【悲報】ぬか喜びでした


 局長室に到着すると、部屋の主は皮張りの分厚い椅子にどかりと座り、窓から昼下がりの街並みを眺めていた。

 俺がデスクの前で足を止めると局長は座面を百八十度くるりと回転させて対面する。


「来たか」

「はい」


 局長はいつものようにしかめ面だが、対照的に俺はきっと笑みを浮かべているのだろう。

 これから昇進の辞令を受ける、そう考えるだけで頬がほころんでしまうから。


「随分とご機嫌そうだが、その様子だともう知っているな。エスターあたりから聞いたんだんだろう」

「え? 一体何のことでしょう?」

「ふん、白々しい奴め」

「もしかして、昇進の事ですか?」

「知っているんじゃないか!」


 我慢できなくなって自分から切り出してしまった。だが、その方が話も早いと思えた。

 局長はコホンと咳ばらいをして、「そうだ」と続けた。


「知っての通り、お前に昇進の話が上がっている」

「やった! じゃあ、俺なにになるんですか? 主任とか?」

「まて、そのあたりのポストを用意するつもりではあるが、あくまでも予定だ」


 制止するように手のひらを差し出される。

 どういう事だろうか。俺が昇進するのは既定路線ではないのか?

 エスター部長は軽口を叩く上司ではあるが部下を騙すような質の悪い冗談は言わないはずだ。

 ともあれ、俺は「予定?」と聞き返した。


「貴様には昇進試験を受けてもらう」

「昇進……試験……ってことは、受からなきゃ昇進できないって、事!?」


 局長の言葉を反芻するように唱えて、理解が追い付き、次第に言葉尻は大きくなる。

 つまり、俺の昇進は確定では無かった。乗り越えるべき試練がウォール街の壁のように佇む。


「当たり前だろう。だから喜ぶのはまだ早いんだ」

「そ、そんな……」


 俺の昇進はぬか喜びだった。上向いていたはずの口角も徐々に高度を下げていく。

 だが、チャンスを貰ったのは事実だ。それならば切り替えて試験に挑むしかない。


「試験って、何するんですか?」

「昇進試験の話が出たのは、ひとえにお前の書いた悪霊退治の記事が大好評だったからだ」


 褒めてもらえるのは嬉しい事だが、如何にも不満そうに言う局長に俺は「はあ」と気のない相槌を打った。


「あの記事ははうちの独占記事にするべきもので、新聞、ラジオ、テレビ……とにかく他媒体に取られて良いネタではない」


 なんだその独占欲。というか、俺の記事なんだけど。

 俺はまあいいか、とため息をついて、鼻息混じりに語る局長の話をもう少し聞く。


「そこで、ルドルフ・スティーブンに独占インタビューを任せる。それが昇進試験だ」


 授けられた課題は案外シンプルなものだった。少なくとも災害地の現場取材や脱走した猛獣の取材や、悪霊との死闘よりもいくらか安易なものだと感じた。昇進試験という試練にしてはいささかハードルが低すぎるんじゃないかとも思えた。それに──


「そんな、事? ていうか本当にルディでいいんですか?」


 局長は不可抗力とはいえルディにヅラを暴かれたという遺恨がある。てっきり、ルディの事を嫌っているとばかり俺は思っていた。


「彼はネタになるだろう。しがないダイナー店員が実はスーパーヒーロー。ドラマ性がある。メディア映えするんだよ」


 局長は、演説中のリンカーン初代大統領のように両腕を広げて胸を張りながら叫ぶ。


「貴様もそういう理由で彼を取材したんだろう?」


 いや違う。そんな理由ではない。俺はただ、ルディの知っている真実を伝えなければならないと思っただけだ。


「俺は……ただ」


 そう呟くと、局長はじろりと蛇のようにこちらを睨んできた。否定してしまえば、この話は白紙にするぞと言わんばかりに。

 俺は結局、続く言葉を呑み込んで、「わかりました」と承知する。


「とにかく、ルディに独占インタビューをすればいいんですね」

「ああ、インタビュー内容はこの資料に記載している」


 そう言って、局長は書類の束を俺に渡す。試験というだけあって、インタビュー内容は指定されていた。


「はい、確かに受け取りました。」


 試験問題のずしりとした紙の重みが手に伝わった。


 俺はスウィーティーダイナーの入り口のドアノブを引く。ぐ、と手ごたえを感じた。鍵がかかっているようだ。オープン前だから当たり前だが。

 こうなれば、ルディを探さなければならない。どこに居るのだろうと辺りを見回していると、裏口のほうからなにかを振るような音が聞こえた。

 そちらの方へと向かうと、ルディが大鎌を持ってグリムと戦っている。


「何してるんだよ」


 俺は、慌ててルディを止めた。なんで、味方であるはずのグリムと戦っているんだ、と。ルディはきょとんとしたように俺を見た。


「ん?ヒューバート? 何って?」


 じゃなくて、どうしてグリムと戦っているかを聞いているんだ。


「これは、修行だ」


 俺の問いにはグリム自身が答えた。俺は「修行?」と聞き返す。


「ああ。コイツの戦闘能力をマシにするために、戦闘をシュミレーションしたトレーニングをしている」


 なるほど、と俺は小さく頷いた。するとルディはグリムの方を明るい顔で見つめて提案をした。


「なあ、グリム! ヒューバートも来た事だし休憩しようぜ! 休憩!」

 俺をだしにつかって休憩しようって魂胆か。グリムもそれは見抜いているようで、それでも俺が取材で来ている事を察して仕方なくルディの提案に乗った。



 休憩、という事で俺はオープン作業もされていないダイナーへと通された。そそくさとキッチンへと向かったルディは賄いのパンケーキを手際よく作った。

 甘い湯気を漂わせたそれをいくつも積み重ねたパンケーキタワーに、バターの冠と蜂蜜の雨が降り注ぐ。見た目は写真映えする王道スイーツだ。

 銀で縁取りされた白いカウンターにそれを置いて、ルディはふかふかのパンケーキにフォークを刺した。そのまま口に運ぶと、彼の表情は甘く綻んだ。


「お前も食うか?」


 とは言え、甘すぎるこれを食ってしまえばきっと俺はあの世行きだ。丁重にお断りしなければならない。


「生憎、済ませてきた。仕事で来たんだよ」

「仕事って?」

「取材に決まってんだろ」


 俺はパンケーキでできた塔の横に、同じくらいの高さがある昇進試験のインタビュー内容が書かれた書類をどかりと置く。


「なんだよこの紙の山」

「昇進試験の問題用紙だよ」


 ルディは「え?」とゆっくり首を傾げた。


「昇進……試験? お前、昇進すんの?」

「昇進するチャンスを貰っただけだよ。まあ、そんなに難しそうなものじゃなくて良かったけど」

「おい、どういう事だよ」


 まだ事が分かっていないようだ。俺は書類の表紙に書かれた『ルドルフ・スティーブン独占インタビュー』の文字をとんとんと指先で叩く。


「お前への独占インタビューを記事にして俺は初めて昇進できるって事」

「独占インタビュー? もしかして、この紙がそれ?」

「ああ、そうだ。大量にあるからいっぺんに行くぞ」


 俺は万年筆を取って、ルディへの独占インタビューを始めた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る