第36話 君を気にしない時など

 トップにいる早苗がボールを蹴った。

 相手の橙色のユニフォームが眼の前をちらちらと動く。北斗がパスを戻すと、夏南は走り出した。

 左サイドは利き足で蹴れないことも有るから、できるだけスタートは早いほうがいい。右利きの夏南は体勢を整えて出来る限り右で蹴ろうと思うが、タイミングが遭わなければやむを得ず左足を使う。もちろん、左足での練習はやっているから出来ないわけではない。右ほど自由自在に出来ないというだけだ。

「夏南っ」

「はいっ」

 なんとかボールに追いついて体をひねり、体の向きを変えて自分についたマークからボールを守るようにする。一度バックへ戻してもいいが、出来ればラインを下げたくないから前を向く。

「こっちあるよっ夏南っ」

 前線で動く郁実が言ってくれた。

「こっちもいけるよっ」

 キャプテンもそう言ってくれているが、マークが付いている。

「持ちすぎんなっ!!」

 ベンチからも声が飛ぶ。やれやれ、松葉杖のひとだ。

 夏南はキープ力が無いわけではないが、長時間持つ気もなかった。寄ってくる相手チームのフォワードをやり過ごして、そのまま郁実へパスを上げた。高めに蹴り上げて、ヘディングを促す。

 オフサイドになるかならないか、ギリギリの辺りにボールが落ちるように。

 郁実は頭ではなく胸でトラップし、そのままゴールへシュートしたが、キーパーにキャッチされてしまった。

「いいよー、惜しかった。ナイス。」

「次、行けるよー」

 夏南も元の守備位置へ戻った。ふと、ベンチを見ると、監督が手を上げている。

 左サイドバックにいる北斗と、位置を変わるように支持していた。実花の方を見ると、頷いて位置を入れ替わる。

 純粋に足の速さだけで言えば、夏南よりも実花の方が速いのだ。試合直前に、監督からも位置を変更させるかもしれないと言われていた。

 位置を変更後、夏南がボールを触る前に、早苗のシュートが決まった。

「キャプテンっ!ナイシューです!」

 嬉しそうに味方の選手とハイタッチする早苗が、バックにいる夏南や秋穂の方まで走ってくる。



「ほら、持ってきたよ。」

「ありがとうございます。すみません、先輩。」

「何いってんの。これはベンチの仕事だよ。」

 松葉杖の角に水筒をぶら下げて未冬がよちよちコートサイドへやってきた。

 給水のための時間に、未冬先輩自ら水筒を持ってきてくれたのは嬉しいけれど、怪我人にこんなことをさせてなんだか申し訳ない。

 他の控え選手である純礼や梨那も水筒を抱えて来てくれている。一年生もだ。

 受け取った水筒から水をがぶ飲みして、それからゆっくりとしゃがんだ。こっそりと、控えの選手たちの顔を見る。

 夏南の眉が少しだけ動いた。

 怪我の選手はもちろん、控えの選手もみんな、この試合に出たかったはずだ。

 客席側には、引退した三年生たちが応援に来てくれている。

 スパイクの紐を締め直す。

 出たくても出られない選手の代わりに、しっかりやらなくては。

 楽しそうに秋穂や早苗と話し、弥生の肩を軽く叩いている未冬をちらっと見た。

 キャプテンが一点もぎ取ってくれたのだから、それを守り通さなくては。そして、出来たら追加点を。

「行こうか。」

 キーパーグローブをはめた薫が、夏南の肩を軽く叩いた。

「うん。」 

 こんなにもヒンヤリとした空気の中なのに、薫の額は少し汗ばんでいる。

 気づけば、夏南の前髪を少し汗に濡れていた。



  

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