第81話 病院へ

 血の気が引いた。

「え」

 日頃からポーカーフェースな夏南が、顔色を変えたのだ。

 監督は噛みしめるように、しかし、はっきりと伝える。

「たまたま隣の席で座ってらしたこちらの男性が教えてくださって。今、早苗のお母さんが傍で日傘さして立ってるの見える?」

 グラウンドの外のフェンス越しに、保護者たちが椅子を並べて観戦している様子がわかる。双方のチームの保護者が自然に2つに別れているのは、自分の子どもたちが所属するチームのベンチに相対して場所取りをしているからだろう。

 白い日傘を指しているほっそりした女性の傍に、ぐったりと座っている母親の姿が目に飛び込んできた。視力の良い夏南にははっきりとわかる。

「ママ・・・!」

「熱中症だと思いますが、意識がないみたいなので沢村さんに救急車をお願いしました。娘さんですか?一緒に救急車に乗れますか?」

 ジャージを着た男性は落ち着いた声音で聞いた。

「は、はい。行きます。」

 そう言って頷くしかなかった。

「試合の最中なのであたしも田村コーチも一緒に行ってやれないわ。代わりにこの方が一緒に行ってくださるって。遠慮とかしている場合じゃないから、一緒に行くのよ?夏南わかった?」

「は、・・・。」

 監督がそう言って説明するが、見ず知らずの大人と一緒に行動することに違和感を覚える。人見知りの夏南だ。非常時とはいえ、思わず顔がこわばった。

 ぐいっと夏南の頭を引き寄せて監督が耳に口を寄せる。

「・・・C大学付属高校サッカー部の顧問の谷中やなかさん。内緒よ。あたしの従兄弟なの。だから心配しなくて大丈夫よ。身元のしっかりしたおじさんだから。」

 内緒話を手短にするとすぐに監督は夏南を開放した。

 夏南の視線が監督と眼の前のジャージのおじさんの顔を往復するが、ためらっている暇はなかった。救急車のサイレンが聞こえてきたのだ。



 母親はすぐに熱中症と診断されて点滴を受け総合病院の病室のベッドへ運び込まれた。今日は予想外の暑さになったせいか、他にも何名か年配の人が熱中症で運び込まれているらしく、同じ病室に二人の患者がすでに在室している。

 当番医の医師に呼び出された夏南とおじさんは、診察室の椅子に腰をおろす。

 白衣を着た若い医師は、忙しげにペンを動かしていた。カルテを書いているのかもしれない。

「えっと、娘さんと、ご主人・・・?ですか?」

 医師が二人へ目を移して尋ねると、

「いえ、私は付添です。倒れた場所にはこちらの娘さんしかいなかったものですから、誰か大人が付き添うべきかと考えて一緒に来ました。もしも席を外したほうがよろしければ廊下へ出ていますよ。」

 ジャージのおじさんは医師の疑問に答えた。

 医師は頷くと、夏南へ視線を向ける。

「そうですか。じゃあ、こちらがお嬢さんですね。お父さんはお仕事ですか?」

「・・・父はいません。」


 

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