ノリで入籍すればいいってもんじゃない

【質問】乙女心がよくわかりませんがとりあえずお茶でもどうぞ

 マンハッタンの交差点は老若男女問わず多くの人間が入り乱れるように歩いていた。

 時刻は黄昏時だけあって、一日の仕事を終えた者や学生も多く見受けられる。

 そんな中、俺は今日も手作りの新聞『ダイナー・ポスト』を配っていた。


 会社を辞める前から、スートや死神の話題は人気記事だっただけあり、売れ行きは上々だ。とくに、この間の局長に取り憑いたエビルとジョーカーとの対峙については随分と多くの反響があった。

 意外なことに、女性からの評価が高かった。新聞を受け取る彼女たちの中には両手を合わせて「尊い……」だとか、「萌え」だとかよく分からない事を言っていた者も居たけども。


 まあ、とにかく。記事が人気で売れていればそこは気にしなくても良いのだろう。よく分からない彼女たちの言葉の意味も悪いものでは無いはずだ。

 そんな事を考えているうちに、俺の配る新聞も最後の一枚となっていた。


「はい、どうぞ!」


 最後の一枚を手に取った女性と目が合う。自分とほぼ同じ高さの目線を向ける彼女には見覚えがあった。


「って……シッパー?」

「お久しぶりです、ヒューバートさん」


 向かい合った彼女はピーチベージュのロングヘアをふわりとなびかせて赤ぶちの眼鏡の奥で微笑んだ。

 シッパーはスクエアタイムズに務める事務員で、俺の数少ない同期だ。いや、俺が会社を辞めてしまった今となっては元同期だ。同期ではあるが年下だ。それ故彼女はいつも俺に敬語を使っていた。


「久しぶり……かな?」

「久しぶりですよ! 毎日のように顔を合わせていたじゃないですか。それが突然会社辞めちゃったから……」

「そ、そっか」


 俺はたじろいだ。すると、シッパーは新聞を鞄に入れて、俺のがら空きになった両手を取ってある提案をする。


「あの! ちょっとお茶しませんか? せっかくだし」

「分かった! 近くの喫茶店で良い?」


 俺は通りの曲がり角に位置するカフェを指差した。ところが、シッパーは目を逸らしてもじもじとする。なんだ、喫茶店じゃだめなのか?


「あの……スウィーティー。ダイナーに連れて行ってもらう事は」


「ああ、あそこは夜からの営業だからまだやってないんだよ」


 俺がそう言うと、シッパーは「あ、そっか」と納得し、結局俺達はカフェへ行くことにした。

 

 店内は白い壁とこげ茶のタイルにつつまれ、テーブルや階段、家具にはライトブラウンの木材が使われていてアクセントになっていた。最近オープンしたという事もあってモダンという言葉が適切だろう。

 しかし、それであってもインテリアなどにはヴィンテージの車のオブジェなどがあったりと、古き良きを忘れない工夫がされていて、まさに温故知新と言った言葉が適する空間であった。こういった雰囲気は好きだ。落ち着いた店内は記事の執筆がはかどりそうだから。それでも、俺は今日も結局あの派手なダイナーで記事を書くわけだが。


