き袋を廊下に置き、生徒たちのざわめきを見つめた。下を向くと、眼下に広がる賑やかな光景と、ぽつんと佇む自分の足を覆う上履きの対比が際立つ。


 できる限り白く洗い上げた、青いラインの入った学校指定の上履き。少しオーバーサイズであるそれが、今の彼女にとっては頼もしい心の味方だった。


「――あれ? 新入生が、なんでここに居るのかな」

 ぼんやりと外を眺めていた背後から突然声をかけられ、礼華は慌てて振り向いた。

 そして一瞬、「しまった、教師か」と反射で凍りつく。相手が、白衣を着ていたからだ。

 

「さっき、入学式後のホームルームで先生に言われなかった? 『今日は絶対に、正門通って帰れ』って。当たり前だけど、正門は外だよ」

 そこに立っていたのは若い青年だった。ふわふわの無造作な黒髪に、すらりとした立ち姿。身長百六十三センチの礼華から見ても少し見上げる程なので、少なくとも百七十センチ前半はあるだろう。第一ボタンが外された白いYシャツに組み合わせている、濃紺のスラックスからその足の長さが分かる。

 その上前髪が長いせいで一見分かりにくいが、その顔立ちはよく整っていて――とざっと観察し始めたところで、礼華ははたと気付いた。

 

 教師にしては、あまりにも若すぎる。しかも、履いているのは礼華と同じ青いラインの入った上履きだ。

 青いライン。この高校の、今の二年生の学年カラー。一度入学した後は三年間ずっと変わらず、その学年が卒業すれば入れ替わりに入学する新入生にまたその色が当てがわれる、そんなローテーションで決まっている色。

 どうやらこの謎の青年は、二年生のようだ。なぜ白衣を着ているのかは知らないが。

 

 白いラインの上履きの三年生相手か、赤いラインの上履きの一年生相手だったら、自分が二年生だと言い張っても誤魔化せただろうが(そもそも三年生は今授業中のはずだし、一年生がここにいるはずはないのだけど)、本物の二年生相手では若干分が悪い。

 まさか、ここにこの時間、人が来るとは。


「……すみませんでした。すぐ帰ります」

 ここは素直に退散するに限る。そう素早く踵を返しかけた礼華は、相手が続けた言葉で再度背筋を強張らせた。

「あのさ。君、須藤礼華さんだよね。一年F組の」

 名前とクラスが、完全にバレている。

「あの、どうして」

 真っ白な頭で呆然と佇む礼華を前に、青年は緩慢な動作で白衣の右ポケットから四つ折りに畳んだA4紙を取り出した。


「この高校、職員室入ってすぐの戸棚に全学年分のクラス名簿があるんだよ。何時でも誰でも取ってっていいヤツだから地味に便利。覚えとくといいよ」

「え、あ、はい……?」

「で、この名簿だと一年生に『須藤』は『須藤礼華』って子しか居ない。そんで、君の上履きには『須藤』って書いてあったから、そうかなって。簡単な話」

「……」

 先ほど後ろから声を掛ける際に上履きを見ていたのか、と礼華は合点した。

 確かに、上履きの踵部分には苗字が書いてある。あるけれど。


「……でも、それだけじゃ不十分です」

「ん?」

「私が新入生なら、上履きに入っているラインは赤のはずですよね。だけど私が今履いているのは二年生の青ラインの上履きで、そこに『須藤』って書いてあるからと言って」

「君がその苗字の人間だとは限らない、って? 愚問だね」

 歯切れ悪くも反論を試みた礼華の言葉を、目の前の青年が気だるげに一蹴する。


「確実に君の苗字は『須藤』だよ。だって君のその上履きは、君のお兄さんのモノなんだから」

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