「ブレンドコーヒー、ブラックで」

「私は……カフェオレを頂きます」


 給仕に俺達は注文を告げて、二人分のコーヒーカップを待つ。元々おしゃべりな性格の俺達だ。待ち時間も常に会話に花が咲いた。


「それにしても、びっくりしましたよ。急に辞めちゃって」

「ごめんって。まあ、言っちゃったからさ。局長に」

「『嘘を吐かせる会社なら辞めてやる』ってやつですか? 別に辞めなくてもヒューバートさんは嘘なんて――」

「それだけじゃないんだ」


 俺は彼女の言葉に覆いかぶさるように言った。


「この間みたいに、俺がスクエアタイムズに居る事で、会社の人達が悪霊に狙われて傷つくのは嫌だったんだよ」


 局長は俺達を憎んでいてその感情をジョーカーに利用された。俺達を倒すために。


「できるだけ、一般人は巻き込みたくないんだ。これはスートの戦いだから」

「スートって事は……ルディさんも」

「ん、ああ。まあそうだな」


 シッパーの口からはやたらとルディに関する話題が出る気がした。と、ここで俺達が向かい合うテーブルの前にウエイトレスがお盆を持って佇む。

 ウエイトレスは「コーヒーとカフェオレでございます」と言って、二人分のカップをテーブルに置いた。

 俺は、珈琲をふうふうと息で冷まして口を付けた。まだ少し熱く、俺は舌先を火傷してしまった。

 その様子をシッパーは温かく見つめていた。こんな格好の悪いところ、あまりじっくりと見ないでほしいのに。

 すると、彼女はにこりと笑い、両肘を机上に置き、頬を手に乗せた。


「あの、ルディさんの話もう少し聞かせてくれませんか?」

「え、まあ……いいけど」


 あいつの事なんか聞いて何になるのだろう? と疑問ではあったが、特に断る理由もなく、俺は彼女の取材の様な質問へと答えることにした。


「やっぱり密着取材ってだけあって、ルディさんとはいつも一緒に居るんですか?」

「毎日顔を合わせているけど、店手伝う時とスートとして戦う時と、取材して記事書く時くらいだよ」

「それって、常にですよね? もはや一緒に住んでいるも同様じゃないですか!」

「一緒には住んでないけどな」


 たしかに、俺は会社を辞めて以来あのダイナーやルディの部屋で過ごしている事が多かったが、それでも住まいは別々だ。

 シッパーは気のせいだろうか少し残念そうなそぶりを見せて、過去の記事を取り出した。


「この間街で二人買い出しに行ったって記事で、ヒューバートさんの方が結局モテてルディさんに怒られたって話がありましたよね」

「よく覚えているな」

「当然です! それで……あれってやっぱり嫉妬なんですかね?」


 嫉妬? まあ、そうだな。ルディは可愛い女の子に「かっこいい!」と評された俺に完全に嫉妬していた。


「え、嫉妬だろ。どう考えても」

「……!!」 


 さらりと答えると、シッパーは口元を両手で覆って目を潤ませてそのまま震えながら俯いた。

 俺は心配になって、彼女の顔を覗き込む。


「シッパー? おい、どうしたんだよ」

「ごめんなさい……コーヒーが、苦くて」

「え、カフェオレだろ?」


 俺がそう言うと、シッパーはようやく顔を上げて涙を拭った。泣くほど苦いカフェオレだったのか。この店に今後行く事があってもカフェオレは頼まないようにしよう。

 改まったようにシッパーは目を輝かせて俺に尋ねる。


「それで、今日も取材でしょうか?」

「ああ。午後六時にはダイナーに行くよ」

「あ、あの! このままダイナーへ取材に行かせてもらえないでしょうか?」

「え?」


 俺は思わず聞き返した。そして、考える間もなく答えは口から出ていた。


「絶対にだめ!」


 強く言う。そう、この願いだけは効くわけにはいかない。


「さっきも言っただろ? 俺は一般人を巻き込みたくないんだって。悪いけど……連れていく事はできない」

「そ、そう……ですか」


 自分でも熱く、強く言ってしまったと思った。俺は、はっとして背中を丸めた。


「あ……悪い。言い過ぎた」

「いえ! 気にしないでください!」

「でも、どうしてそんなにルディに会いたいんだ? あ、もしかして……」


 俺が仮説を口にしようとすると、シッパーの肩がびくりと震えた。それは、まるでこれから図星を指されてしまうのではないかという不安におびえるようだった。


「ルディに気があるのか? だとしても、アイツだけは止めといたほうがいいぞ!」


 と、言うとシッパーはまた両手で口元を覆って、肩をずっと震わせていた。え、何、笑ってる?


「あ……あはは! そういうのじゃないですから!」


 誤魔化すような笑い声に俺は「ふうん」とだけ言った。

 ふいに、彼女は時計を眺める、俺もその方向を見ると、約束の時間まであと三十分しかなかった。


「そろそろ時間ですね……久しぶりにお話しできて楽しかったです! ありがとうございました」

「こちらこそ、楽しかったよ」


 俺達は茶色とベージュがうっすらと残るコーヒーカップを残して喫茶店を後にした。




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